2011年11月1日火曜日

#13 甦る鉄路

すっかり東海新報のファンになっている。

今朝もいつものように朝御飯を食べ、ロビーで東海新報を読む。
一面には、生出木炭祭りとすみた産業祭りの記事が。そして、大船渡市復興計画が議会承認された記事が載っている。議決対象ではないのだが、市の総合計画と同様に取り扱うべきだとのことで、条例も変更しての議決となった。満場一致で可決。

復興計画は3章で構成され、
第1章:復興の基本的な考え方
第2章:復興における課題、目標及び方針・施策
第3章:復興の推進に向けて(復興の推進体制)
となっており、当初は4章に、三重でいうところのアクションプログラムである復興事業が掲載されていたが、付属資料としての位置づけになった。

これから、「命を守り、夢を育むまちづくりと防災に協働するまち大船渡」を目指し、歩み始めることになる。この街には、もう一つのスローガン「ともに作る 三陸の地に輝き躍動するまち大船渡」がある。二つの目指すべき姿、必ず実現できる。
復興計画に対する街の様子も、可能な限り追っていきたい。

復興計画策定員会の第6回では、メガソーラーの構築に向けた「環境未来都市構想」も参考資料として提示されている。
そういえば、2年ほど前に「メガソーラーきそさき」を妄想していたことを思い出した。試算では、285haで10万kw、総事業費500億という前衛的な計画だったが・・・

今日は、天気も良く暖かな一日である。
昨日の脱塩プラント、特に水処理に部分がよくわからない(というか知識が不足している)ので、改めて確認をする。

昼休み、NHKの全国ニュースで、被災地の路線価が調整されることになったと伝えられた。大船渡市もその対象となっている。
N主任に話を伺うと、この街の土地に、既に今までと異なる動きが出てきているとのこと。昨年、三重大学のさきもり塾に通っているとき、災害に備えた土地利用について研究した。発災前に、様々な視点から土地利用を誘導し、市民の方々により安全な場所に住んでもらおうという内容である。出来れば、来るべき災害に備えて、今から何かやっていきたいのだが・・・

引続き、NHKのひるブラで、三重という言葉が流れ、モニターに振り向く。そこでは、高級そうな松阪牛がジュージュー言っている。すかさずU係長が、「待ってるから。」
松阪牛チップスでお茶を濁せないだろうか・・・

終わりのミーティングがいつもより早く終わり、街にでて用事を済ませる。クリーニング、そして樋口魚店で明日の分の刺身を予約する。
おかみさんが「魚、焼いといてあげようか?」
ううっ・・・「お願いします!」
甘えてしまった・・・

その後、洗濯をしている時間に鉄道ジャーナルを読む。12月号の記事に、仙台周辺の鉄道被災状況と、今回で最終回の「鉄道被災の現実」では、大船渡と陸前高田、南三陸のレポートが掲載されている。4月の大船渡駅は、まだがれきが多数残されている状況だったが、今は撤去が進んだ。
津波により駅舎が失われた、陸前高田市にある大船渡線小友駅(7月撮影)
市役所からほど近いところに盛(さかり)駅がある。ドラゴンレールことJR大船渡線、三陸鉄道南リアス線、貨物専用の岩手開発鉄道が集まる鉄道の要衝であるが、今は旅客列車はすべて止まっている。

Y氏が以前、盛駅を訪れたとき、駅員さんと
「なぜ、列車が来ないのに窓口を開けているのですか?」
「それは、ここに来てくれたお客さんのためです。」
列車が来なくても、やってくるかもしれないお客さんのために窓口を開けている。涙が出てきそうなエピソードである。
吉浜駅で、いつの日か来る出発を待つ三陸鉄道36形(7月撮影)
しかし、悲しい話だけではない。NHKで、岩手開発鉄道が11/7から運行再開するに合わせ、職員手作りのヘッドマークを掲示するというニュースが流れた。貨車の側面にも応援メッセージが!

30日に大船渡で、ミニSLを走らせるイベントがあったが、残念ながらいけなかった。そこでは岩手開発鉄道のグッズが売っていたらしい。超レアアイテムゲットならず!残念!!
しかし、じっとしているわけにもいかないので、7月に1万円くらいグッズを買ったのに引き続き、三陸鉄道への強力な支援を実施した。
仕事で使う鞄では、三重と三陸がコラボっている。
晩御飯はほっとポットでパスタを食べ、いつものマイヤで朝御飯を買って帰宅する。
なすのボロネーゼ温玉のせ
昨日、フェースブックにおおふなとさいがいエフエムの管理責任者である佐藤氏のロングインタビューのリンクを貼ったところ、何人かからコメントをいただいた。
もしかしたら、私はまだ表向きの大船渡しか見ていないのかもしれない。しかし、今、この街は前を向いて歩いているということは事実である。