2014年3月31日月曜日

#430 節目

昨日からの雨は上がったものの、少し風が冷たい。三重ではすっかりサクラが咲き誇っているようだが、先日の異常な陽気にもかかわらず、三陸ではまだ時間がかかりそうだ。残念ながら体調は芳しくないが、いつものように準備して、いつものように出勤する。

このメンバーで勤務するのも今日が最後となる。相変わらず静かな職場だが、他の部では異動にともなう残務処理などで朝からガサガサしている。時折廊下ですれ違う方から、「今日で最後ですか?」と声を掛けられるが、いえ、まだまだこれからなんです!
非ライブカメラA
非ライブカメラB
午後は地方振興事務所長の離任の挨拶があった。熊野にいたときのY県民センター長とは異なり、殆どお目にかかることもなく、結局一言たりとも口を利くこともなかったし、同じ事務所内の自分の所属に顔を出されたこともなかった。
紀伊半島大水害の被災地だった熊野にいたときは、副知事がわざわざ執務室まで足を運び、職員を労いに来られたことがある。しかし、気仙沼に1年いて、林務のK次長はお越しいただいているが、他の幹部を見かけたことはない。自分が不在のタイミングで来庁されているかもしれないが...
物理的、心理的な距離感が、震災の「忘却」を進めているのかもしれない。

離席している時に来客があったと伝えられる。しばらくして再訪してくれたのは、市役所の派遣のK氏だった。1年では物足りないとこぼしていたが、伊那は近いので、また名古屋辺りで再開しようと伝える。

引続いて、自所属での離任式があった。T部長、A総括、K総括、T班長、S技査、坊主のS技査、T技査、そして臨時職員のYさんが離任の挨拶をされる。初めて業務を共に行った宮城のメンバー。西からやってきた不思議な自分のことをどう思っていたのだろうか。支援する側も初めて、受援する側も初めて。この枠組みが成功なのか失敗なのか、答えは簡単には出ないだろう。しかし、生家もさることながら、お互いに得られた経験は、必ず将来の役に立つはずである。
姿が見えなくなっている坊主のS技査を除き、離任者一人一人に挨拶して、職場を後にする。

合庁直下にあるガソリンスタンドは、明日の消費税率変更前の駆け込み需要で賑わっていた。昨日のうちに空いている中で満タンにした自分は勝ち組、とほくそ笑む。
夕食はエスポワールへ。店内ではママがメニューの入れ替え作業に必死になっていった。看板の電気をあえて消灯し、わかっている人しか来店できないようになっていた。
帰路コンビニに寄り、流行に乗り遅れないようにタバコを買い求める。自分の銘柄を買い占めてしまった。

ベースキャンプへ戻り、玄関前でふと後ろを振り返る。今まであったT氏の表札が無くなっているのを見ると、寂しさがこみ上げてきた。

2014年3月30日日曜日

#429 overload

一旦9時に目覚めるが、ホテルのチェックアウトが10時半まで許されていることを確認して、再度寝る。10時に起きて、もろもろ準備をして出発する。外は天気予報通りあいにくの雨...

仙台に来ているというSGのH寮長に電話してみるも、出ず。ひとまず泉中央方面へ向かうが、途中あまりにも過酷な重大に見舞われ、10㎞ないぐらいのところで1時間かかってしまう。本当に仙台は渋滞が酷い。
コンビニで待機中、昨日電話をもらっていた杣遊会のM氏に連絡する。いよいよ4月に重要ミッションが託されることになった。過酷な任務だが、なんとか成し遂げたい。

体調があまり芳しくないので、温泉でリカバリーしようと未だ未制覇の鳴子へ向かうことに。昨日より10℃以上気温が下がっているが、それほど寒くはない。かなり雨が強く、慎重に運転する。
途中、H氏から連絡が入る。既に離脱していたので、またの再会を告げる。

古川ICで降り、47号線を西へ。深い谷にある温泉と勝手にイメージしていたので、フラットかつストレートな道と広い谷に少しギャップを感じる。街に入ると、エアコンの吹き出し口から硫黄の匂いが漂ってきた。

いくつかある共同湯のうち、早稲田桟敷湯を選択する。薄い黄色の建物は少し古るげに見えるが、実はかなり手が込んでおり、いかにも現代建築というものだった。
躙り口のような入口をくぐり中へ。コンクリートの床はほのかに暖かい。いかにも温泉と言った泉質の風呂に入る。熱めの湯につかっていると、少しホッとする。
湯上りに2階にある座敷でごろ寝する。ごろ寝どころか、2時間以上寝てしまった...
源泉?
少し薄暗くなった道をベースキャンプへと向かう。登米経由、川崎経由のどちらもほとんど同じ距離。今日は登米回りで帰ることに。
夕食は気仙沼に入ってから摂ることに。ココサカエルにある中華一凛で麻婆豆腐の定食を食べる。

ベースキャンプに戻ると、郵便受に尾鷲のM先輩から荷物が届いていた。開封すると、安政の地震津波に関する古文書を現代語訳されたものだった。こうやって貴重な情報がもたらされるのはうれしい限り。
ここ数日喉が痛く、ついに熱っぽくなってきてしまった。体温を測ると若干高め。公私共々過密なスケジュールで少し疲れてしまったのか。もう少し踏んばらなければならないのだが...

2014年3月29日土曜日

#428 西からの使者Ⅲ

既に起床しているO氏と「ごちそうさん」の最終回を見てから、2度寝をしてしまった。9時半ごろ、お礼を伝え、再会を祈念して失礼する。

SGに立ち寄ると、丁度最年長のO氏が出発されるところだった。一気に同じ日に退寮されるわけではなく、一番最後の職員は31日に離れるとのことだった。30日に最後の宴席が用意されているようだが、さすがに参加は厳しいか…

3月としてはありえないような暑さである。行きつけの星石油店に寄ると、いつもの店員さんが「夏ですよ、夏!」とおっしゃっている。三重ではもうサクラが咲いているが、こちらは連休前ぐらいが通常だが、こんなに暑くなるともっと早く咲くかもしれない。
明日は雨が予想されているにも関わらず、洗車を敢行する。とてつもなく汚かったが、ようやく一皮むけた。しかし、次は洗車機のお世話になる必要がありそう。

ベースキャンプに戻り、T氏の部屋をノックする。大方荷物は片付いていたが、後任のK氏の荷物がまだ来ないとぼやいていた。自分も大勢を立て直してから、Tと最後の昼餐に出向く。新来軒のおばちゃんから、「友達ができてよかったね!」と言われるが、いや、今日でお別れなんです…。
クルマを止めているとこんな温度になっている
T氏の見送りは出来ず、一足先に出発する。45号線、398号線と通り、登米東和ICから三陸道を上る。車内は暑く、今年初めてのTシャツになる。いつものように石巻河南ICから渋滞が始まる。この時間帯は三陸道ルートは避けた方が無難な気がする。その後も利府JCTを超えてから渋滞する。

仙台市内は比較的順調に推移し、先日も宿泊したホテルにチェックインする。少し休憩してから仙台駅へ。皆服装に悩んでいるのか、かなりいろいろな上着を着た人を見かける。
黄昏
1年ぶりに、後輩のN君と合流する。18きっぷで旅をしてきたとのことで、山形からの搭乗だった。久々に会うが、以前と全く変わらない雰囲気だった。突然の来仙だったので、何かクリティカルな問題を抱えているのかと思いきや、全くそうではなかった。
駅前のアーケードに向かい、N君が選んでいてくれた店に入る。宮城のおいしいものを食べながら、お互いの近況や、若い人達へ伝えたいことなどを話す。N君から「来てよかった!」と言ってもらえただけで、仙台まで来た甲斐があった。

慌しいスケジュールな彼を駅まで見送る。今日中に福島まで向かうとのことで、順調に行けば明日の夜には三重についているだろう。
仙台駅に展示されていたペナント
上着もいらないくらいの仙台の街。しかし、明るさのせいではなく、星が見えなくなっていた。そういえば、ここのところ毎週仙台に来ているような...

2014年3月28日金曜日

#427 別れの季節Ⅲ

春を若干通過してしまったような陽気が続いている。天候も穏やかで、本当に過ごしやすい。いつものように準備をして、いつものように出勤する。

朝一から、戸倉の施工現場の完成検査に向かう。A総括、T班長とともに45号線を下る。この2名も転勤が決まっており、こうやって出かけるのも今日が最後になる。

工種工法はポピュラーだが、条件の厳しかったこの施工現場も、現場を仕切ってくれたS氏、チーム二戸などの活躍で無事故で完成を迎えることが出来た。3回の不調があったが、なんとか年度内に完成することが出来て胸をなでおろす。
検査を終え、隣接する建物の所有者に挨拶する。すると、安全衛生管理者代行である「カンタ」がすり寄ってきた。このネコともしばらく顔を合わせることはなくなりそうだ。

後のスケジュールを考え、昼食を摂りに役場近くのヤマウチに行こうと考えたが、盛りとコストのみを極限まで追求するT班長に却下される。こんなT班長の食生活を訊ねたら、病気にならない方がおかしいような内容だった。そういえば、共に出かけるとほぼラーメンになっていた。
いつもの志のやではなく、別の店に入る。しょうゆの焼きそば、多分次はなさそうだ。
A総括が離任の挨拶をとのことで、まずは南三陸町役場へ。あいにく、派遣職員の辞令交付式が行われていて、中は閑散としていた。産業振興課、企画課ともに願っている人物には不在。建設課を訪問し、先日懇親したI主事、U技術主査、お世話になっているG上席主幹、S上席技術主幹に挨拶してもらうようお願いする。入口に向かうと、S課長補佐と偶然出会い、挨拶。1年かけて築いた信頼関係、今年もさらに深くしていきたいところだ。
公立南三陸病院の完成模型
引き続き、南三陸森林組合、本吉町森林組合、気仙沼市森林組合と立ち寄るが、あいにく年度末の会議でほぼ無人状態。この時期はやむを得ないだろう。

帰庁後、検査の後処理などを済ませる。その後、今日で最後の勤務となるT氏から挨拶があった。普段はクールさを装っているT氏も、今日は少し寂しいと語る。僅か1年とはいえ、その気持ちは熊野の時の自分も同様だった。

業務終了後、急ぎ準備をして大船渡の泰州へ。通称「あり検」と呼ばれていた会合も、おそらく今日が最後となる。離任が決まっている大船渡農林センターのO氏、U氏、そして環境省のK氏、他にもなじみのNさん、Mさん、Yさんが集まった。
O氏は、2011年の大船渡市役所派遣前に、三重の同僚が研修で同席したということが知り合ったきっかけだった。何度もお招きいただき、気仙地方の森林・林業について多くの情報提供を受けた。O氏のお蔭でU氏、今は県庁にいるH君、環境省のK氏とも知り合うことができ、初めての県外赴任の不安が払しょくされた。4月以降も近くに転勤されるとのことなので、引き続きお世話になることは間違いない。

会も相当盛り上がり、代行でO氏宅へ。引越し作業真っ最中なのにもかかわらず、無理やりのめり込む。
たまたま自分がお付き合いしている方が特別なのかどうかわからないが、岩手の職員は本当に熱意があり、勉強熱心だと感心する。復興のスピードで負けないよう、こちらも頑張ろう。

2014年3月27日木曜日

#426 status ain't nothing but a letter

少し雨が降ったようで、路面が濡れている。しかし、春、継続中。本当にこのままずっと春でいてほしいところだが、油断は禁物である。いつものように準備して、いつものように出勤する。

先日から続けていた図面のチェックをしていると、イマイチ腑に落ちない内容が出てくる。H技査に相談すると、岩着なのか混成堤なのか、そこがカギだと説明をもらう。形状は同じに見えても、根本の部分で違う。そこを見誤るとダメージが大きい。

昼前、先日の知事との懇親会で初見のN氏が、奈良県から派遣のO氏とともに訪ねてくれた。折角なので、昼食を共にすることに。やませ的靄に包まれた市内、昨日よりは少し気温が低い。
南町紫市場のあさひ鮨へ。
復興スペシャル
N氏とは共通の知人もいるが、もはやあと1日の勤務。ここでももう少し早めに親しくなっておけばと後悔する。奈良のO氏は10月から1年間の派遣。こうやって時期をずらし2名派遣というのも、受入側では引継もスムースで楽かもしれない。派遣元にとってみれば、大変かもしれないが...

午後も続きの資料作成に臨む。一つできればいいのだが、最近自分の生産性が著しく低下しているようで、イマイチ捗らない。
戸倉の施工現場のS氏が訪問し、書類の受け渡しを行う。

夕刻、来年度の座席配置について少し打合せをする。当初は何の捻りもない案が一方的に提示されたが、誰かから突っ込みが入ったのだろうか...
自分の席は、入口に一番近い所にある。そのため、来客対応のみならず、宅急便や郵便物の受け渡しさえ担当している。今の職場でもそうだが、職場では最年少の時がいまだに多い。寒い以外は特に苦にもしておらず、むしろ様々な情報が得られるメリットがある。
しかし、4月以降からは年少の職員が2名配属されるため、席を動くことになる。出来るだけ、各々のマッチングを意識し、最大のパフォーマンスが発揮できるように仕組む。被災地の職場では、肩書は所詮肩書でしかない。それぞれの持てる能力、経験、技能。遠慮なく、使えるものはなんでも使っていくべきと思う。

業務終了後、エスポワールに行こうと思ったが休み。久々にこけしへ。いつもいた店員さんが二人いなくなり、店はいつもより空いていた。定番の中華飯を食べる。

肌寒い気仙沼の街を往く。それでも、先月と比べれば相当恵まれている。

2014年3月26日水曜日

#425 別れの季節Ⅱ

生まれて初めて、登米で朝を迎える。少し曇ってはいるものの、春の陽気は続いている。1号機で気仙沼へ急ぐ。

昨日作りかけた書類を再度開き、測試の結果である図面をチェックする。急きょ戸倉の施工現場の代理人から連絡があり、現地で打合せをすることに。午後の予定を少し早め、南三陸に向けて出発する。
今日は公用車の予約が複雑に入り組んでおり、当初の予約では早めの出発が困難だった。広く声を掛けてみると、意外なところから公用車の予約を譲る発言が出てきた。I主事とともに総務の公用車で出発する。

南三陸さんさん商店街で昼食とする。ついつい志のやに行ってしまうのは、居心地がいいからか...
先日、商店街の一角に「復興まちづくり情報センター」が出来た。URが運営しており、スタッフが1名常駐している。
モアイの横にある
宅地造成の立体模型
地形を表現
時間がなさ過ぎて、超ダッシュで見学する。また機会を見つけて訪問しよう。

急ぎ戸倉の施工現場で書類のチェックをする。驚愕のボリュームに驚く。なぜ、この規模の施工現場でこんな書類が...三重はCALS/ECの一環で、写真などは電子納品が常識となっている。しかし、今後このボリュームの書類が、今各地で行われている復旧、復興事業分作成されるかと思うと、それこそプレハブの書庫が特別に必要になってくるのではないかと危惧する。

ダッシュでチェックを終え、志津川自然の家で開催される398号線の用地説明会に合流する。自分がメインで説明することはないが、隣接する防潮堤に関する問い合わせがあるかもしれないとのことで、土木事務所のY氏からお呼びがかかっていた。
会場内は4つのテーブルに分かれ、一つが事業内容の説明、3つが用地関連の説明を行っている。13:30から19:30まで開設されており、三々五々、地権者の方が訪れる。
結局自分の説明機会はなかったが、異なる手法で業務を進めている実態に触れることができ、後学のためになった。

少し会場が落ち着いたころに、Hとう施工予定箇所に関連する打合せを行う。こちらの要望が100%敵うことはなかったが、こちらではどうしようもない箇所についてアシストしてもらえることになったので、結果オーライとしよう。

業務終了後、職場の親睦会「北の会」の送別会の会場「浜の家」へ向かう。M班長、T氏、W技師とともに一番に乗り込んでしまったようで、その後の段取りをしておく。

監事の毛深いI主事が遅れてやってきて、開宴となる。送る人、送られる人のメッセージ交換などあり、会は盛り上がった。そういえば、送る人とあまり話をしなかった…
一人カメラ目線...
引き続き、T氏、坊主のS技査と二次会へ。2ndも、S技査のお蔭で何度訪れたことか。この3人で飲みに行く機会も、もうないかもしれない。宴会が連続しているので、みんな疲れてしまった。少し早目に散会となる。またいつか、このメンツで飲みに行ける機会があればと思う。

2014年3月25日火曜日

#424 別れの季節

春、という表現がぴったりの朝を迎える。いつものように準備をするが、今日はヒートテック的なものを脱ぎ捨てていく。それどころか、手袋もなくても平気。待っていた時がようやく訪れた。

20日に内示を迎えた職場は、先週までとは違った雰囲気に包まれていた。先週はめっきり落ち込んでいたT班長も、今日はいつになく元気だった。
三重や兵庫でも同じ日に内示があり、その後の対応に差があって面白い。三重はかなりシステマチックだが、宮城はもう少しプリミティブ、そして兵庫はさらにプリミティブなやり方をしていた。
異動の際、昔は「嫁入り道具」と呼ばれる一式を渡されていたが、最近は物理的にはシンプルになったが、情報システムの管理側からすれば、一大イベントとなっている。

机上に置かれた書類の整理をする。リミット的にヤバい案件もあるので、順を追って一つづつ片付けていく。T氏から、先週来気になっていた技術基準の解釈について答えをもらう。こういった滑らかなコラボをまた一から築かなければならないかと思うと、ちょっと悲しくなる。
非ライブカメラA
非ライブカメラB
午後も年度明けに必要となる書類の作成を進める。積算システムの新単価設定が遅れているため、業務が行き詰るが、それでも出来ることを出来る限り前に進める。
コンクリートブロックの2次製品メーカーの方から、問い合わせへの回答をもらう。ある形状の商品を探しているが、レギュレーションに合致するものがなかなか見つからない。時間の余裕はあるので、何とか見つけられるといいのだが...

業務終了後、T氏に1年の思い出記録を渡す。二人っきりで出かけた機会はそれほど多くはなかったが、意外にも結構なボリュームになった。T氏からは兵庫の観光パンフレットなどを案内してもらう。夏にでも兵庫を襲撃したいところだ。

大型ショッピングセンターでクリーニングを出した後、一路登米市へ向かう。南三陸町に鳥羽市役所から派遣されているM氏の送別会が開催される。登米市の佐沼でかなりの渋滞となり、若干遅刻してしまう。登米は南三陸の復旧・復興の拠点となっているため、多くのクルマが行きかっている。

ホテルにチェックインし、会場の「うまい登米っこ欒(らん)や」へ。M氏とプロパーの建設課I氏、任期付職員で元建設業の建設課U氏が既に集まっていた。
I氏から、震災当日の話を聞く。教育委員会に在席していたI氏は、松原公園付近の事務所で勤務していた。地震発生後は近隣にある津波避難ビルであった町営住宅屋上に、学生などを誘導しながら避難することに。
的確な行動により多くの命が救われ、その後身体に負担のかかる人たちへ、避難者から集めた食料を配分したり、志津川病院へ搬送したり、CH-47の住宅屋上への着陸を見届けたり...震災を経験しているプロパーからの話はどれも貴重だ。

遅れて、漁集事業関連でお世話になっているN氏が登場。南三陸に絡んだたくさんの話で盛り上がった。M氏をはじめ、もっと早くから仲良くなっておけばよかったと激しく後悔する。

結構な時間となり、散会する。今日集まったメンバーは、今後も仕事意外でも密に関わっていくことになりそうである。
M氏とコンビニまで歩いて買い物に。M氏にとっては、南三陸や登米が「第1」のふるさとになっているようだ。
ホテル前で再開を祈念して、別れた。M氏とは、そう遠くない将来、再び顔を合わせることになりそう。それは南三陸でなのか、はたまた鳥羽でなのか...

2014年3月24日月曜日

#423 思いを伝えるⅡ

浅い眠りのせいか、休憩のたびに目が覚める。唐突に到着の案内放送が流れると、ほどなくして名古屋駅近傍の路側でバスから放り出される。鉄道会社だときちんとしたターミナルを有しているが、ツアーバスではそうはいかない。
一応小奇麗にしてから、アーバンライナーで津へ向かう。今日もnext。この前もnextだったので、立て続けにとは運がいい。
春の陽気の中、車窓には穏やかな三重の風景が流れていく。
桑名、四日市、鈴鹿...どこもとても好きな場所だ。宮城の人たちが宮城の地が好きなように、自分も三重の地をこよなく愛している。今だけではなく、これからもずっとそうだろう。
県立博物館カウントダウンボード
8時前に県庁に到着する。地下出入口がまだ開いていないことを忘れており、しばし待つ。
三重の所属で少し挨拶をしてから、5階でU主査と合流する。この前の木曜日にあったばかりなのに、もうはるか昔のような気がしてしまう。

知事室に向かい、自分の出番まで待機する。久々に訪ねるこの部屋、いつもに間にかアイテムが増えていた。ゆるキャラコーナーには、県内各地のゆるキャラが鈴なりになっていた。
推し中のWOODJOB
プレゼンルームに入り、二役と部局長を前に、今自分が気仙沼で行っている業務、課題、わかったこと、復興に向けてのキーワードなどを発表する。最近人前で話をする機会がめっきり少なくなったため、短い時間の中でうまくまとめることができなかった。反省...いくつか質問をいただき、無事に終了する。
最後の知事からのコメントには、先日の懇親会で伝えた内容を織り込んでいただいた。感謝感激!そして、石垣副知事が首にかけているジャラジャラに興味を示される。

引き続き、先日来管内を訪ねてくださった方々への挨拶や、所属での事務連絡などを終え、県庁を後にする。
外は半袖でもいけるのでは?と思わせるような温かさだった。今日は気仙沼も南三陸もあたたかいようだ。ようやく気温が2ケタに...暑さ寒さも彼岸まで、と昔の人の言っていることは間違っていなかった。先週末の仙台はなんだったのだろう!

アーバンライナーplusで名古屋へ。
いつも新幹線のホームで漂う香りに後ろ髪をひかれていたが、今日は少し余裕があったので、きしめんを食べる。
のぞみと乗り継いで東京へ。
うれしい700系B編成
東京から大宮まで、3月のダイヤ改正から運行を開始したE7系に試乗。ホーム先端には写真撮影に興じる子どもたちで溢れていた。
大宮ではやてに乗り換え。東部のM氏や明日の準備のための電話などをしながら、駅弁を買い求める。
定刻に一ノ関駅に到着する。たった24時間前に1号機を駐車場に預けたばかりなのに、もう何日も置きっぱなしのような気がする。
流れのよくない284号線を東へ。雪もほとんど溶けていたが、それでも路側には残っていた。

2014年3月23日日曜日

#422 KESEN Explorer -文化の薫り-

目標起床時間8:30は、当然達成できなかった。3度寝くらいかましたうえで、9時半に起床する。諸々準備を行って、明日のスケジュールの都合上スーツで出かける。

ここ数日の寒さとは袂を分かったようで、とても穏やかな春らしい陽気。道路も空いていて、45号、340号経由で住田町役場へ。しかし、到着したころには両手に餅を抱えた人が大量に駐車場へ向かっていた。

建設の進められている住田町役場の上棟式が行われた。
とりあえず記名はした
当初計画では新年度から新庁舎の予定だったが、工事の進捗から夏ごろの落成が予定されている。現在の本庁舎は昭和29年に建設されたもので、耐震性にも難があるため、以前から建て替えが計画されていたが、苦境に立たされた木材産業の再生を優先させたために繰り延べになっていた。また、役場は分館が多数あったが、新庁舎ではその不便も解消されるようだ。
この地方で棟上げの時、よく見かける
ややローアングルから全景
軒下
ラチスの耐力壁
見えなくなりそうなところ
シンボルツリー
柱と天井
壁のないワンフロア
ペレットボイラー
ふと、尾鷲の古道センターを思い出す。これから新築の建物は、できれば木造で行ってほしいところだ。さすが森林・林業日本一の街。ここで働く職員がうらやましい。

屋外ではペレットストーブの展示実演が行われていた。先日来お世話になっている長谷川建設の溝渕さんや、畠山林業のは畠山さんなど、知っている人にお会いする。今回はアメリカ製のペレットバーベキューデバイスが持ち込まれていた。写真を撮り忘れたのが痛い。
役場の敷地内に蔵があったことを知らなかった・・・
引き続き大船渡へ向かい、久々のKojikaへ。マスターから大船渡の商店街の再生について話を伺う。未来ある若者が主導しているのかと思いきや、どうやらそうではなさそうだった。これから先もこの街でビジネスを行っていく若い世代ができれば先頭に立ってほしいと切に願われていた。
ふと、厨房から見覚えのある男性が現れる。大船渡に拠点を構えるNPOの代表理事だった。しばしお手伝いされているとのこと。引き続きご子息とも少し談笑する。

店を後にし、ブックボーイで「北里柴三郎と後藤新平」という、東海新報社発行の素敵な本を買い求める。そして、加茂神社へ。
大浦屋でアーモンドロックを買い求めようと思ったが、あいにくお休み。さいとう製菓でかもめの玉子イチゴバージョンを買い、来渡ハウスへ。

大船渡にゆかりのある多様なアーティストがその成果を発表する「ガチャPOM」、6回目にしてようやく訪ねることができた。すでに遅刻か...と思っていたが、14時から。少し時間が空いたので、大船渡インターブックポートネギシへ。旅と鉄道が三陸鉄道を特集していたので購入することに。
全景
再び来渡ハウスへ。クルマを止めたところ、1号機に興味を示される方に声をかけられる。クルマが大好きな方のようで、しばし談笑。
入場料を支払って中に入るが、14時開始といいつつ、会場はまだ準備真っ只中。14時半ごろにLAWBLOWのMCでおもむろに始まる。一曲目には定番の「のぞみ」。
STOCK
$-LD
そして、様々なアーティストが...
BMXのきんちゃん
フルートのKOUKA
ONESTAR
ヴォーカルのANT
フォークのS38
こののち、サプライズイベントが起こる。LAWBLOW結成10周年記念を祝うため、ファン有志が作成した唄「クローバーの贈り物」熱唱、若干手こずったビデオレター、Tシャツ、花束贈呈などなど...
写真集も流れる
その後、 「クローバー」と新曲が披露された。
最後は来場者で記念撮影。
17時半を回ったころに終了し、引き続きすぐ近くの吉野町公民館へ。七夕まつりや灯篭流し、廃品回収など多大な貢献のあった派遣職員の送別会が開催された。自分のお招きいただいたので、お邪魔することに。

会が始まる前、いつもたくさん話をしてくださる方が、5月の例祭に向けて作成している装飾品の数々を見せてくれた。
つるされた花花花
花をより花らしく見せるため、型を付けるための鹿の角
牡丹、蒲公英、菊。ものすごく手の込んだ飾りが所狭しと置かれている。5月の祭りなのに今から準備している理由が理解できた。恐ろしく手間がかかっている。
つい安易にプラスチック製の...と考えてしまいがちだが、この地方には、自らの手で作るという文化が残っている。先日も高田の友人とその話をしたばかりだった。安易にお金で解決してしまっては、重みも風合いも伝統も消し飛んでしまいそうだ。

送別会には、今年度で任期満了となる相模原のジャイアンことH寮長、板橋のF氏、浜松のK氏、「キウチる」という言葉まで生み出してしまった熱海のK氏、留年組のノリさんこと浜松のS氏、相模原のYさん、そして自分が出席。このメンバーとまた会うかも知れないし、もう二度と会わないかもしれない。そう思うと少し悲しくなる。
館長の余興などで会が盛り上がってきたころ、自分は退席することになる。見送ってくれたメンバーに一人ずつ挨拶する。できれば、今年の七夕で再開したい。なんとなく、織姫と彦星の気分に...

45号線から三陸道に入り、今日開通したばかりの陸前高田ICまで走り、343号線で一関へ。ループ橋付近で1号機が不審な挙動をする。どうやら道が凍結しているようだ。
余裕をもって一ノ関駅に到着。E2系のやまびこに乗り込む。

定刻に東京駅に到着。急ぎ高速バス乗り場へ。何とか乗り継ぎに成功し、西へと向かう。一番リスキーな移動手段を使わざるを得なかったが、無事を祈ろう。