2013年9月30日月曜日

#248 現在進行形

起床したら8時を回っていた。非常に危機的な状況に追い込まれたが、何とか間に合った。若干寒くなってきたこの季節、油断は禁物である。昨晩悩まされた頭痛は解消していた。

長い研修から戻ってきたW技師と少し話をする。林業職員だと何かしらで行ったことのある八王子の研修所。いろいろな思い出があり、他県の職員と交流するまたとない機会である。「水上さんの知っている人がいるんじゃないですか?」と名簿を見せてもらう。残念ながらリストに名前はなかった。大学の同期も何名かが県の林務職員として活躍している。困ったことがあると相談しあえる、いいメンバーだ。

三重から送られた書類に入っていた、「みんなで支える森林づくりニュース」を回覧していたところ、同僚から感心された。そして森林フェスタについても話題になった。超地元で開催されるイベントに、宮城県ブースを出したい!しかし、時すでに遅しか...自分の発信力の弱さも感じつつ、被災地のことが忘れられてなければいいんだが…。来年頑張ろう。

提出された施工計画書のチェックを行う。ボリュームのある内容は、非常に緻密に、入念に、そして誠実に作成されている。特に津波避難に関しては、複数のケースで検討されていて秀逸であり、決して机上の理論ではない感じがよい。本社が津波で流出してしまったこの建設会社は、地域から絶大な信頼を受けている。その一端を垣間見るような感じがした。
曇天の非ライブカメラ
そういえば、T氏から、合庁に隣接する市立病院建設予定地がすごいことになっていると聞いていたので、すこし垣間見ると...
木のむこうは更地
大きく伐開されており、見晴らしがよくなっていた。

少し早めに昼休を切り上げ、仙台からやってきた治山班の担当氏と打合せになる。先週出来なかった分を補うことに。他の施工予定現場と共通する部分を抜きにしても、かなりの時間を費やすことになる。もちろん、それなりのボリュームがあるからなのだが...
ヒヤッとした風が廊下から流れ込んでくる。外は少し雨が降っているようだ。

電話で土木事務所のZ主任主査に図面送付をお願いするが、そのあと顔を合わせたので少し話をし、ボーリングデータなどもいただくことに。電話では最小限の用件で済んでしまうが、会って話をすると、それ以上の情報交換が出来る。同時に同一箇所で施工される工事では、進捗に差があるため、設計だけでなく施工段階でも当然調整が必要になってくる。うーん、理想は〇〇町△△地区とかでチームを組むことなのかな、と思う。

コンサルタントの担当氏と、長時間電話で打合せする。そろそろ会って打合せしないといけないな…

業務終了後、雨の上がった隙をついてエスポワールへ向かう。盗み聞きは良くないが、よく見かけるおんつぁんが、店員さんと話している声が耳に入ってくる。津波のこと、震災のことなどなど...。震災が発生してから2年半が経過するが、人々の心の中では、現在進行形である。

2013年9月29日日曜日

#247 KESEN Explorer -壮絶なdelay-

いかなる出来事が発生しようとも、昼前に起床することは不可能だった。目を覚ますと、既にNHKののど自慢が始まっている時間だった。取り急ぎカップヌードルをすすり、3号機で出撃する。

爽やかな秋晴れの中、気仙沼から林道で陸前高田へ、そして住田と抜け、五葉山を駆け上がり、目的地の大窪山もりの学び舎へ。到着したのは15時前、所要時間約2時間...1号機で来た方が早かったかも...
既にイベントは完全に終了しており、杣遊会のメンバーに挨拶というより、謝罪...10月27日の住田産業まつりで汚名返上を果たしたく...
イベントの後片付けを少しお手伝いし、管理人のM氏と、大船渡農林センターのTさんと少し歓談する。来場者の目標値など、いろいろお話を伺う。うーん、この施設が人口の多い場所にあれば、もっとにぎわうはずだが、この雄大な自然は得られないだろう。殆ど何もしていないのに、蒸しパンのようなお菓子、がんづきをいただいてしまった。

寒くなる前に帰路に就く。大窪山から望む景色もすばらしい。昨日の田束山といい、どこも本当に魅力的である。
帰りは越喜来から大船渡市内を通る。完成の近づいている魚市場は、かなり巨大な建物。気仙沼も負けていられない。
末崎から小友を通り、広田湾へ出る。黄昏の広田湾も美しい...
夕焼けを眺めていたら、通りがかったおんつぁんに話しかけられる。館(たて)と呼ばれるこの場所は、両側から津波が襲来し、丁度今立っている場所で衝突したこと、自宅は津波で浸水し、流出は免れたものの解体してしまったこと、農地の復旧作業に従事していることなど、いろいろお話を伺った。

自分の仕事の話をしたところ、この地に12mの防潮堤が整備されることに対し、反対を表明したと仰っていた。高さに反対というより、ルート変更となるだろう鉄道敷に防潮堤を整備し、構造物の高さを下げるべきという主張をされたそうだが、最終的には原案通りとなった。
守るべきものがあって防潮堤が整備されるため、守るべきものを防潮堤の前にすることが出来ないなど、いくつか説明をした。
この場所、これからもしばらく見てみたいと思った。

星石油店で給油し、ベースキャンプへ。たまたまT氏と会ったので、お好み焼き屋さんを知らないか?と訊ねたが、やはり見かけたことがないとのこと。お好み焼きを食べたい欲求を満たすため、大型ショッピングセンターに出向き、半額の商品を買い求める。

大窪山の帰路から続いている激しい頭痛が止まない。うーん、早く寝よう...

2013年9月28日土曜日

#246 Crossover Minamisanriku Vol.4 -slow down-

9時に目覚ましが鳴るものの三度寝を敢行すると、既に週あまが始まっていた。朝食を食べ、溜まりに溜まった洗濯をする。全て干し終えてから、気仙沼の母の元に散髪に向かうが、あいにく臨時休業。既にお昼時となっていたので、今まで気になっていた新来軒へ。

ベースキャンプから徒歩30秒なものの、日中しか営業しておらず、週末は殆ど出かけていたので行くに行けなかった。やさしいおばちゃんにかしわうどんを注文する。すると、魚のフライとご飯がサービスで追加されていた。
重要有形文化財への指定が求められている
かしわうどん feat. 新鮮な魚フライ
時計の左下にある浸水深の表示
やや肌寒いものの、天候はまずまずなので3号機で出撃する。海沿いの道を南下し、階上にある気になる石碑を見てから、地福寺方面へ。今は災害廃棄物の処理場が目立つが、いずれ解体されることになる。隣接する気仙沼向洋高校の後者も解体予定と聞いている。
気仙沼向洋高校
近くの高台から、明治三陸地震津波以降に高所移転した階上の集落を眺める。先人の決断が、今実を結んでいる。
近くには、東日本大震災の慰霊碑が建っており、手を合わせる。
大谷の集落近く野々下と呼ばれる現場で、林野庁によりL1防潮堤の整備が進められている。管内で工事が始まっているのは2か所。以前見たときよりも、工事は大きく進んでいた。後学のためにも、じっと現場を見つめる。不審者と思われなかっただろうか...
近くの漁港には、竹製のステージが設けられている。
小泉海岸の先から山側に入り、田束山(たつがねさん)へ向かう。標高が上がるにつれて、肌寒さが増してくる。山頂付近にある仏像は、震災で倒壊してしまったが、現在修復作業が行われている。

あまり期待していなかったが、山頂に到着して、思いは激変した。北海道に負けず劣らずの絶景が広がっていた。しかし、誰もいない...しばらくして4人のライダーがやってきたが、もっと盛り上がってしかるべき場所だと思う。
近くに別の脇道があったので、少し分け入ってみる。しばらくすると行き止まりになり、無線の鉄塔があった。塗装工事の最中で、Uターンしようとまごまごしていると、現場代理人の方から、「バイク、いいですね~!」と声を掛けられしばし雑談。
払川ダムの脇を抜け下ると、稲刈りが真っ盛りである。ちょっと立ち止まり、手で稲を刈っていた方に少し話を伺った。近くの集落にお住いの方かと思いきや、なんと泊崎半島の先から通って見えるとのこと。本業は養殖漁業、趣味で米作りをされていると仰っている。周辺の田は、殆どが泊崎半島の方の所有とのことだった。
作られているのはひとめぼれで、冷害に強い品種はこの地方にうってつけ。はさかけを多く見かけるが、ライスセンターもあり、既に復旧しているとのことだった。
震災で半分の田は使えなくなり、これから復旧が行われる。震災直後は特にすることがなく、アサガオを植え、今は田の畔に曼珠沙華をたくさん植えられたとのことだった。
震災以降、たくさんの人の死に遭遇したと話された。自らの家は大きく被災しなかったものの、親族が多く亡くなり、また震災以降も若者からお年寄りまで...病気にかかる人も増えていると語られる。
まだ自分の気付いていない出来事が、この街にはあるようだ。

北に向かい、走ったことのない道を通る。まだまだ知らないところがたくさんある。
本吉からさらに山越えをしようとすると、道を間違えてしまい、岩手県に入ってしまう。日が傾き、どんどん気温が下がってくる。寒い...

気仙沼に戻り、まるきへ。おばさんから、「この前のケンミンshow見た?」と聞かれる。残念ながら見ていないが、東海地方の特集をがされていたそうだ。噂の来々軒も出ていたと。ケイチャンや天むすなど、懐かしい名前がたくさん出てくる。中華そばで温まってから帰宅する。

ゆっくりした一日を過ごしていると、いろいろなことを考えてしまう。今のこと、将来のこと。
ここのところ、ほぼ毎週のように何かイベントがあるが、同じ日にかぶってしまうことが多々あり、どれに参加するべきか頭を抱える。行かないと生まれない出会い、得られない情報や知識、そして見ることのできない景色...もちろん、自分は一人しかいないので、すべてを網羅することは出来ない。

もうすぐ気仙沼に来て半年が経つ。気持ちだけが焦ってしまっている自分がいる。時には立ち止まってゆっくり整理する時間が必要なのかも。

2013年9月27日金曜日

#245 思想

いつもと変わらない時間に目覚めるが、布団から出るのが非常に苦しい。惰眠を貪りたいが、そうもいかない。
三陸新報の一面には、南三陸町の防災対策庁舎を解体すると町長が表明した記事が載っていた。既報で解体になりそうだと書かれてはいたが、正式に発表される事となった。
保存、一時保留、解体と三つの想いが交錯した庁舎の保存問題は、ひとまず決着を見ることになった。今の人たちが下した決断が正しかったか否かは、未来の人たちが判断することになる。
5月撮影
段階確認のため、歌津の現場に向かう。東浜街道からバイパスに出る交差点、いつもは左折車しかいないのだが、珍しく右折するダンプが3台。みんな岩手ナンバー。
チラッと、前面に掲げられたマスクを見ると、高田の高所移転工事の名称が書かれていた。土が少しずつ高田から届けられている。多謝。

台風20号は陸上に被害を残すことはなかったが、海は時化で3日仕事が止まってしまったとのこと。海はやはりまだまだ謎に満ちている...
工事に関する打合せのため、現場代理人のS氏と近隣の寺院を訪問する。曳き家は既に完了しており、元会った場所からおよそ30m、高さ5m程度庫裏がスライドしていた。

南三陸支所により帰庁。昼食は久しぶりに大谷海岸の「がんばろう家」による。魚だし白醤油ラーメンを食べる。
午後、書類をさばいたり、昨日の打合せ内容を改めて確認したり。しばらくすると、リポビタンDが届いた。尾鷲の先輩がまた送ってくださった。最近、リポDなしの生活が大変苦しくなっていたので、ありがたい限り!
H技査に、設計内容のことを相談する。技術基準に合致していることはもちろんのこと、経済性、施工性など、さまざまなパラメータの中から最適なものを選択しなければならない。着工してからでないとわからないこともたくさんあるが、どのような思想で設計したのか、答えが問われるのは先のこと。悩ましくもあり、試されている感もあり。

業務終了後、久しぶりにこけしへ。カレーを食べていたら昨日会ったばかりの高田の友人から連絡が。合流して一緒に晩御飯を食べることに。
引き続き、アンカーコーヒーへ。高田の友人は今日が誕生日なので、ささやかながらパフェをご馳走する。高田の今のこと、家族のこと、自分の生い立ち...話は尽きなかった。

晩秋を思わせる寒さの中をベースキャンプへと戻った。

2013年9月26日木曜日

#244 濃密なひととき

めっきり寒くなってしまい、半袖が厳しくなってきた。いつもと違う格好に着替え、バス停に向かう。

仙台行きのバスは、6割ほどの乗客を乗せて走る。若柳金成インターまでの下道が鬼門だが、今日も若干アグレッシブな運転手さんだったものの、なんとか耐えることが出来た。
杜の都仙台は、気仙沼と変わらずひんやりとしている。県庁はいつもアウェー感を感じるが、その理由がわかった。三重の場合だと、どこかで必ず知っている人とすれ違う。しかし、ここでは全くそれがない。

お気に入りのたなべやで昼食にする。しかし、食べたかったオムライスは金曜日限定メニューで、やむなく醤油ラーメンと牛たん飯のランチにする。
県庁のロビーには、楽天のリーグ優勝をカウントダウンするボードが掲げられている。そして、定期的に開催されている物産展は、角田市の出番だった。
とりあえず買ってみた
H技査と合流し、治山班と打合せになる。執務室の一角にある打合せ机で話を始めるが、本当に静かである。三重では、たくさんの人が往来し、常に誰かがPHSで話をしている。スペースに余裕がないこと、そしてPHSの存在が、三重県庁をノイジーにしている可能性がある...

2つの施工予定箇所について、設計内容の審査が行われる。技術基準への適合、設計の考え方など一つ一つ確認していく。しかし、確認する項目が多岐に渡り、一つづつ吟味してく必要があるため、1つの箇所が終了するころには既に17時近くになっていた。濃密な打合せで、また少し理解度が高まった感じがする。
残念ながら、自分はシンデレラの時間になってしまう。そして、気仙沼行きの終バスに乗り込む。

本来なら、職員組合主催の気仙沼湾クルーズに参加する予定だったが、仙台行が確定した時点でアウト。大船渡の定例会も直前でキャンセルとなってしまったので、来気している高田の友人と、その友人で市内でタイ古式マッサージ店を営んでいるSさんと懇親会となる。合流予定だった店に行くといない。次の店にもいない。リアルタイムで場所が変わっている...木曜日なのにどこも満員で、「さんぽ」に向かう。この店は何度も来ているが、料理は何食べてもおいしく、初対面でも話は盛り上がる。そしてまた、気仙沼で友達が一人増えた。

3次会に向かうお二人と別れ、寒さに耐え忍びながらベースキャンプへと戻った。

2013年9月25日水曜日

#243 ネタ

妙な時間に目が覚めてしまう。どうやら寒さが原因のようだ。最近、夜の服装のコーディネートに迷う。眠りに就く前は少し蒸し暑かったので、長袖のパジャマにタオルケットという組み合わせをしてみたところ、明け方には寒すぎる事態になっていた。おかげで喉が少し痛い。
台風が接近しているからか、雨が降る予報。2号機で出勤するものの、傘を忘れずに持っていく。
合庁の駐車場には、建設業の方々が集まっていた。今日は共同で道路清掃が行われる。

昨日に引き続き、明日の打合せに向けて資料作成をする。予定している現場の工法自体はそれほど複雑なものではない。しかし、過去に経験したことのない規模であり、その規模ゆえに必要となる工種が存在する。設計書を組み立てながら、悩みながら前に進める。
非ライブカメラ
結局雨が降る気配もなく、午後も作業を続行させる。夕方近くになって、コンサルが頑張って作ってくれた資料が届く。寿司で例えるなら、ようやくネタが手元にやってきた感じだ。今まで用意してきたシャリとドッキングする。

積算資料や物価版、過去の設計書や事業者から送付されたカタログなど、多くの資料から得られる情報を集めて、ようやく出来上がった。既に職場には誰もいない...
鍵を閉めて帰ろうとすると、総務のT主任主査から声を掛けられた。仕事上での関わりはそれほど深くはないが、こうやって話しかけられるのはうれしい。

業務終了後、吉牛で夕食を済ませ帰宅。ポストに入っていた東海新報を読むと、一面には陸前高田の土砂の、気仙沼への搬送について書かれている。土不足はトータルでは解決へ向かったものの、一時的に需給がひっ迫する時があると予想されている。こういった事態になると、県境は邪魔だな...と思ったりする。

2013年9月24日火曜日

#242 バタバタ

目覚ましで無事に起きることが出来た。しばらくすると船内放送で、まもなく八戸港に到着すると告げられる。大浴場でひとっぷろ浴びてから、クルマへ戻る。
写真撮れなかったので、2001年の写真で...
まだ夜の明けない八戸市街を走り、朝御飯を調達して高速に。途中、岩手山がものすごくきれいに見えたが、停まることもままならず、ノンストップで気仙沼へ。なんとかいつもの出勤時刻より早く到着することが出来た。ダッシュで着替えて職場へ向かう。

歌津の施工予定地に隣接する工事担当者と少し打合せをする。どうやら、同時に5個の工事が同じ現場で進められることになりそうだ。的確にコントロールしていかないと、かなり困難な事態に陥りそうな気がする。
総務のS主事から依頼された書類などを作成すると、昼になってしまった。
昼のニュースで、三重と宮城の広報誌の交換が報じられていた。宮城県の広報誌で三重の記事を載せ、三重県の広報誌で宮城の記事を載せる。三重が1番で掲載されたこともうれしいし、こうして報道されることも、またうれしい。

木曜日の打合せに備えた資料作成に取り掛かる。コンサルでの設計と同時進行になるので、こちらで出来ることはどしどし進める。行きつ戻りつしながらシステムに入力をしていると、不穏当なダイアログボックスが立ち上がる。不穏当と言いつつ、OKもキャンセルも何もできない。え?今まで入力してきたものはどうなるのやら...

業務終了後、大型ショッピングセンターで晩御飯を買い求める。楽天の優勝が近づいてきているので、変わった巻きずしが売られていた。
旅の後片付けをしたり、たまった新聞に目を通したり...最後までバタバタした1日だった。

2013年9月23日月曜日

#241 roots -day3-

6時に目覚ましをセットし、起床するも既に外はすっかり明るくなっている。道東の朝は早い。
身支度を整え、ササっと出発する。エンジンを始動すると、外気温はなんと9℃。
まずは、皆月善六が建立したと言われる西念寺へ。朝早いこともあって誰もおらず、あいにく何もヒントは得られなかった。ひとまず手を合わせる。
クルマをさらに東へと走らせる。車窓には珍しいものがたくさん見える。
ラリー仕様のエルフ
斜里岳
334号線はオホーツク海沿いに出る。右に山、左に海と絶景が続く。しばらくして、オシンコシンの滝に到着。
さらに半島の奥へ進むと、旅館などが立ち並ぶ少し開けたところに出てきた。ウトロである。
どの観光船に乗ろうか悩んだ挙句、小型船に乗ることにした。ガンコ親父が手厳しい。
オロンコ岩
二列に並んで船着き場まで歩き、いざ乗船。レッツ、クルーズ!
確か、乙女の涙
クンネポール?
象の鼻?
こけし岩?
知床五湖の水が染み出す岩肌
かなりスパルタンなボート、油断しているとカメラを落としそうである。
そして、「次のイタシベ海岸では、ヒグマを見かけることが...」とアナウンスが入る。いよいよ、イタシベウニに。地図や航空写真で大体の形状はイメージしている。実際は...
1899年、今から100年以上前の話とはいえ、本当にここに人が住んでいたのかと思うような場所。
昭和の硫黄採掘の写真は何点か残っているが、明治のころの写真は残念ながら存在していない。たくさんの人たちが、採鉱に勤しんでいたのだろうか...自分の高祖父は、21の時にこの地を離れている。この過酷な環境で、何を食べて、どんな暮らしをしていたのだろうか...今は想像することしかできない。

船は少し先のカムイワッカの滝で折り返す。
ウトロ港に帰還する。港では、たくさんの魚が水揚げされていた。オホーツク海は豊かな漁場である。
引き続き知床横断道をへ向かい、知床峠へ。北方領土を眺めるのは、もちろん初めて。
遠く国後島を眺める
羅臼岳はおかんむり
峠を降り、羅臼を抜ける。すぐそこに見える日本の島に、自由に行き来できないのは理不尽だ。
標津の街に出ると、北方領土館という建物があったので立ち寄ってみることに。三重にいるとなかなか身近に感じることはないが、こうやって目の前にすると、領土問題の深刻さが伝わってくる。
本来なら、根室や納沙布岬、津波対策の行われている浜中町なども訪問したかったが、残念ながら時間的に厳しい。一番近い野付半島へ。

地理の教科書で、砂嘴と言えば必ず野付半島が出てくる。それだけ特徴的な地形を備えた場所である。両側を海に挟まれた狭い半島を走る。
ビジターセンターで食べたサケチャーハン
遠くにトドワラ
何もない
馬車はある
道路の行き止まりから
もう、時間がなくなってしまった。後はひたすら苫小牧に向かうだけ。より道をする時間も無くなってしまったので、ロードサイドで泊まれる場所に。
双岳台にいたキツネ。餌付けされてしまったのだろう...
足寄に入ってから、道端にトウモロコシを売っている店を見つける。つかの間の小休止。
すると、軽トラにトウモロコシを乗せたおんつぁんがやってきた。
「そのクルマ、なんていうの?珍しいね、写真撮らせて!」
と。もちろんOK。この店の店主と思われるが、FRのスポーツカーはやはり北海道では珍しい。前後の重量配分などを説明すると、「それ、トランクに重りを載せて走らないと落ちるよ(笑)」と。
おいしいトウモロコシ
足寄から高速に乗り、十勝平野、狩勝峠を抜け、再び道央へ。
苫小牧の町中でガソリンスタンドを探していると、なかなか見つからないままにフェリー乗り場に着いてしまう。少しぐるぐるしてようやく事を済ませると、既に出航90分前。夕食も食べられずに待機場所へ誘導される。
最低地上高の低さに気遣っていただき、フラットなフロアにクルマを誘導してもらう。船内は満席で、大変賑わっている。冷凍のスパゲティを食べ、風呂に入り床に就く。最近の2等寝台は個室になっているので、気を使わずに朝まで過ごせる。12年前に同じフェリーに乗った時とは大違い。あの時は乗れたのが幸い、朝まで地獄だった...

道東は、実家に帰るよりも遠い。かなり駆け足で回ってしまい、著名な観光スポットもかなりパスしてしまった。
今まで北海道には、高校生の時、往路は亡兄のマークⅡ・帰路は鉄道で、大学生の時、往路飛行機・帰路は亡兄のマークⅡで、働き出してから自分のクルマで、悪友Tたちと往路飛行機、帰路はブルートレインの特急日本海でと、今回で5回目。
九州が好きな自分にとって、北海道はあまり魅力に感じていなかった。なんせ、外で人を見かける機会がない...しかし、雄大な自然や人の温かさに触れることが出来て、北海道が好きになった。

自分の先祖がなぜ北の大地に向かったのかは、結局わからなかった。まだ調べ切れていないことも多々ある。時間をかけて、道東を何度も訪れてみたい。次は鉄道がいいな…