2014年2月28日金曜日

#399 春?

本当に春が来た、そう思わせるような最高の陽気である。いつもより1枚服を薄くして、いつものように出勤する。合庁の心臓破りの坂を登りきるころには、薄着したにも関わらず汗ばんでいた。

集合時間に遅れないように、急ぎ出発の準備をして戸倉の施工現場へ向かう。ただ、出発直前にある書類が出来ていないことに気づき、若干ディレイする。

車載の温度計は、ずっと10℃以上を指している。気のせいかな、外に出ている人が多いような気がする。これから春を迎え、田畑の準備も忙しくなるはずだ。
車窓に見える漁港に、沖から船が戻ってきていた。陽光のきらめく水面に浮かぶ漁船は、素直にかっこいいと思った。

1時間強で戸倉の施工現場に到着する。書類の受け渡しをし、材料研修を行おうと思っていたら、ロックボルトの削孔が完了したので確認してほしいと告げられる。
人生で二度目の確認作業だが、使用している機械がものすごくゴツい。昨年の担当現場とは条件が違うからなのだが、機械の移動を大変である。

引き続き材料研修を終え、打合せを行う。工程は確実に把握されているが、工期ギリギリの完成となる。突発的事態が起きないことを祈るしかない。

帰路役場に立ち寄り、企画課のM主幹と再来週の視察に係る打合せを行う。鳥羽市から派遣のM主幹も、どうやら残りわずかの時間となってしまったようだ。しかし、ぎりぎりのタイミングで何とか懇親の場が設けられそうで一安心。三重に戻ってからもコラボレーションしたいところだ。
長閑な三陸の地を北へと向かう。この穏やかさがいつまでも続きますように...

昼食は、久々にまるきで。3月2日までの限定メニュー、「なまり節和えそば」をなんとか食べることが出来た。気仙沼の女子高生とコラボったこの商品は、ちょっと話題になっている。少なくとも職場では。お店の方といろいろ話をしたいところだが、今日は時間がなく...
スープ付き
残務を処理し、先日の振替休暇を利用して早めに業務終了とする。理容コマツ前を通過すると、気仙沼の母が声を掛けてくれた。
1号機で雪のない快適な284号を一ノ関駅へ。少し早目に到着したが、いつもの駐車場が珍しく満車。隣接するもう一つの駐車場はまだ余裕があった。

やまびこ、のぞみと乗り継いで実家へ。三重は気仙沼よりもさらに暖かった。

2014年2月27日木曜日

#398 詰め込み

連日の暖かな朝、とても過ごしやすくて気分がいい。いつものように準備をして、いつものように出勤する。

朝一、歌津の施工現場を担当する建設会社の社長から電話があった。津波で被災した社屋の再建を予定しているが、その過程で発生する事象に対しての相談だった。地域全体にとってはとてもプラスになる内容だったので、水漁のS技査、土木事務所のZ主任主査にアドバイスをもらうことに。すると、Z主任主査の上司が的確なヒントをくださる。メモを書きとめ、後はA総括にバトンを渡そう。
全てが思うように事が進むとは考えにくいが、こういった一つ一つのピースがはまっていけば、復興のスピードも上がるだろう。

職場に戻ると、三陸新報のI記者が来所された。新天地に旅立たれるとのことで、少し寂しくも思うが、この街から離れられるというわけではない。活躍を祈念したい。すると、自分あてに取材をしたいと申し出をいただく。派遣職員の紹介コーナーだそうで...

リミットが差し迫った業務を終わらせるために、作業を進める。推定10分程度という時間の中で、幹部を前に説明する。こういった状況が昔にあったことを思い出す。

尾鷲庁舎で勤務していた頃、IT利活用のワーキンググループが出来たので、自分が取りまとめをして発表することになった。project2k1と名付けたこの取組では、生産終了を目前に投げ売りになった、インターネット接続可能なS社のゲーム機を各家庭に配布することを企てた。研修センターの担当氏からは発表に難色を示されたが、当時の三役は喜んでくれていた。

もう一つは、13年前にBIRDと名付けた、防災情報をあまねく提供するというプロジェクト。当時の知事の元、新価値創造予算という制度があり、各部から事業内容を直接知事に説明し、事業化を目指すというものだった。20数個あった事業のうち、自分のプロジェクトは12番目ぐらいだったと思う。
構想段階から様々な方々の協力を得、事業化以降も職場のメンバーや素晴らしいパートナーのお蔭で、無事「防災みえ.jp」としてリリースすることが出来た。

20代半ばでこういった機会に恵まれたことは、今の自分にとってかけがえのない経験になっている。もちろん、忘れたい辛い思い出もあるが...
非ライブカメラA
非ライブカメラB
午後も、やたら入念に作業を進める。こんなに詰め込んでしまって時間は大丈夫だろうか。T氏は明日、派遣元での発表を控えており、自分と同じような境遇にいるはず。「適当でいいか~!」と口では発しているが、T氏の性格から、クオリティの高い作品を仕上げているはずだろう。

ひとまず作業が完了したので、比較的早めに業務終了とする。W技師といろいろ話をしながら帰宅していると、背後から女性に話しかけられる。マスクをして目深に帽子をかぶられていたので、パッと見、誰か分からなかった。「今日は早いね。」声の主は気仙沼の母だった。

1号機を動かし、まずは夕食に向かう。最近ろくなものを食べていなかったので、久しぶりに南町紫市場のとんかつ勝子へ。大きなカキフライを頬張る。
ご飯をお代わりしたものの、まだまだ食べられそうだったが、おかずが無くなってしまった。

紀宝の師匠から電話をいただいた。ある地形データの利活用についての助言だった。10年以上前から存在した技術だが、最近は価格がこなれてきたようで、学会発表などを聞いていても、多く利用されていることが窺える。。大規模災害発生時などでの利活用が注目を集めており、いずれ森林林業分野でも積極的に活用されるだろう。師匠は「お前に花を持たせてやりたい。」が口癖である。その期待に応えられる日がいつかやってくるのだろうか...

引き続き気仙沼駅に向かい、明日の帰県に備えて切符を買い求めようとするが、冷静に工程を分析した結果、明日まで待つことに。後、大型ショッピングセンターに立ち寄り、お土産などもろもろ買い込む。

少し雨が当たってきた。大降りになることは無さそうだが、一雨一雨が、春の訪れを感じさせてくれる。しかし、懐には厳寒が訪れている。この自分の癖は、どうも治りそうになさそうだ。

溜まってしまった東海新報を読んでいると、最終面に大船渡市三陸支所の写真が載っていた。よく見ると、懐かしの愛車、黒パジェが!
いい加減、カバンに荷物を詰め込まなければならないが、もう明日にしよう...

2014年2月26日水曜日

#397 strategy

連日暖かく、とても過ごしやすくなってきた。梅はまだ、サクラはもっとまだまだだが、春の訪れが近づいてきていると思うとうれしい。いつものように準備して、いつものように出勤するが、財布を忘れたことに気付く。しかし、取りに戻ると遅刻してしまうので諦めて出勤する。

連日続いている作業を、今日も引き続き執り行う。T氏が唐桑の現場で打合せを行った報告書が回ってきた。添付されている資料は見たことのないものだった。入手先を聞くと、気仙沼市役所のホームページ。地図を埋め尽くさんばかりの事業の数に驚く。
I主事がこの地図の存在を、ついさっき新聞の切り抜きで知ったばかりなのに、いかにも前から知っていたかのように嘯く。3人でこういったやりとりで盛り上がっていると、周りは全く関心を示すこともなく、静けさの中にあった。

午後、戸倉の施工現場の代理人S氏から送付してもらったばかりの資料を元に、変更手続きを進める。今日がリミットなので、かなり焦りながら、なおかつ慎重に作業を進める。途中混乱に陥るが、S氏やその上司と密にやり取りし、難を乗り切る。

最期の図面修正が完了したころには、結構いい時間になっていた。後片付けをしていると、先ほどまで残っていたS技査の姿が見えない。在席しているのに施錠してしまうわけにはいかないので辺りを捜索するが、居そうな気配はなかった。電話をかけてみると、既に帰宅したとのこと。若干腹を立てるが、彼にこういった態度をさせてしまうのは何が原因なんだろうと考える。どうも、自分への嫌悪や無関心ということではなさそうだ。このような状況が当たり前の職場に長く居続けたからなのだろうか?もしそれが原因ならば、自らの手でなんとか変革をもたらしたい。

帰路、歩きながら派遣職員とは何だろう?と考える。東日本大震災は、行政職員の流動化をもたらしたと思っている。おそらくその影響からなのか、昨年の豪雨災害復旧のために、近畿圏でも職員派遣が行われている。

自治体には定員が決められており、平常時の業務量に応じた職員が在席し、人員の配置が行われている。今回のような未曾有の大規模災害が発生すると、通常の何倍もの業務が発生し、定員内では業務をこなすことが困難になる。特に基礎自治体では事務系職員に比して技術系職員が少ないので、たくさんの応援が必要となる。

今の状況を見ていると、自治体ごとに技術系職員を確保することが本当に得なのか?と考えてしまう。周囲の自治体を含めた広域での採用、ローテーションをしてみることはどうだろう。その中で不都合なことが見えてくる。例えば、ローカルルールや業務システムの違いなど。平常時にこれらの整合を取っておけば、非常時に即日対応可能になるだろう。三重と同じ積算システムを使う岩手では、行ったその日から業務ができるように。
もちろん、広域で異動することのデメリットもある。人脈形成が難しくなり、地域の特性を把握するのも不利になる。

また、派遣された職員を前線に回すのか、後方支援に回ってもらうのか、それについても結論が出ない。今行われているように、派遣職員を最前線に送るのか、それとも、スピードが求められる被災地には地理や風土に明るいプロパー職員を充当し、被災していない地域に派遣職員を回すことが良いのか?
他にも、ノウハウの形成が必要ない場面に派遣職員を投入するとか...落ち着いたら、いろいろ検証するとよいかもしれない。そして緊急消防援助隊のようなスキームが、行政職員にも必要なのかもしれない。

夕食は結局コンビニで買った麻婆飯に。あぁ、まるきのラーメンが食べたい!

2014年2月25日火曜日

#396 chance

昨日に引き続き、とても暖かな朝となる。もう、このまま春に一直線でお願いしたいところだ。春眠暁を覚えずなのか、スマホのアラームを思わず切ってしまった。危うく寝坊しそうになり、急いで準備をして出勤する。

昨日作りきれなかった書類を作成し、もう一つケリをつけたい業務に着手する。材料がすべて揃うのは明日なので、出来る限り前に進めておく。今日は大島へ出張するメンバーが多く、職場はいつにもまして静か。今日は穏やかなので、大島も快適なのだろう。
歌津の施工現場の代理人S氏が来所し、打合せを行う。たぶん血液型はA型と想定しているが、本当に緻密で間違いがない。
非ライブカメラA
午後、S氏から提供された材料を元に資料を作成し、続き来月末の重要な会議で使用する資料の作成に入る。一月後と言えども、来週早々に提出と説明が求められているので、あまり時間がない。

今までの経験から、1年に1回は自分の想いを伝える機会があり、後輩たちにそのチャンスを必ず逃さずにモノにするようにと言っている。多くの方々に助けてもらっていることもあるが、自分にとっては、22年度は三重大学の1年間の講義、23年度は大船渡への派遣、24年度は気仙沼への派遣希望が叶い、そして25年度は3月末の会議がその機会のような気がしている。気仙沼で1年過ごして思うこと、三重の未来のこと、10分という限られた時間で果たして伝えられるのだろうか。いつも不真面目というわけではないが、本気モードに切り替える。

いつの間にか最後の一人になってしまい、いそいそと帰宅する。オーベルに向かおうとしたが、電気が消えていたので結局コンビニ弁当となる。あぁ、おいしいものを腹いっぱい食べたい...

2014年2月24日月曜日

#395 静けさの中で

春のような陽気の朝を迎える。もちろん、気温は氷点下かそれに近いと思われるが...いつものように準備して、いつものように出勤する。道路の雪はすっかり解け、安心して歩いていける。

週明けの職場は、やはり冷え切っている。温度計は10℃台前半。T氏はしきりに寒いとこぼし、総務のS主事も部屋に入るなり「寒っ!」とのたまう。部屋が温まるまでの間、化石燃料に頼る。
金曜日に途中で断念した作業を早速始め、なんとか午前中に決着することが出来た。
非ライブカメラA
午後、いくつものトラップが仕掛けられていた業務を、ゴールに向かって進める。いろいろ思うことがあるが、ここは波風を立てずに、そっとしておこう...
用地測量のコンサル担当氏、戸倉の施工現場の代理人が立て続けに来所し、打合せをする。ともに順調に前に進んでおり、短時間で終了する。

夕刻、土木事務所へ書類提出に出向く。スタッフが多いこともあるが、活気があふれている職場だ。静かな空気に支配されている自分の所属とのギャップを感じる。北海道から来ているY氏と少し話をし、水を打ったように静かな自席で作業を続ける。

一つづつ片付けていき、懸案だった精算業務がようやく片付いた。穴が開くくらい設計書をチェックしたので、もう大丈夫だろう。時計は22時を回っていた。暗くなった合庁を後に、昼とは違う寒さの中を帰宅する。しかし、なんとなく湿っぽい空気が漂っていて、春を感じさせた。

行きつけのコンビニで夕食を買い求め、ベースキャンプへ戻る。どういった構成にするか悩みぬいたパソコンを、ついに買ってしまった。コストを重視するか、パフォーマンスを重視するか...今回は後者を選択する。今愛用のマシンは、とにかく軽さ最優先で選び、その点では他の追従を許さなかった。しかし、パフォーマンスは二の次だったので、すぐに頭打ちになってしまった。次は軽さもパフォーマンスも両立しているはず。SONY最期のVAIO、大切に使おう。

2014年2月23日日曜日

#394 Crossover Kesennuma Vol.9 -魅力を伝える-

ギリギリまで惰眠を貪り、ギリギリにホテルをチェックアウトする。最近はMAXに予定が組み込まれているので、寝られるときは寝ないと...

昨日に引き続き、ヨドバシカメラへ。BTO担当スタッフは多忙を極めており、残念ながら話をする時間がなさそうだった。諦めてネットで購入することに。

行き来た道を戻る。仙台の道はところどころ雪がはみ出してきており、幅員が狭小となっていて危険極まりない。この雪が完全になくなるのはいつの日だろうか...

無性に仙台風のラーメンが食べたくなり、偶然通りがかった街外れにある「寅や」という店へ。
入口に自販機があり、メニューは味噌タンメンと特製味噌タンメンの2種類しかない!ひとまず味噌タンメンを注文し、窓口で食券を出す。20名程度の席数でさほど大きな店ではないが、席は粗方埋まっていた。

ラーメン店にしては少しゆっくり目に商品が出てきた。巨大なすり鉢にもやしがてんこ盛り、麺は超太麺の不思議なラーメン。もやしを掘っていってもなかなか麺にたどり着けなかった。
味は悪くなく、また来てもいいかな~という感じだ。

利府中インターから三陸道に乗り桃生津山ICで降りる。45号線までのアプローチで、珍走を楽しむ若者に出会う。若干迷惑ではあるものの、皆ヘルメットをきちんとかぶり、一時停止ではきちんと止まり、信号無視もしない。宮城らしいといえば宮城らしい...

45号線を北上していつのも南三陸へ。歌津のガソリンスタンドで給油する。上島竜平に似た店員さんは、自分のことを覚えていてくれた。コンビニでアイスを買って気仙沼へ。大型ショッピングセンターのATMに立ち寄り、洗車をしてから劣化したワイパーゴムを交換する。

既に遅刻時間帯に突入してしまったが、ダッシュでゲストハウス・アーバンへ。「気仙沼の新酒を楽しむ会」は既に始まっていた。
200名近くの来場者があり、土木事務所の徳島から派遣のT技査の横に空席を見つける。机上には「気仙沼ロータリークラブ」とあるが、空いてたからいいか...
気仙沼の二大銘柄、男山と両国の新酒が各テーブルに配置されている。一口に日本酒と言っても、その製法などでかなり味わいが異なる。しかし、いきなり日本酒スタートは厳しい...少量でかなり酔いが回ってしまった。
 テーブルには市立病院の先生をはじめ、地元の方々が陣取られていたが、さすがに初対面過ぎて深い話にまでは至らなかった。残念・・・
大島でお会いしたことのある、グリーンアイランドおおしまの店主もお見えだった。数少ない面識のある方だった。大船渡だと、もう少し知っている方とお会いしそうなのだが、気仙沼での人脈の無さを痛感する。

事務所の偉い人達が巣食うテーブルに向かう。お互い見たことはあるが、話をするのは初めてだった。普段は口数の少ない方々だが、今日は比較的饒舌だった。まもなく11か月が経つが、少し距離が縮まった気がする。

テーブルのご馳走を摘まみながら、気仙沼の魅力について語りあう。ここに並んでいる魚も、気仙沼で食べるからおいしいのであって、他の地方に行ってしまえば魅力が半減するのでは?という話になった。確かに、居酒屋に行っても、魚市場の状況で出てくるメニューが変わる。
内陸の店で刺身が出てくることがあるが、気仙沼より劣ることが火を見るより明らかなので、あまり手をつけたくない。気仙沼で刺身を食べることの魅力をもっと発信していこう...もちろん、気仙沼にこういったお酒があることも!

引き続き、抽選会が行われる。チケットに刻印された番号が呼び出される。10名ほど発表があったのち、自分の番号が呼ばれた!!!さっきも飲みやすいと思っていた、男山の福宿(ふくやどり)を獲得した。
記念に、男山本店の菅原社長と
20時ごろに散会となる。T氏、S技査、I主事はまだしばらく会場でねまっていたので、少し早目に退散させてもらうことに。千鳥足でベースキャンプへと戻った。

溜まっていた東海新報を読むと、世迷言に大船渡線の復旧について書かれていた。復旧費用は400億、うち原型復旧が130億で、路線の付け替えなどに伴う費用として270億との試算だった。別のニュースソースでは、気仙沼線も同様の多額なコストがかかると報じられている。
鉄道が好きな自分にとっては、鉄路での復旧が最善と考えている。しかし、明治三陸地震津波以後の悲願だった三陸沿岸の鉄道も、時代の変化とともに役割が変わってきている。
今後のこの地方の交通体系を鑑みると、自分案として...

【気仙沼線】
・鉄路での復旧は、柳津~志津川とする。
・残りの区間はBRTで運行。
・本吉、南三陸から仙台への長距離輸送は三陸道の高速バスに委ねる。

【大船渡線】
・鉄路での復旧は気仙沼~陸前高田とする。
・陸前高田~大船渡は、BRTと三陸道経由の直行バスで運行。
・陸中門崎~千厩の短絡線を建設、残り区間を高速化し、一ノ関~気仙沼間を30分で運行、東北新幹線(はやて)と接続して仙台~気仙沼を1時間で連絡する。

妄想と思われるかもしれないが、BRTも電気バスや観光型車両の導入など、改善が進んでいる。鉄路に固執していては前に進まないかもしれない…

2014年2月22日土曜日

#393 next generation

窓から暖かな日差しが差し込む土曜日の朝。永遠に布団に吸い込まれていたいが、そうもいかない。9時前に起床し、ささっと準備をして、気仙沼の母の元へ向かう。

1か月以上放置してしまった、モサモサの頭を切る。本当にモサモサで、一秒でも早く切り落としたかったが、ようやくその願いが叶った。母といろいろな出来事についてかだる。どうやら6月には良い話があるよう。「あまり姑が婿をいじめない方がいいですよ(笑)」と忠告しておく。

既に遅刻気味だが、仕度をして1号機で出撃する。45号線を「上り」、南三陸町歌津の田ノ浦に差し掛かったころ、以前から気になっていたアンパンマンを修繕するおんつぁんを見かけ、急ぎ引き返す。

おんつぁんから話を伺い、なぜここにアンパンマンがいるかわかった。田ノ浦の集落も、ご多聞に洩れず大きく被災した。埼玉からの支援物資を受け取る際、45号線の目印がないこの場所を理解するのは至難の業。浮き球で作られたアンパンマンは看板だった。
高台にあったおんつぁんの家は被災を免れた。そのため、衣類や食料などを被災された方々に分け与えたそう。「その時の人たちから、感謝の言葉もきかないねぇ。」とポツリ。震災の記憶は、被災者の方にとっても忘却の彼方へと向かっている。

歌津の現場にチラ寄りし、久々に戸倉のオーイング菓子工房ryoへ。工事でご迷惑をおかけしていると告げ、マドレーヌなどもろもろ購入する。最近姿を見なかった安全衛生管理者代行「カンタ」も、暖かい部屋でくつろいでおり、相も変わらずベッタリとなついてきた。

戸倉の施工現場にチラ寄りし、再び45号線に戻り、三陸道経由で仙台へ。目的地である仙台市博物館に到着したころには、既に大きくディレイしていた。

W技師に案内してもらった漆に関する講演会は、後半の佳境に入っていた。東北は著名な岩手県二戸市の浄法寺をはじめ、山形でも漆の採取が行われている。どういった漆の木だと採取量が増えるのかなど、興味深い話だった。三重にも津市美杉町にその名の通り「漆」という地名があるくらいなので、生えてはいるのだろうが、ビジネスとして採取するという話は残念ながら聞いたことがない。
ミュージアムショップで「仙台四大画家」という図録を買い求め、ようやく連絡の取れたW技師と仙台のM主任主査、林試センターのW技師とともに庭園の漆の木を眺める。

ホテルでチェックインを済ませ、ひとまずヨドバシカメラでパソコンを見る。BTOの製品なのでネットで買えばいいのだが、やはり実機も見てみたい。ここにはスタッフがBTOの手続きを行ってくれる。希望の構成を伝えたところ、納期は1か月ごとのことだった。Z505、Xと使ってきたSONY最期のVAIOノートを手に入れるための時間も無くなってきたが、次の予定までの時間もなくなってきたので、ひとまず店を出る。

スマホのナビを駆使して、雪が大量に残る仙台の街を歩く。国分町にある居酒屋左五平へ。目測を誤ってしまったので、開始2分ぐらい前に滑り込みとなる。

16名の若手林業職員の「W会」が開催される。林業のボス、K次長とM主任主査と自分がゲストとしてお招きいただいた。若手職員も半分くらいは顔を知っているが、半分は未知。少しづつ探りを入れていく。熊野を発つ時にN君から名刺をもらったS技師ともようやく会うことが出来た。
自分は既に「おんつぁん」の領域に達しているので、若手にちょっとだけお話をする。北部のH技師には、パートナーを大切にしなさいね、などと偉そうに講釈を垂れる。
程々楽しんで、最後は自分が挨拶をすることに。

2次会は、店の前で客引きをしていた夢源という店へ。テーブルレイアウトは居酒屋とスナックのハイブリッドという感じだった。栗原のS技師、林業振興課のO技師とねちねち話をする。O技師の特技を知ることが出来、宮城県の宝が見つかったと驚嘆する。
K次長も2次会に顔を出されたので、いろいろ極秘の話をする。三重のY次長と同じく、全体を見渡せる優れたバランス感覚をお持ちなので、宮城の林業はしばらく安泰だと感じる。そして、パワフルな次世代が着実に育ってきている。

実は、三重では当たり前にある文化が宮城にはないことに気づいていたが、それは特定のケースだけなのかと思っていたが、ここで改めて、いかなる場合でも存在していないことが確認できた。
上司から部下へ、先輩から後輩へ、年長者から若者へ。自分も幾度となくその文化の恩恵に与ってきたので、ここでそれを根付かせようと大見得を切る。この文化が根付けば、世代を超えた連帯感が生まれると思うのだが...

もう日が変わりそうな時間に散会となる。一部の若手は満足しなかったのか、夜の街へと消える。

とぼとぼと歩きながら、コンビニで買い物をしてホテルに戻る。偶然というか、自分のよく知っている
方とホテルの前で鉢合わせる。人にはそれぞれ言えないことがあるのだな、と思った。

2014年2月21日金曜日

#392 春遠からじ

極めて気温の低い朝を迎え、外から「ガリガリ」と音が聞こえてくる。案の定、うっすらと雪が積もっていた。いつものように準備をして、冷え切った道を徒歩で合庁へ向かう。

昨日から引き続きの精算作業を進める。図面を直したりするが、初期に比べてCADが自在に扱えるようになったのは成長した証か。電話などもほとんどなく、順調に作業を進める。
T氏とI主事とオリンピックの話題になる。しかし、職場ではほとんどその話題に触れる人がいない。地元出身の羽生選手が金メダルを獲得したにもかかわらず...皆、見てはいるようなのだが。
非ライブカメラA
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午後も作業に取り組み、ようやくゴールが見え始めたころ、あるトラップに引っかかる。この期に及んで...。顔は笑っているが、内心は穏やかではなかった。

そのような中、治山班のM技査からメールが届く。内容は、県庁ではない、仙台からの指示、指摘事項だった。被災地の復旧、復興は、全国の方々の血税で賄われている。今は宮城県民だが、三重県民の自分も含まれている。

納税者でもある自分としては、適正な執行は当然のことながら、被災地の方々がいち早く生活の基盤を取戻されることが一番の願いである。しかし、メールにあった内容は、どう考えてもその期待を裏切るものだった。誰のための、何のための指示、指摘なのか理解に苦しむ。

様々な事業主体が、複雑な調整を行わないと前に進めない今のスタイルを、未来の被災地である三重で模倣したいとは思わない。国、県、市町が顔を突き合わせて仕事ができる「復興センター(仮)」が、自分の理想であり、その方が圧倒的スピーディーに仕事が進むからだ。しかし、その真逆を強要する人たちが、その権力を濫用している姿を見ると、とても悲しい。

トラップで受けたダメージをリカバリーするために頭を悩ませる。ちょうど1年前も似たような状況に追い込まれていた気がする。

昨日、保安林について少し案内した水産研究所の方が再び来室する。小学校での話は想像以上に好評だったようで、保安林にも興味を示してくれたとのことだった。
海と森のことを少しお話される。何とも言えないこともあるようだったが、やはりというか、針葉樹よりは広葉樹の方が海にとってはふさわしいこと、ケイ素が植物プランクトンの増殖に欠かすことが出来ないもので、川の水には海の水の100倍という単位で含まれていること、水の中の生き物のバランスのことなど...水産技師とのコラボが必要だと強く感じる。

再び現れ、カキを蒸し焼きにしたものをくださった。ちょっとしょっぱいカリカリとした食感は、酒の肴にうってつけだ。
現場代理人のS氏に無理に電話をしながら作業を進めていると、ワイヤレスマウスが突然言うことを聞かなくなる。どうやら電池が切れてしまったようだ。今日は店じまいにしよう。

あらゆる水たまりが凍り付いた街を歩く。比較的遅くまで営業しているオーベルに出向くが、あいにく「CLOSED」のサインが出ている。もう少し歩いて吉牛へ。
懐かしい吉野家コピペを彷彿させる、殺伐とした雰囲気だった。空腹を満たす以上のものは得られなかった。

凍てついた道を歩きながら、春のことを思いうかべる。もう少ししたら、三重だと田んぼに水が張られ、気の早い筍が顔を出すころとなる。気仙沼では、さらに時間がかかるだろう。
最近少し疲れてきたのか、やや後ろ向きの自分がいる。やがて来る春待ちわびて、今しばらく冬を耐えることにしよう。

2014年2月20日木曜日

#391 direction

風もほとんどなく、穏やかな朝を迎える。気温はいつもながらに低いが、十分に耐えられる。
木曜日は資源ごみなどが出せる日だが、4週目の数え方が、木曜日として4週目なのか、4週目の木曜日なのか判断が付かず、ひとまず缶ごみを持ってごみステーションに向かうが、誰も缶を捨てておらず、陶器が置かれていた。急ぎ部屋に引き返す。

歌津の施工現場に向かわなければならないが、少しごたごたしてしまい、出発が遅れる。幸い道路が順調だったので、ほぼ予定時刻には現場に到着した。

完成した現場を確認し、細部の処理の打合せを行う。事故もなく無事にここまでたどり着けたのは、ひとえに、朴訥な現場代理人のS氏のマメさや、チーム白老の結束力に追うところが大きい。もちろん、地元のみなさんの協力もあってのこと。
ハードに100%は存在しない。しかし、今回の工事によって、この箇所に存在した多くの不安は取り除かれたと思う。
現場事務所で打合せを行った後、近接する他所管の施工箇所を垣間見る。先行して工事が進んでいるところもあり、もたもたしていられない。
昼食に日門食堂でカツカレーを食べて、帰庁する。
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T班長へ状況報告するが、今後のスケジュールについてなぜか話がかみ合わない。打合せでの決定事項を現場にも伝えてあるので、朝令暮改はパートナーに多大な負担をかけてしまう。事は問題なく解決したが、うーん...

戸倉の施工現場から、進捗など話を聞く。予定していなかった事態が発生したようで、少し行程が後ろに伸びる。総務のS主事にその旨伝え、一つ事務処理が追加されることを告げると、非常に難色を示される。うーん...

パートナーである施工業者が最大のパフォーマンスを発揮できるような環境を整えるのは、監督員として当然のことと思っているし、仕事をしていくうえで、刻一刻と変化する現場という最前線で尽力してくれているパートナー側を向くことは至極当たり前のことと思っている。結果として、その施設を待ち望んでいる人たちの期待に応えるという、目的を達成するための近道だと考える。

そういったパートナーに対し、平然と負担を掛けるような発言が出ることは心外だが、震災から3年近くが経ち、日々取り組んだことのない仕事に取組み、思うように事が進まず、そして様々なプレッシャーがかかっている同僚たちは、精神的に疲れ切っているのかもしれない。

志津川出身のS技術次長に、志津川の小中高がなぜ高台に建てられたのか尋ねてみた。小中はどうやらチリ地震津波の後のようで、高校は以前から高台にあったらしい。戸倉の学校も高い所に建っていたので、教訓を生かし、かつ先見の明があった人物によってそのような取組がなされたのだろう。

しばらくすると、W技師とS主事が段ボール箱を抱えている。中には、楽天優勝パレードの協賛記念品が入っていた。
ひとまず、精算業務を進める傍ら、三重に出さなければいけない資料を完成させる。
21時を過ぎたころ、水産試験場の方が来室される。明日、南三陸町の小学校で話をする際に、魚つき保安林の説明をしたいとのことだった。三重で魚つき保安林を見かけることはあまりないが、この地方の海岸沿いの森林は、殆どと言っていいくらい保安林指定されている。それだけ森に対する思いが強いということだろうか...
既に時計は22時を回っていた。職場を施錠し、帰路に就く。

コンビニで夕食を買い求めベースキャンプに戻ると、T氏が2号機のパンク修理を手掛けていてくれた。自分の出来ないことが出来るT氏を尊敬するし、仲間のありがたみを痛感する。

夕食を摂りながら、東海新報を読む。四日市市職労の方々が、陸前高田で灯油の配布を行ったと書かれていた。この地で四日市という文字を見ることがうれしいし、地元からこうやって支援活動に来ているんだと思うと、まだ忘れられていないんだという思え、なによりも幸せに感じる。

2014年2月19日水曜日

#390 夢と希望

雪が降るほどではないが、寒い朝を迎える。いつものように準備して、いつものように出勤する。最近は毎日歩いているが、特に痩せる気配もなく、体調も風邪をひくかひかないかのギリギリを保っている。そういえば、I主事から日程に余裕を持たせた方が良いと言われたことを思い出した。確かに、来月の終盤までびっしりと予定が入っている。

ようやく、先週の三重出張の報告書をまとめる。また、A総括のスケジュールの都合により、検査予定の変更が発生する。完成から検査までの期間を調べるため、三重で言うところの会計規則である、財務規則を紐解くが載っていない。契約書で確認し、この期間に条例で定める休日(土休日など)は含まれているのか否かを、総務のS主事に確認する。

I主事から、ある資料を発見したとの知らせがあった。Hという施工予定現場で、追跡が困難だった関係者へのアプローチが可能になる内容だった。
非ライブカメラA
時折雪がちらつくも、天候が崩れることはなさそうだ。27日までに絶対に終わらせなければならない業務がいくつかあるが、資料が不足して前に進めないモノものある。取り急ぎ、出来ることから作業を進める。

歌津の施工現場の代理人から、ブロックの設置が完了したとの知らせがあった。仮設道が何度も破壊されるという、かなり手こずった現場だったが、チーム白老の活躍もあってようやくゴールにたどり着いた。確認すべき事項もあるので、明日現場に出向くことに。

鹿児島から市役所に派遣されているK氏、鳥羽市から南三陸町に派遣されているM氏から連絡がある。最近、多岐に渡る内容で密に連絡を取り合っており、いろいろツーカーの中になっている。こういった関係が3月で終了してしまうのかと思うと、忍びない。

作業に存外時間がかかっており、いつの間にかいい時間になっていた。T氏とともに帰路に就く。T氏から、「パンクしているタイヤ、直そうか?」という優しい言葉が発せられる。当然、甘えることにする。かれこれ1月放置しているような気がしており、ちょっとかわいそうになってきたところだった。

福幸小町に出向くも、こけしは休みだったので、昨日に続いてエスポワールへ。時間があまりなかったので、和風ミートソースのパスタのみを注文する。隣席の初老の男性客の話し声が耳に入る。かなり知的な仕事をされている方のようだが、それぞれに復興に関しての悩みがあるようだ。

帰宅後しばらくして、ドアがノックされる。カントクこと、O氏からの支援物資だった。既に送り状に書かれた品名が垣間見え、少し恥ずかしくなる。
箱の割にはやけに軽い。一つめくると、いつもどおり小技が聞かせてある。
ゆっくりと箱を開けてみると...
orz
久々に、隣の部屋に聞こえるくらいの大声で大爆笑www
最近、いろいろと悩ましい出来事もあった矢先なので、とてもうれしかった。友達っていいな、と強く思った。

2014年2月18日火曜日

#389 異なる視点

こたつで寝てしまい、3時半に目が覚めるが、改めて体制を立て直し、布団に入って寝る。いつもより1時間早く起床し、準備を整えて徒歩で出勤する。こたつで寝てしまったせいか、微妙に体が重い。

出勤後、即、A総括とT氏とともに南三陸町役場へ向かう。道路は予想以上に空いており、予定時刻より15分も早く到着する。9時半の集合時間だったが、まだ誰も現れていなかった。三々五々集まり、石巻労基署のS次長をお迎えしてからミーティング。定例の月例パトロールだが、今日はスペシャルエディション。気仙沼市では、労基署長や土木事務所長が参加している。

まず、水産漁港部が実施している志津川港の嵩上げ工事の現場へ。タイトな場所にある現場事務所は、近隣の用地事情を表しているようだった。至る所に現場事務所が林立しているが、一つの建物に集約した方が効率的だと思われるが、様々な事情がそれを許さない...

工事中の岸壁は、寒風が強力に吹き付けており、痛い。
気になる点はいくつかあったが、そういった指摘は他のメンバーに任せ、やや打算的なことを胸に秘めつつ、とにかく「いいところ」を指摘してみる。津波避難経路の明示や、バックホウの取扱いに関する工夫などを伝えたところ、現場代理人は「今まで褒められたことがない!」と少し喜ばれた。

引き続き、自分の担当する戸倉の現場へ。現在は吹付作業を行っており、くみ上げられたプラントからは「プシュ!」とメカニカルな音が発せられていた。
現場代理人と密にコラボっており、特に安全対策を重視して取り組んできたが、第三者の目によっていくつか指摘がなされる。あぁ、と思いつつ、安全にやり過ぎはないはずなので、真摯に受け止めよう。

さんさん商店街の志のやで昼食をとり、歌津にある農地整備の現場へ向かう。
以前もかなり厳しく指摘した施工業者だったので、少し厳しめにチェックする。一次下請に三重からの施工業者が入っており、ヘルメットをかぶった作業員の方に声を掛けたら、たまたまその方は秋田出身だった。地の利のない方が働いている以上、津波避難なども適切に対応する必要がある。
路傍の石碑
本吉総合支所で、気仙沼班と合同打合せとなる。最近はありえない状況での労災事故も多発しているので、特に注意が必要だ。

帰りの車中で、いろいろ話をする。こちらの職員の置かれている環境は、三重に比較すると厳しいと思われる時が多々ある。2つの環境を比較できる状況にある今だからこそ、初めて気づくことがある。どうやったら改善できるのか...職員組合の力を借りる必要がありそうだ。

帰庁後、戸倉の施工現場担当のS氏から連絡がある。今日の指摘事項について既に対応を手配済みで、明日には整うとのこと。このレスポンス、とてもありがたい。
溜まった書類やメールなどをさばきつつ、年度末の完成検査のスケジュール調整をT班長にお願いする。

業務終了後、久々にエスポワールへ。いつものパスタセットを頼んだら、おまけでアップルティーを出してもらった。ちょっとくつろいだ雰囲気になる。

昨日から風が強く、気温も低いために特に寒く感じる。春までもう少し時間がかかりそうだ。

2014年2月17日月曜日

#388 右往左往

風の強い寒い朝を迎える。幸いにも、昨日のうちに路面の雪は大幅に溶けていた。いつものようの準備して、徒歩で出勤する。

机上に置き去りにされた書類を整理し、金曜に露呈した防潮堤設計上の課題について調整を行う。類似の案件の資料を確認し、東部の事務所からも資料を送付してもらい、治山班と協議する。
非ライブカメラA
午後、I主事とともにNという施工予定現場の用地境界の確認に向かう。関係者は1名と土木事務所のため、スムースに作業は終了する。しかし、強風が吹き荒れており、海水の飛沫が顔面を強打し、痛い。
引き続き、歌津の施工現場の状況を確認する。現場代理人から無事は確認していたが、大荒れの週末を無事に乗り切っていた。消波ブロックの威力を見せつけられる。もうほんのわずかで作業は終了する。このまま無事に終わってほしいと願う。
帰庁後、いくつかの作業を続行する。

業務終了後、T氏と帰宅する。ここ最近、T氏との親密度が高まっている。しかし、もしかしたらそれもあと1月ほどかと思うと少し切ない。
風が強く寒いので、新来軒についでベースキャンプから近いオーベルというレストランで夕食とする。
カニクリームコロッケ
帰宅後ニュースを見ていたら、豪雪による丸森町の孤立はまだ解消していないとのことだった。東北と言えども、すべてが雪深いわけではないのであまり印象がないかもしれないが、かなり気がかりである。

2014年2月16日日曜日

#387 Crossover Kesennuma Vol.8 -classification-

眠り続けたいという欲望を断ち切り、目覚ましとともに起床する。しかし、布団でウダウダしていると9時半になってしまった。もさもさになっている髪を切りに行こうと、窓から理容コマツを眺めると、ねじねじ棒が回っていない...気仙沼の母に電話をしてみると、店にはいるがタオルをすべて洗ってしまったためにお休みしているとのこと。

母に京都土産を届けてから、実母より念押しされていた前厄のおはらいへ、早馬神社へ向かう。唐桑に抜ける道は、雪が解けてシャーベット状になっていた。

社務所で名前などを記入し、本殿へ。ここで、全くの普段着で来てしまったことを後悔する。しまった、スーツで来るべきだった...
太鼓が打ち鳴らされてから祝詞があげられる。玉串を備えてお参りし、太鼓が打ち鳴らされて終了する。お札とおさがりをいただくことに。少し玉串料が少なかったか...

神主さん(か禰宜さん)と少しお話をする。自分の生まれた街のこと、今の気仙沼のことなどなど。震災から3年が経ち、住んでいる人たちの心境も変化していると仰っていた。
元来た道を戻り、応援したいガソリンスタンドの一つ、須藤商店へ。店主は自分のことをおぼろげながら記憶してくれていたようだ。気温は6℃。風が暖かく、春がやってきたような雰囲気だ。

しばらく進んだ高台で、早馬神社方面を眺める。昨日の強風で松葉が散っており、辺りにはいい香りが漂っていた。
第18共徳丸があった場所は仮設道が設けられている。
フェンスの奥が仮設道
軽めの昼食をと思い、気仙沼横丁のかに物語へ。
カニ入りビスクと、クラブケーキ
急ぎ、気仙沼中央公民館へ向かう。幸いにも駐車場は空いていた。
元々は河北新報気仙沼支局として使われていたが、市に無償譲渡され、改装の上で公民館として活用されている。
新聞をアレンジしたモニュメント
経緯など
3Fにあがり、会場入りする。席は程々に埋まっていた。
13時から、気仙沼未来創造会議2014冬が始まった。前半は、アイリスオーヤマの大山社長による基調講演。
宮城を代表する企業だが、元は東大阪からスタートしていると聞き、なんとなく関西訛のある言葉の意味が理解できた。講演のテーマは「ユーザーイン開発のイノベーション」と題し、氏の今までの生い立ちや、企業として大切にしていることなどを説明される。

元々は漁具(プラスチック製ブイなど)や育苗箱などを製造していたこと、ペットブームやガーデニングブームに一躍買ったことなど、企業としての歩みも興味深い。
プロダクトアウトからマーケットイン、という言葉はよく聞くが、さらに生活者に密着したユーザーインという考えのもとで企業運営をおこなっていること、売り上げの50%は発売から3年の新商品で賄っていることなど、利益率は常に10%以上確保し続けていることなど、目から鱗だった。
また、レジュメには「企業は変化対応業」と書かれており、学生時代に工場管理という授業の先生が仰っていた言葉を思い出した。

休憩時間に外に出る。建物の前には、伝説の避難階段が装いを新たにしていた。
そして3Fから内湾を眺める。
後半は未来創造討論会と銘打ち、「創造的復興のために今やらなければならないこと」をテーマに、ラウンドテーブルでパネルディスカッションが行われた。
日々この地方で活躍しているパネリストから、自分たちが取り組んでいることなどが話されるが、東北未来創造イニシアティブのメンバーからは厳しいエールが飛ぶ。被災地だから得られていたメリットはまもなく消え失せ、そういった「レッドカーペット」は二度と訪れないという辛辣なメッセージもあった。行政だけではなく、民間にもプレッシャーがかかっている。そして、具体的な何かが打ち出されるわけではなく、会は終了した。

いくつか気になる点があった。参加者名簿をチラ見したところ、自分の所属は「一般」と書かれており、100名程度の参加者のうち、一般は10名程度しかいなかった。市広報の折り込みで会議の開催を知ったので、おそらく全世帯に折込まれているはずなのだが...
また、会議の洗練された雰囲気が、個人的には気仙沼にあっていないような感じがした。共通語で進められるディスカッションには違和感を覚えた。

以前友人から、ヨーロッパの鉄道について話を聞いたことがある。友人の父が2等車に乗っていたところ、別の乗客から職業を尋ねられたので「技術者(engineer)」と答えたところ、2等ではなく1等に乗車しなさいと言われたそうだ。技術者という職業が尊敬されていることもあるだろうが、そういった階級が存在することも確かである。

今日円卓を囲んでいる方々は、気仙沼では「1等車」に乗るべきとされる人たちである。確かに気仙沼をけん引していく人達であることは間違いない。しかし、1等車だけでは鉄道は成り立たたず、2等車も必要である。なんとなく感じた違和感はここにあるのかもしれない。もちろん、職業に貴賤はなく、市民に格差があると言っているわけではない。

ここでどんな話がなされたのか、市民に伝えることも必要だという注文もあった。もっと市民に関心を持ってもらわなければ、この場で話されたことは絵に描いた餅になってしまう。コーディネーターのリップサービスはともかく、気仙沼を良い街にするという想いは、市民全員で共有してほしい。

まるきに向かおうと思うも、急きょお休みとのことだったので、また気仙沼横丁に向かい、福建楼で麻婆飯にする。
帰宅後、少しのんびりとした夜を...と思ったが、洗濯だのなんだの、バタバタしてしまった。