2015年1月31日土曜日

#736 Crossover Kesennuma Vol.20 -新しきもの古きもの-

いつもより、少し遅く起床する。昨日の雪がまだたっぷりと残っており、路面は悲惨な状況になっていた。急ぎ準備を整えて出発する。

入居式会場の看板に従って、新たに完成した災害公営住宅「南郷住宅」へ。
併設されているコミュニティセンターが会場となっているが、ものすごい数のスタッフだったので、外からの撮影で帰ろうと思ったところ、ベースキャンプ隣の電気工事店の奥様が声を掛けてくださった。急きょスタッフになり替わり、中へ。

中には「南郷カフェ」が設けられている。社協と地元自治会が協力して、入居者に「お茶っご」を出すための場所。どうやら男は自分だけの様子。
少し隙を見て、撮影に出かけることに。
模型
エントランスに配置されたすごい数のスタッフ
そして、2階で入居式が開催される。
菅原市長挨拶
長島復興副大臣挨拶
パンフレットを眺める
来賓の挨拶が終わり、鍵の授与式が行われる。整備を担ったURから気仙沼市へ、そして住民代表の方へ。
 式典が終了し、餅まきが行われる。足元がとても悪かったのが、人数に比して沢山の餅がまかれた。
 そして、テープカット。南郷一区の自治会長も。
大漁旗をイメージした青、赤、黄で彩られt災害公営住宅は、記憶の伝承、コミュニティの醸成、防災施設という3つのコンセプトで建設されている。
元あった南気仙沼小学校の校歌
元の校舎高さで色が塗り分けられている
津波避難ビル
避難所機能を有するコミュニティセンター
そして、K氏、文京区から市役所へ派遣のN氏、遅れてW技師も合流して内部の見学へ。
バリアフリー対応の居室
同上
通常タイプの3LDK
和室もあり
見えない部分は結構質素
コンクリート打ちっぱなしの廊下
一通り見学を終え、外観を見ることに。
先行して入居開始された2号棟、3号棟

奥の1号棟は3月完成予定
4人で新来軒で昼食とする。そして、そのメンバーで気仙沼発のアパレルメーカー、オイカワデニムへと出かける。
一時は避難所に
高台に立地している
オーダーメイドのジーンズを作ってもらうために採寸を行う。W技師に影響されてだが、彼はは今日もオイカワデニムの「零」を履いている。
そして、津波で流出して鹿折地区で見つかった「伝説のジーンズ」を見せていただく。
真ん中が伝説のジーンズ
ボタンには緑青が浮いているが、全く問題なし
2006年製。一生モノのジーンズである
仙台に向かうW技師と別れ、3人で戻ることに。途中、K氏が寄りたいところがあるとのことだったので、小泉小と中島海岸へ。
小泉小学校の石碑
この景色も大きく変わるだろう
陸から見ると違う風景 
車内では、震災遺構の保存の是非について議論になる。N氏は、将来の世代のために、今の人だけで決定することはよくないと話す。一方、自分は遺族感情から望まれていないものは解体すべきと話をする。当事者も悩み、外野の意見も多数ある中で、結論を出すことは本当に難しいだろう。しかし、優先すべきは遺族だと思う。

一旦帰宅してから、本厄の厄払いのために1号機に乗って早馬神社へ向かう。ほとんど雪は解けてしまっていたが、途中の隘路の日蔭にはシャーベット状の残雪が。挙動を乱す。
厄払いを終え、神主さんと雑談をする。話は災害公営住宅になり、今日から入居開始であることなどを説明した。

行きと違うルートを通り、市内へと戻る。
只越に残る防潮堤の残骸
夕方、気仙沼の母の元へ頭を切りに行く。「災害公営住宅が出来ると、街は変わるのかねぇ。」と。この地区では一気に300人以上の人が増えるが、母は住宅地に点在する空き地の行く末に気をもんでいた。

夕食は久々にまるきへ。
そののち、ほっこり湯へ向かう。入浴後に畳の部屋で漫画を読んでいたら、偶然にも土木事務所のN技師が。彼も熱心に読みふけっていた。
知らぬ間に、12時を回っていた。まだ読み続けたいが、ベースキャンプへと戻ることにした。

帰宅後、録画しておいたNHKの「証言記録東日本大震災」を視聴する。今回は大船渡市における震災直後の道路啓開についてだった。
登場人物に、大船渡市役所のK係長(現課長補佐)が。震災当日、市内の建設業者を回って、頭を下げたこと。そういえば、以前U係長(現課長補佐)から、K係長に話を聞いておくべきだと言われたことを思い出した。それぞれができることをする。改めてそのことを理解した。

2015年1月30日金曜日

#735 白き街

あまり体調が優れない。熱はないものの、体がいかんせん重かった。いつものようにとはいかないが、準備して、出勤する。

用地関連の依頼が複数舞い込み、一つづつ潰していく。ちょっと指示を待っている感じのA主事に若干イラつくが、自分がもっとトレーニングしてこなかった結果だろう。やむを得ないか...
体調が万全でないからか、生産性は明らかに落ちている。それでもじわじわと事務処理を進める。

しばらくすると、建物調査の入札が無事に完了したと連絡が入る。総務部管理班のK主査に依頼し、落札業者にこちらに連絡してほしいと伝えてもらう。すると、即時に連絡が入った。今後の段取りなどを打合せする。このスピーディーさがとても良い。

来週来訪する、島根県の方のスケジュールが明らかになった。来年度からこの職場に配属される職員とその上司が訪ねてこられる。業務もさることながら、生活面での情報も得たいとのリクエストだった。
自分は、なんとなく派遣の様子もつかめていたし、震災前に来訪した記憶はほとんどないが、震災後、この街にも何度か足を運んでいたから、本当に粗々だが、少し知っていた。これは強みだったと思う。

関係者に連絡を取っていたら、昼になってしまった。
非ライブカメラA
午後になると雪が強くなり、みるみる積もり始める。いつも見慣れている街も、白い雪に覆われる。
雪が降ると、津波で荒れた街に残された痕跡も覆われる。そのまま傷跡が癒されるといいんだが、そうも行かないだろう。

月曜の打合せ資料を作成し終えたころには、N技師と二人っきりになっていた。N技師はまだやり残したことがありそうだが、積雪のために道路状況も良くないので、帰宅を促すことに。
非ライブカメラB
雪は既に雨に変わっていた。最悪の足元の中を歩く。
大型ショッピングセンターで買い物を済ませ、N技師にベースキャンプまで送ってもらう。アルコールが枯渇したというN技師に、いただき物だがビールと日本酒、その他もろもろを持たせた。

大船渡に拠点を構えるO氏から、CO(コミュニケーション・オーガナイズ)と呼ばれる手法の研修会に参加しないかとお誘いがあった。とても魅力的な内容だったが、スケジュールが合わないのが辛い。もう1年あれば、何とかなったかもしれないが...ただ、こうやって声を掛けてもらえることが何よりも幸せである。

2015年1月29日木曜日

#734 体調不良Ⅲ

昨日の胃痛は幾分治まったものの、体がだるい。この冬一番の寒さだったからか、部屋は少し冷え切っていた。朝食を抜いて、コンビニでマスクを調達し、出勤する。

朝から水漁のT技師と、Hという施工箇所に関する用地調整を図る。こちらの気持ちをくみ取ってスピーディーに作業を進めてくれているのは助かる。A主事にも様々なミッションを託すことに。

発注商資料の残りを作成しつつ、K氏からチェックの終わった書類をもらう。細かいところまでチェックを入れてくれるK氏はありがたい存在だ。今朝は魚市場の撮影に出かけていたそう。この寒い中...
沢山食べたいという気持ではなかったのでいつもの日替わり弁当ではなく、売店でカップうどんを調達する。

午後、発注用資料がようやく完成する。ただ、体調は万全ではないので、早退して近くの内科に行くことに。
熱を測ったら微熱。待合室に他の来客はいなかったが、1時間ほどかかって診療が終わる。謎注射を打ってもらい、薬が出される。謎注射のおかげか、体は幾分楽になった。

夕食は、先日秋田で調達したきりたんぽ。レンジで調理できる優れものだが、値段はびっくりするくらい高かった。
結構美味
体調も徐々に良くなってきている気がする。明日はフルパワーで行けるかな...

2015年1月28日水曜日

#733 右往左往

寒さが一段と増してきたが、天候は幸いにも良好で風もないので、さほど寒さを感じることはなかった。いつものように準備して、いつものように出勤する。

朝一A主事が、南三陸町役場総務課のA係長とアポが取れたとのことで、急きょ出撃することになる。

役場に到着すると、玄関前には報道陣が殺到していた。今日、村井知事が佐藤仁町長に対し、災害遺構に関する有識者会議の報告や、防災対策庁舎県有化に関する申し入れが行われている。

町長室向かいの打合せスペースで、A係長と打合せを行う。建設課G上席主幹のアクションもあったので、こちらが思っている以上にことは早く進んでいる。手続きなど一連の流れやスケジュールなどを確認する。
引き続き、建設課のG上席主幹と打合せ。一連の手続きが完了するまでに半年ほどの時間がかかることになる。その時点では、自分もA主事もいない。後を託すことに。

漁協のA支所長に無理矢理アポを取り、津の宮へ。こちらの事情などを説明し、地元調整をお願いする。残された時間があまりないことを説明し、恐らく来週再訪することになると告げる。

そしてHという施工箇所へ。現場代理人氏といくつか打合せを行う。我々のせいで遅々として進まない現場に若干業を煮やしているようだったが、何とか納めてもらう。

帰路、歌津の竜巳やで昼食。A主事もお気に入りのこの店に寄るのは久しぶりだった。
予定よりも早く帰庁できたので、総務部管理班のK主査が求めていた資料をダッシュで作成、引き続きNという施工箇所に関する打合せになる。技術的会話の中に、なんとなく打開策が見えてきたような気がする。

合間に、土木事務所のY氏から、用地買収に関する相互の認識の違いが埋まらないという電話を受ける。お互いに思っている答えは決まっているので、後は誰が担うのかを打合せしようと決める。
打合せや調整で、正直疲れてしまった・・・

ひと段落したところで、発注用資料の作成に取り掛かる。K氏にチェックをお願いできる段階まで進めたころには、既に20時を回っていた。H主任主査、N技師を残して先に帰宅する。

コンビニでパスタを買い求めて帰宅する。食後、急激な腹痛に見舞われる。この時期に風邪はまずい...

2015年1月27日火曜日

#732 狭間

3月のような暖かな朝を迎える。しかし外は生憎の小雨。いつものように準備して、傘をさして出勤する。

今日は原子力発電所の事故対策訓練が行われており、管内放送でその旨を告げている。自分をはじめ、この職場では訓練に参加するものはいなかった。

まず、Hという施工箇所に関する打合せをT班長、A主事と行う。A主事の残り任期も僅かとなったので、その間にどうやって課題を解決していくのか調整を行う。A主事も、これから公私ともにバタバタすることになるだろう。
そして、昨日作成した資料についてH主任主査と打合せをする。ケアレスミスを指摘されるが、概ね問題がなさそうだった。今後の仕事の進め方について方向性が出たので、発注用資料作成に邁進する。

市役所のk氏が職場にやってきた。最近、毎日顔を合わせている。派遣とか差し置いて、k氏や隣の席のK氏とは本当に仲が良い気がしている。

今日は訓練以外にも、津谷川の施設整備に関する会合も行われており、T部長、T次長、そしN技師が出席する。この日に重要なイベントが重なっている。
午後も継続して作業を行う。来客や電話もなく、スムースに作業が進むはずなのだが、さほどスピードは上がらなかった。
来月、来年度の派遣職員が職場を訪問することになっている。時間があれば会いたいと、S総括に伝える。年齢、性別、経験、すべて未知だが、何か伝えられるものがあるだろう。

事務監査のため、窓側のメンバーがすべて出払う。本当に今日はイベントが多い。

作業を続行していると、T班長がデータ保存用のストレージが単体では不安なので、バックアップ用を調達してほしいとS総括に依頼していた。三重でも利用していたが、どうせなら安全性の高いものにすべきであると進言すると、すんなり受け入れられた。
「水上さんがいるうちに、できることをやっておきたい」とN技師。設定を引き継ぐ相手はN技師になるだろうが...

発注書類の完成を目標としていたが、あと少しの追い込みに時間が掛りそうだった。残っていたN技師から「帰りましょうよ」と声がかかり、中途で業務終了とする。
N技師と歩いて駐車場に向かい、最寄りのコンビニまで乗せていってもらうことに。いくつか職場の話になる。

今の職場には、プロパー、派遣、任期付と3タイプの職員が混在している。特に自分の班は、それぞれ3、2、2と超混成部隊となっている。ここに至るまで、それぞれに背景が存在し、それぞれに思いがある。
派遣と言う立場でありながら、そういったメンバーの思いの狭間に、自分が緩衝帯のような役割を演じていると最近特に思う。こちらを立てればこちらが立たず、うーん、悩みは尽きない。

コンビニで夕食を買い求め、ベースキャンプへと戻った。

2015年1月26日月曜日

#731 一歩進んで一歩下がる

気温は低くないものの、低く雲が垂れ込めている。天気予報では午後には雨が降り始めるとのことだった。いつものように準備して、久々に5号機を動かすことに。昨日の慣れない船旅のせいか、体の節々が痛い。先々週のスノーボードほどではないものの、慣れないことをするとこのような目にあう。

先週完成させた提出資料に深く関連する、H主任主査から依頼された資料作成を進める。チェックをしながら作業を進めていると、、恥ずかしいくらいにボロが出まくる。一つづつ修正を入れていく。

南三陸町建設課のG上席主幹から連絡がある。Hという施工箇所について、こちらのリクエスト通りに作業を進めてくださいとのことだった。まだ課題は残ってはいるものの、大きな前進だった。A主事にその旨を話し、ある手続きについて任せることに。
春雨の非ライブカメラA
昼休み、A主事からある試験に合格したと告げられる。A主事が努力と苦労をしていたことを知っていたので、思わずハイタッチする。A主事も自分も残された時間が残り少なくなる。まずは全力を尽くそう。

午後、部屋を出た刹那、土木事務所のN氏がこちらに向かってきている。質問の内容は、こちらのコンサル氏が作成した図面への疑義だった。ちょうどそのコンサル氏が来庁していたので、その場で打合せとなる。いいタイミングだった。

引き続き作業を進める、一つ直すと連鎖的に影響が及ぶのが歯がゆい。ある積算の歩掛を調べる必要があったが、その資料はNNしか有していないので、先日の懇親会でも少し話をした水上氏にと合わせることに。的確すぎるレスポンスが帰ってきた。水上と名の付く人物は、本当にクオリティが高い(笑)

K氏から頼まれた設計書のチェックを行い、N技師が作成してくれた図面をドッキングし、自分の資料も完成を迎える。

A主事が、Hという施工箇所について土木事務所の用地担当のN氏と話をしたところ、かみ合わなかったといって戻ってきた。「?」と思い土木のY氏に電話を掛けてみると、やはりここでもかみ合わない。Y氏と図面を見ながら話をする。どうやら、Y氏が持っている図面が少しずれていることが判明した。このタイミングで気づいて良かったが、また作業に手戻りが発生してしまった...

業務終了後、大型ショッピングセンターに寄り、夕食や枯渇した飲み物などの調達、クリーニングの回収を済ませ、ベースキャンプへと戻った。

2015年1月25日日曜日

#730 忘れられない思い出 -海を知り、海を学ぶⅡ-

朝焼けの撮影に行くというk氏、K氏がゴソゴソしていたが、無視して寝ることにする。7時半になり、W技師とともに起床し、朝食会場へと向かう。
2人はまだ帰ってきていなかったが、しばらくすると戻ってきた。朝焼けの撮影は出来なかったものの、漁師さんといろいろ話をする機会に恵まれたそうで、それなりに収穫はあったようだ。

朝からマグロのカマがメインの、これまたヘビーな食事となる。出来る限り残さないようにと思ったが、少し食べ残してしまった。
約束の8時半になると、しんちゃんことO氏が乱入してきた。急ぎ準備をして、出発する。

浦の浜のぐりーんあいらんど大島というコンビニ的店で買い物を済ませ、フェリーでやってきたTさんと合流し、今日もO氏宅のボートで航海へ。
いかだ
漁業の現場
 大島水道を抜け、唐桑半島を周る。
外海に出ると、やはり船は前後左右に揺さぶられる。昨日よりは幾分マシだが、海は激しくうねっていた。
少し操船させてもらうが、クルマの方が簡単...
大型のフェリーやタンカーで外洋に出たことはあるが、このような小さな船では今回が初めてである。海は常に荒く、そして少し怖いと思った。
広田湾の養殖設備を抜けて、折石にアプローチする。しかし波が高いために、接近することはままならなかった。
そして進路を南へと向ける。 波は穏やかとはいえ、小舟には過酷な航海だった。
Tさんの新しいカメラの操作を教えるk氏
操業中
安全な場所で操船を学ぶW技師
O氏とは兄弟のようだ
爽やかそうに見えて極悪な2名
 船は南三陸町に入る。歌津の沿岸部はびっしりと養殖施設が張り巡らされており、なかなか陸に近づけなかった。O氏が航路を見つけて、接近する。
操業中
泊崎漁港周辺では、わかめ養殖のロープが碁盤の目状に張り巡らされていた。O氏の操船テクニックにより難を乗り越え、自らが担当するNという施工箇所、Iという施工予定箇所へ。
N
I
こんな機会はもう二度と訪れないだろう。夢中でシャッターを切る。しかし、後で撮影を忘れていた場所が...自分が二人いたら良かったと思った。

そして、稲淵漁港に接岸する。干潮のため岸壁まで上がるのに若干苦労する。最近、地盤が急速に隆起してきており、岸壁の高さが合わなくなる事態が多発している。こうやって船でやってくると、初めてその状況が理解できる。
防波堤にしがみつく二人
顔なじみの漁業者の方が見えたので、挨拶をする。O氏が給油要請を出していたので、どこかお願い出来るところはないかと尋ねると、わざわざガソリンスタンドに電話を掛けてくださった。
「おらいの友達がっさ~・・・」
その言葉を聞いて、とてもうれしくなった。こうやって呼んでもらえるなんて...
昼食は昨日消費しなかったカップラーメンとなる。これまたO氏がお湯を用意してくれていた。本当に何から何まで世話になりっぱなしである。
若干風が強いものの、ドローンを飛ばしてみることに。
記念撮影
自分が担当したTという施工箇所
一見穏やかな海
漁港からI、Nという施工箇所を眺める
再び出航する。行きは沖を通ってきたので、帰りは沿岸を行くことに。
さよなら稲淵
薄曇り
ついてきた鳥
岩礁や浅いところは波が立つ
高い家々
鳥も一服
目印の下には、たぶん籠が仕掛けてある
そして、船は再び気仙沼市へと入る。津谷川河口に差し掛かったころ、k氏、K氏ともに色めき立つ。自分も含めて、シャッターを切り続ける。
シーサイドパレス
絶対見られない光景
 そして大谷海岸へ。
何かわからないが、ブイ
大谷海岸
野々下の防潮堤
杉ノ下
気仙沼向洋高校跡
海難者慰霊碑
龍の松と秀ノ山雷五郎関
潮吹き
 そして再び気仙沼湾内へ。
兵庫家島のガット船
シルエット
そして元の岸壁にボートが着く。ずっと上下左右に揺さぶられていたからか、すっかり疲れてしまった。

荷物を降ろしていると、O氏が燃料が足りなくなったと。どうやら船体内部に海水が入り込み、ポンプが正常に排水しなかったので、余分な重りを積載しているような状態になっていたそう。燃費が悪くなった理由がわかったと。
軽油を買い出し、万事終了したころには辺りはすっかり暗くなっていた。夕食を摂りにファミリーレストランへ。今回は魚介類は避けよう...
k氏が寝落ちしそうになったので、散会となる。

この2日間で、とても多くのことを改めて学んだ気がする。海からは沢山の恵みが得られるが、そこは常に荒れている過酷な環境であること。海に生きる人たちは、その過酷さと共存していること。もしかしたら、大小合わせれば数年ごとにやってくる津波に対しても、ここで暮らすうえでは不可避なものとして、それを受け入れているのかもしれない。もちろん、人命や財産が失われることを是とは決して思っていないだろう。

今、自分がこの地で復旧事業に携わっているが、それはあくまでも陸(おか)で暮らす人たちが考え出した計画に基づいて進めているのかもしれない。海に生きる人たちが考えたら、もっともっと違う、もっと素晴らしいアイデアが沢山出てきたかもしれない。そう考えると、もっと早くこの機会に恵まれていたら良かったと思った。

大島のしんちゃんことO氏と友達になったからこそ、今回の航海が実現できた。そう思うと、本当にしんちゃんに感謝してやまない。願わくば、一生の友達になれればと思う。