2013年5月31日金曜日

#126 自分たちのペース

初夏、といった雰囲気の明るい朝を迎えた。遠方へ出張するため、1時間早く出勤する。昨日遅かったので若干辛くもあるが、自業自得。若さ(?)で乗り切る。

鍵を受け取ろうと守衛室に立ち寄ると、既に誰かが来ている。A総括が既に出勤されていた。今の所属では、農林振興部長の次のポストに座られる方だが、宮城のルールとはいえ、かなりの雑務も引き受けてくださっている。寡黙の中に芯の太さを感じる頼もしい上司である。

そういえば、昨日T班長が「一人で遠くへ行かせるのは申し訳ない。誰か一緒に行ければいいんだけど...」と仰っていた。自分は「もう大人だから大丈夫!」などとおどけて見せたが、受け入れる側からすれば、大切な職員をお預かりしている、と思われているのだと感じた。

ラベンダー色が目にまぶしいカローラ・フィールダーで一路東松島市へと出発する。類似の車両が複数あり、登録年次とナンバープレートの番号が一致しないことから、トヨタ自動車から寄贈をうけた車両だと思われる。トヨタ自動車の皆様に感謝いたしたい。

窓を開けて走ると、爽やかな風が吹き込んでくる。本吉から内陸に入り、登米東和ICから三陸道にのる。ここから鳴瀬奥松島ICまで無料区間となっていることから、多数の10tダンプが資材を満載して走っている。ダンプはこの道路にふさわしい速度での走行が困難なため、車間距離が詰まり数珠つなぎとなる。
この道路のおかげで、不足する資材を若干遠い場所から運搬することが可能となった。反面、都市間を移動する利用者にとっては、高速道路としてのメリットが大幅に減じられてしまっている。石巻に近づいてくるとその状況が顕著になり、渋滞直前のような状態になる。一部4車線化工事も行われてはいるが、当面はこの状況を理解するしかない。

石巻港ICで降り、目的地である矢本海浜公園へ。沿岸部に近づくと徐々に工事現場さながらの状況になる。工事用道路と勘違いして曲がり損ねた道が、実は行きたかった道。カーナビに救われる。
北上運河沿いに走ると、やたら広大な土地が現れる。矢本海浜公園だが、現在は営業を停止しており、工事のストックヤードや土の仮置場となっている。
目的地は目印も特になく、付近の駐車場で行き先を同じくする感じのクルマを見つけ、ホッとする。

震災後の防災林造成にあたって、理想的な種苗の選択、植栽環境の整備を図るために、800m2ほどの試験区を設けて調査が行われている。今回は植栽木の生長量調査が行われるため、その見学にやってきた。
試験区の整備は、宮城県林業公社を事務局とする「海岸防災林の再生を考える会」が行っており、会員には林業関係団体のほか、緑化資材を取り扱うメーカーなども参加している。
全景
試験区は大きく2つに分かれ、一つは緑化資材の定着状況の検証、もう一つは苗の種類、植栽間隔、防風垣の有無を検証するものである。
植栽されている樹種はクロマツが主体で、一部に広葉樹(コナラなど)がある。どの試験区でも明確な差は見受けられないように感じた。そうなると、あとは施工コストと手間が勝負になるのか...
一部、枯死したと思われる苗を見かけた。参加者の話では、試験区の前面に工事用仮設道が設けられているため、走行する車両によって巻き上げられるチリによって窒息したのでは?とのことだった。
試験区周辺は大曲浜と呼ばれるところで、背後には航空自衛隊松島基地が控えている、震災前は松林があったが、現在では一部を残すだけとなっている。
参加者の一人、県庁治山班のS主任主査に諸々お礼を述べてかつ少しこの場所について話を伺う。海岸線に沿っておよそ5kmの防潮堤が整備されており、直立堤、土堤、人工砂丘などが存在していたが、今後はかさ上げと同時に統一される予定。
試験地の脇にあるマツ林では、新たなマツが生えてきている。しかし、直根の成長を考慮すると、盛り土ののち、植林という流れになってしまうかも…
残ったマツ、倒れたマツ
調査終了後、防潮堤の状況を確認する。試験区周辺の直立堤も被災していないが、西側にある土堤もぱっと見た限り健全な状態だった。
また、突堤のコンクリートブロックも健全な状態を保っている。昨今、いわゆる生コンの需給がひっ迫しているため、こういった2次製品の活用が積極的に行われることになる。
海岸には様々な物が打ち上げられていた。
明らかに住宅用と思われる木材
玉切られた丸太も見られる
そして、海浜公園周辺...
変形した遊具が切ない
集められる被災木
石巻港ICへ向かう途中、河川堤防の施工予定高さを表示する丁張と、事業説明看板を見かけた。こういった分かりやすい事業説明、とても重要である。
三陸道の河北ICで降り、遅めの昼食をとるため、道の駅上品(じょうぼん)の郷へ。木造の巨大な構造物が興味深い。
ざるうどんを食べ、喫煙していると僧侶風の方から声を掛けられた。京都から来られ、宮古から8日かけて「上って」きたとのこと。三重出身と伝えると、この方も津生まれとのこと。それだけで親近感が湧くから不思議だ。

三陸道に戻らず45号線を北上する。交通量も少なく信号もほとんどないので走りやすい。むしろこちらのほうが時間短縮になりそうな...

南三陸町歌津の現場状況を確認し、現場事務所で少し打合せ。進捗は極めて順調だが、こちら側の課題を少し伝える。ハイパー代理人S氏に迷惑をかけてはいけないので、打開策を考えないと...

合庁に戻り、課題解決についてH技査とすこしディスカッションする。代えられること、代えられないこと、異なるアプローチなどなど...話をしている途中で気付いたのだが、どうも班内で情報共有がうまくいっていないことが分かった。

業務終了後、歯医者と床屋のダブルヘッダーを決める。Jr先生から「どんなクルマが好きなんですか?」と聞かれ、「速いセダンが...」と答える。自分のライフスタイルを考えると、フォレスターなどのクロスオーバーが向いていると思うのだが、やはりメカ的に特徴のあるクルマが好きだ。本当はM3のセダンが欲しいんだけど...MT命、アルファのブレラにも乗っていたJr先生とはいつもクルマの話で盛り上がる。

そして、コマツの母の元へ。「なんでそんなに人がいるのかねぇ?」という母ならではの直球な質問に、業務の内容や組織、事業者と行政との役割分担など説明する。そして、外食禁止と諌められ...
こちらの都合で母に残業を強いてしまったことを反省し。
夕食は久々のこけしへ。ようやく中華丼を食べることができた。

帰宅後、洗濯などをしながらNHKスペシャル、「"応援職員"被災地を走る~岩手県大槌町~」を視聴する。埼玉から派遣された、土地区画整理事業に携わる職員の奮闘をまとめたものだ。

2ヶ月経った今、主人公の活躍を目の当たりにすると、今の自分は残念ながら足元にも及ばない。また、色々前に進めようと、強引に三重流を持ち込むと、組織が修復できないレベルまで危険な状況に陥ってしまうかもしれない。まだ円滑とはいいにくいコミュニケーションも、時間以外に解決することが出来ない。
テレビで伝えらえるような状況とは程遠い今の状況。しかし、それぞれの事情がある。これからも、宮城的なペースで前に進んでいこう。

2013年5月30日木曜日

#125 come back to SUMITA

昨日に引き続き、若干イマイチな天気。仙台では観測史上まれにみる少雨だそうだが、気仙沼も平年値の半分ほどである。朝食を摂りながら、三陸新報に目を通す。

2面に「論説」というコーナーがあり、「三陸復興国立公園と巨大堤防」という穏やかでないタイトルの文章が掲載されていた。記事の9割が国立公園、8分が神戸のこと、そして末尾の数行に防潮堤に関する疑念が記載されている。印象操作なのかどうか理解できないが、少し残念な気持ちになった。
メディアを通じて提供される情報は、時として一面的であったり、非常に狭い領域の事象を全体のように伝えている時がある。市民の方々にとって、公平かつ適切な判断をしていただくための情報提供を、行政機関も積極的に行わなければならないと強く思った。

午前、来月より加わる新メンバーのために準備をする。机を動かすと、三重にいたときはゾッとするような状況だったが、ここではそんなことはない。毎週お掃除タイムがあるからだろうか...

そして、ある事業について少しディスカッション。Aを行うためにBと調整する必要があるが、Bと調整する前にあるパラメータが決定されるのを待つ必要があり、Cとの調整は、Bの事業内容によっては不要になる可能性もあり、説明会によっては、AではなくA’になるかもしれないし...あぁ、縺れた紐を解きほぐすような感じ...
非ライブカメラ 今日はしっとり...
午後、担当事業のゴーサインが出たので、速やかに実行に移せるよう、書類を準備する。なんとなく、また一歩前に進んだと思い、少しうれしくなる。
夕方、明日の出張に備え,、ナビつきのクルマを総務から借りてきたと話をしたところ、自分の所属にもポータブルナビがあるという話になった。そして、その後ある事実が発覚し、ナビ祭りになってしまった...ああ、自分のせいだ...

気仙沼には何度か訪問したことがあるものの、土地勘は無いに等しい。応援職員だけでなく、異動してきた職員にもナビはあって損はない。自家用車にもナビつきが常識となっている世の中、仕事で使う公用車には、むしろ必須だと思う。ナビはもはや贅沢で特別なオプションではない。

ベースキャンプに戻り、お招きいただいたSUMITAチェーンソーアート杣遊会の総会に参加すべく、思い出の地、住田に向けて出発。45号、340号を通り、なんとか19時直前に会場へ到着する。
会場の松崎屋には既にメンバーが集合しており、なぜかCATVのクルーまで!

総会では、会長の「全国区の杣遊会!」という力強い挨拶に始まり、24年度事業、25年度の事業計画の説明、決算報告があった。昨年度は超ビッグイベント「MONSTER CUP」を成功裏に成し遂げた杣遊会だが、今年度もアグレッシブな活動が予定されている。10月のイベントに向けて、来客と行われる土曜日の打合せ、なぜか私も招いていただけることに...

総会も満場一致で終了し、懇親会となる。地元の事業体で働くYさんから、地域の事情などを伺い、町会議員のM先生から、この地方が誘致に取り組んでいるILC(国際リニアコライダー)の話を聞かせていただく。ILCに寄せる期待は大きく、復興後のこの地域のためにぜひ必要とのこと。九州との誘致合戦、ぜひ東北にと強く思う。

2次会は、昭和橋のたもとにある「ニュー川端」という店へ。住田に住んでいた頃から存在は気になっていたが、ついぞ入ることのなかったこの店。願いが叶った...が、ノンアルコールなのが辛い。
アンティークな店内で、歓談を楽しむことに。20代の若手メンバーが、5・60代の年長者を敬う姿勢に感心する。さすが東北、さすが気仙。

日が変わってお開きになり、クルマを取りに昭和橋を渡る。気仙川の流れる音、空気感、母の実家を思い出すこの雰囲気、本当に心が安らぐ。

雨の上がった340号線を家路へと急いだ。

2013年5月29日水曜日

#124 積み重ね

外は小雨が降っていて肌寒い。今日は一日天気が悪い予報なので、上着を一枚羽織って徒歩で出勤する。今日は出張しているメンバーも多く、職場は少し閑散としている。

次のステップに備えて、防潮堤に関する技術基準などを紐解く。三重にいたときは、治山の技術基準もさることながら、豊富なノウハウを持つ経験者にかなり助けられた。しかし、県内でも完成した防潮堤はほとんどなく、ノウハウを蓄えている最中なので、現時点ではドキュメントが拠り所となる。また、そのドキュメントも日々刻々と加筆されていく。

宮城県では、北から南まで、海岸にL1(数十~100年に1回程度)対応の防潮堤を築き、県土を守ろうと計画している。そして、1000年に1回という頻度の地震では、ハードとソフトの両面で対抗しようとしている。
L1津波対応の防潮堤と言っても、そこに目新しいテクノロジーが投入されているわけではない。今までの技術を活用し、さらに今回の震災で得られた教訓や、研究機関による試験の成果を反映し、「粘り強い」構造物として構築する。

震災の教訓を反映した結果として、河口に水門を原則設けないというルールがある。震災当日は10数基ある全ての水門の閉鎖に成功したが、その後破壊されたことによって開門が困難となり、復旧に時間を要したからだ。
非ライブカメラ 寒い... しかし鉄人W班長は半袖
新しいルールが作られるということは、新たに質問が生まれるということである。施設整備の根幹にかかわる部分にあたるので、質問のボリュームも強大である。未知の単語も続出するため、都度調べないと...

業務終了後、心臓破りの坂を下る。草むらからムッと初夏の匂いが漂ってきた。気温は低くても、夏が近づいている感じがする。

通勤経路に、いつも気になっている橋がある。なぜかここだけ、周りと比べて盛り上がっている。徒歩で通勤していたので、欄干の銘盤に「昭和43年」と書かれているのを見つけることができた。
橋の周辺が地盤沈下したわけではなく、意図的に橋を高く作ったような感じだ。もしかしたら、堤防のかさ上げを想定して、事前に橋を高く設計したのかも…堤防が完成していれば、この周辺の浸水は多少軽減されたのだろうか。

夕食は、ちょっとおなかの調子もよくなってきたので、中華飯を食べようとこけしに向かったら、残念なことに休み。バックアップのエスポワールでハンバーググラタンを。
底にスパゲティ入ってます
昨日、南海トラフ巨大地震対策検討WGの最終報告が発表された。今回検討された地震は、発生頻度は限りなく低いと考えられているが、0ではない。もしかしたら、次に三重を襲う地震はこの最大級のものになるかもしれない。
今、三重では、様々な分野の方々が、様々な領域で、ソフト・ハード両面の対策を進めている。対策は積み重ねでゴールはないが、巨大地震を迎え撃つころには、出来ることを出来る限りやっておいて、後悔することのない状態で臨みたいと思う。

2013年5月28日火曜日

#123 不完全燃焼

昨日より体調は良くなったものの、蕁麻疹が出っ放しのやや辛い状況。なんとなく怠さが残っているものの熱はないので、いつものように出勤する。しかし、心臓破りの坂が辛い...

若干ヘロヘロするものの、書類整理や報告書の作成などに勤しむ。同僚が心配してくれるのが嬉しい限り。少しやせたのでは?と聞かれるが、多分気のせいかと。事実、顔が少しむくんでいる。
このヘロヘロは脱水症状なのか?と思い、アクエリアスで水分補給する。

以前大船渡に赴任した時も、2か月直前に風邪でダウンしかけた。今回も2ヶ月直前。この時期は鬼門である。油断してしまうからなのか、はたまた別の理由なのか...
昼食のお弁当も箸が進まず、半分残してしまった。
非ライブカメラ
午後は民直事業の打合せのため、宮城北部森林管理署と東北森林管理局、仙台森林管理署の方々が来庁される。通常、国の出先機関はそのほとんどが仙台にあるのだが、東北森林管理局は秋田にあり、しかも以前は青森にあったそう。青森ヒバ、秋田スギ...著名な産地の近くにあると思うと納得...

業務終了後、コンビニのATMで振込を済ませる。気仙沼に居ながらも、百五銀行同士なので手数料無料。本当に便利な世の中になったものだ。
晩御飯は、レトルトのおかゆと野菜スープ、ヨーグルトを食べる。ちょっと外食する気にはなれず、行きたかったイベントも参加を見合わせてしまった。

東海地方は今日から梅雨入り。3号機もまともに走らせられずに東北も梅雨入りという不完全燃焼は避けたい・・・

2013年5月27日月曜日

#122 more power

体調は万全ではなく、37.5℃の熱で全身倦怠感が...しかし、現場確認の約束があるため、なんとか出勤する。朝食も食べる気が失せている。

風邪ではないと思うものの、念のためマスクをつけて出勤する。会う人会う人に声を掛けられてしまう...ミッションを成し遂げるために、歌津の現場に向かう。海には濃霧が立ち込めているが、気温は低くならないので少しホッとする。

現場での確認作業を終え、合庁へと戻るが、若干ヘロヘロしてしまう。このままでは業務もはかどらないし、最悪同僚に迷惑をかけてしまうため、早退して病院に。
ベースキャンプにほど近い内科に向かい、診療を受けることに。検尿、採血、食中毒の検査などなど…最後は点滴を受けることになり、14時過ぎまで病院に滞在することになった。

コンビニで必要なものを買い込み、ベースキャンプへ。入っていた自分スイッチが切れて、何もする気が起こらなくなるが、なんとかレトルトのおかゆを食べて、薬を飲む。

ちょっと横になったりしていると、かなり楽になってきた。ただ、晩御飯として食べようしたパスタは残してしまったが...

このまま、なんとか明日は元気に出勤したいところである。
今日届いた「ケセン語の世界」。プレミアム価格...

2013年5月26日日曜日

#121 機能停止

38℃を超える高熱と極度の下痢で、本日は機能停止...

2013年5月25日土曜日

#120 次世代へ

今日はあるミッションを成し遂げるため、7時に起床しようとするも、あえなく失敗。いつもと同じ時間に起きて、いつもと同じ時間に出発する。

ひとまず、行きつけのコイン洗車でクルマを洗い、図書館で本を返却し、上り方向に出発する。三重県の北部にいると、「上り」といえば北向きに進むという頭があるが、宮城での上りは南向きとなる。

Lady Gagaの音楽を聴きながら、45号線、三陸道と乗り継ぎ、多賀城市にある県立の東北歴史博物館へ。今日の目的は、ガガ様(Lady Gaga)のサインが入ったティーカップを見ることが目的である。
せっかくなので、鳥瞰図を得意とする絵師、吉田初三郎の特別展「美しき東北の街並みを観覧することに。
入場券を買い求めて中に入るも、チェックポイントをスルーしてしまい、係員の方に追いかけられるも、無事に前に進むことが出来た。
まずは、ガガ様のティーカップを。
宝石級の扱い
チャリティー・オークションによって、宮城県の歯科医師に落札されたこのティーカップ、震災の記憶を忘れてほしくないというたっての希望で、逝去される直前に宮城県へ寄付された。
引き続き、「美しき東北の街並み」展へ。吉田初三郎によって描かれた、美しい色彩の観光パンフレットなどが多数展示されている。テーマは東北なので、東北6県の作品がフィーチャーされているが、最大の興味は「観光の桑名 桑名市役所」と書かれたポスター。昭和13年の作品だが、非常に思い入れのある街なので、食い入るように眺めてしまった。
会場では撮影禁止のため、図録から
常設展示では、宮城の歴史を知ることの出来る展示内容となっている。特に、勝手に宮城県歴史3代イベントと位置付けている、大和朝廷との攻防、奥州藤原氏、伊達藩政をよく理解することのできる内容である。

残念ながら時間切れとなってしまい、ミュージアムショップで図録と、「日高見の時代-古代東北のエミシたち-」、「解き明かされる日本最古の歴史津波」という本を買い求める。そして、地震除けに効果を発揮しそうな、多賀城土人形を...
ネコがナマズを抑え込んでいる
既に予定出発時間を30分も超過してしまったため、昼食をとる時間もなく、県庁へ。13時から始まる津波防災シンポジウムに5分遅刻して滑り込む。
会場はほぼ満席
片田先生の基調講演で、特に印象に残った部分を...

・釜石の奇跡として、当日の出来事だけクローズアップされるのは不本意。先人の残してくれた津波記念碑の手入れをする、生徒たちの日々の努力にもスポットライトを当ててほしい。
・しかし、もうこれ以上石碑を作りたくない。
・海に近いところに住むための「お作法」がある。多大な自然の恵みを得られる反面、時に甚大な災害に見舞われるときがある。その時は確実に逃げられるように、そういった作法を身に付けなければならない。
・口伝えによる伝承には限界がある。それは、自らが母から聞かされた戦争の体験を、うまく次世代に伝えていくことが出来ないから。
・風化と忘却は違う。風化とは、そこの文化として溶け込み、当たり前のこととして脈々と受け継がれていくこと。

自分の中で勝手に、南海トラフの巨大地震はあと20年後に来ると思っている。20年しかないと思うのか、20年もあると思うのか...犠牲者ゼロを目指して頑張ろう!

休憩時間、喫煙に行こうとするも、休みの県庁では立入エリアが限定されており、喫煙所に到達できず...ロビーにある復旧・復興パネル展を眺める。
他にも、浸水してしまった時計など。
後半、教育庁(三重でいう教育委員会)の取組や、土木部の行っている伝承プロジェクトについて情報提供があった。
(手元に資料がないので後日加筆)

おなかも空いたので、牛たんでも...と思うも、一人だとなんだか恥ずかしいので、やむなく吉牛へ。しかし、この選択が後に悲劇を生む事に...

2013年5月24日金曜日

#119 繰り返す歴史

最近、天気予報に裏切られる日々が続いている。雨が降る予報はなかったのに、なぜか外を走るクルマが水を撥ねている音がする。そして、気温がどうなるか読み切れないため、一枚上着を羽織って出勤する。

今日は、治山初任者研修の最終講義、防潮堤と防災林造成の現地見学に参加するため、H、S両技査とT氏と仙台に向けて出発する。初任者研修自体は、さすがに参加できない...

45号線を南下し、本吉から内陸へ。途中登米にある「林林館」という道の駅で一旦トイレ休憩となる。今日のパートナー、ランクルプラドのドアに貼られた名古屋市のステッカーをしげしげと眺めるお客さんがいた。場内に止まっていた尾張小牧ナンバーのプリウスのオーナーかな...

登米東和ICから三陸道に入る。北上川流域の広々とした風景は、三重とは一味違って興味深い。途中、治山事業施工地を案内してもらうため、矢本ICで降りる。5分ほど走ると、巨大な吹付枠工が施工された現場が見えてきた。

平成15年7月26日、宮城県北部を震源とする内陸直下型地震が連続して発生し、その時に斜面崩壊が発生した。また、当該現場には「矢本横穴墓群」と呼ばれる古墳があり、復旧工事を実施する時点で調査も行われた。
この前後にも施工地がある
鋼製自在枠による土留工
そして、近隣にある「大欠山」へ。こちらも平成15年の地震で損傷し、長期間にわたる復旧工事も完了した。地震直後の状況などはこちら
名称通り、山の一部が欠けた感じの「大欠山」
この施工地は、吹付枠工、グラウンドアンカー、落石防護柵、丸太筋工など、多くの斜面対策工法が取り入れられており、工法を知るためにも良い現場である。

岩手・宮城内陸地震や、平成15年の地震のような内陸直下型地震では、大規模な山腹、斜面崩壊が発生する。震源が近いからか、地震動の周期が原因かはさておき、巨大なプレート境界型地震が発生する前にこの手の地震が頻発するのであれば、三重県でも心づもりをしておく必要があるだろう。

途中、利府にある「仙台っこ」という結構おいしいラーメン屋に寄り、仙台市若林区の荒浜へ。
集合時間より若干早めに到着したため、付近を見渡してみる。駐車場付近には慰霊碑が建っており、石板には犠牲となられた方のお名前が刻まれていた。
地図を見ると、この周辺には市街地が形成されていたが、今は荒浜小学校を除き撤去されていた。
ほどなく、県庁からのメンバーが集合し、現地視察が始まる。
仙台市から山元町までおよそ30㎞に渡って、既設の防潮堤のかさ上げなどが実施される。この周辺では、TP+6.2mで整備されていた傾斜堤をかさ上げし、TP+7.2mで再整備を行う。地盤沈下は0.5m。
手前:整備前 奥:整備後
気仙沼や南三陸などのリアス式海岸とは異なり、仙台周辺は直線的な海岸が延々と続いている。施工スペースなども余裕があり、自らの管内との違いを強く感じる。

そして、林野庁が実施する防災林の造成現場へ。被災した防災林の調査を行った結果、地下水の影響により直根(まっすぐ地中に伸びていく根)の成長が期待されたような状況ではなかったことが判明した。そのため、新植する箇所は山土などで盛土を行う。
防風垣で囲まれた新植地
植栽に関しては、林野庁の「みどりのきずな再生プロジェクト」で連携している市民団体が主体で行っており、14の登録団体が区分されたエリアを管理することになっている。
そして、近日中に行われる植樹に備えて、とある団体のメンバーが植栽用の穴を掘っていた。
また、コンテナ苗も試験的に使用されており、通常は2年生苗のところ、1年生苗も植えられている。成長状況を確認し、良好な結果が得られれば1年生苗を使用するとのこと。
説明を行なわれた県庁の方が、非常に興味深い発言をされた。「昭和35年のチリ地震津波のときは、宮城県は財政再建団体だった。」と。ネットで調べてみると、1956(昭和31)年度から1963(昭和38)年度までの8年間とある。少し詳しく調べてみる必要がありそうだ。震災以前でも、2009年に発表された財政の見通しでは、2011年には財政再建団体に転落する可能性があると発表されていた。
現在の災害復旧事業などは、国からの財政措置がなされるため、地方財政が破たんすることはないが、もしかしたら、チリ地震津波の復旧に際し、財政面がネックになっていた可能性があるのかもしれない...

行きに通った道をほぼトレースし、合庁に帰還する。業務終了後、大手ショッピングセンターにより、牛乳や半額になったパック寿司を買い求める。
帰宅後、しょうゆを忘れた事に気付いて心拍数が200近くに達するが、今日は有人レジを利用したので、店員さんが気を利かせてくれていた。

20:45からのNHK地域ニュースでは、53年前にチリ地震津波があったこの日に合わせて、南三陸町の小学校では津波避難訓練が行われたと報じていた。
1960年5月24日から2011年3月11日までの出来事を、いろいろな角度から掘り下げてみることが、将来のためになるのかもしれない。

2013年5月23日木曜日

#118 三重な一日

暖かく過ごしやすそうな朝を迎える。三重では半袖でいけるだろうが、こちらは初夏までいかず、晩春といった感じである。

今朝の三陸新報に、今日いよいよ今年初めてカツオの水揚げがあると書かれている。最近大漁のサメの水揚げもあったところで、ここのところ魚市場はたいそうな賑わいである。

今日は内業一筋。こういう日こそ現場なんだが...と思い。
しばらくして、自分あての郵便が届いた。三重県林業普及協会からで、開けると林業新知識のほか、広報誌「三重の林業」も入っていた。せっかくなので、職場で供覧することに。
パートナーのS技査が、「内容が充実していますね!」とコメントをくださった。「宮城の森林だより」も負けていませんよ~!とレスをする。

三重にいると、当たり前のように見ていた「三重の林業」。こうやって直接褒められることはなかったが、自分が執筆していないにしても、なんとなくうれしくなる。
非ライブカメラ
兵庫のT氏に、昨日の兵庫から派遣された職員の意見交換会について少し話を聞く。県と市町で100名以上の職員が宮城に派遣されている。名簿は実に3ページに渡っている、もはや宮城は兵庫に乗っ取られるのでは?と冗談交じりに会話をする。顔馴染みの職員とも会えたそうで、それなりに楽しまれたようだ。

午後は私の班あての来客がたくさんみえ、打合せが矢継ぎ早に行われていた。私宛ではないので、ムツムツとデスクワークをすることに。

市内に、最近植樹ラッシュとなっている安波山(あんばさん)という山がある。今月だけで、市民主体の植樹、世界的な超著名な建築家安藤忠雄氏による植樹、この前の日曜にあった東北電力主催の植樹と、知っているだけで3回。A総括は日曜の植樹に、当然のように自転車で乗り込まれていた。延々と坂道をママチャリで...鉄人である。

業務終了後、四日市のI氏から電話が入る。そろそろ新茶の時期だから、お茶を送ってあげるので住所を教えてほしいとのことだった。せっかくなので、職場でいただきたいと思う。自分の生まれ育った街のお茶を、気仙沼で味わう喜び。感謝感激である。

昨日もらい忘れた書類を取りに、3号機でエビナへ。相変わらずお客さんの出入りの激しい、人気の店である。私の前にいたケセン語(?)MAXのおんちゃんは、かなり大型のバイクをお買い求めだった。マグロ漁船の船員さんなので、普通に1年くらい航海に出られるそうだ。

店の外に出ていた店長さんが、「水上さん、この方来週三重にいかれるそうですよ!」と、お客さんを紹介してくれる。陸前高田からやってこられたお客さんは、山形の友人とともに三重へツーリングに出かけられるとのこと。目的地は鳥羽なので、伊勢志摩スカイラインやパールロードなどのおすすめコースを紹介しておく。

夜景が見られることを期待し、夜の安波山へ向かう...が、真っ暗でどの道を行っていいのかわからないので、右往左往する。だが、3号機はコンパクトボディなので、取り回しが楽で助かる。
結局山には登ることが出来ず、港の夜景を楽しむことに。
オリジナル最後の3号機。この後、この場でカスタマイズされる・・・
サメのイラスト入りナンバー 手振れスマソ
晩御飯は、およそ1か月ぶりのとんかつ勝子へ。カウンターにはとても元気などこかの学校の先生方が。
ヒレカツとエビフライ
遅いと思っていた3号機も、すこし慣れてきたのか、それなりに楽しくなってきた。ここは三重より日没が早い。ということは、日の出も早い。早起きすれば、もっと市内を知ることが出来るのではないか?しかしそれは私にとって非常に難しい問題である。

2013年5月22日水曜日

#117 1m

安定して、今日も晴れている。朝食を食べようと、先日買い求めたモーランド本吉のおいしい牛乳を開栓しようと思ったら、消費期限が20日。容赦なくいきたいところだが、さすがに牛乳はヤバいか...自分のミスとはいえ、一口も飲めないのは歯がゆい。

出勤すると、いつも作業服姿の兵庫のT氏がスーツで出勤してきた。今日は兵庫県から派遣されている職員の意見交換会が仙台で行われるので、きちっとした格好で登場。そういえば、先月の研修以来スーツに袖を通していない。

午前中は昨日に引き続き内業に勤しむ。来客や電話などもほとんどなく、順調に作業が進む。昨日と違うことは、窓を開けると冷たい風が吹き込んでくることか...
非ライブカメラ すっきり晴れ
午後、 圧縮試験の立ち合いに南三陸町志津川へ向かう。合庁を出発するとあたりは霧に包まれてきた。そして、クルマの温度計は13℃を示す。田んぼからは湯気が立ち上っている。
高い所に登ると気温が下がるのは理解できるが、海辺の平坦な場所で、急激な温度変化に見舞われるこの地方では、農業に非常に神経を使うと思う。特にこの時期、田んぼの管理に失敗すると苗が全滅してしまう。こういった険しい気象条件から、当地では牧畜が盛んだったりする。

立ち合いを終え、歌津の現場に向かう。今まで満潮前後に来たことがなかったが、今日は14時過ぎが満潮。ゆえに15時を回った時点でも非常に水面が高い。防潮堤から覗くとやたら水面が近くに見えて、少し恐怖を覚える。この現場では、地盤が1m沈下している。
仮設道を若干乗り越える波
世の中に構築されているインフラは、すべてと言っていいほど高さが決められて作られている。所定の高さに構造物が存在することで、本来の機能を発揮する。
三重県北部は、地下水の過剰なくみ上げなどが原因の地盤沈下に悩まされてきた。地下水のくみ上げには許可や届出が必要となり、人為的に引き起こされた地盤沈下は、人為的に管理され、状況は改善した。
しかし、巨大地震により、この地方で一瞬にして起こったコントロール不能の地盤沈下は、多くのインフラを機能不全に陥れた。1mという値を大きいとみるか小さいとみるか。港湾や海岸施設にとっては大きすぎる値である。
浸水する岸壁
現場を後にしようとしたら、カモシカに出くわした。三重にいたときも、鈴鹿山脈の中腹で遠目に見たことはあったが、こんなに間近で見かけたのは生まれて初めて。
業務終了後、A総括が若手職員に夏祭りへの参加を促している。週末は帰省する職員が多い中、A総括は気仙沼を楽しまれているときが多い。先日の植樹しかり。この前の日曜日も、復幸マルシェで行われたコンサートに行かれていた。しかし、大谷海岸の道の駅までチャリで突撃されたと聞いたときは少し驚いたが...地域貢献を後押ししてくれる上司は頼もしい。

そして、今日から新たなパートナーを迎え入れた。これで、1号機(86)、2号機(自転車)では到達困難な場所に踏み込むことができる。モーターズショップエビナで納車と同時に、いくつかの部品を注文する。
1号機、2号機ともに亡兄から引き継いだ乗り物だが、受け取った時点で相当数のパーツが入れ替えられていた。他にも兄が所有していたクルマやバイクは、往々にしてパーツが多数どころか、過剰に交換されていた。そんな兄が降りてきたような、DNA的な何かを感じる部品の頼み方をしてしまった...やはり血は争えない。そういえば、昨日は兄の誕生日だった。

既にあたりは真っ暗だが、軽く試運転をしてみる。左足でギアチェンジする感覚は何年振りだろう、ややギクシャクするのは致し方ない。しかし、スロットルを捻るも、遅い...まあ、そんなに遠出をするわけではないし、これぐらいのスペックが自分には合っていると思う。

2013年5月21日火曜日

#116 様々なアプローチ

やっと蒸し暑くなってきた。さて、朝御飯を...と思ったら、いつものフルグラを買い忘れた。昨日買い物に行った意味が全くない。しかし、何を着ていけばよいのか...今までは、作業着の下に少し厚手の服を着ていたが、薄手のシャツに変えることにする。
少し早めに出発し、コンビニでサンドイッチを買って職場に向かう。この光景、住田にいたときとデジャブっている。

坊主頭のS技査が、いよいよ夏のイベント参加者の募集を始めた。地元出身者が殆どいない職場だが、こういった様々なアプローチで地元との関係を深めていくのはとても良い!微力ながら出来ることは手伝おう。そういえば、熊野の時は田植えとか稲刈りとか、いろいろあったな...

職場では皆、口数が少ないが、職場を離れると結構饒舌になる。三重にいたときは、職場でもお互いのパーソナリティを知ることが出来たが、今の職場ではW、M両班長以外はなかなか知ることが出来ない。そういった意味では、喫煙をすることはいろいろな情報交換ができるメリットがある。最近は水産漁港部のY技師や総務部のS主事とよく情報交換をする。
非ライブカメラ
昨日に引き続きの作業を進めているが、三重にいたときよりかなり時間がかかっている。
宮城は三重に比べると、圧倒的に治山事業の現場が少ない。三重では経験者も資料も、過去の蓄積も豊富なので、引継も情報の伝達も容易。宮城ではそういう面を補うために、資料に一工夫を凝らしている。パッと見は変わらない資料でも、実は未来の担当のために手厚い情報を組み込んでいる。そのプロセスを経ることで、自分にとって新たな発見もある。

業務終了後、菅原歯科へ向かう。先日焼いたホッケを食べて以来、どうも骨が刺さったような感じがすると伝えると、Jr先生が麻酔した後にかなりグリグリされる。無理やり引き抜かれた感がハンパなかったが、実は骨を取ったわけではなく、歯が薄く割れていたのでそれを取ったとのこと。自分の勘違いも甚だしい...

いよいよ準備の整った3号機を受領しようと、エビナに向かう。途中、北かつまぐろ屋の横丁支店長とすれ違いざま挨拶。街中で挨拶できるようになるなんて、少しうれしい限り。
そして、45号バイパスの交差点で信号待ち。向かいにある店には、どう見ても明かりがついていない。やはり定休日...嫌な予感はしていたが、まさにその通りとなってしまった。

帰り道、本屋でたまたま見つけた「東北人」という本を買う。

そして、いつもと違うスーパーに寄ってみる。スーパーの前では、どこかの家からおいしそうなハヤシライス的香りが漂ってきていた。よって、夕食はハンバーグが食べたくなったので、エスポワールへ。
街中で自転車に乗っていても寒くない。このまま暑くなっていくのか、はたまた梅雨寒に突入するのか、予断を許さない。

2013年5月20日月曜日

#115 少しずつ風化

土曜日をピークに少しずつ気温が下がっているような気がする。今朝はドカジャンが必要となる。

今朝のNHKのニュースで、1983年に起きた日本海中部地震後に整備された避難階段が草に埋もれ、放置されている映像が流れた。現在は避難訓練などを行って風化させないように努力されているそうだが...

午前、南三陸町歌津の現場に打合せに向かう。自分の所属の公用車がすべて埋まっていたため、総務部のクルマを借りてあったのだが、なんとガソリンがほとんど入っていない...急きょ伝票をもらうことに。

震災直後はガソリンが激しく不足し、何時間も待って給油したという話を幾度となく伺った。そして、防災部局に配属されていたとき、目盛が半分になったら給油しろと口酸っぱく言われた覚えがある。いざという時に役に立たないからだ。

現場周辺では、新しい小屋が建ちはじめている。もちろん、漁師さんが生計を立てるために必須の施設だが、これからの街づくりの中で大変な調整が発生する気もする。
45号線沿いの大谷海岸でも、防潮堤を陸側にセットバックするという話がある。しかし、既に立派なS造の建物も経ってしまっている。どうしても、様々な調整が期待通りに進まずに、いたるところで手戻りが発生してしまう。
午後、金曜から継続している作業を行う。室温がいつの間にかぐんぐん上がっており、久しぶりに窓を開ける。いつもはカラッとしているが、今日はややしっとりとしている。

業務終了後、大型ショッピングセンターで割引のパック寿司や必要なものを買い求めて帰宅。
いつも買い物客でごった返すここも、とても1Fが被災したとは思えない。お金さえ払えば、必要なモノが必要な量、必要なときにそろう。震災直後の生活を体験したわけではないが、こういった当たり前の日常が、ゆっくりと震災を風化させているような気がする。

郵便受けに投函されていた、18日付の東海新報を読む。菊池さんのおかげで、大船渡にはまた見どころが増えたようだ。

2013年5月19日日曜日

#114 mission failure

なんとなく疲れてしまったのか、かなり長時間眠ってしまった。昨日よりは少し肌寒いものの、お出かけには問題ない気温だ。

来訪者にこの地方の魅力を知ってもらうため、最近一押しの唐桑半島に向かおうと思ったが、時間的制約から次回に取って置き、陸前高田に向かう。リニューアルしたビジターセンターはいつでも見学できるが、刻々と変化する高田の街の今は、今しか見ることが出来ない。

気仙沼市唐桑町大沢にあるコンビニに立ち寄る。ここも山田町船越や陸前高田市小友のように、二方向から津波が襲来している。

仮設の気仙大橋を渡り、奇跡の一本松の駐車場に止め、通路を歩く。新たに甦った一本松を間近で見るのは今日が初めてである。
駐車場近傍には、いくつかのRC造の施設がある。外観上著しい損傷はないので、再利用すると思われる。H先輩は基礎部を入念に観察している。
連休の時とはうって変わって、辺りは閑散としており、観光客も我々以外に数えるほどしかいなかった。
南三陸町志津川の防災対策庁舎、気仙沼市鹿折の第十八共徳丸、そして高田の一本松。いずれも残すべきか撤去すべきかで議論になり、前者二つは未解決、後者は再生のシンボルとして残ることになった。
将来、この周辺は公園として整備されることになる。10年後、100年後、そして1000年後に津波の記憶を伝えていく役割を、この人工の木は担っているのだろうか...

周辺をにある様々なモノ。それぞれ興味の対象は異なり、私は防潮堤、H先輩は大きく育ったシロツメクサを眺めていた。
引き続き、近隣の道の駅タピック45跡へ向かう。特徴ある三角形の建物は、震災遺構として残される予定と聞いている。
駐車場の一角には、木造の追悼施設が設けられ、内部には献花台と、震災前後の写真が掲示されている。
以前の市街地を少し経由する。陸前高田駅の周辺では、ボランティアの方々が溝さらいを行っていた。
ビル屋上、最上部の看板に注意
星石油店で給油し、気仙沼へ戻る。気仙沼駅でH先輩を見送り、その足で屋台村横丁へ。今日はいわゆる街コン、「第2回横丁コン」が開催される。いつになく若い男女で込み合っている中、同僚を見つけて中に入る。
ほどなく飲み物が配られ、開会となる。初めての街コン、何はともあれ寒い...
ルールは、指定された1店目を友人とペアで、2店目も定められた店を今度は1人で、3店目と4店目はフリーとなる。各店で割り当てられた時間は40分。

参加者は地元の方、栗原の方、遠くは仙台からやってきた方などなど…意外に地元の方が多くて少し驚く。今回の参加者は20~45歳まで。様々な年齢、様々な職業の方が集まってきていた。
おいしい料理をつまみながら、特に何もなく会は終了。あと10歳若ければ...と、自分が年老いたことを悔やむ。

参加していた同僚6名で、紫市場近くにある「九条や」へ反省会に繰り出す。坊主頭のS技査から、夏祭りについて提案が飛び出す。確かに、こういったイベントを介すると、同僚の距離が大きく縮まることは感じる。また、S主事からは某県からの苦情の話などなど...

街コンでの成果は何も得られなかったが、同僚との結束は高まったようである。