2013年7月31日水曜日

#187 想定

7月最後の一日。梅雨明けが間近に迫ってきているはずだが、今日も太陽は拝めない。むしろ、今にも雨が降ってきそうな空模様である。

いつものように出勤し、9日〆切の事業計画用の資料作成を行う。三重にいたときも何度か同じ資料を作っているが、様式が同じなだけで中身が違う。まずは図面の作成から始めることに。

しばらくすると、ユニットネットと呼ばれる法面保護工法の営業担当者が現れた。カタログは見たことはあるが、実際に施工した経験はない。後学のために、資料の説明を受ける。
施工実績を見ていると、圧倒的に兵庫県の治山が多い。そういえば、と思い、T氏を招く。やはり、兵庫県が開発した工法だった。良く見ると、熊野でも施工実績が...
非ライブカメラ
さくっと昼食を摂り、少し出遅れた12か月点検を受けるため、宮城トヨタにクルマを預ける。
午後、市内のとある森林所有者の元へT班長とT氏と向かう。こちらからの制度の説明がメインだったが、むしろ唐桑についてたくさんの情報がもたらされた。

まもなく動き出すことを期待している唐桑の現場を確認し、帰庁。しばらくして、メンバーの戦線離脱が告げられた。この時期にメンバーが居なくなることは、いろんな意味で辛い。しかし、この状況を想定もしていたので、T氏とは業務分担の整理が出来ている。突然の出来事にも、極度に驚かずに済む。

業務終了後、ディーラーにクルマを引き取りに行く。店の方と少し話をすると、「そのポロシャツのデザイナー、ここにいますよ。」と告げられ、カウンターの中から若い男性が出てこられた。
実は、既に入店時からマークされていたらしい(笑)。同じデザインのTシャツとステッカーを持っていると告げると、自作ステッカーを一枚分けてくださった。
下のデザインのポロシャツ
七夕祭りの準備に向かう前に食事を...と思い、まるきにむかうも、残念ながら臨時休業。復幸小町に足を向け、久々のエスポワールへ。

やや出遅れて、吉野町公民館に到着する。お囃子と太鼓の練習も真っ盛りで、山車の飾りつけ準備もクライマックスに突入している。
作画なう
準備が終わり、いつも通りねまることに。今日は蕎麦が振る舞われた。祭りは楽しみである。しかし、こういった楽しい時間が終わってしまうかと思うと、少し切ない。
いつの間にか23時半近くになっていた。小雨のそぼ降る45号線をベースキャンプへと向かった。

2013年7月30日火曜日

#186 acceleration

夜中に雨が降っていたようで、道路が濡れている。しかし、最近はいい意味で天気予報が当たらない。出勤途中に濡れることはなさそうだ。

昨日の説明会の報告書をまとめつつ、説明会の帰路にI主事から意見のあった、「防潮堤の高さの説明に厚みを持たせた方が良い」ことについて、少しI主事とディスカッションする。

L(レベル)1津波高さは、宮城県を地形などから複数のブロックに分割し、それぞれのブロックにおいて、明治三陸地震津波、昭和三陸地震津波、1960年のチリ地震津波、そして想定宮城県沖地震のうち、最も高い値を採用している。また、浦々の地形などの影響を考慮し、値を補正している。
こういった内容をわかりやすく伝えるにはどうしたらよいか、確認をしながら話をしてみる。合わせて、地震のメカニズムなども少し話をした。防災部局時代などに学んだことが、幸いにも生かせている。

しばらくして、思いがけない出来事があった。八方塞がりになりかけていたある現場が、大幅に前に進むことになりそうだ。思わずガッツポーズが出る。合庁の廊下を奇声をあげながら2往復くらいしたかったが、良心が許さなかった。

T班長は、「あと一週間早かったら、手続きが少なくて済んだんだけど...」と、自分の喜びの1/5くらいの感じだ。しかし、このまま前に進まない状況が続いていたことを思えば、正直手続きをこなすことなど余裕な気がしなくもない。

午後も、手続きを進めるための書類作成を行う。とにかくスピードを上げていく。そして、業務加速化の後押しをしてくださった東部事務所のA技術主幹にお礼の電話を入れる。

業務終了後、職場の懇親会「北の会」の会合のため、気仙沼バイパス西側の「唐や」という店に出向く。少し欠席される方が見えるものの、静かに会が始まる。
今日は火曜日だからか、若干おとなしめの流れとなる。中締め後もねまっていたが、さっと店を出る三重とは違って、東北っぽい感じがする。残ったメンバーでしばらく談笑となる。

店を出てから歩いていると、坊主のS技査から2次会のお誘いがあった。電話を忘れて取りに戻ったT氏を置き去りにしてしまったが、あまり長居しないつもりでお付き合いさせていただく。moon rock cafeという、少し入り組んだところにある静かなバーへ。
S技査、M班長と屈託のない話で盛り上がる。最近は、職場でもオフでも、スムースにコミュニケーションが取れているような気がしている。

2013年7月29日月曜日

#185 直球勝負

久しぶりに、少し青空の除く朝を迎える。このまま梅雨明けを期待してしまうが、残念ながら天気予報は午後から雨と伝えている。

週末の豪雨対応のため、同僚が情報収集や報告などの任務にあたっていた。きちんとまとまった経過表に、宮城らしい几帳面さを感じる。よくお世話になっている総務のS主事は、市役所に派遣され情報収集に当たっていたとのこと。三重では、被害情報の収集などはシステムを使用して集めている。集計、集約、情報提供は圧倒的に速いのが特徴。どちらがより効果的なのか、少し検証してみたい心情になる。
先週分の報告書などをまとめ、午後からの会合に備え、資料の準備と予習を行うことにする。
青空の覗く、非ライブカメラ
昼休み、見覚えのある三重の市外局番から電話がかかってきた。直接お会いしたことのある方ではないが、県政に重要な関わりを持たれている方。8/1に来気されるのとのことで、少し打合せとなる。こうやって、いろいろな方が気仙沼を訪れてくださるのは本当にうれしい。

そして、南三陸町歌津で行われる会合に参加するため出発する。今回は、町が実施する被災した集落再生のためのプラン作りに、施設整備をするポジションとして参加する。
この地区では、浸水域を災害危険区域に指定し、住居はすべて高台へ移転することになる。

会場では、先々週の説明会でもお顔を合わせた方がたくさんみえる。そして、受付簿をちらちら眺め、先日電話でお話をした方(仮にZ氏とする)が来場していることを確認する。

一通り資料の説明が終わった段階で、たまたま隣に座られたZ氏にお話をする。最初はキツい洗礼を受けてしまったが、丁寧にお話をさせていただくことで、非常に打ち解けることが出来た。
お話されていることは十分に理解でき、もっともな話なので、こちらも可能な限り最大限の努力を行うことを約束した。

Z氏からは、3月11日の様子や、家訓として、津波があれば速やかに高台に避難すると教えられてきたこと、1960年のチリ地震津波のことなど、いくつか教えていただくことが出来た。また、地元の方がとても重視している避難路の話など、貴重な情報がたくさんもたらされた。そして、やはり電話ではなく、顔を見てお話するに限ると、改めて痛感する。

業務終了後、アンカーコーヒーで少し腹を満たしてから大船渡へ。気仙沼のスタバは、濃くておいしい。
七夕祭りの準備も佳境に入り、今日は着色した和紙を骨組みに貼り付ける作業となる。
土台の出来上がり
少しねまってから帰宅。真夏とは到底思えない濃霧がこの地方を包んでいる。

帰宅後、A氏から頂いた番組のVTRを視聴する。記者の視点から見た被災地の今をまとめたもので、気仙沼を含む宮城県、岩手県大槌町、宮古市(旧田老町)が舞台となっている。それぞれの地に、それぞれの考え方がある。未来のために何が最善なのか、多くの方々と向き合って直球勝負していくしかないと、強く思った。

2013年7月28日日曜日

#184 是か非か

「水上さん!」
誰かから呼ばれ、はっと目が覚める。しかし、周りには誰もいないうえ、時間は5時前。夢なのか幻なのか...しかし、体はめっきり冷え切っており、慌てて上着を着る。
目覚ましをセットするものの全く気づくことなく、起床したら8時を過ぎていた。大槌に9時半到着を考えると、すぐに出発しなければならない。若干うだうだするものの、意を決して出発する。

「おおつちありがとうロックフェスティバル」会場に到着したころには、あたりに聞き覚えのある曲が流れており、会場へダッシュすることに。今日は微かに雨が降っている程度で、暑くなく、日差しもなく絶好のコンディションである。
昨日中止となってしまったLAWBLOWのライブが、朝一振り替えで行われた。4月以来だが、やはり生はいい。
20分の短いセッションが終了し、友人へのCDなどを買い求める。
そして、会場でA氏と再会する。今日ここに来ることを伝えていなかったが、お会いできてよかった。
A氏は、「津浪と村」を執筆した山口弥一郎とオーバーラップする。21世紀の弥一郎なんだと、心の中で思う。

ハンバーガーで少しお腹を満たし、来た道を戻ることに。途中45号線を左折し、前から行きたかった、釜石市唐丹本郷を通る。
明治と昭和の津波記念碑
子どもたちのメッセージが刻まれた今次津波の記念碑
湾口に設置されている防潮堤
奥は昭和の津波以降に高台移転した集落
明治、昭和と二度完全に集落を破壊され、その都度高所移転を行った。そして、また低地に住居を構えてしまい、今回の津波でも、過去の浸水域に建設された住居は被災した。湾口の防潮堤が低地への居住を勧めてしまったのであれば、少し気が重い。

さらに奥へと進み、花露辺(けろべ)へ。狭い谷間に気付かれた集落は、防潮堤を構築せず、高く盛土を行った道路整備と、極めて高所への移転という選択を行った。
湾奥に位置する集落
密集する集落は、尾鷲市の早田(はいだ)を彷彿させる
災害公営住宅建設中
移転予定地
唐丹には、2011年7月に訪問時に津波注意報が発表され、一時避難した公民館がある。他にもまだ調べてみたい場所があるので、改めて訪問することに。しかし、出歩いてばかりなので、もう少し文献を読み解く時間を設けないと...

途中「夏虫のお湯っこ」で汗を流し、吉野町公民館へ。このころには久しぶりの太陽を拝むことができた。
今日は大船渡ポートサイドマラソンが開催されており、GWにも顔を出してくれたO先輩もやってきている。久しぶりの夏らしい天気のなか、BBQに興じる。
大船渡、浜松、相模原、板橋、そして三重
O先輩から「一ノ関駅まで送ってもらえたりする?」と問いかけがあったので、二つ返事でOKをする。大船渡からBRTと大船渡線でいくと約3時間。車ならおよそ1時間半で到着する。
途中、金曜の大雨で流出した土砂が堆積していたり、倒壊家屋があったり。濁流の流れる河畔もいつもと様子が違う感がする。

一ノ関駅でO先輩をおろし、いつものように284号線で気仙沼に入る。市内では、まだ水が浸かっているところがあった。
ベースキャンプの駐車場も、明らかに浸水した様相を示していた。駐輪場で2号機、3号機の無事を確認。浸水深は10cm程度のようだった。
ごみが付着...
慌しく、気仙沼の母の元へ髪を切ってもらいに行く。ここもかろうじて浸水を逃れていた。話はやはり浸水になり、市街地の盛土はどういう事業で行っているかなどを、知っている範囲で説明する。
ベースキャンプ一帯の地区は、都市機能が集中している。そのため、ここからどこかへ移転すると都市の機能が失われてしまうことになる。嵩上げも困難となると、護岸の整備と完璧な避難が命を守るための手段となる。

そして、乾かない洗濯物を乾かしにコインランドリーへ。乾燥機は大渋滞していた。
夕飯はいろいろ面倒になり、吉牛に行ってしまう。店内では、大船渡市役所派遣時に仕事でお付き合いのあった、見覚えのある方が座っていた。しかし、相手は私が気仙沼に住んでいることを知らない。相手もこちらをうすうす気づいてはいたものの、声を掛けられるような雰囲気ではなかった。

2013年7月27日土曜日

#183 街を創る

雨の上がった大船渡で朝を迎える。身支度を整え、O氏にお礼を告げて出発する。

この駄文を読み込んでくださり、先日お手紙をいただいた在京民放のA氏と、釜石駅での合流を予定している。しかし、釜石線が遠野~釜石で不通となっており、予定を変更して遠野で待ち合わせとする。

ひとまず、107号線を住田へと向かう。昨晩通行止めとなっていた白石トンネル付近では、片側交互通行となっているものの、走行に支障はなかった。必死の努力をしてくださった方々に感謝したい。
気仙川は増水しているものの、避難勧告の発表されていた世田米川向地区も、ぱっと見た感じでは何事もなかったような感じだ。大船渡市役所派遣時代のベースキャンプ、グリーンベル高勘前の横澤儀商店でガソリンを入れる。気仙沼よりお値打ちなのが悔しい。途中分岐し、遠野方面へと向かうが、水沢方面は通行止となっている。
住田の松日橋は、やはり流されてしまったのだろうか...
時間的余裕も少しあったので、遠野で温泉に入ることに。以前はスルーしてしまったが、場所がいいので寄ってみる。踊鹿(おどろか)温泉「天乃湯」へ。
木曽岬温泉を思い出させる、懐かしい感じの場所。天然ラドン温泉とのことで、昼からそこそこ来客がある。退廃的な空間に、ごろ寝の欲求が出てきてしまう。

そして遠野駅へ。外から見るのは12年ぶり。
駅舎の中に入ると、発車案内は消えており、ホワイトボードに情報が書き込まれていた。
上げ底をしようと、ピーナッツ入りの南部せんべいを買い求めるが、あと3分ほどでバスが到着するとアナウンスがあった。快速はまゆりとほぼ同じ時間。存外バスも速いというか、列車が遅いというべきか...

無事A氏と合流し、ひとまず駅前の食事処のんのんで昼ごはんとする。そばと悩んだ結果、A氏と同じ「ひっつみ」を食べることに。
遠野のひっつみは初めて
一路、釜石へ向かう。快適な仙人峠道路は、震災後に遠野が後方支援基地になりえた一つの要素と感じる。釜石駅前でA氏がレンタカーを借り受け、2台で大槌へと向かう。
釜石の街並みは少しずつ変化しているように思うが、途中の鵜住居は以前とあまり変化を感じなかった。

大槌の街に入り、ひとまず旧町役場へ向かう。秋田の大工さんが製作した献花台が設置されている。幾度かこの付近を通っているが、来るたびに周辺の様相は変わっているが、この建物は2年前と変わりはない。
いつ来ても切ない
2011年7月
海辺に作られた、「おおつちありがとうロックフェスティバル」の会場を一旦通り過ぎ、赤浜の集落へ。ここは住民の総意により、防潮堤は現況復旧とし、15m程度の盛土による地盤の嵩上げと高台移転の組み合わせで新たな街づくりを行う。浸水区域のうち、災害危険区域に指定された場所は公園として生まれ変わる。
パノラマ
嵩上げ予定の道路

釜石市の遊覧船「はまゆり」が乗ってしまった民宿
まちづくり懇談会の資料がカバンから出てきた。さすがA氏!
体育館の窓に表示された地盤高さの表示
防潮堤を作らない集落というと、その言葉だけが独り歩きしてしまいがちだが、実はTP+6.4mの防潮堤の再整備と、かなりの高さの盛土というパッケージになっている。

A氏が懇意にされているという、近隣の岡本酒店の店主に話を伺うことが出来た。
今回の街づくりにおいて、将来に渡って安全な街を作っておき、これからも人に住み続けてほしいということ、また、漁師さんが海をみたいという希望を叶えたいということに重点が置かれたとのことだった。そういった想いを具体化した計画が出来上がった。

大槌は地区ごとで街づくりの考え方が異なっており、中心部の町方などではTP+14.5mの防潮堤と2m程度の嵩上げの組み合わせとなっている。様々な議論の中で、そこに住む人たちにマッチした案が選択されているのだと思う。
蓬莱山→
大槌漁協の建物 3Fのガラスも破損している
引き続き、「ありフェス」会場へ向かうも、凄まじい豪雨に見舞われ、クルマから降りることが出来ない。
20分ほど待って会場入りする。LAWBLOWのお二方にお会いするも、なんと豪雨で中止!
そんな嘆いている自分と、記念撮影をしてくださった。
ONE☆STAR ハナさん STOCK 自分 $-LD
A氏のご厚意により、引き続き山田町へ向かうことに。役場の目前に、悪い意味で話題となった「御蔵(おぐら)の湯」があり、前でクルマを止める。この建物を見せようとされているのかな?と思ったが、実は入浴施設は関係なく、この高台に意味があった。
今回の津波でも、この高台に登って助かった人が多数みえる。過去には山田町役場もおかれていた「御蔵山」と呼ばれるこの高台、人工の盛土か、天然の丘なのかよくわからないが、周辺の平らな状況から人工物の可能性もありそうな感じがする。
1648年には存在していた御蔵山、もし人工物だったとすると、慶長の三陸地震で被害を受けたこの地で、コメは流されない高い所に保管すると考えた結果、生み出されたものと想像すると興味深い。
陸中山田駅に設置されていた時計
鎮魂と希望の鐘
大槌に引換し、ショッピングセンターのマストへ立ち寄る。建物内には「大槌町復興まちづくり情報プラザ」と呼ばれる一角があり、まちづくり懇談会の資料やイメージパース、模型などが置かれており、いつでも情報が入手できるようになっている。
大槌町の発行する資料は、どれも分かりやすく充実している。過去の分や他の地域分も容易に入手できるのは、大変優れた取組だと思う。
書店で、A氏が推す臼澤みさきのCDをプレゼントしていただいた。
最初に東日本大震災の被災地を案内してくださったのはA氏、また今回もこうやってさまざまな情報や知識を分けていただいた。先週のN先輩と言い、自分では集めきれない知識や情報をもたらしてもらえるのは、何物にも代えがたい幸せである。

そして大船渡へ戻り、七夕まつりの準備。SGのメンバーだけでなく、SGのOBやAllHandsVolunteerに関わっていた方など、たくさんの来訪者があった。
作業終了後、夜のBBQへ。しかし、残念ながら豪雨に見舞われ強制終了となってしまった...

2013年7月26日金曜日

#182 未曾有の豪雨

朝から微妙な天気。雨が強くなるかもしれないが、時間が迫っているので2号機で出勤する。

朝一、コンクリートの圧縮試験に立ち会ってほしいと連絡があり、何も考えず14時からと予定していたら、T班長から「今日ミーティングがあるんで...」と一言。慌てて予定の見直しを行う。
自分の思惑通りに仕事がはかどらず、いつの間にやら昼になってしまった。
雨の非ライブカメラ
午後一で班のミーティングを行う。スケジュールや進捗などなど...最初のころに比べると、ミーティングも活気づいてきたように感じる。
そして、圧縮試験へと志津川に向かう。途中、雨脚が強くなってくる。地盤沈下と排水路の破壊で、容易に浸水してしまう。特に志津川は要注意である。

試験終了後、南三陸町役場に寄り、戸倉の工事に関する相談を行う。あいにくS課長補佐は不在だったが、最近よくお世話になっているS上席技術主幹と話をする。すると、より事情に詳しいT技師を紹介してくださった。電話だと1対1のコミュニケーションになってしまうが、相手方に訪問すると、思わぬルートからヒントが芽生えてくる。

帰庁後、いくつか事務処理を行い、雨脚が強くなる前に帰宅する。
こたつ布団をクリーニングに出したり、野暮用を済ませてから大船渡へ向かう。しかし、市内から既に豪雨に見舞われ、走行が危険なくらいの状態になる。状況は陸前高田、大船渡と変わらなかった。途中冠水していなかったことが救いだった。

大船渡農林センターのO氏宅で、月例となりつつある「あり方検討会」(勝手に『あり研』と呼んでるが...)に参加する。前回も参加のH技師、新メンバーのS技師、Mさんと懇親となる。しかし、なんとなく豪雨が気になり、また参加メンバーの端末でエリアメールを頻繁に受信するので気が気でない。

そんな矢先、気仙沼市内に避難勧告が発表された。ベースキャンプも該当している。ひとまず居そうなW技師、T氏に連絡を取る。W技師はいつもと変わらず冷静沈着、T氏は「わ~!流される~w」と..そして、駐車場が冠水しているとの情報がもたらされる。万が一の場合は、1階に住むW技師には、2階のT氏宅へ避難するよう伝える。

何名かから、安否を確認する連絡をいただく。こういうときは「安」の情報も流さないとと思い、FBに近況を上げておく。
ツイッターやテレビのニュースから、気仙沼や気仙地方、一関などの情報が流れてくる。しかし、テレビのニュースでは岩手の情報が当然主体となるので、宮城の情報がつかめずもどかしい。

アメダス気仙沼のデータを見ると、時間雨量80mm超えている。三重県南部ではスルー出来てしまう雨量でも、雨の少ない地方では災害になってしまう。2000年の東海豪雨の際も、名古屋よりはるかに雨量が多かった尾鷲で、自分は普段通りの生活をしていたことを思い出した。

豪雨のピークも過ぎ、宴も散会となる。何も起こっていないことを祈ろう。

2013年7月25日木曜日

#181 collaboration

今日は朝から雨。再生ごみを袋に詰めて、ごみステーションに。ほっておくと結構たまってしまうものだ。徒歩で職場へと向かう。

新しいメガネをかけて出勤したものの、誰も気づくことがない。全体のフォルムもレンズの形も前と同じ、違うのはツルのデザインだけ。むしろ、それで気づかれたらよほどの水上ファン...

朝一、歌津の現場代理人S氏から連絡があり、型枠の検査をしてほしいと依頼だった。合わせて測量業務進行中の現場もI主事に覚えておいてもらいたいので、同行してもらうことに。すると、H技査から昨年度完成した本吉の現場を現状を確認してきてほしいとの依頼もあり、雨が降ったりやんだりする微妙な天気の中、出発する。

特に何の問題もなく検査を終え、チーム白老の最近の動向などを伺う。自分は寒さに打ちひしがれていると言うと、チーム白老は暑さに参っているとのこと。北海道は本当に涼しいんだな…
そして、近接する測量業務の現場へ。図面しか見ていないと、細かな起伏や微地形を把握しづらい。構造物の出来上がりをイメージしながら、細かな打合せを行う。

引き続き、南三陸町役場へ。建設課でI主事を紹介がてら、軽く打合せを行う。ここのS上席技術主幹とT上席主幹とは、それぞれが持っている情報をうまく共有できている気がする。また、I主事もこれから業務的に密接な関係を持つことになるため、いい機会になった。
合わせて、企画課で鹿児島から派遣されているN氏と、29日の説明会について調整。
企画課に展示してある志津川駅の模型
今日打合せを行ったメンバーに、南三陸町のプロパーの職員はいない。東日本大震災がなかったら考えられない組み合わせは、望まれた状況ではないが、望まれている状況。震災時の残酷な出来事は、今も、そしてこれからも辛い。しかし、こういったクロスオーバーな状況から、なにか新しいものが生まれるのかもしれない。

そして、本吉の現場へ。一度行ったことがあるが、なんとか迷わずに到着する。ここは植生マットが施工されており、自然に飛来する種子を補足する待受け型。期待以上に種子が捕捉され、良好に緑化している感じだった。
一旦帰庁し慌しく準備を済ませ、説明会のため南三陸町の志津川自然の家という県の施設へと向かう。今回は国道の改良がメインで、水産漁港部と自分の防潮堤の説明も合わせて行うことになる。

15時からの開始にも関わらず、会場にはたくさんの来場者が訪れてくださった。持ち時間はわずかだったものの、設計にあたって知りたかった、周辺施設利用者のご意見を聞くことができ、実りのあるものだった。また、関心の高い道路に関する内容だったため、質疑応答に時間が十分に割かれた。しかし、土木部次長のスティーブ・バルマーばり(は言い過ぎかもしれないが...)のパフォーマンスは見習うべきところがある。
自然の家から施工現場を眺める
業務終了後、モスバーガーで上げ底し、大船渡へ。今日も七夕の準備を手伝うことに。出発が遅かったので到着は20時半ころになった。東浦町のT氏、そしてニューカマーの熱海市のK氏が作業に勤しんでいる。
墨入れ
作業終了後、「ねまる」ことに。去年の安城でお会いして以来のお米屋さんのO氏は、自分のことを覚えていてくれた。秋にさんまを送ってくださった方だった。
岩手では、派遣職員対象のメンタルケアの研修会があることを知った。大槌町の悲劇を繰り返さないための取組である。

明後日に再度手伝いに来ることを告げ、帰路に就く。霧に包まれた道を、ゆっくりと走った。