ややゆったりとした揺れで、「ヤバい!」と思い、スマホを見るも緊急地震速報は受信されていない。1分ぐらい続いて、落ち着いた。福島県沖でM6だった。
もう1回寝て、いつもの時間に起きる。しかし、今日は順調に事は進まなかった。
「靴下がない!」
引き出しを片っ端からあけるも、見つからない。時間は刻一刻と過ぎていく。
そういえば、クリーニングから戻ってくるとき、レジ袋に入れたんだっけ・・・
5分ほどタイムロスし、東海新報に目を通すことができず出勤する。薄曇りだが、暖かい。
今日の市役所屋上非ライブカメラは南向き。 |
案の定、補助事業に関する内容で、リミットは12/9。少しあわてないといけないが、まず何がそろっていて何が不足しているかのチェックを開始する。
今日は11時から避難訓練が行われる。大規模地震発生ののち、1階税務課付近と3階水産課付近から出火したという想定である。
訓練開始の前に、3月11日の状況を少し聞いた。複数の職員が、携帯電話の緊急地震速報を確認したと発言。
訓練開始の来庁者への呼びかけののち、緊急地震速報が放送される。そして地震が落ち着いた頃、「火事だぁ~!」という叫び声が聞こえる。
自主消防隊の出動が要請され、課長が課員に命ずる。サッと数名が初期消火に向かった。私は補佐に促されて建物の外に避難する。ホースが展張された階段を、すべての職員が速やかに退出する。
駐車場の一角に集合し、4列縦隊になって待機していると、ほどなく消火活動が終了したとの放送が入り、訓練終了。引続き副市長と大船渡消防署長の講評が行われる。
副市長からは、消防団に所属している者も多いので、火災の消火は手馴れているといったことを、
消防署長からはホースの展張方法などについてアドバイスがあった。
さすが大船渡市役所、と思ったのが、自主消防隊の行動のスムースさ。誰がどの任務を、という内容は事前に定められているが、各自が与えられたミッションを着実にこなしている。三重で同じことができるかな・・・とこっそり思った。
そして、規律正しく職員が動いていること。テキパキ、という表現がぴったり。
大規模な災害はそう頻発するものではない。しかし、日頃の訓練という経験を積み重ねることにより、非常時にも沈着冷静な行動が行えるのだと思った。
とっさの時や経験していない事態に遭遇したとき、アイデアがひらめいたり機転を利かせることができるのも、平常時にどのようなアクションをしていたかによる。
午後一、水産課のU係長に書類作成の依頼に出向く。同じフロアでよくお見かけしていたが、仕事のお話をするのも初めてであれば、水産課に入室するのも初めてである。
その後、T副技監が事業者訪問と残りの分の仮置場の温度測定に向かうので、同行する。
名前だけしか知らない事業者が、どういった場所でどのような施設で業務を行っているか、与信というには大げさだが、実際見てみると雰囲気がわかる。特に環境系の事業者は、敷地内におかれているものなどを見るだけで、業務に対する姿勢などがつかめるような気がする。
旧吉浜小学校の仮置場では、オペレータに、がれきの山のだいたいのボリューム感を聞く。実際に机上で計算している値と、現場での感覚との違いを探ってみた。
途中、越喜来の三陸支所により、農林課のT課長補佐と名刺交換。農林課でも林業係は三陸支所にある。また後日、大船渡の林業の話を聞きたいこと、そして来月、とあるイベントでお目にかかるはずとお伝えする。
そののち、解体が予定されている施設を確認する。一つは、あわび増殖センター、もう一つは海水清浄施設。
痛々しい姿のあわび増殖センター |
海水清浄施設 |
日没が急速に早まっており、16時前には薄暗くなってくる。砂子浜の仮置場についたころには、辺りは闇に包まれかけていた。
帰路、T副技監と「現場を見ないとわからないことが多い」という話になった。津波被災地のがれき撤去や解体の経験がある人材は、残念ながらここにはいない。それぞれが今までに積み重ねてきた実績と、日々変化する現場から得られる情報が、不足する経験を補っている。
帰庁したら夕方のミーティングが始まっていた。いなべ市のK氏は本日が最後の任務、明日よりS氏がメンバーに加わる。日中は顔を合わせることがほとんどないので、少しずつお互いを認識し始めたな・・・と思ったら、お別れとなる。三重に戻っても顔を合わせることはあるに違いないが、少しさみしく思う。しかし、大船渡の地で時を同じくして業務を行ったという経験は消えることはないだろう。
帰り道、リアスホールの図書館で2冊の本を借りた。一つは前から読みかけている「三陸津波誌」、もう一つは「大船渡災害誌」。
50年以上前の書籍なので大切に扱わねば・・・ |
快く貸し出していただいた。
夕食は久しぶりに中華こけしでマーボー丼を食べる。
即、管理栄養士から突っ込みが入った晩御飯 |