2013年6月30日日曜日

#156 千年先への贈り物

惰眠を貪るとは、まさにこのことで、結局9時過ぎに起床した。身支度を整えて出発するころには10時近くになっていた

まずは第一の目的地、仙台城へ向かう。宮城の地に使えるものとして、登城しないわけにはいかない。宿からそれほど遠くない場所だが、通常ルートと思われる仙台市博物館脇の道は、震災による石垣の損壊で通行止め。東北大のキャンパスをくぐる、大きく迂回するルートとなる。
おかげで、キャンパス内にある「自動車の過去・未来館」を見ることができた。
T型・A型フォードとトヨタF1エンジン(V10)展示
駐車場にクルマをおき、仙台城の見学となる。見学と言っても、元々仙台城には天守閣が存在していないので、普通の城址とは少し趣が異なる。
「まずは神社をお参りください」の看板に従い、宮城縣護国神社へ。
茅の輪くぐりを済ませ、参拝。そして隣接する英霊顕彰館へ。明治以降の戦争に関する資料が展示されており、改めて近代以降の歴史を鑑みる。そして特別展示の超精密模型店では、戦艦大和をはじめとする第二次大戦中の艦船の子細な模型が複数展示されている。

引き続き、青葉城資料展示館へ。伊達藩の歴史を学ぶには最適で、特にCGシアターが秀逸。今年は慶長遣欧使節400年なので、パワーポイントで作成したと思われる資料も展示されていた。支倉常長や使節の詳細については、後日仙台市博物館で繙くとして、さらっと経緯を理解するには十分な内容だった。特に、最後はスペインを追放されるような形で帰国したというくだりは、少し悲しくなった。

小腹がすいてきたので、向かいの「伊達の牛タン本舗」にあるレストランでお昼。牛たん専門店なので、今日はカレーを食べる。
肉ばっか
そして、兼ねてから見たい見たいと思っていた、正宗公の像。
仙台の代名詞
そろそろ時間的に怪しくなってきたので、仙台城を後に仙台空港方面へ向かう。下道は渋滞が激しく、仙台東部道路を使う。
仙台空港を過ぎ、植樹会場の看板に沿って会場へ。かなりの台数のクルマが止まっている。なんとか14時の開会に間に合った。

岩沼海岸植樹式の会場は、総合防災訓練を彷彿させる立派なもの。700名の参加者のために、テントと椅子が用意されており、また、熱中症対策とのことで、ペットボトルの飲料水も提供される。今まで参加した植樹祭でも、群を抜く豪華さである。

開式ののち、国土交通大臣をはじめとする関係機関の長による挨拶が行われた。
太田国土交通大臣
三浦宮城県副知事
井口岩沼市長
他にも、来賓の著名な政治家や県会議員による挨拶も行われた。

宮脇先生による植樹の説明が行われる。今回植える樹種は、シイやタブ、カシノキといった広葉樹。また、海風が直接当たる側にはマサキなどの塩害に強い樹種が採用されている。
この方法を採用すれば、9000年は維持できるうえに、大きくなった木は材として売却すれば費用も捻出できるとのこと。

グループごとに植えられる場所が指定されているので、順に案内されることに。現地集合したT氏はB-3、自分はB-2ブロック。
植栽する場所は、震災廃棄物の処理で発生した土を、傾斜堤の上に盛りあげたところ。かなり大きめの石が混入しており、水気もほとんどなく、植物には過酷な環境に思える。
各ブロックごとに植樹リーダーがおり、指示通りに植栽することに。一人当たり10本の割り当てがあり、結構植えごたえがある。植栽本数は1m2あたり5本。haに直すと5万本。過去に経験したことのない密植である。
お決まりの記念撮影
陸側と海側で異なる樹種を植える
 植栽完了後、わら伏せを行い、縄で固定する。そして少々の散水。バケツリレーを提案したところ、見知らぬ人たちとうまく連携が出来た。中には、こういった共同作業の経験が少ない方も見受けられたが...
わらしき
施工完了
 徐々に人がはけていき、会場は静けさを取り戻してた。施工方法が気になるので、T氏と偵察する。ブロックの張られた堤防にそのまま土をかぶせただけのような構造で、転圧も行われている形跡がないうえ、法尻には土留も施工されていない。土木のセオリーからは考えにくい構造となっている。植物の生育環境としても非常に過酷であり、今後の行く末が気になる。しばらく見守り続けたいと思う。
断面
延々と続く防潮堤
引き続き、隣接する「千年希望の丘」に立ち寄る。千年希望の丘は、岩沼市の海岸沿いに15か所建設される予定で、津波襲来時の避難場所として、防災教育の場として、また市民の憩いの場として活用されることになる。
説明看板。企業などからの寄付で賄われている。
お椀を伏せたようなこの形、T氏が「古墳みたいやな!」と。確かに、古墳の形に似ている。近畿地方には古墳がたくさん残っており、1000年以上前に作られている。この先、この地に住む人々が、これらの丘を大切に扱っていけば、1000年後にやってくる津波の避難場所にも利用できるかもしれない。しかし、1000年前に今の時代が想像できなかったように、今から1000年後を想像することは容易ではない。1000年後の岩沼はどうなっているのだろうか...。

既にいい時間になってしまったが、名取熊野三社をめぐることに。東北地方には熊野神社が至る所に存在するが、名取市には3つそろっているのが大きな違い。

まず、熊野神社へ。昔は熊野新宮社と呼ばれていたそうだが、今は近隣の熊野本宮社、熊野那智神社が合祀され、熊野神社となっている。合祀されたのちも、本宮社と那智神社は独立して存在している。
池のコイはとても人懐っこい。
本家とは異なり、朱塗りの艶やかさや参拝客の賑わいもないが、これはこれで趣きがあってよい。
源頼朝が座ったとされる岩
そして、新興住宅地「那智が丘」を抜けたところにある熊野那智神社へ。熊野神社からはクルマで5分。靄が立ち込めているところが、熊野らしい。
本来なら名取の街並みを覗うことが出来るのだが、靄のせいで残念ながら何も見えなかった。
牛王符あり
そして、最後は熊野本宮社へ。ひっそりとした佇まいは、本家の喧騒からは想像できない。誰もいない参道を歩くと、ふと熊野の記憶が甦ってくるような気がする。
静けさに満たされる境内
本宮社の境内には、「皇大神宮」と刻まれた石碑が据えられている。皇大神宮とは、まさに伊勢神宮内宮のこと。
伊勢と熊野。宮城に居ながらにして、三重に思いを寄せられる場所である。

帰路は東北道経由。若柳金成ICで下り、下道を行く。どうやらこのルートが最速のようだ。気仙沼に着き、行きつけのコイン洗車場で垢を落とす。すると、合庁で良く見かける86がやってきた。オーナーといろいろクルマ談義に花を咲かせる。しかし夜も既に更けている。洗車の邪魔をしてはいけないので、良いころ加減にお開きにした。

2013年6月29日土曜日

#155 忘れられないために

梅雨っぽい、ややヒンヤリとした朝。小雨が降っているようなので、3号機での出動は中止し、1号機で出発することにする。既にT氏は出発されている。

栗原市築館までのルートは、284号線の北回りルートと、登米を経由する南回りルートと2つあるが、284号線は飽きてしまったので、南回りルートで向かうことにする。だが、この選択は間違えていた。
距離と時間を考えれば、十分に間に合う時間に出発したのに、全く距離が稼げない。予定集合時刻5分前で、まだ登米...絶対に間に合わないとT氏に連絡すると、T氏も今しがた到着したばかりとのこと。もう十分わかっているのだが、三重のペースと宮城のペースを同じで考えてはいけない。

結局集合時間に20分遅れて、栗原の合庁に到着した。そして誰もいない・・・
ぽつーん…
T氏に到着した旨を告げると、とりあえずハイルザーム栗駒方面に向かっているとの情報を得る。
県道42号線を西へ、そしてハイルザーム栗駒周辺から密なコミュニケーションを取って、何とか目的地にたどり着く。以前予習していた甲斐があった。

会場には我々を含めて26名。ほぼ仙台方面からで、栗原市からは5名。
見学場所は冷沢(ひやしざわ)と呼ばれるところで、視界に入る270°位で山腹崩壊が発生した。現在は法枠や床固工を施行したことにより、安定した状態になっている。
生えている木の大きさと比較すると、相当デカい
施設整備の概要説明が終わり、引き続き植樹となる。栗原地方振興事務所の職員が説明、参加者全員分の苗木が用意されている。しかも、かなり締まった土地だったため、入念に事前準備をされたとのこと。三重でもこのクオリティを実現できるか、自分自身が試されている...。
お決まりの記念撮影。樹種は失念...
施工地の説明を行った方は、宮城北部森林管理署宮城山地災害復旧対策室のK室長。T氏とは顔なじみの間柄で、近日中に再度詳細な見学に訪れたいと約束する。

引き続き、世界谷地(せかいやち)へ。名称からすると不思議な場所のような気がするが、一体に広がる湿地帯のことを指す。
江戸時代には、湿地を意味する「カヤト」と呼ばれたそうだが、明治以降に「世界谷地」となずけられた。世界の意味として、広いとか、仏教上の意味合いとかが想定されるとうだが、確証はないとのこと。

ブナの林を抜け、第1湿原の入り口に到着。入場前にS技師から説明がある。2年目にしてはとても詳しく説明をしてくれる。後で聞いたら、祖父が植物研究の第一人者で、この湿地もフィールドとしているうえ、栗原市の市花に「ニッコウキスゲ」を選定したという。生粋のサラブレッドだ。
早速、湿地へ。曇り空でうっすらと靄が立ち込め、本当にいい雰囲気である。前を歩いていたT技術主幹からいろいろと植物についてご教示いただく。あちこちに出張っているおかげで、なんとなくあったことのある人が増えてきており、こういう機会にその人の持ち味を知ることが出来る。T技術主幹は、「付け焼刃ですから...」と謙遜されるが、本当に植物にお詳しい。
勝手に宮城の尾瀬と名付ける。
ニッコウキスゲ。花は1日で萎れてしまう儚さ...
こういった素敵な場所に、比較的容易にアプローチできるのは宮城の魅力である。ただ、湿地の乾燥化が進行しており、徐々に木本植物が侵入しているのが課題となっている。

お昼は、ハイルザーム栗駒の直下にある「山脈(やまなみ)ハウス」でいわな天丼となる。いわなだけでなく、シドケなど山菜の天ぷらも盛り合わせ。
はみだし気味
隣の席には、研修などでよく顔を合わせる、昨年11月採用のK技師が。出身地などを訪ねたら、「仙台生まれ、HIPHOP育ちで...」と小気味よいネタを挟み込んでくる。こちらも「悪そうな奴はだいたい友達なんだよね?」と返しておく。S技師、K技師、そして同僚のW技師は皆同い年。まさにビンテージイヤーと呼ぶに相応しい粒ぞろいだ。

山脈ハウスは平成元年に開業した日帰り入浴施設で、温泉のほかに食堂が併設、土産物売り場もある。土産物売り場では、前回買いそびれた岩手・宮城内陸地震の記録紙「山が動いた」を買い求めることが出来た。
全景
地震の時刻を指したまま止まっている時計
この一帯は「耕英」地区と呼ばれ、戦後満州からの引揚者によって開拓された場所である。広葉樹の林に点在する集落は、信州に似た雰囲気を醸し出している。耕英の名は、開拓者の出身地、宮城県丸森町耕野地区に因んでいるとも...
拓魂碑
一行は山を下り、築館に向かう。4号線から少し入ったところに、築館なめこ生産組合がある。里山というよりも、田園といったところに立地している。こういった菌床を活用したきのこの生産現場は、鈴鹿にある鈴鹿山麓夢工房以来、なめこは初めてである。
行程の説明。自称「なめこ屋」さん
東京電力福島第一原発の事故以降、放射能の問題から、宮城の特産であるきのこ類への打撃が大きく、説明の際には特に安全性に重点が置かれていた。

こののち、参加者に収穫される。
菌床から発芽したなめこは湿度100%の部屋で培養
収穫目前のなめこ。なめこ好きな自分にとってはたまらない光景
いただいた、乾燥なめこの炊き込みご飯、なめこの浅漬け、なめこのおかずゼリー
レシピはHP参照
直売会場に殺到する参加者のみなさま
特産の乾燥なめこは、生とは異なる味わいがあるそうで、今すぐ料理できないものの、とりあえず購入してみる。他にも佃煮的なものも買い求める。

S総括と岩手・宮城内陸地震の話をした。
東日本大震災以降、人々の記憶から消えかけているような気がするが、まだ発災から5年しかたっていない。この地方に住んでいても、口にする機会もなければ、メディアで見かけることもない。しかし、まだ復旧作業は続いている。
こういった活動を行うことによって、仙台などの都市部の人たちも震災を忘れてほしくない。そんな思いが、このイベントには込められている。

参加者の乗ったバスを見送り、一路南へと向かう。4号線をあえて通らず、少し西側のルートを選択する。あいにくの雨で、ただ通り過ぎただけだったが、宮城にはまだまだ魅力的な場所がたくさんありそうだ。

仙台の街に入ると、激しい渋滞に巻き込まれる。仙台は宮城というよりも、仙台という独立した地域のように思えてならない。

宿で少し横になり、夕食を取るために街へ出向く。やはり仙台と言えば牛たんか...有名な繁華街、国分町にある「旨味太助」へ。店内は程よく混んでいる。そして定食1人前を注文する。
まいう~
仙台・宮城ディスティネーションもいよいよ明日で終幕。そして、小雨が降りしきる中、観光客でにぎわう仙台の夜は更けていく...

2013年6月28日金曜日

#154 Don't worry,Be happy!

昨日から急激に寒くなったので、今朝は長Tに上着を着込んで出勤する。もう6月も終わりなのに...

今日は終日内業となる。今週末を目標にしていた仕事をやっつけようと、システムへの入力を進める。しかし、自分で整理した資料の不備が見つかり、また計算をやり直して、入力して...なかなか前に進めない(/_;)

土木事務所でレクチャーを受けてきたI主事が、いろいろ報告をしている。これからI主事が手掛ける業務は、林業技師が過去に手掛けたことがないため、最低限の資料集なども買い揃える必要があるし、ルールも作っていかなければならない。

昼休み、ダッシュで食事を終わらせてスマホの機種変に向かう。幸い、自分の欲しかった機種の在庫がある。しかし手続きがそう簡単に済むはずもなく、端末を預けて職場に戻る。

午後も完成に向けて手を動かす。98%完成しているのに、残りの2%にかなり手こずってしまう。これはむしろ、98%の完成ではなく、90%ぐらいの完成なのではなかろうか...

15時ごろ、歌津の現場代理人S氏が来庁する。資料提出やもろもろ打合せとなる。アポなしでやってくることは絶対になく、相談事項も、最適解を準備したうえで話をされる。宮城の人は100%完璧を求めるのだろうか?それとも、S氏のパーソナリティーによるものなのだろうか...

しばらくして、兵庫のT氏が「うわぁっ!」と声を上げる。上司が宮城を訪問されるという内容のメールが届いたようだ。ちょっとめんどくさそうな感じを匂わせつつも、内心うれしかったりして(笑)

何とか無事目標を達成することができ、S技査にチェックをお願いする。この業務も、なんとか来週にはスタートが切れるといいんだけど...

業務終了後、携帯電話のショップに向かう。10分ほど待って声がかかり、新しい端末を手にする。しかし、純正オプションの取扱いは出来ないと断られたうえに、少し理解のできない費用請求の話があったので、詳細について店の方に確認をする。結局追加費用は発生しなかったのだが、少し腑に落ちない。
もう何年も、兄のいた店でしか携帯電話の機種変をしてこなかった。いつの間にか、世の中はこのような流れになっていたのだろうか...

そして、焼き肉くりこでT氏、I氏と合流し、気仙沼ホルモンを食べることにする。
気仙沼ホルモンの文化は、実は三重からもたらされたということを、今日初めて知った。海を通じてつながっているんだな、と改めて実感。

宮城にやってきて1か月のI氏、今日にいたるまでの感想などを伺う。この地にやってくるまで思い描いていた理想と、現実のギャップは少なからずあると思う。それぞれが、いろいろな思い(だけではないが...)を吐き出す。
T氏曰く、「外の風を少しでも吹き込むことが出来れば...」と。もしかしたら、そこに尽きるのかもしれない。

帰宅後、ひたすらスマホをいじる。今まで使っていた機種とは大きく異なり、まさにヌルサク。改めて前の端末を見ると、とても画面が小さい。しかし、スマホの楽しさを教えてくれた端末なので、これからも手元に置いておこう。データの移行などで必要と言えば必要なんだが...

熊野の友人から連絡が入った。最近のブログを見て、病んでいるのでは?との心配からだった。幸い、いまのところ体調も心も、何も問題がない。自分のことを気にかけて心配してもらっていることに感謝したい。

2013年6月27日木曜日

#153 あきらめないこと

昨晩の雨は上がって、道も乾き始めている。しかし気温はやや低め。

今朝の三陸新報一面には、「復興シンボル 気仙沼ベイブリッジ」の見出しが。鋭意建設が進められている復興道路こと、三陸自動車道の気仙沼港の架橋のイメージイラストが掲載されている。橋長は約1.3km。伊勢湾岸道路の名港トリトンや、木曽三川河口にかかるツインクルのような斜張橋。完成すると気仙沼のシンボルになりそうだ。

出勤してまもなく、南三陸町役場のS氏から連絡がある。ここのところ調整を続けていた案件について、合意を得ることが出来た。T班長に経過を報告し、メモをまとめる。調整が難航している箇所もあるので、こうやって少しでも答えが出ると、メンバーのモチベーションアップにも繋がるのでは...と密かに思う。

担当している歌津の現場について、県庁から必要な手続きのスケジュールが提示される。絶対に空白期間を設けたくないので、余裕を縮めるためのいくつかの可能性について、T班長と相談する。合わせて、先ほど合意の得られた現場についても、今後の進め方についてアイデアをぶつけてみる。100%事前準備が終わらなくても、70%の段階でスタートできないか?あらゆる手立てを駆使して、是が非でも前に進めたい。
非ライブカメラ
昼休み、W技師から、週末に南三陸町にある慶明丸を訪問するとのお知らせがあった。慶明丸とは、店の看板だった「うきだま」が津波で流され、アラスカで発見されたことで有名な農漁家レストラン。すんなり予約ができたとのこと。三重から来客があった時にでも訪問しようかな...

午後、仙台からの来客に対応する。依頼していた資材に関する説明を受ける。質の高い資料に驚き、また感謝する。担当氏から、熊野農林商工環境事務所と書かれた資料を見せてもらう。これの担当はH先輩か、はたまたN技師か...懐かしくてうれしくなる。

引き続き、これから動かしていく現場に関する資料作成を行う。今まで、落札した工事よりも不調になった工事の方が多い。何度トライしても前に進まない状況は、正直厳しいし、メンバーのモチベーションも下がる。そういった点では、辛い経験の少ない自分は少し有利かもしれない。
失敗の原因を分析し、改善し、再度アタックし...あきらめたらそこで終わってしまう。今は黙っている時期ではない。アイデアを出して、前に進めるための可能性を追求し続けなければ...

木曜日定例の掃除のとき、W技師が大島生まれのS主事に、「今度仕事で泊まる民宿はカードで支払いできるかな?」と訊ねている。いや、そんな無理を言っては...(^_^;)
しかし、離島では下手に現金を持ち合わせていなかったりすると、即野宿となってしまう。離島の厳しさを学んだような気がする。

業務終了後、晩秋のような肌寒さの中、2号機で坂を下る。6月下旬とは思えない...そして、気仙沼の母こと、理容コマツへ。概ね月1ペースでお邪魔しているので、この1ヶ月の出来事などを報告する。最近の激しい週末の動きを伝えると、「充実してるね~」と。うーん、自分でもそう思う。
顔を剃ってもらっていたら、突然激痛が走る。口角に出来た吹き出物を剃り落されてしまった...

夕食はまるきへ向かう。おばさんから、今朝テレビで大台ケ原のことやっていたよ、と教えてもらう。おばさんはすっかり三重ファンになってくれた感じだ。
そして、スペシャルメニューの煮干しラーメンと餃子を頼む。
ごくうま
「煮干しが濃いので、きつかったらコショウで整えてください。」と告げられるも、その必要は全くなかった。久しぶりに、かなりおいしいラーメンに巡り会えた!当然スープまで飲み干す。

小雨の降る中、ベースキャンプへと戻る。梅雨真っただ中のはずだが、しばらくまとまった雨はないようだ。水不足があまりない地域だそうだが、少し気になっている。

2013年6月26日水曜日

#152 traffic

8時に現場集合なので、いつもより早く起きる。しかし外は曇り空。干しておいた洗濯物もしっとりとしていた。

無人の職場で荷物をとって、歌津の現場に向かう。気仙沼市内は、震災前も朝晩は慢性的に渋滞していたそうだが、復旧工事や震災廃棄物の運搬で拍車がかかっている。
約束の時間の少し前に到着し、ササっと確認作業を終え現場を後にする。プラントお抱えのトラックアジテータ(ミキサー車のこと)が不足しているので、社有車まで投入されている。ああ、早く課題を解決しないと...

帰庁後、現場を止めないための妙案がフッと思いつく。早速T班長に相談するとGOが出る。県庁の担当氏に電話で確認するが、ちょっとそっけない対応...とりあえず了解を取り付けるも、即座に班長あてに電話がかかってきている。あぁ、全然信頼関係が築けていない...県庁で顔を合わせる機会があればなぁ…

回覧書類やコンサルから入手した設計図面の妥当性などをチェックしていたら、あっという間に昼になってしまった。
非ライブカメラ
ニューカマーのI主事に、担当業務のフロー図の作成と、情報共有や業務を円滑に進めるために、土木事務所や水産漁港部で同じ業務をしている人たちと、顔つなぎしておいてほしいと依頼する。前職ではたくさんの部下を抱えていたI主事は、簡単にミッションをこなし、早速土木事務所の担当氏からレクチャーを受けるアポを取り付けていた。

S技査から引き受けている業務を進めながら、S技術次長、T班長、S技査、森林管理班のW班長、N技査と、いろいろな人にホウレンソウ(報告、連絡、相談)を仕掛ける。今までは、ダイアルアップでインターネットをしていたくらいに通信量が少なかったが、どうでもいいようなことでも、とにかく話をすることにした。

自分から相手へのトラフィックを増やしていくと、おのずと相手からのトラフィックも増えてくるだろうし、他のメンバーのトラフィックもどんどん増えていくだろう。光ファイバーでも不足するくらいのコミュニケーションを実現しないと...静かな職場なので、ちょっとウザいと思われるくらいでもいいかな...

昨日の安全パトロールの結果を踏まえ、A総括にライフジャケットの購入をお願いする。今の現場は問題ないが、次の現場はあった方がいいし。

業務終了後、大型ショッピングセンターで身の回りのモノやパック寿司を買い求める。外はとってもひんやりしている。6月下旬に寒いと思うなんて...これが三陸なのか。

ほぼ毎日、三重の知人や友人、同僚、先輩、同級生などなど、メール、FBメッセンジャー、LINEなどで、どなたかから連絡をもらっている。自分のことを気にかけてくれている人たちがいるということは、とても幸せである。その期待に応えないと...
それだけではないのだが、スマホのトラフィックはいつも制限値を超えていて、お仕置きモードに入りっぱなしである。そろそろLTEの端末に移行を考えようかな...

2013年6月25日火曜日

#151 門前の小僧

すっきりしすぎなくらいの好天に恵まれる。昨日のNHKのニュースでも報じられていたが、三陸新報に第十八共徳丸の保存の是非を問うアンケートについて書かれている。船主は既に6月21日に解体契約を済ませている。正直、なぜこの時期に...と思う。機を逃しているのでは...

こういう天気だと出勤も気持ちいい。行きつけのコンビニでタバコと飲み物を買い求め、2号機で疾走する。

今日は石巻労働基準監督署と合同の月例安全パトロールの日。A総括とT氏とともに、集合場所の南三陸町役場へ向かう。A総括がコーディネータのため、若干早めに合庁を後にする。
車内で、かなりいろいろな話をする。業務のこと、日常のこと、職場のこと...

役場で土木事務所、水産漁港部、震災廃棄物担当、役場建設課と合流し、歌津にある水産漁港部の現場へと向かう。

現場事務所周辺の点検を行ってから、施工現場へ。2つの工事が同時に進行しているが、自分の担当しているものとは、請負金額ももちろん大きく違うが、そのスケールも違う...
水産漁港部のS氏は、マフラーのようなものを首から下げている。最近のライフジャケットは膨張式と呼ばれるもので、ガスボンベが内蔵されており、自動車のエアバッグのように膨らむとのこと。釣りをやっている人にしてみれば常識なのかもしれないが、初めて知った...体の大きな人でも装着しやすく、軽量で邪魔にならない。うちの事務所でも用意しておきたい。
施工体系図を見ていると、三重県の業者が関わっていることが分かり、なんとなくうれしくなる。また、当日現場にいた方は名古屋の会社の方で、ちょっと名古屋弁がかったしゃべり方に懐かしさを覚える。
監督官からは、これから夏に向けて、特に暑さ対策についてアドバイスがある。熱中症に注意することと、作業員の休憩場所の整備、暑さに慣れるには1週間程度かかることなどなど…

続いて自分の監督する現場へ。普段とは違った視点で複数の方からアドバイスをもらう。自分と代理人だけでは気づかない点についてもコメントがあった。

午前のセッションが終了し、監督官とともに歌津にある「みなさん館」で昼食となる。土産物売り場の横に、コンパクトな食堂が併設されている。
いくつかあるメニューから、油麩丼を注文する。かむとジュッとおつゆが出てくる。売られている麩を良く見かけるが、食べるのは初めて。赤だしの味噌汁もおいしい。
カツ丼ではない
店内では、普通のお土産物だけでなく、変わったものも売られている。
生きたホヤ
店内には、南三陸町歌津の中心街だった伊里前(いさとまえ)の写真が掲示されていた。密集した住宅の面影は、今はない。
食後に少し監督官と談笑する。気仙沼の勤務経験のある監督官から、馴染みのお店の名前が出てくる。今は復幸小町にありますよ、と伝えた。

午後は土木事務所の担当する道路災害復旧現場2か所を周ることに。道路の場合、路線ごとに複数の個所をパッケージ化し、施工規模を大きくする工夫がなされている。宮城県では、条件を満たすことによって、現場代理人の兼務ができる措置がなされているが、複数の現場をバラバラに進めるよりも、まとめた方が様々な点でメリットがある。残念ながら、自分の担当現場では難しいかもしれないが...
パトロールが終了し、南三陸町役場の建設課に立ち寄り、S技術主幹と少し打合せをする。かなりいい方向に話が進んでおり、しかもかなりのスピード感。情報共有の密度を高めないといけない。
そして、明日の打設に備え、歌津の現場で型枠の確認を行い、少し離れたヤードに仮置きされているブロックの個数確認、合わせて課題となっている別現場も確認する。

居合わせたチーム白老の親方に、奥尻島のことなど尋ねる。地元ならではの的確な情報がもたらされた。そして、自らのルーツが北海道にもあることを話すと、親方のルーツは岩手にあるとのことだった。

帰路、A総括からある事柄について意向確認が行われた。その内容を受け入れることは可能である。ただ、自分一人の意思だけで決定することは出来ないが...

帰庁後、T班長に打合せ内容の報告や今後の事業の進め方についてディスカッションを行う。周りが速いペースで進んでいるので、こちらが足踏みしていても置いて行かれてしまう。今までの動きからすれば強引と思われるかもしれないが、ぐいと前に進めてみよう。

業務終了後、エスポワールへ。口角が切れてしまい、あまり大きい口が開けられないので、パスタがちょうどいい。
会計をしようとしたら、店主から「今日は暑かったですね」と声を掛けられた。正直、長袖でも十分で、汗もほとんどかかなかったと伝える。このお店でも、ようやく顔を覚えてもらったようだ。