2013年7月19日金曜日

#175 守りきること

昨日の雨は上がったが、すっきり晴れとはいかず、梅雨らしい曇り空に覆われている。そして、相変わらずの冷涼さ。今日も上着を羽織る。
火曜と金曜は燃えるごみの日なので、ごみステーションに出してからいざ出勤、と思ったら、スマホを忘れた・・・ギリギリの出勤となってしまった。

来週の説明会に向けて資料作成を行っていると、水産漁港部と南三陸町戸倉での工事について打ち合わせとなる。メインテーマは別の手続きだが、自分の担当箇所と隣接しているので、スケジュールや工事の段取りなど少し聞き取る。
以前パトロールで顔を合わせた人なので、話もスムースに進む。面識のある方とだと、無駄な前ふりとか不要になり、それだけで仕事が8割方終わったように思う。いろいろな部署の人たちと距離を縮めておくのは大切だと、改めて感じる。

続いて、南三陸町議の方と打合せになる。担当する現場近くの漁師さんたちの想いを伝えてくださった。非常に前向きに話が進み、強力な応援団現る、と強く感じ、内心うれしくなった。
非ライブカメラ
町議氏より、再来週に南三陸町歌津で住民説明会が開催されるという情報がもたらされたので、役場に確認をする。最近週1ペースで住民説明会がスケジュールされるが、こちらの計画を伝えることの出来るチャンスなので、予定を変更してでも優先的に対応する。

三重の防災部局にいるO先輩から、昭和三陸地震津波の後に発行された、内務大臣官房都市計画課発行『三陸津浪に因る被害町村の復興計画報告』を探していると言われていたことを思い出した。少し検索したところ、原本をスキャンしたものが公開されているサイトを見つけた。
自分も、空中写真を使った都市計画の資料が載っていると聞いていたので、気にはなっていた。

この地方は、明治以降、明治三陸地震津波、昭和三陸地震津波、1960年のチリ地震津波、今回の東日本大震災と100年余りで4回の壊滅的ダメージを与える津波が襲っており、その度に新しい街づくりが行われている。

気仙沼市内では、階上や大谷において、明治三陸地震津波以降に新たな街区が設けられた。これらは今回の津波で浸水したものの、家屋の流出といった状況にはなっていない。しかし、過去の浸水域に無防備に建設された家屋は、残念ながら跡形もなくなってしまった。
昭和の津波以降、現代でいうところの災害危険区域が設定されたが、いつの間にかうやむやになってしまった。一説では、新憲法の交付で無効になったとか...
言い伝えや教え、決められたルールを守るかどうかは、個人に委ねられている。鉄の掟を守り抜いて、被害を最小限に食い止めた集落が存在する一方、そうでなかったところも存在する...

業務終了後、モバイルsuicaが使えなくなってしまったスマホの修理に行く。とりあえず、アプリの再インストールを案内されるも、結果は変わらず。初期化をして試してほしいと告げられる。いくつかのやりとりの中で、キャリアの現実がわかったような気がした。

そして、まるきでつけめんを食べ、帰宅。部屋掃除をして、AndroidSDKをインストールして...
久々にゆっくりした金曜の夜を迎えている。