2013年10月31日木曜日

#279 上がったり下がったり

少し薄曇りの朝を迎える。今日の三陸新報には、奥尻島に関する読者の投稿が掲載されていた。かなりネガティブな視点で書かれており、少し悲しくなる。被災地で目にする奥尻の情報は否定的な内容が多い。しかし、それは今奥尻に住まわれている方々に失礼ではなかろうか...

朝一、打合せを終えたばかりのA総括とT班長とともに昨日発生した事象の説明に南三陸へ向かう。かなり辛い仕事になってしまったが、パートナーの包容力によって最悪の事態は回避された。今日は仏様のように見えた...

合庁への帰路、T班長のお気に入りの日門食堂で昼食となる。A総括が窓辺に貼られた津波到達点のサインを見つけられた。高台にあるこの店に津波が襲来したことが俄かに信じがたい。
午後、T班長とT氏とリカバリー策を練る。いくつかのアイデアを出し合うが、昨日から大きな進展はなかった。パートナーの了解は取り付けたものの、まだ何一つ解決されていないのが痛い。明日、T班長に改めてパートナーの意向を確認してもらうことにした。

明日県庁で行われる設計関係の打合せのため、資料作成を急ぎ進める。チェックする項目が多く、かなり手間がかかる。しかし、既に何度もやりとりを重ねたため、コンサルから提出された資料は熟度がとても高まっている。いくつか微修正しつつ、何とか完成を迎えた。
作業を進めている最中、H技査からご尊父が逝去されたと連絡が入る。自分とそれほど歳も離れておらず、お互い末っ子ということもあり、自分の亡父とあまり変わらないだろう。ご冥福をお祈りする。

いろいろと持っていくものをまとめているころには、もはやあたりは無人...

業務終了後、行きつけのコンビニで夕食と朝食を買い求める。夕食を食べていると、三重の友人から楽しい連絡が入る。最近、いいことと悪いことが交互に訪れているような気がする。
明日は5時半に起きなければならない。果たしてその夢は実現できるだろうか...いや、必ず実現せねばならない。

2013年10月30日水曜日

#278 組織

少し暖かい朝を迎える。夜に曇っていたのだろうか、刺すような肌寒さを感じない。どのくらいの「厚さ」の服を着ていくべきなのか悩ましい。

出勤直後、歌津の現場代理人S氏から連絡があり、段階確認に来てほしいとのこと。クルマの空きを確認し、出発する。
今日は窓を開けて走っても問題ない暖かさ。しかし、松岩や階上、小泉海岸周辺など、災害廃棄物の処理場周辺は道路が汚れており、やむなく窓を閉める。

とても波が穏やかな現場にたどり着く。毎日がこの調子だと作業もはかどるのだが、海は日々その表情を変える。到着したらちょうど休憩時間で、一服中だったチーム白老のメンバーを慌てさせてしまった。
100個目のブロックが据え付けられた。今まであまり消波ブロックの威力を感じる機会はなかったが、現場で目の当たりにすると、その効果はてきめんである。
S氏と打合せを行い、チーム白老最年少のM君に声を掛けて合庁へ戻る。
昼食を頼むことが出来なかったので、やむなく売店でどん兵衛(E)とカレーパンを調達する。不思議な組み合わせだと指摘を受ける。

午後、治山班より回答を求められている資料の作成に取り組む。前年度の資料を確認していると、クリティカルすぎる内容を発見してしまう。うーん・・・ドラクエで例えると、痛恨の一撃どころか、メガンテを食らってパーティーの半数が死亡した感じだ。まだ今のタイミングで見つかったのは良かったと言える。即リカバリーに入る。

既に外は暗くなっていた。机上でできることはやりきったが、それでもまだリカバリーできない。百戦錬磨のT氏にアドバイスを求めると、的確な答えを導き出す。さすが数多くの修羅場を潜り抜けてきただけある。こちらの答えは準備が出来た。あとはパートナーに理解を求めるしかない。去年はどうであれ、この案件を引き継いだのは自分である。責任を持って対応していこう。

こういったケースでは、組織によっては手掛けた人物を批判する風潮がある。しかし、わざとやっているのであれば話は別だが、そこに至った過程を検証し、再発を防止するための仕組みを作ることが肝要だ。関わった人物を延々と糾弾し続けたり、レッテルを張り続けたりするような組織では、みんながその恐怖に委縮してしまって、何も新しいものが生まれないだろう。また、精神論だけで解決しようとしても、同じことを繰り返すだけ。そんな組織の未来は暗い。

いろんな人がいて、いろんな知恵や経験があって、それらを認め合い、また交じりあうことで新しい価値が生まれる。しかし、先日後任者を窮地に追いやった自分がこんなことを言っても説得力がないか...

2013年10月29日火曜日

#277 鼎が浦の無人島

いつもより30分早く起床し、いつもより30分早く出勤する。空は薄い雲で覆われている。

もろもろ準備をしてから、松くい虫被害木調査のアシストをするために合庁を出発する。メンバーは勇者W技師を筆頭に、武闘家のM班長、僧侶のS技査、魔法使いのI主事、戦士のT氏、そして賢者(?)の6名パーティー。
8時40分の大島行フェリーに乗船する。大島からやってきたフェリー亀山からはたくさんの乗客が下船するものの、通勤通学のピークを過ぎているからか、大島行は閑散としていた。
浦の浜に到着後、小田ノ浜漁港に向かい、そこから「第2おおしま丸」に乗り換える。といっても、サッパ船。船長さんが用意してくださったライフジャケットを身に着け、不安定な船に乗り込む。
H船長がお待ち
貝毒によってホタテの出荷が芳しくないといった話を聞きながら、一つ目の調査ポイントである小前見島に向かう。南北300m、東西が100m程度の、クロマツ林で覆われた小さな無人島だ。西の磯場に船が着き、いざ上陸する。
前日に説明を受けていたので、ブリーフィングを済ませてから2班に分かれて調査に向かう。W技師とS技査と自分の3名は、島を反時計回りする。自分とS技査が被害木の確認と胸高直径の測定、ナンバリングを行い、W技師が野帳に記録する。島は尾根を除いて急な斜面で、点在する被害木を追いかけているとかなり辛い。S技査についていけていない...
マツノマダラカミキリとマツノザイセンチュウによる、いわゆる松くい虫による被害は、東北でその北上が食い止められている。宮城や岩手の沿岸部はその防除の最前線である。この島でも継続して防除作業が行われているが、今回も100本を超える被害木が確認された。被害木には穿孔がたくさん開いており、見ていて気分のいいものではない。
再び第二おおしま丸で戻る。隣にある大前見島は殆ど裸地化している。松くい虫による激しい被害なのかと思いきや、津波による被害とのことだった。
龍舞崎でコンビニのおにぎりを食べてから、周辺の調査を行う。調査も終盤に差し掛かったころ、誤って輪尺のパーツを崖下に落としてしまう。ボルダリングのような状況でパーツを無事回収する。
調査を終え両チームが合流し、すっかりRPG気分で「敵が出ないかな~♪」などと冗談を言っていたら、本当にT氏にとっての敵が現れる。「水上さんが余計なこと言うから...」まさにその通り。急ぎクルマに乗り込む。

再びフェリーに乗り、本土に戻る。フェリーの中には郵便局員、NTTの帽子をかぶった人、運送業者の方などなど、世の中の縮図のような状況になっている。この光景も大島架橋が完成した暁には失われてしまうのかと思うと、やむを得ないとはいえ、少し切ない。
帰庁後、いろいろなメールが入り、治山班と打合せをしたり、コンサルと打合せしたり。ここ2週間は密室に引きこもりたい...

業務終了後、こけしで中華飯を食べる。慣れない作業を行ったからか、体はどんよりと重い...

2013年10月28日月曜日

#276 double header

明るい朝を迎える。風もあまりなく暖かだ。いつもは月曜休刊の三陸新報も、昨日の南三陸町長選を報じるために特別に発行されている。

出勤後、現場代理人のS氏に一報を入れ、まず歌津の現場に向かう。被災状況を確認し、作業のお願いをし、次の現場へ。

戸倉の現場確認をする。以前H技査が滑落したことがあるので、油断せずスパイク地下足袋に履き替えて現場入りする。施工範囲や仮設道路の線形について打ち合わせを行う。久々の山っぽい現場だが、実は直下が海...
引き続き現場事務所で打合せを行う。施工方法や段取りに加え、この地方の事情などもいくつか聞かせてもらうことに。しばらくすると、周辺のパトロールを行っているネコが「ニャー」と言いながら事務所にあがりこんできた。安全衛生管理者代行を命ずる。
名前はシロ(たぶん)
いつの間にか13時前になっており、また歌津の現場に舞い戻る。南三陸に来ているのに、昼食はコンビニのおにぎりと納豆巻きになってしまった...
改めて、現場代理人のS氏と法面施工を担当する施工業者と打ち合わせる。こちらの担当もS氏なので、どう呼べばよいのか少し頭を抱える。

帰庁後、コンサルの担当氏と電話で打ち合わせる。防潮堤の法線は...断面は...傾斜堤の詳細設計はこの現場が初めてとなるので、少し慎重に事を進める。
引き続き、来年度事業の打合せを行う。限られたバジェットの中で、どう動いていくべきなのか...現場を見たことのある担当が、それぞれの見解を提出し、T班長がまとめることになった。引き続き、明日のマツクイムシ被害調査の簡単な打合せを行う。

業務終了後、エスポワールでおろし納豆パスタを食べる。あ、昼飯も納豆食べてたっけ...
帰宅後に郵便ポストを開けると、三重県の総務事務センターから郵便が届いていた。7月に申請されたあれかな♪、と思ったら、年末調整の書類だった。
三重の上司も先輩も、手続きを済ませてくださっているのにどうなったのだろう?外も寒くなってきたが、懐も寒くなってきた...

2013年10月27日日曜日

#275 KESEN Explorer -顔なじみ-

明るい陽射しが差し込んできて、部屋はとても暖かい。アラームが何度も鳴り続けるが、その都度スヌーズと書かれたボタンを押してしまう。9時前に何とか起床し、そそくさと出発する。

ひとまず、台風の影響を確認に歌津の現場に向かう。天気晴朗なれども波高し。
26号のような悲劇的状況にはなっていなかったが、やはり現場はダメージを受けていた。ただ、それほど復旧には時間がかからなそうだ。
「今日は休みじゃないのか?」と、漁から帰ってみえた、いつもイーグルスのキャップをかぶっている顔なじみの漁師さんに声を掛けられる。荒天でなかなか海に出られなかったそうで、今日は久々に船を出されたとのことだった。
季節外れの台風もこれで終わり、来週は穏やかになるだろうと仰っていた。しかし、冬になるとますます波も高くなるとのこと。海の男のアドバイスを肝に銘じよう。

引き続き、住田町へ向かう。途中、いつもの高田の星石油店に立ち寄る。時々見かける青年に給油してもらう。店の片隅に、よくベースキャンプのそばで見かけるペッタンコのVIPカーが。青年のクルマだそうで、気仙沼にもちょくちょく遊びに来ているとのこと。「高田は店がないから、ココスに行くと高田の人によく会う。」と。最近ジョイフルが出来たことを教える。

2年ぶりに「すみた産業まつり」を覗く。会場近くの駐車場は既にいっぱいで、少し離れたグラウンドの駐車場にクルマを置く。前回とは異なり、知っている人と会う可能性が極めて高い。
大船渡農林振興センターのブースによると、O氏が木工の手ほどきを行っていた。
少し手が空いたタイミングを見計らって、一緒に食事をする。物販ブースがいろいろあるものの、お昼にふさわしいものがカレーと焼きそばしかなく、カレーを食べる。ここ最近の状況などを情報交換する。

食後、ありすポークのブースでひろちゃんを見かける。ポークハムを焼いたものを食べることに。いつ食べてもありすポークはおいしい!
すると、杣遊会事務局長のM氏と来週開催されるチェーンソーアートの大会「住田カップ」のことを伺う。少し早起きする必要がありそう...

O氏は再び自分のブースに戻り、隣の「エネシフ気仙」のブースに立ち寄る。
H技師といろいろ話をしていると、子どもたちがやってきた。H技師以外無人だったので、「灯油1リットルとペレット2㎏で同じ暖かさで...」などと、なぜか自分が説明する。小学生と思われる子どもたちは、チップのことを知っていた。さすが住田っ子!そして「ペレットをストーブに入れたい!」とのリクエストに応える。
近くに住田町のブースがあり、鋭意建設中の新庁舎の紹介がなされている。
すぐ横に「象徴木」と書かれているスギの巨大丸太が4本置かれている。新庁舎のシンボルとなるもので、来場者に磨いてもらえるようになっていた。自分も磨きたかったが、あいにく受付は終了していた。
再びエネシフ気仙のブースでねまる。
屋外用ペレットストーブ「KIRINSAN」
いただいた住田の神お菓子「かっこう」
しばらくすると、多田町長が立ち寄ってくださる。新庁舎の裏話などを聞かせていただく。何十年も使うものだから奇をてらった部分を極力排除したこと、象徴木はすべて町内から寄贈してもらったもが、必要数よりも多くの方に手を挙げていただいたこと、国有林のゴニョゴニョなどなど。
住田型応急仮設住宅の建設など、決断力、実行力、そして先見の明を持ち合わせる稀代の町長だと思う。尊敬する方である。

そして見たかった住田型復興モデル住宅の展示場へ。
住宅にはA、B、Cの3タイプが用意されており、いずれも地元産材がふんだんに使われており、高所移転などの用地で標準的な100坪程度の面積にフィットするサイズになっている。個人的にはCタイプがお気に入り。
平屋でコンパクトなAタイプ
Aタイプ室内
2階建てのBタイプ
Bタイプ室内
スクエアなCタイプ
板目のユニークな天井のCタイプ室内
見学を終えたころには産業まつりも終了しており、後片付けが始まっていた。O氏、H技師に挨拶をして会場を後にする。
五葉山麓
久々に五葉温泉へ。紅葉の見ごろまでもう少しといった感じだ。
きびソフト
畳の部屋で横になっていたら寝てしまった...。起きたら辺りは真っ暗になっていた。

盛の街に出向き、大船渡復興東北三大祭りの時におまんじゅうをいただいた佐清さん宅をお邪魔し、三重で買ってきたお土産を届ける。
続いてお土産を置きにkojikaへ。なぜか店内は肉を焼いたにおいで充満しており、店を間違えたのかと思う。カウンターに座っている、よく見かける海運会社の代表の前には、なぜかコンロと網が置かれている。「牛タン食べる?」とマスター。もちろん、と答える。
「おでんもどう?」とのことで、遠慮なくいただく。もはやカレーハウスkojikaではなく、今日だけは「小鹿」と名前を変えたい。
海運会社の代表と少しお話をする。いつもこの景色を見ていると辛いので、北上や花巻に行くと少しホッとすると。そして、いつも元気なマスターは、なんだか疲れているようだ。震災から2年半が経過し、出来ることはとにかくやろうと突っ走ってきたが、もう飲食店だけに専念したいとこぼされる。2年半の月日は短いようで長い...

SGに立ち寄り、H氏から先日の白神山地トレッキングのお土産を頂戴する。ああ、行きたかった...
次なるアウトドアイベントとして、中旬に紅葉の五葉山登山が計画されている。次回は行けるように努力しよう。

2013年10月26日土曜日

#274 チーム三陸

眠れずにパソコンをいじっていたら、スマホが激しく鳴動する。わずかの時間差で長く、ゆっくりとした揺れがベースキャンプを襲う。なまず速報でマグニチュードなどを確認し、急いで着替える。しばらくして、福島県に津波注意報が発表される。万が一を考えても、建物の高さから避難をしなくても安全と考え、留まることに。しかし、地震の規模が大きいと情報配信はどうしても遅れる。やむを得ないのだが...

NHKの天カメが、到達予想時刻の海辺を映していたが、干潮ということもあるのか、岸壁に津波があがるようなことはなかった。しばらくしたら、こたつに入ったまま眠ってしまった。
後でアウターライズ型の地震と知る。油断できない...

9時過ぎに起床し、朝食を摂って着替えを済ませかけのタイミングでドアがノックされる。T氏とともに赤のランエボで雨のやまない気仙沼を後にする。登米、涌谷を抜け大崎市古川へ。内陸のフラットな道はやや単調だが、途中現れる街区にシケインが介在しており油断できない。

ラストワンマイルで若干迷いつつ、東部振興事務所のA技術主幹宅に到着する。既にメンバーは全員そろっていた。今日はA技術主幹とAさんが、北海道・東北ブロックの治山研究発表会で最優秀賞を受賞した祝賀と、派遣職員を労っていただく「芋煮会」が開催される。
県庁のW総括、K課長夫妻、M技査、東部のお二人に高知県から派遣のO氏、大河原のS技師、気仙沼からT氏と自分、面識のある方も見えるし、初対面の方も。
芋煮と言えば山形を想起するが、実は宮城でも盛ん。宮城は味噌仕立てで豚肉、山形は醤油仕立てで牛肉と違いがある。パッと見は豚汁だが、れっきとした「芋煮」である。

T氏とじゃんけんした結果、自分はアルコールを控えることに。一人ファンタグレープで盛り上がることに。そういえば、高知のO氏も下戸だった。
BBQにサンマ、炊き込みご飯とエンドレスに何かを食べている。しかし、どれも美味しい。宮城は三重と「うまし国」論争で盛り上がったこともあったが、本当に「美味し国」である。
先日紀宝の師匠からいただいたみかんのおすそ分けをする。早生なのにとてもあまいと大絶賛を受ける。M技査は家族分をと、カバンにミカンを忍ばせる。

いつの間にか雨も上がり、久しぶりの太陽が顔をのぞかせていた。少し寒くなってきたので、後片付けを済ませて中にお邪魔することに。引き続き、たくさんの話で盛り上げる。
テレビで、気仙沼や南三陸、大船渡の映像が流れる。T氏とともに、あそこだここだと盛り上がる。K課長が「派遣職員に、宮城県民が負けている!」とコメント。少しニンマリする。

2011年3月11日の話になった。S技師は女川で一度高台に避難したが、より高く避難することで難を逃れ、そして公用車が流されてしまうという事態に遭遇した。その後3日ほど、避難所運営に携わられた。そしてA技術主幹は亘理の現場で適切に全員を避難させたと仰っていた。そして、3月9日以降、ラジオを携帯しており、情報収集を続けたとのこと。
津波は時間を問わずやってくる。勤務時間中しかり。三重の場合、もっと状況は深刻で、到達時間が圧倒的に短いので、一瞬の迷いが生死を分けることになる。マグニチュードや津波注警報と言った情報を待っていたら、おそらく間に合わない。今朝の教訓も踏まえ、戻ったらうまく伝えていきたい...

辺りもすっかり暗くなり、時計は19時を回っていた。散会するとともに、O氏とA技師を石巻まで送り届けることに。

A技師は富山出身なので、兵庫、高知、三重というすごいユニットが出来上がる。車内では防潮堤の議論になる。それぞれが思いを語ることに。みんなの本気度が伝わってきた。
車内にいたメンバーを勝手に「チーム三陸」と名付ける。気仙沼から東松島まで(時々大船渡と高田)をカバーする、濃厚なメンツ。1か月以内の再開を誓って別れる。
ランエボで暗くなった45号線を北上し、T氏と車内で諸々話をする。最近親密度が高まってきている。

帰宅後、届けられた東海新報を読む。防潮堤に関する大船渡市末崎での取組は、とても興味深く、気仙沼との違いを感じる。少し調べてみよう...

2013年10月25日金曜日

#273 personality

小雨だったが、これから確実に雨脚が強くなることがわかっていたので、徒歩で合庁へ向かう。しかし、かなりシビアな時間に出発したため、心臓破りの坂でダッシュする羽目になる。

メンバーの大半が大島の現地調査に出向き、残ったメンバーも別室で打合せとなり、ひっそりとした職場になる。
台風26号の影響はまだ継続している。治山班のS技術主査からのメールを見ると、複雑な手続きについて指示がなされていた。今取りうる手段はこれしかないが、歌津の現場は難解なプロセスを経ることになる。

紀宝の師匠から頂いた早生温州ミカンを配布する。たっぷりの甘みに驚嘆の声が上がる。三重のミカンの底力を見せつけることが出来たかな...
11時過ぎに、戸倉の現場の担当氏が来庁し、施工計画について打ち合わせとなる。書類の丁寧さもさることながら、説明も丁寧でとても良い。宮城はすべてこの調子なのだろうか...
担当氏曰く、「他県に行ったメンバーは、宮城にはゴニョゴニョ...。」もちろん、三重流の良さも再認識した。
午後も引き続き打合せとなる。本来なら現場での打合せが予定されていたが、かなり危険な場所なので、中止して正解だった。しかし、事業者では準備できない仮置場の確保という新たなミッションが発生する。水漁で尋ねるも時期が合わず、役場に問い合わせるもNG。土木事務所のY技査に頼んだら一発OK。顔見知りだと、仕事の8割が終わるというのは事実だと思う。

業務終了後、週末は気仙沼で滞在するというA総括に声を掛け、一緒に食事することに。豪雨の中一度ベースキャンプに戻ると、ドアをノックされる。熊野のM先輩からミカンが届く。ミカンはどれだけあっても全く困らないので、本当にありがたい限り!
福幸小町のより道は既に満席となっており、1階の「酒場 里」というお店に行く。プレハブとは思えないしっとりとした店内だ。何を食べてもおいしい。
ハーモニカの煮つけ
週末は帰省される方が多いので、金曜の夜にA総括と食事という機会はほとんどない。最初で最後のチャンスかも。職場のこと、プライベートのこと、同僚のこと。話は尽きることがない。
自分が能代や奥尻、普代、田老に何故行ったのか説明した。「その話はみんなに聞かせたい。」とA総括から言われるが、うーん...
合同の飲み会だと、あまりゆっくりしゃべる機会がない。A総括のパーソナリティに触れる貴重な機会だった。

2013年10月24日木曜日

#272 熱弁

路面はぬれているものの、幸いにも雨は降っていないようだ。最近寝不足が続いているが、寝坊することもなく起床し、いつものように出勤する。

月例の安全パトロールに出発するため、準備をしなければならないもののごたついてしまい若干出遅れるが、なんとか集合時間には間に合った。いつもは南三陸町のパトロールにしか参加していないが、今回は気仙沼市内の現場を見ることに。

まず、唐桑町大沢漁港に向かう。45号線沿いにあり、車窓からはよく眺めていたが、現地に降り立つのは初めて。災害復旧として嵩上げ工事が行われている。
漁港内には定置網の網元があり、たくさんの漁師さんが巨大な網の手入れをしていた。
この現場には松阪の業者が関わっており、三重ナンバーのクルマを数台見かける。

引き続き、鮪立漁港へ。宿という名前のタイトな漁村集落を抜けて、尾鷲や熊野の漁村によく似た風景の場所に出る。対岸に大島が見え、静かな場所である。名前はよく耳にしていたが、ここも初めての場所。
路傍に面白いデザインの塗料缶が置かれていた。
大沢漁港と同様に、災害復旧工事としてかさ上げが行われている。波打ち際の工事なので、歌津の現場同様、台風による被害が想定される。
遅めの昼食となり、昨日も訪れた気仙沼横丁の「はまらん屋」という店に入る。名物のはまらん焼きを食べる。カロリーは十分なのだろうが、ボリュームが小さいので満腹感を感じることはなかった。
改めて合流し、二ノ浜へ向かう。なじみのある魚市場の対岸の道を走る。造船団地を抜けて垣間見える風景は、とても新鮮だった。大島架橋のアプローチとなる道路のトンネルを開削している現場に到着する。人生初のトンネル工事の現場に興味が尽きない。
がんばろう!気仙沼!!
壁面にコンクリートを吹き付けるマシン
切羽
ポータルに取り付けられた幣
雨脚が強くなる中、本吉の小泉で行われている防集事業の施工地へ。樹木の伐採と伐根が完了しており、裸になった山から土が運び出されている。ここでは8haの住宅地を造成する計画だが、その規模をつかみかねる。
終わりのミーティングを終え、合庁へと帰還する。未知なる現場を見ることが出来たことに加え、普段あまり話をしないS技査といろいろ話が出来たのは良かった。

業務終了後、M班長が主催する懇親会が催される。当部から7名、県税事務所から3名という異部交流だった。
2次会は、坊主頭のS技査、T技査、T氏ともにKENという店に出向く。飲み会の場ではあまりしない仕事の話で盛り上がった。コミュニケーションを活性化させるためのアイデアを出し合う。
話は農作物や林産物の放射線の話題になった。熱弁するT技査、S技査の顔を見ていると、いかにこの課題に本気で向き合っているかが、強く伝わってきた。

いつの間にか日が変わっており、各所に水たまりの出来た田中前を歩く。何度もクルマに水をかけられそうになる。凸凹した道が直るのは、まだ少し先の話だろう。