2013年4月30日火曜日

#95 作戦会議

昨日寝落ちしたため、いつもよりぐっすり寝られたような気がする。暖かではあるが、あいにく小雨がぱらついている。傘をさすほどではないが...

路面が濡れていたので徒歩で出勤途上、T氏に合流し、事務所まで昨日何をしていたかなど話しながら歩く。T氏はいよいよ大船渡に出撃されたようだ。

連休の谷間だけあって、少し職場は静かなようである。最終チェックをかけて、ようやく完成を見た書類をT班長に確認してもらったり、三重とは違った厳格な手続きが必要な稟議を回す。

良く見かける方が事務所にお越しになる。今日はタラの芽の放射線の測定依頼だった。まだ震災は終わらないと感じる。
非ライブカメラ この後晴れる
午後、県庁から事業調整に関する電話がある。必要資料を拝借し、ささっと計算してみる。県庁とのやり取りは三重と異なり、非常に配慮が感じられる。もちろん、三重のことを批判しているわけではないので注意。

業務終了後、菅原歯科に寄り歯石の除去をしてもらう。歯茎の検査もしてもらったが、左奥がイマイチであると指摘される。せっかくの機会なので、悪いところは全部治してしまえれば...

帰宅後、熊野のS氏に預かってもらっていたものが届いた。開梱すると、タイ的なカップヌードルとお菓子が入っている。近所のスーパーでタイ・フェアが開催されているとのことだったが、こういった配慮がとてもうれしい。

その後、帰省されていたS次長にアポを取り、半ば強制的に懇親会を開催する。最近行きつけとなりつつある、山盛り刺身の「より道」へT氏と3名で向かう。先週木曜、金曜の出来事を踏まえ、今後のあり方について意見交換をする。S次長も私から電話があった時点で、こういう場になることをある程度予感されていた。内緒の作戦会議みたいな、このようなやり方はあまり望ましくないかもしれないが、背に腹は代えられず...

本来、組織としてはスタッフの得意な分野を伸ばし、苦手な分野を克服して、全体としてレベルアップを図っていくことが望ましいと考えるが、スピードと結果が求められる今は、以前から持っているスキル、ノウハウ、得意分野といったアドバンテージを有効に活用する方が効果的である。

まだ、市民の方や関係機関の方々とお話しする機会に恵まれていない。可能であれば、書面とか又聞きではなく、直接生の声を聴きたい。このことはT氏と共通する思いである。
確かに、まだ出会って1ヶ月の、海のモノとも山のモノともわからない西からの2名に、そういった場に出てもらうには不安があると思う。しかし、私たちにとっても前に進むためにそういったチャンスが欲しい。
S次長は、他の地区から来た面々が説明の前面に出ると、地域の方から反発を受ける場面も実際あったとおっしゃった。そこは持ち前の熱意で何とかカバーしてみよう!

ざっくばらんな意見交換が終了し、帰路に就く。ここには書けないが、我々の常識とは異なるS次長のアクションに、宮城の真面目な県民性を垣間見た気がする。

2013年4月29日月曜日

#94 牡鹿半島

暖かな朝を迎える。昨日の強風も収まり、さわやかに晴れている。若干出遅れるが、さっさと身支度を済ませて出発する。
先日、大雨の中クルマに乗ってしまったので、またしてもドロドロになっている。階上にあるコイン洗車場の「門型ブラシレス洗車機」に投入する。

45号線を南下し、南三陸町戸倉から398号線を走る。最南端の現場まではちょくちょく来ているが、そこから先は一昨年の12月以来。沿岸部の集落は、そのほとんどが被災し、更地になってしまっている。
北上川の橋を渡り、大川小学校の脇を抜け、雄勝町へ。街の中心部だったところには、以前はがれきがうずたかく積み上げられていたが、今はすっかりなくなった。

女川の街を抜け、牡鹿半島コバルトラインに入る。路面はかなり波打っており、ゆっくり走らないとバンパーをこすってしまうようなところも多々。唐桑半島とは違い、地震動による損傷が激しいように感じる。
途中のインターで通行止めになり、コバルトラインから離脱、対面通行の道を走ると、しばらくして十八成浜に到着する。気仙沼を出発してからおよそ2時間半。遠い...

27日から3日間、ここで「牡鹿半島くぐなり浜チャリティー・チェーンソーアート・フェスティバル2013」が開催されている。全国からカーバーが集まり、作品をオークションで販売、売り上げを地元に寄付するという取組である。
栗田さんによるフクロウの製作
三重の誇るカーバー、松田玲さんの作品
終了間際に到着したため、殆ど作品は出来上がっていたが、それなりに来客があり、賑わっている。チェーンソーアートを見物したり、焼きガキを食べたり。

13時からオークションが開催される。今回のイベントを主催している滋賀の高取チェーンソークラブの会長の、軽妙なMCで進行する。

大物は置く場所に困ってしまうので、小さ目のイーグル(頭部のみ)を購入する。幸い他の落札希望者がいなかったので、無事落とすことが出来た。中には、10万円と値の付くものがあり、会場がドッと沸く。
飛び入り参加する、ラグフェアのおっくん
オークションが終了し、世界的に活躍されている栗田宏武さんから挨拶がある。震災直後、住宅の整理などで被災地での活動を行っていたが、チェーンソー・アートのパフォーマンスを披露したところ、子どもたちに人気があり、むしろこちらの活動を進めていこうということになったそう。
栗田さん
緩やかにお開きとなり、会場を後にする。十八成浜の海辺は、一部に松林が残るものの、気仙沼や南三陸と似た状況になっている。
捕鯨で有名な街、鮎川へ。
定期船乗り場に向かう。しかし、憧れの田代島にわたりたいと思うも、船便の時間的に戻ってこれなくなるため、やむなく断念する。
定期船乗り場から街を望む
昨日の植樹イベントで、T氏の神戸ナンバーのランエボが大人気だったように、三重ナンバーの86も人気となる。網地(あじ)島へ渡る乗客や、網地島ラインの係員の方に話しかけられる。
網地島行のプチ・フェリー「マーメイド」
係員の方は、あの第十八共徳丸にも乗っていたことや、四日市にも1ヶ月ほど滞在したことがあると話をされた。復旧事業の優先順位や、港湾復旧への想い、タラが不味いのは放射線の影響?など、海に暮らす人ならではの話を聞かせていただいた。

港の一角にあるホエールミュージアムは、残念ながら解体されることになる。クジラの街という点で和歌山県太地町がオーバーラップ。あちらも南海トラフの巨大地震で相当な被害を受ける可能性がある...
展望台のある御番所山へ向かう。ここからは、網地島、田代島、金華山などを一望することが出来る。しかし、展望台に至る道路や駐車場は激しく波打っており、地震の激しさを物語っている。
超絶絶景
牡鹿半島の東側を通る細い道を行く。ところどころ山腹が崩壊している箇所に出くわす。漁港集落と思わる場所は、人の気配も感じられなかった。
しばらくすると、東北電力の女川原子力PRセンターがあった。残念ながら閉館時間になってしまったため、通過する。近いうちに訪問を検討しよう。

この道を行くと、女川原子力発電所の建物が垣間見える。福島第一原発と違い、安定した状態にあるため、今、このようにこの場所にいることが出来る。

長い山坂道を抜け、ようやく女川の街に戻ってきた。1年ぶりにおちゃっこ倶楽部に立ち寄ってみる。ソフトクリームを頬張り、三陸河北新報社の写真集を二冊買い求めた。
女川の街を詳しく知っているわけではないので、1年前との状況変化があまりわからないが、土が盛られているところなどを見ると、比較的速いスピードで事業が進んでいるようだ。
街の中で、かさ上げや河川堤防、海岸堤防の工事看板を見かける。
国道の高さ TP+5.4m
河川堤防のイメージパース付
先日の植樹の際にA総括からもたらされた情報を元に、石巻市(旧北上町)の追分温泉に向かう。北上川の河川堤防は激しくうねっており、高速走行は不可能。

山間の道を抜けると、桜並木が見え、パッと前が開けてくる。追分温泉はいかにも田舎の宿という雰囲気が漂っていて、とてもよい。
ヨタハチ展示中
やや熱めの風呂に入り、すこしダラダラして気仙沼へ戻る。市内に最近オープンした「手もみらーめん麺楽」に寄り、名物手もみラーメンを食べる。味が薄く感じてしまったのは、最近濃い味付けの料理ばかり食べているからだろうか...

2013年4月28日日曜日

#93 森は街の恋人

今日はお休みだが、いつもより早めに起床する。青くない作業服を着て、兵庫のT氏とともにベースキャンプを出発する。
ほど近いところにある魚屋さん「魚藤」でA総括と合流。魚藤のオーナーが会長を務める山岳サークル「彼峰(あほう)の会」が主宰する、熊山での植樹会に参加する。

出発待ちのとき、いずこからかキジトラのネコがやってきた。魚屋にネコはご法度なはず...それにも拘わらず、魚藤には6匹のネコが飼われている。
気仙沼ではあまりというか、殆どネコを見かけない。昨日の床屋のおばさん曰く、流されてしまったのでは、と。ネコ好きにとってはさみしい限り。

途中何名かをピックアップしながら、林道へ入っていく。途中から未舗装路になり、所々にあるギャップでT氏のランエボは腹を擦る。自分のクルマだったら、バンパーもげてたかも...
だんだんと標高が高くなっていき、植生が変わってきた。強風が吹き荒れているので、T氏に外気温を尋ねたところ、5℃。ああ、今日の装備ではヤバい...

会場近くの広場には、クルマが数えるほどしか止まっておらず、不安感が一層高まってくる。今日は三重の本気を見せるため、スパイク付の地下足袋を装備するものの、あまりの寒さにモチベーションがどん底まで落ち込んでいる。参加者の方から、派手なオレンジ色のジャンパーをお借りし、若干状況が回復した。

徐々に人が集まり、もろもろ準備も整ったところで開会となる。まずは作業の安全を山の神に祈願。そして会長の挨拶に引き続き、菅原気仙沼市長のあいさつ。ご本人にお目にかかるのは初めて。
彼峰の会の藤村会長
菅原市長 今回ツーショット写真はなし
苗木を寄贈してくださった岩手の方。御年82
その後、森林組合OBの方から植栽方法の説明があり、いざ会場へ。
ISO値の設定ミスでオーバーな写真...
元々市有林なのだが、皆伐後の植栽がなされずに放置されていたところ、彼峰の会が植樹を始めた場所。気仙沼というと、畠山氏の「森は海の恋人」と称する活動が非常に有名だが、こちらは市民ための水源地である。
なぜ皆伐跡地が放置されたのかは確認できなかったが、一つの原因としては強風があるかもしれない。風力発電の建設も予定されているこの場所、本当に風が強い...

現地にマッチした樹種として、コナラ、ミズナラ、ヤマボウシ、オオヤマザクラなどがチョイスされており、ひとまずオオヤマザクラの苗を受領する。
クマザサがきれいに刈りはらわれた会場には、所々にピンクのテープが付けられており、植える場所が指定されている。

ケンスコ(さきの尖ったスコップ)で穴を掘り始めるも...なんじゃこりゃ!足で蹴りこむも、クマザサの根が邪魔をして生産性が上がらない!以前行った七里御浜の植樹では、1本あたり10秒ほどで植栽が完了したのに、そうは行かない。植樹イベントは、往々にしてお膳立てがされており、サンダルでもOKなくらいなのだが、ここは本気で挑まなければならない。
笑顔 but 必死
過酷な現場環境に、A総括もT氏もスコップを破損させてしまった。

そんな中、隣で作業をしていた若者に話しかけられる。気仙沼市社協につとめるK君。小池鉄平似なので、勝手に「鉄平君」と呼ばせてもらうことに。同じバツイチという点に共感し、気仙沼初めての友達になる可能性あり。
鉄平君から、これからの季節は、仮設などに花を植えていきたいと話をされる。さて、三重の方々にお願いすることになるのかな…

一通り植樹が終わるころには、寒さも和らいできた。簡単な打ち上げを公園内の四阿(あずまや)と呼ぶには立派な施設で行う。
唐桑半島や大島が丸見え
会長が持ち込んでくださったお赤飯やお刺身をいただく。魚屋のプライドにかけて不味いものは食べさせられないと、とても力が入っており、メカ刺し(メカジキの刺身)は絶品だった。
会もお開きになるころ、会長から「山小屋を見にこないか?」とお声がかかる。「はい、喜んで!」と後をついていくことに。
紫の服はT氏
桃源郷のような山里を抜けて、「彼峰山荘」と看板の立っている山小屋は、会長手作りとのこと。
中も山小屋風で、震災以降はボランティアの宿泊施設としても利用されていたとのこと。

後片付けも終わり、下山する。気高(気仙沼高校)の脇を通るころ、A総括は震災以降にここで物資の仕分け作業をしたと話された。阪神・淡路大震災直後に入庁したT氏も、物資の仕分け経験あり。

ベースキャンプに戻るとなんだか暖かくなってきて、お昼寝タイムになってしまった。で、気付いたら20時...大川の桜イベントはブッチしてしまった。買い物をしようと考えるも、気仙沼のスーパーは21時閉店。気仙沼の夜は早い。

おなかが空いてきたので、ラーメンを食べようと福幸小町に行くと、ラーメン店はすべて閉まっている。あれ、悟空は22時までの営業では...
同じ並びにある、最近お気に入りのエスポワールで日曜限定の「デミオムライス」を注文する。
月明かりが照らす気仙沼、明日は暖かそうな予報だが、今はやっぱり寒い...

2013年4月27日土曜日

#92 ぶらり

GW初日というものの、惰眠を貪り、10時過ぎに目覚める。
朝食を摂ってから、たまった洗濯をする。シーツも洗うものの、洗濯機のキャパシティが小さいため3回も回すはめになる。外に干すと、突風でどこかに行ってしまいそうなので、仕方なく部屋干しをする。

洗濯も終わったところで、一月ぶりの散髪に出かける。歩いてすぐの「理容コマツ」にお邪魔する。小さな店内は電気が消えていたが、「頭切ってください」と声をかけると、奥からおばさんの声がした。
ここ25年くらい、地元クラウン以外の床屋さんには住田町の「好(たか)」にしか行ったことがない。そのため、気仙沼に来る直前に、クラウンで散髪後の写真を撮ってもらった。それを見せながら刈り方を説明する。一つ間違えると坊主頭になってしまうから注意が必要である。

おばさんといろいろ話をする。自分の生い立ちや、三重のこと、生活のことなどなど。気仙沼は三重のカツオ漁船が来港するので、三重人はあまり珍しくないとのこと。他にも、自炊したほうがよいとか、〇〇するようにとか、親戚のオバサンのような雰囲気である。

震災の話になった。この理容店がある場所も1階が浸水し、骨組みを残して破壊されたために壁や什器類を新装している。また、鹿折にあるおばさんの住まいも流出した。
店の前を水路を、全国どころか世界からやってきたボランティアによって片付けてもらったと話されたとき、「私は皆さんによって生かされている」と話をされた。また、震災の写真集も最近まで目を通すことが出来なかったとおっしゃっていた。
これから新緑の季節になる。鹿折から南郷まで季節の移ろいを楽しみながら歩くことが楽しみだったおばさんにとって、今はそれを味わえないことが残念とのことだった。

合庁の印象も聞いてみたが、少し近寄りがたい雰囲気とのこと。熊野の時など、サンダルやTシャツ短パンでお越しになる来客、いろいろと山の話をしてくださる林家さんなど、フレンドリーに、入れ代わり立ち代わりお客さんが見えていたのだが...

コーヒーまでご馳走になり、結構長居してしまった。気仙沼にまだ友達がいないと話をしたところ、「あなたは明るいから大丈夫!」と。また一月後にお邪魔すると伝えて店を後にする。

気仙沼横丁で所要を済ませるため、いつも走らない道を走ってみた。川沿いの道を下ると、海が見えてきた。水産工場の再建が進みつつあるが、気仙沼線の橋脚だけが残っている姿をみると、やはり切ない。
途中にあったお地蔵さん
南気仙沼駅前は、殆どの建物が解体済みとなっている。残っていた大きな建物にはメッセージが記されていた。
クリスタルビレッジヨシダ
途中のコンビニで実家の固定資産税を支払う。かなりのダメージを食らう...
そして、気仙沼横丁のかに物語で所要を済ませ、小腹がすいたのでお気に入りのまぐろ亭へ。今日は漬け丼を食べる。他のお客さんは\4,000の特上まぐろ丼を食べている...さすがGW!
昨日行った北かつまぐろ店の支店でした...
時折小雨のぱらつき風も強く、不安定な天候で肌寒くなってきたので、一路大船渡にある五葉温泉に向かうことにする。里山に囲まれた集落を通り過ぎると、水を張った田んぼが散見された。田植えの時期も近づいてきている。
12年前に、石巻の友人宅から北へ向かった時に通った、画像記録のあった場所へ。
2013年4月
2001年8月
2001年の時は、殆ど写真を撮っていない。しかし、震災など、街の景観が大きく変わってしまうような時が来ることを考えると、たくさん撮っておいて損はない。今のデジカメは記録媒体も非常に安くなったので、ほぼ無限に写真が撮れるし、クラウドに写真を保存しておけば、消えることも殆どない。

連休で若干賑わう五葉温泉。入湯後に、人気メニューの「きびソフト」を食べようと思うも、風呂上りでは時間切れだった。休憩室でダラダラしていると、東北弁のおじいさんと、共通語の家族連れ。自分では一生成し遂げることのできない、連休らしい風景。

サクラが散ってしまいそうな、五葉おろしの強風吹きすさぶ中、ベースキャンプへと戻った。

2013年4月26日金曜日

#91 metamorphose

あいにくの天気となった。降水確率70%、午後は80%となっているため、今日は自転車に乗らず歩いて出勤する。いつもより1時間ほど早い時間にベースキャンプを出発する。

登庁すると、事務所にはあかりがついている。メンバーは今日の打合せに必要となる資料作成のため、帰っていないようだった。
8時半過ぎに、合庁の会議室において、昨日と同じ顔触れで打合せが始まる。説明を開始するものの、資料が不足しているものがある。ダッシュで執務室に戻り、準備して、確認し、会議室へ。こういった状況が何度も繰り返される。

10時半ごろ、打合せが行き詰まっため、一旦東部事務所のメンバーと交代する。東部の3名のうち、一人は高知からきているO氏だ。
非ライブカメラ
昼食のインターバルをはさみ、先に東部事務所の打合せが終了し、当事務所の打合せが再開となる。東京から来た方の痛烈な指摘に、回答に窮する場面が頻発する。正面で説明するメンバーを見て、兵庫のT氏とともに歯がゆい思いをする。

再度の追加資料作成のため、メンバーが執務室に戻ったタイミングで、仙台からの来客に「以前どこかでお会いしたことがありませんか?」と声をかけられる。
あ、やっぱり面が割れていた...自分はそんなに特徴的な顔をしていないはずなんだが...

この方とは、大船渡市役所派遣時代に一度会ったことがある。腕に付けている陸前高田の被災松で作られた念珠のことも記憶されていた。
少し世間話や、当方の事情などを説明し、緊迫した会場を少し和やかにしておく。S次長は「何事?」というような怪訝そうな顔をされていた。それはそうだろう、先ほどまで厳しい応酬をしていた人物と、なぜか親しげに話をしている自分...

15時過ぎ、打合せは終了した。来客の大幅な譲歩により、一応の決着はみた。これ以上何かがあるわけではないが、多くの課題が残された。

業務終了後、兵庫のT氏と「北かつまぐろ屋」で反省会を開催する。参考人として、坊主頭のS技術主査を招聘する。
昨日今日の出来事や、今までの経緯についてディスカッションをする。三重や兵庫とは、課題に対してのアプローチが大幅に異なる点では、自分とT氏で意見が一致している。個々人の能力がどうという問題ではない。システムとして作動しているかどうか...

しばらくして、A総括とW班長が合流する。T氏は思いのたけをぶちまけている。彼の気持ちは十分に理解できる。治山事業で他府県に負けることは許されない、そんな厳しい環境で育った林野公共のエキスパート。兵庫が送り出したエースの置かれている状況は、決して恵まれたものではない。

宮城の人たちにとって、西からやってきた二人に対し、どう接していいか戸惑うことも否定できない。しかし、待っているわけにもいかない。自分もT氏も、宮城の林業技師のだれとも違うキャリアを歩んできて、今この場にたどり着いている。
今抱えている課題を解決していくためには、相当な困難が待ち受けているだろう。それを成し遂げるためには、我々が役に立つかもしれない。そして、今の所属にも大きな変化が求められている。

あと2件梯子したころには、既に日が変わっていた。T氏とともに強い決意を胸に、ベースキャンプへと戻った。

2013年4月25日木曜日

#90 我慢強い人々

大丈夫、今日は大丈夫なはず、と言い聞かせ、ドカジャンを着ずに外に飛び出してみた。
しかし、微妙にひんやりしており、若干後悔する。

いつものように出勤し、昨日に引き続いて資料作成に励む。内容の理解も進み、概ね完成にたどり着く。三重にいたときよりも若干手間取るのは致し方なく...

今の職場では、一番入口に近いところに私の席があり、来客対応をする機会が多い。おかげでこの事務所にどういった目的のお客さんが多いのかが把握できる。最近はダントツで自然公園や保安林にかかる事案が多い。高台の開発も進む新たな街づくりでは、避けて通ることが出来ない。

声の大きなお客さんがみえ、少し身構えるが、とても優しく理解のある方だった。そういえば、兵庫のT氏とも感心していたのが、この職場には強い口調でかつ勢いよくやってくる方はみえない。しかし、裏返せば、市民の方は我慢されているのかもしれないが...
そして、南三陸からの来客にW班長が対応されているが、聞こえてくる言葉をまだ半分くらいしか理解できない。1年後には、東北弁も聞いて話せるバイリンガルになりたい!

15時過ぎから、東京と仙台からやってくる来客対応となる。現場を案内することになるため、合流時間より少し早めに職場を出る。ただ、自分はあくまで補助のため、現場の片隅で待機することとなった。

しばらくして、県庁の担当者同伴で来客がみえた。どうやら仙台からやってきた方は、以前大船渡でもお会いしている。もちろん、相手は私のことを覚えているはずはない。しかし、あの日に起こった出来事、こちらは決して忘れることはない。
打合せの内容を後で聞いたが、人格を否定するに近いような、相当理不尽な事態だったようである。

帰庁したころにはすっかり日も沈み、班員総出で緊急の資料作成となる。私もT氏も、出来ることは最大限手伝うが、残念ながら限度があるようでとても歯がゆい。まもなく日が変わろうとする中、まだメンバーは残っているが、T氏とともに帰宅することになる。

T氏と今日の出来事を振り返りながら歩く。兵庫でも三重でも、今日のような事態になれば、それなりの対応、態度で臨むことになるだろう。しかし宮城の人はとても我慢強く、怒りを露わにすることさえない。以前の大船渡でも同様だった。ただ、東北の人々の、その優しさに付けこんでくる人物がいることは事実。
自分自身、目的を同じくするパートナーに対しては対等の関係を築きたいし、そうしてきたつもりである。そういった気持ちを微塵も有しない人たちが、この地に踏み込んでくる。

復興のスピードが遅いとよく言われる。確かに、この地では様々なリソースが不足しているが、人々は持てる能力をフルに活用し、復旧、復興に全力を尽くしており、そこに一切の手抜きはない。ただ、そういった方々の努力を踏みにじる外野が、この地の復旧、復興の障害になっていることも伝えておきたい。

東日本大震災からの復旧、復興は、この地に暮らす人々だけでなく、日本国民や世界の人々が望んでいる。みんなの想いは、一つの目的に向かっているはずなのに...
今日は写真がないので、晩御飯の画像でも...

2013年4月24日水曜日

#89 現場主義

春感が非常に高まってきている。寒さにあまり強くない自分にとっては、気温が高めなだけでうれしくなってくる。

今日の三陸新報一面には、県が発表した消費者購買動向について書かれている。震災の影響により、本来は2011年に行われる予定だった調査が、1年遅れで昨年11月に実施された。
合併前の気仙沼市域では、日用品などの地元購買率は約98%だが、旧志津川町(現南三陸町)では、2008年の約77%から19%と大幅に低下した。市街地が壊滅的な被害を受けたため、登米市方面に流出してしまったようだ。南三陸さんさん商店街の頑張りに期待したい。

午後から雨が降る予報に備え、傘を持って出勤する。昨日に引き続き、資料作成を進める。いただいた資料の解析も進み、なにやら前に進んだ感がしてきた。

食堂での昼食後、少し建物の外に出てみる。県立の女子高、鼎が浦高校の跡地だけあって、合庁の周辺にはサクラの大木が散見される。満開のサクラ。気仙沼にもようやく春が訪れたようだ。
やっぱりサクラはいいね!
非ライブカメラ
午後、担当現場の圧縮試験へと、南三陸町の志津川に向かう。45号線が最短且つ最速ルートなので、そういった意味では移動の選択肢はない。
圧縮試験をしながら、現場代理人のS氏と工程など打ち合わせをする。行政機関との手続きなどで困っていることはないか、なども聞き取る。制度面でもスピードを速める余地はありそうだが、いかんともしがたいかも...

圧縮試験を行う際、テストピースと呼ばれる円筒状のコンクリートを使用する。すべての現場で同じ形状ゆえ、混同しないようにするため、いろいろ工夫がなされる。自分が三重にいたときは、日付とサイン入り名刺を封入していたが、こちらではテプラを使うケースが多い。名刺と異なり、水分でボロボロにならず、型枠を外す際も密着しない。
試験終了後、歌津の担当現場に向かう。「捨石」も順調に進んでいるようだ。ただ、この地方は存外風が強く、波も高くなりがちなため、海辺で活躍する建設機械にとっては非常に厳しい環境である。

引き続き、机上で資料作成を行っている現場を改めて確認する。現地の状況は、GoogleEarthなどを使用してペーロケも出来るが、平面図では読み取りにくい起伏や、刻一刻と変化する周辺の状況は、その場に行ってみないとわからない。慣れない場所では現場をよく観察することが重要だと思う。実際、空中写真では確認できなかった仮設の倉庫などが建設されていた。

帰庁後、パートナーのS技術主査から図面のチェックを依頼される。現場を数度見たことがあるため、構造などもすんなり呑み込める。
A1の図面を折りたたんで図面袋に収納するうえで、宮城には「宮城折(と勝手に命名)」があるが、今回は普通の折り方。

業務終了後、やや強い雨が降る中、一路大船渡へ向かう。加茂神社下のプレハブ横丁にある「ときしらず(変換不能)」に集合する。大船渡市役所時代の同僚、K主任と巨体のS技師、そして愛知県東浦町から派遣、過去に二度もお世話になったM氏と意見交換会が開催された。
K主任とは昨年11月の住田町でのMONSTERCUP、S技師とは昨年の6月、M氏とは昨年8月の安城七夕祭り以来。2011年当時は建設課にいたメンバーも、今は違う部署に異動となっているが、懐かしい顔ぶれに思わず嬉しさがこみあげる。

県職員と市職員の決定的違いは、地元への密着度。県職員は県という枠の中で人が集まっており、必ずしも生まれ育った地元に配属になるとは限らない。しかし、市職員はほぼ全員が地元出身地元在住、そして地元配属。地域を知り尽くしているという点では比類なく、そしておいしい店の場所も教えてもらうことができる。

いろいろな話で盛り上がり、会も終盤に差し掛かったころ、震災直後の話を伺うことが出来た。修羅場とはまさにこのことと思った。2年前に机を並べて仕事をしていたメンバーが、こんなに厳しい状況を乗り越えてきたということに、尊敬してやまない。自分が同じ状況におかれたとき、冷静かつシステマチックに行動できるだろうか...そして、今、この場にいたことで、聞くことのできる話を聞けたことに感謝したい。

今日はアルコール抜きだったのが残念だったが、この集まりは定例会ということにし、次回は気仙沼で開催を約束する。

雨の弱まった45号線を気仙沼へと戻った。

2013年4月23日火曜日

#88 minimal life

春らしい暖かな朝に恵まれた。昨日の頭痛も良くなっている。

友人からは「寝不足では?」と言われた。熊野で阿鼻叫喚だったころを除けば、概ね日が変わるころには床に入っていた。こちらに来てからは1時、2時になることがある。なんとなく寝つきが悪いのは、まだなにかしらか緊張しているのだろうか...
心臓破りの坂とサクラの古木
ある資料作成を手掛ける。やったことのある業務といえばやったことはある。ただ、大枠が同じだが、中身はまるで異なっている。必携や技術基準と名のついた本をめくり、共通仕様書と書かれたチューブファイルを開け、グループウェアからファイルをダウンロードし、エクセルで集計して、積算システムに入力されている項目を確認しながら入力し…

今思えば、熊野はとても恵まれた職場だ。もちろん、今の職場でも最低限どころか、資料や設備などは十分にある。ただ、そういったモノだけではなく、目で見えないものが充実していたんだなと、違う職場に来て実感している。しかし、林業普及といった面ではこちらのほうが手厚い可能性がある。もう少し調べてみたい。
非ライブカメラ
しばらくして、両手に生シイタケと葉ワサビ、フキをどっさりと抱えた老爺が来訪した。前はワカメや海産物、いろんなものが持ち込まれる職場だな~、と感心していたら、放射線の測定のために預けられるものだった。震災の影響はなにも津波だけではない。
測定装置は市内の旧本吉町にある本吉農業改良普及センターにある。こちらも南三陸町志津川の合庁が被災したため、一時的の登米市の合庁に移転し、現在は仮設の事務所に変わった。

夕方、A総括から「GWは帰省されるんですか?」と尋ねられる。今のところ予定はないと答えたら、28日の予定を尋ねられた。日中は特段何かあるわけではないと伝えると、あるイベントへの参加のお誘いを受けた。ちょうど三陸新報に載っていたところで、一人で行くのは忍びないと思っていた矢先。「はい、喜んで!」と返事をした。

業務終了後、クリーニングを取りに行きついでに、プチプチ付封筒を買い求めにホームセンターに立ち寄る。なんとなくブラブラしていると、座椅子が目に入った。ちゃぶ台でパソコンを触っていると腰が痛くなる。しかし、荷物を増やすのは得策ではない。しばらくは最低限の装備で頑張ろう...

夕食はエスポワールで日替わりパスタ。ホウレンソウが練りこまれた緑色の麺が、健康によさそうだ。
帰宅後、先日おおふなと夢商店街の「産直けんちゃん」で買いもとめた遠野産トマトジュースを飲む。プレミアムなだけあって、野菜が十二分に摂取出来た感じがする。

2013年4月22日月曜日

#87 頭痛

昨日とはうって変わって、穏やかな朝を迎えた。気温は低いものの、少しほっとする。
手袋をはめずに自転車に乗るものの、やはり少し冷たい。

職場では、やはり季節外れの雪の話題となった。宮城では60数年ぶりの出来事。登米に住むH技術主査の話では、少し積もっていたとのことだった。また、W班長は、あの極寒の中、スクーターにのって気仙沼にやってきたそう。確か、仙台に近いところにお住まいだったよな...もはや超人である。

金曜日にすべて出そろった資料を基に、作業を進める。三重にいたときに同僚がやっていたように、引き継ぎを意識しながら、可能な限り電子的にデータをそろえておく。
お昼前、前の職場から電話がある。3月中に決着していたと思っていたが、事情が変わったようだ。申し訳なく思いつつ、後任者の尽力に感謝する。気温の低さに、少し頭が痛くなってきた。肉体的にも精神的にも...
非ライブカメラ
午後、出来上がった資料のチェックを兵庫のT氏に依頼する。パートナーのS技術主査は、木金に行われる事業に関する打合せに頭が痛い日々が続いている。同様の打合せは既に何回か行われているようだが、詳しく書くことはできないが、中には信じられないような事態が発生しており、閉口した。復興の妨げは、なにもリソースが不足していることだけではない。

県庁からの来客に挨拶をする。管理職も現場を必ず見に来る。良くも悪くも、気仙沼は注目されているような感じがする。

業務終了後、いろいろ雑用を済ませる。海に近い気仙沼は、クルマにとって過酷な環境であり、震災以降は道路も常に汚れている。W班長から錆は回避できないと聞いた。しからば、短いサイクルで洗車するしかない。コイン洗車で下回りを入念に洗っておく。買い物に出かけた大手ショッピングセンターでは、同僚二人と顔を合わせた。みんなこの店が好きだ。

駐車場整理の誘導員もいる、なぜか大人気の牛丼店で晩御飯にする。並盛が100円安くなったので、みんな並盛かな...と思いきや、殆どの人が通常価格のメニューを頼んでいる。なんだろう、気仙沼は牛丼好きが多いのかな...

そういえば、昨日黒崎仙峡温泉で「たかたのゆめちゃん」という、陸前高田市のいわゆる「ゆるキャラ」が描かれたクリアフォルダーを買った。なんとなく一昔前っぽいタッチに興味がわき、誕生秘話なる漫画に目を通した。ちょっと涙目(のように見える)キャラとあいまって、なんだかこみあげてくるものが…

2013年4月21日日曜日

#86 思い出のあの場所

天気は、悪い。ただ悪いだけでなく、時折白いものがなぜか混じっている。今日は4月21日...

フル装備の身支度を整えて出発するころには、既にお昼近くになっていた。北に向けてクルマを走らせると、外気温が3℃になってしまった。常春の国、熊野に慣れてしまった自分にとっては、あまりにも過酷な試練である。まさにオマーン戦の本田選手のような状態...
陸前高田の45号線沿い、気仙大橋の手前にある行きつけ(?)の星石油店に寄る。津波被災が生々しく残る店なので、まだ屋根がない。店員さんはカッパを来て仕事をされている。店内に入ると、堺市の子どもたちから贈られた絵が飾られている。
読んでると泣ける...
13時までに大船渡に到着を考えると、少し厳しい時間になってきた。通岡の手前にある登坂車線でラフターのオーバーテイクに失敗し、そのまま三陸道に入ると超低速車に捕まってしまうため、旧道で峠を越える。42号線の峠とは異なり、なだらかでコーナーも緩い。無事、大船渡碁石海岸インターに先回りすることが出来た。

目的地のおおふなと夢商店街は、テントが賑々しく、見るからにイベントムードが漂っている。
今日はこの会場で、「第2回復興グルメF-1大会」が開催されている。三陸沿岸各地にある復興商店街などが、自慢の料理を持ち寄り、来場者の投票によってグランプリを決めるものである。ちなみに第1回は、「我が」気仙沼の「さんまトルティーヤ」が1位となった。
ひとまず会場をぐるっとまわり、真っ先に気仙沼のブースへ。南町紫商店街からの出店で、サンマティーヤを求めようと財布からお金を出したら、「あ、チケットを買ってください…」と。すぐ隣のチケット売り場で、3枚(1枚\300)買い求め、ようやくトルティーヤを手にする。
おいしいけど冷たい...
13時からLAWBLOWのライブが予定されていたが、スケジュールが押しているようだ。あまりの寒さに耐えかね、ホットコーヒーを買い求める。ああ、冷たいコーラとか飲みたい!
日本全国太鼓の演奏は人気!
本日、この場に来た最大の目的でもあるLAWBLOWの登場。去年のGWに大船渡で開催された「けせんふぇす」以来、生で聞くことが出来た。
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大船渡出身のユニットに興味を持ってから早1年半近く。今でもずっと聞いている...
記念撮影
まだチケットが2枚残っているので、大船渡の「横丁パスタ」と、陸前高田の「ヤルキ磯雑煮」を選ぶ。ただ、この寒さがせっかくの料理を残念なものにしてしまっている。暖かかったらもっとおいしかったはず。
さんま入り横丁パスタ
海藻たっぷりヤルキ雑煮
人気投票は、地元気仙沼のサンマティーヤに一票投じ、結果を確認する前に寒すぎる会場を後にする。
今日最大の収穫は、絆プロジェクト三陸の健さん、大船渡市役所の高橋広報係長、夢プレゼンター美智子こと、地域の情報発信の担う金野さんに会えたこと。

そして、定点観測を行っている加茂神社へ。
2013年4月
2012年5月
眼下に広がる街には、建物が明らかに増えているし、事実クルマで走っているとその賑々しさが伝わってくる。そして、震災で工事が中断されていた新しい魚市場も、全容を現してきた。
細浦を抜け、小友駅を見てから黒崎仙峡温泉へ。太平洋が一望できる抜群の展望を誇るのに、入湯料500円でレストランあり。気仙沼周辺ではNo,1スポットである。休憩室で横になっていたら、いつの間にか寝てしまった。

広田湾を横目に気仙沼へ。
対岸は唐桑半島
晩御飯は、同僚の坊主頭のS技術主査がお勧めしている中華そばまるきへ。つけ麺と餃子を注文する。
帰り際、店員さんから「アスリートっぽいですねぇ」と声をかけられた。一度腹を見てもらった方がいいような気がする。