2013年11月30日土曜日

#309 真剣-1日目-

昨晩は少し雪がちらついたらしいが、外は晴れていた。8時半に起床し、準備を整えてからS技術次長にも手伝ってもらい、スタッドレスタイヤを1号機に積みこみ、宮城トヨタへ向かう。

クルマを預けてからベースキャンプに戻り、大島に関する本を斜め読みしていると出発時間になり、T氏とともにまずは昼食。休みの日にしか行くことが出来ない最寄りの新来軒へ。もうおばちゃんとはすっかり顔なじみとなった。「今日はお休みだね?」と聞かれるが、いえ、昼から業務なんです...
フェリーに乗って大島へ。風はそれほど冷たくなく、デッキに立っていても寒くはない。
サイレンを鳴らす救急艇
架橋の建設予定地
島の中央部にある大島開発センターへ。田中浜に整備を検討している防潮堤の意見交換会の準備を済ませ、来場者を待つ。
15時から意見交換会が始まる。会場はほぼ満席だ。環境省や県、市の関係職員の紹介ののち、いくつかの案を提示してから意見交換となる。
詳しく記述することは出来ないが、賛否両論の意見をいただく。防潮堤への関心が高さが窺われた。奥尻島の話が出たので、自分が少し受け答えする。

翌日の会場セッティングを行い、またフェリーに乗って本土へ戻る。一部のスタッフを覗いて今日の振り返りを行った。明日もまたたくさんの来場者がみえることを期待しよう。

2013年11月29日金曜日

#308 standby

いつもと同じように...という出勤ではなく、まず朝一で歯医者に行くことに。菅原歯科は大人気すぎて、希望する時間に予約が入らない。もちろん、土曜はほぼ不可能...

久しぶりにJr先生に診てもらう。「最近見かけないから、帰っちゃったかと思った(笑)。けど、挨拶なしなわけないし…」と。最近2号機がご無沙汰していることは、奥様はちゃんとチェックされている。もちろん、そのことはJr先生にも伝わっていた。

1時間休暇を取って、職場に出向く。不在中に三重の上司から電話が入っていた。12月中旬までの一時帰還指示が。自らのスケジュール調整に難航しそうな予感がする。出来れば年末に纏めての方が助かるのだが...

しばらくして明日の意見交換会の事前ミーティングが行われる。部長、A総括、S技術次長、T班長、H技査、T氏、そして自分。豪華(?)キャストで臨むことになる。考え方やプレゼン方法、会の進行など多方面の意見交換をする。メンバー間で普段あまり話をしないが、皆の意識は共通していた。明日の会がうまく行くことを願う。
建設機械類で賑わう非ライブカメラ
昼食後、事前準備に向かうS技術次長とH技査を大島行フェリー乗り場へ送り届ける。午後は施工予定現場について、打合せのスケジューリングをしたり、設計内容の指示を行ったり、そしてまたフェリー乗り場に迎えに行ったり...
最近はPC周りのトラブルが随所で発生している。PCも風邪を引くのだろうか。

業務終了後、こけしへ。いつもおすすめメニューの筆頭にある「もつ煮定食」を頼んでみる。少し自分の好みとは違ったような気がした。
22時からNHKスペシャル「震災遺構」を視聴する。冒頭に第18共徳丸がフィーチャーされていた。こうやって被災地のジレンマを全国に伝えてもらえるのは助かる。

2013年11月28日木曜日

#307 地道

刻一刻と冬が迫ってきている。もはやパッチやヒートテック的なモノなしの出勤が到底不可能な状況に追い込まれた。熊野のことを懐かしく思いつつ、冷風を切っていつもの道を行く。

プレハブの合庁は、すべてのドアが引き戸で、ほぼクロージャーが装備されていない。そのため、勢いよく出入りされると、隙間が空いてしまいとても辛い思いをする。特に出入り口や別室に近いポジションにいる自分は、モロにその被害を被ってしまう...太ったら寒さに強くなるのだろうか。いや、健康を害するダメージの方がデカいだろう。

I主事から依頼された、施工予定箇所の施設と用地の関係を示す資料を作成する。宮城県では地籍調査が全県で88%の進捗と、驚くべき数値が出ている。ちなみに気仙沼市は91%、南三陸町は98%。一方三重県は9%で全国46位...宮城の人たちは、地籍調査されていることが当たり前だということに、ギャップを感じる。

復興事業を進めるにあたって、土地の権利関係は避けて通ることが出来ない。宮城の人たちの地道な努力のおかげで、今、業務を非常にスムースに進めることが出来る。こういった業務はとても地味で日の目を見ることはあまりないし、華やかさとも無縁である。震災で地盤が大きく変形したためにパラメータ変換という作業が必要とはなるが、それでも1から調べるよりははるかに速い。

三重でも、出来れば津波浸水が予測されている地域だけでも、いち早く取り組んでほしいところだ。もちろん、山林でも地籍調査が進めば、森林簿や森林計画図の精度が格段に向上するはず。残さた時間はどれほどかわからないが、最重要課題の一つだと思う。
熊野で見た、悲劇の公図とは早くお別れしたい...
工事が進む非ライブカメラ
午後は週末の意見交換会の準備を手伝いつつ、S技術次長に少し意見。目的と手段のこと、それぞれが担うべき役割のことなど...。
引き続き、来月に控えているイベントに備えて資料作成を進める。地籍調査ばりに地道な作業をこなしていく。

業務終了後、ストレスチェックなるシートを記入する。「派遣職員ですか?」という欄にチェックを入れ、50程度の設問に答える。今年2回目のチェックだが、被災地で勤務する職員はメンタル面の負荷が高く、実際に病休などの事態が発生している。自分は今のところ大丈夫そうだが...
返送用封筒をいつ投函しようかモヤモヤしていたら、S技術次長が「大雑把かと思っていたら、意外と繊細だっちゃね」と突っ込みを入れてくる。カバンに入れてしまうと確実に忘れそうなので、T氏に託す。

夕食を摂ろうとこけしにいくと、なんと連休...迷わずまるきにダッシュする。復活したお気に入りの「煮干しラーメン」を注文する。
相当うまい
今日はゆっくりした時間が流れていたので、気仙沼の諸々や昔話などをいろいろ聞かせてもらう。震災前の南気仙沼や魚市場周辺、鹿折に行ってみたかったな、と思った。

2013年11月27日水曜日

#306 continuous

いつもより1時間早く起床する。数日続いていた暖かな朝とは違い、少し寒い。県内でも最も寒い地域に向かうため、先日入手した防寒アイテムなどを鞄に詰め、出発する。

同行するT氏が既に到着しており、しばらくして誰よりも早く出勤するA総括が登場。準備を整えて栗原の事務所へ向かう。窓には少し霜が降りていたので、ワイパーで取り除いた。

登米経由のルートで栗原合庁まではおよそ2時間。前回はプライベートと言え失態を演じてしまったが、今回は予定より30分早く到着することが出来た。
4Fにある林業振興部にお邪魔し、挨拶などをしていると東部のメンバーも到着した。全員が揃ったところで出発となる。自分はN技師が運転するクルマに、高知から派遣の東部のO氏とともに乗せてもらう。
2008年の岩手・宮城内陸地震の復旧状況を見学するため、ひとまず荒砥沢ダムへ。

ダム湖の横にある公園で、宮城北部森林管理署のK室長と合流。荒砥沢地すべりの遠景を眺めながら説明を受けることに。以前訪れたときは良くわからなかったが、内容をようやく把握することが出来た。
荒砥沢地すべりは、1300m×900mの範囲が、およそ300m移動したという。正直、そのスケールを測りかねる。移動した土塊の上には、以前と変わらず木々が茂っており、切り離された道路もそのまま残っている。
土塊は移動していないとのことで、現在は浸食を防止するための緑化や、流路工の設置が行われている。
中央右が土塊
栗原市ではジオパーク構想が進められており、この公園にも以前は見られなかった説明看板が取り付けられていた。
いよいよ、移動土塊に向かう。まずは、土塊と動いていない地山との接触箇所へ。
←土塊 ↑集水井 地山→
←地山 土塊→
土塊はシルトであり、例えるならチョークの粉のような状態である。常に浸食が進んでいる状況。
また、この奥には集水井が掘削されており、大量の地下水が排出されている。
さらに奥へ向かい、流路工の建設が進められている場所へ。周辺の足元は田んぼのような状態になっていた。構造物は不安定な地盤上に設けられているため、沈下時などの変形に追従できるように鋼製となっている。
さらに奥へ。滑落崖付近は俄かに信じがたい光景が広がっていた。
高さおよそ150m
ぶら下がるガードレール
こういった自然災害で発生した地形、一方は学術的に価値があるものなので保存を、一方は下流のダムに影響するから対策を、というジレンマ。悩ましい...

引き続き、滑落崖を上から眺めることに。上に乗った固い岩が、下のやわらかい岩を押しつぶすために、上の岩の重みを減らすために排土したとのこと。状況を理解することが難しいくらいの規模。
荒砥沢を離れ、冷沢(ひやしざわ)へ。この場所へ来たのは3回目だ。元々は狭い渓流だったが、地震後に大きくえぐられてしまった。渓流には谷止工が設置され、崩壊した斜面には法枠が施工されている。支障木を再生したチップが斜面に吹き付けられているのが印象的だった。
自らが植樹を行った現場を遠目に眺める。おそらく問題なく育っているはずだ...
少し遅くなったが、昼食に向かう。栗原耕英地区では岩魚が名産であり、今日訪ねた「数又」は全国で初めて岩魚の養殖に成功するという偉業を成し遂げている。店の周辺には雪が残っており、環境の過去さを物語っていた。
味わい深い建物
おいしい!
食事後に宮城北部森林管理署の方と分かれ、旧花山村へと向かう。地震により発生した山腹崩壊を復旧する工事を行っている現場だった。
地震時には、モノレールに乗車していた作業員3名が犠牲になっている。斜面整形にリモコン式ロッククライミングマシンを使うなど、かなり苦労を重ねている現場だった。
T氏と少し意見交換をする。このような現場をどう対処するか。我々だったら別の合理的なアプローチで臨むだろうと意見が一致した。

スタート地点に戻り、解散となる。帰りは金成経由としたが、登米経由とほとんど時間が変わらなかった。

業務終了後、エスポワールで夕食となる。カウンターで話をされている方が、最近は結婚式をすぐに挙げない人たちが多いと話されている。場所を変えたり、日を変えたり...震災の影響があるのだろうか、気になる。

2013年11月26日火曜日

#305 手段と目的

昨晩かなりの雨が降ったからなのか、暖かい朝を迎えた。昨日の反省を生かして、ヒートテック的なものを装備して出勤することに。

先日、震災の伝承やこれからの防災対策について意見照会の文書が回っていたので、少し具申することにした。三重ではかなり重要な役割を担うプレーヤーについて全く記述されていなかったので、三重県防災対策推進条例を引用しながらコメントする。

自分はメインアクトではないが、今週末に控えている防潮堤に関しての意見交換会について、なぜかずっと緊張している。例えるなら、試験や面接に臨む前の心境か...

防潮堤は構造物としてのインパクトが非常に大きいため、どうしても「モノ」自体に注目が集まってしまうが、最大の目的は、津波や高潮といった自然災害から生命や財産を守ることであって、防潮堤はその一つの手段でしかない。
海がもたらす自然災害から逃れるための最善の答えは高所移転であり、津波を永遠に回避できる高台に街を築くに越したことはない。しかし、海と生きるこの街では、その選択を100%受け入れることが出来ない。

来年か、再来年か、10年後か、50年後か、100年後か、次にいつやってくるかわからない津波に対し、一番の恐怖は「忘却」だと思う。震災からまだ2年8か月しかたっていない今は、過酷な経験をした人や、遠方に居ても、この地で起きた事実を知っている人たちが喧々諤々の議論を交わしている。しかし、数十年経てばそういったプロセスは忘れら去られ、思いをこめて作ったルールは勝手に解釈され、そして捻じ曲げられる。三陸はその歴史を繰り返しており、賛成反対で二分された大島架橋の話も同じだと考えている。もう次の世代には伝わらなくなっている。

2年前の海岸林学会の大会で、ある研究者が「そこに防災林が存在することで、危険な場所での土地利用を回避できる。」と発言されていた。未来に伝えていくためには、物理的にそこに「モノ」が存在していることも非常に有効だと思っている。
重機が行きかう非ライブカメラ
S次長に、東海新報の記事と陸前高田の高田松原周辺の防潮堤整備に関する資料を提供する。県境を挟んだ気仙地方の情報がある程度自分には入ってくるが、そうでない場合は取りにいかない限り知るすべがない。県境の壁は想像以上に厚い。しかし、ヒントはたくさん落ちている。もちろん、隣町だけではなく、今は浜松でも強力な取組が行われているので、そこもキャッチアップしていく必要がある。

追加となる工事の設計書を作成し、帰路に就く。少しだけ雨が降ってきたが、すぐに止んだ。
洗濯のローテーションの都合で、パッチの在庫がなくなったりすることは自分にとって致命的なため、追加分を入手に出かけ、帰路吉牛で牛鍋定食を食べる。
一人用の鍋に入ったすき焼き風の食べ物が、なぜかとても豪華に見えてしまう。一人で食べていることも相まって、少し悲しくなる。こういった鍋に入っている食べ物はみんなで食べるものだという固定観念からなのか、はたまた旅館の夕食などを思い出してしまったからなのか。しばらくは封印しようと思う。

2013年11月25日月曜日

#304 smooth or rough

どんよりと曇った朝を迎える。天気予報は暖かいと予想していたので、ヒートテック的なものを装備せずに出勤するが、明らかにミス。寒い...

職場で昨日パレードに行ったことを報告する。A総括も出向かれたそうだが、殆ど見えなかったとのこと。21万人も集まっていたのでは仕方ないが、自分のポジショニングは間違いではなかったようだ。

もろもろ書類などを片付け、戸倉のSという現場に向かう。車載の温度計は少しづつ上がっていく。現場近くの土場に集積された支障木の確認を行い、今後の行程について打ち合わせを行う。現場代理人のS氏はざっくばらんな方なので、現場条件は厳しいものの、スムースに情報交換が出来て仕事も円滑に進む。

さんさん商店街でうどんを食べ、帰庁する。設計について、県庁に投げかけた内容について電話で打合せを行ったり、県庁から指示のあった書類の作成を行う。スムースに事が進めば不要な書類だが、やむを得ない。

業務終了後、大型ショッピングセンターで半額のお寿司やもろもろ買い物をする。総菜コーナーで「シャーク・ナゲット」を見つけ、入手する。気仙沼の隠れた名物で、文字通りサメの肉を加工したものだ。
コーヒーを飲んでしまったからか、なかなか寝付けない...しかも地震もあったので余計にか。きちんとした生活リズムを保たないと。

2013年11月24日日曜日

#303 魅惑の街

6時に起きようとか、どうやら思っていた節があるが、そのような妄想は実現困難に決まっていた。9時前に起床し、シャワーを浴びてから朝食へ。小奇麗なバイキングでパンなどを食べる。

10時ギリギリまで部屋に引きこもり、チェックアウトしてから1号機に荷物を入れ、街へ繰り出す。飴も上がり、絶好のパレード日和だ。優勝パレードをどこで見るか、何も決めていない。今いる場所から一番近い広瀬通を西へ向かう。
東二番町通との交差点には、かなりの人だかりができていた。出遅れたのは間違いないが、ベストポジションを見つけようと反対側へ。比較的人も少なく、思ったより良ポジションを確保することが出来た。
ビルの窓から眺めている人も…
友人と電話で居場所などを話していたら、隣にいた方が親切に教えてくれた。東北のあったかさを感じる。ワンセグで開会挨拶やテープカットなどを視聴しながら、パレードカーの到着を待つ。折角なら、街路のスピーカーから挨拶が流れたらよかったが...

どよめきとともに、マーチング・バンドを先頭にパレードカーがやってくる。村井知事、奥山市長に続き、星野監督が!
続いて、選手を乗せたバスが。
銀次選手
田中選手
パレードカーが全て通過し、サッと人がいなくなる。駅方面に向かって歩き昼ご飯を...と思うが、どこも人が並んでいる。偶然見つけたインド料理の店で、カレーとナンを食べる。すべて食べ放題というすごい店だったが、名前を忘れてしまった...

少し駅前をブラブラする。タワーレコードに久々によってCDを買い求めたり、ヨドバシカメラで欲しいものを眺めたり。新しいパソコン、フルサイズのデジイチ、腕時計、掃除機...欲しいものがありすぎて収拾がつかない。買ってもいない宝くじが当たることを夢見る。

物欲を振り払いながら、泉区にある宮城県図書館へ。「県立」でないところが面白い。大規模な住宅団地の中を通り、メタセコイアの落葉を眺めていると目的地に到着した。前衛的な建物の中はとても静かだった。
あまり時間がないので、ざっと館内をめぐる。2階にある展示室では、紙に関する資料が展示されており、非常に興味深かった。3階には東日本大震災文庫があり、貴重な資料もそろっている。どれだけ時間があっても足りない...
奥には新聞のマイクロフィルムが格納されているコーナーがあり、我が(?)三陸新報も1982年ごろからすべて揃っている。縮刷版が発行されていない以上、ここを頼るしかなさそう。

いよいよ、みやぎ資料室に足を踏み入れる。閲覧者が誰もおらず、耳が痛いくらいの静寂だった。見たかった資料はあらかじめ目星をつけておいたので、担当さんに書庫から出してきてもらう。
今回は重点的に大島架橋関連の資料を閲覧するが、残念ながら自分の期待するようなものは得られなかった。1983年に発行された「地方都市気仙沼の発展と大島振興に関する調査報告書」は必要なところを複写する。最近はコピー機よりもデジカメの方が楽...
残念ながら閉館時間となり、やむなく後にする。

色々な意味で仙台は魅力的な街だ。震災以降、万人単位で人口が増えているのも理解が出来る。もちろん、気仙沼をはじめとする沿岸部の街も十分に魅力的だ。ただ、様々なニーズや欲求に応えるには、残念ながら物足りなくもある。気仙沼時々仙台という今の生活はある意味ベストかも...。

泉ICから東北道、仙台北部道路、三陸道を通り、河北ICで降りて道の駅上品の里へ。前から気になっていた温泉につかることに。
木造の美しい建物
湯上りに晩御飯を食べる。前も食べた金華サバの漬け丼。注文してからカキフライにすればよかったと悔やむが、これもおいしいので良しとしよう。
45号線をのんびりと北上し、ベースキャンプへと戻った。

2013年11月23日土曜日

#302 SENNAN Explorer -角田・丸森・白石-

目が覚めたら6時だった。友人は仙台駅発7時のバスに乗る予定だったが、当然不可能。ひとまず出発し、那須高原SAでパンとコーヒーを買い求め、北へ向かう。絶好の行楽日和で、東北道から眺める山々が美しい。昨日もそうだったが、普段は夜間に走行する機会が多いので、改めて東北の自然に感心する。

仙台高速バスターミナルに、次の便が発車する直前に到着した。乗り遅れた乗車券は払い戻しや変更が出来ないという残酷なシステムだった。やはり鉄道がいいと思った。

今までに訪れたことのない街を探検するため、仙南をターゲットに一路4号線を南下する。途中にある作業用品店の店に立ち寄り、冬に備えたアイテムを大量入手する。欲しかった都市迷彩のヤッケは、下のLサイズが売り切れ...
4号線を逸れ、阿武隈川に沿って角田市へ向かう。流域にはフラットな土地が広がっているが、県北とはなんとなく違った雰囲気が漂っている。

W技師が紹介してくれた、市内中心部に近い台山公園にあるコスモハウスに立ち寄る。角田市にはJAXA関連の施設があるため、こういった宇宙開発系の展示施設がある。JAXA関連施設と言えば銀河連邦を思い出すが、角田市は残念ながら加盟していない。
展示コーナーにはボイジャーの実物大模型がある。今なら間違いなく「はやぶさ」になるだろう。
ボイジャーといえば、ゴールデンレコード。
隣接するスカイタワーに昇る。遠くには蔵王連峰を眺めることが出来た。
敷地内にはH2ロケットの実物大模型が展示されているが、残念ながらお化粧直し中。高く組まれた足場を見るだけで、少し寒気がした。
駐車場に戻ると、ネコがなついてきた。どうやら1号機がお気に入りのようである。
引き続き丸森町へ。阿武隈ライン舟下りの乗船場へ。紅葉は少し終わってしまったが、時期としては悪くないのに、なぜか閑散としていた。JAF会員割引で1500円と、リーズナブルなのだが。
しばらくして乗船となる。フリーの客が自分を含めて3名、芋煮コースを注文された2名の計5名で出航する。
舟下りの魅力は船頭さんのMCが半分くらいある。しかし、行きは無言だった。かなり残念である。
阿武隈川は昔は水運が盛んだったそう。つまり、緩やかな流れということ。舟下りにつきものの急流もなく、ただひたすら穏やかな水面を進む。
人工的な噴水のある場所で折り返しとなる。ようやく船頭さんの解説が始まるが、残念ながら見どころが殆ど存在しないため、なんだか物足りない。もちろん、唄もない。
1時間ほどのクルーズを終える。残念ながら、舟下り好きの自分にとっては満足のいかないモノだった。景色を補うための何らかの魅力を付加したいところだ。食もさることながら、阿武隈川の水運をイメージした何か...MCの特訓もはじめつつ、船頭さんの服装など手軽なところからでも始められたらいいと思った。
この下流にある川原では、毎年10月下旬に「石投げ大会」が開催されている。水面を切る石が何回撥ねるかという、おなじみの遊びである。既に10回以上開催されている、丸森町の一大イベント。
トロフィー
近隣にある阿武急こと、阿武隈急行の丸森駅に向かう。
新しいといっても、開通してから25年が経過するが、新設路線らしいシンプルな駅舎には売店があり、タマ駅長ならぬマルとモリの姉妹が勤務している。しかし、どちらかは巡視に行ってしまったようで不在だった。
窓口で開業25周年記念のグッズを購入する。列車に乗れない分、少しでも消費することで貢献できれば...

川沿いを走っていると、棚田の看板を見かける。珍しいな、と思い少し立ち寄る。三重にある坂本の棚田や丸山千枚田のような小さい田んぼがたくさんある感じではなく、1枚が大きめの、石垣も強固な感じのものだった。
対抗もままならない隘路を行き、寄ってみたかった「いなかの道の駅やしまや」に着く。スマホは圏外という、今では珍しい場所だった。建物の2階では干し柿がびっしりと吊るされていた。
本来なら駅長の「とらお」がいるはずなのだが、残念なことに不在。
店内ではカレーなど軽食を摂ることも出来るのだが、行程が厳しくなってきたので断念。またの機会にするとして、上げ底するためにお菓子を買い求める。

レジのおばちゃんが、バーコードを当てるもエラーが出る。電話でどなたかに聞いているが出ない。
「100円でええ」と言われ、いくらかわからないお菓子は100円になった。とてもアットホームなお店である。今度はゆっくりお邪魔したい。

勝手に「柿ストリート」と名付けた、鈴なりの柿がなる木立を抜け、美しい里山をドライブする。タケノコが有名な丸森町も原子力発電所事故から逃れることが出来なかった。来シーズンは期待したいところだ。

白石市に入り、まずは白石城を目指す。15時半に到着し、あと30分で閉館となる天守閣を急ぎ見ることに。平成に入って再建された天守閣は、お手軽な鉄筋コンクリートなどではなく、木造である。幕末に「白石盟約」が結ばれたこの城も、今は観光名所になっている。
全景
国産材使用
小屋組み
 天守閣から白石の街を眺めると、気分は片倉小十郎。
片倉氏の旗印は鐘。天下に名声が鳴り響くようにとつけられたそうで、今の白石市の市章も鐘をモチーフにしている。
ミュージアムショップで白石市のゆるキャラ「ポチ武者こじゅーろう」のグッズなどを買い求め、資料館を見学する。ハイビジョンシアターは時間切れで見られなかったのが心残り。

温麺(うーめん)のために、わざと昼ご飯を食べていなかったので、餓死寸前まで追い込まれている。食べられる店のうち、近いところに訪問するも、明らかに営業終了ムード...別の店に行こうと思ったら、業界では著名な「小杉食堂」を発見する。白石と言えば、ここをスルーするわけには行かない。とってもいい感じのいなかの定食屋さん。無事に温麺にありつくことも出来た。ちなみに、殆どのメニューがうどんとそば、温麺からチョイスできるのも魅力。
かしわ入りのあっさり
日が暮れた4号線を北上する。仙台駅東のホテルに滑り込む。今日は市内は高すぎるものを除き、ほぼすべてのホテルが満室。定宿も当然満室だったが、何とかギリギリ予約が出来た。
ちょっと横になり夕食に行こうと思ったら、そのまま起きることはなかった。