2014年2月27日木曜日

#398 詰め込み

連日の暖かな朝、とても過ごしやすくて気分がいい。いつものように準備をして、いつものように出勤する。

朝一、歌津の施工現場を担当する建設会社の社長から電話があった。津波で被災した社屋の再建を予定しているが、その過程で発生する事象に対しての相談だった。地域全体にとってはとてもプラスになる内容だったので、水漁のS技査、土木事務所のZ主任主査にアドバイスをもらうことに。すると、Z主任主査の上司が的確なヒントをくださる。メモを書きとめ、後はA総括にバトンを渡そう。
全てが思うように事が進むとは考えにくいが、こういった一つ一つのピースがはまっていけば、復興のスピードも上がるだろう。

職場に戻ると、三陸新報のI記者が来所された。新天地に旅立たれるとのことで、少し寂しくも思うが、この街から離れられるというわけではない。活躍を祈念したい。すると、自分あてに取材をしたいと申し出をいただく。派遣職員の紹介コーナーだそうで...

リミットが差し迫った業務を終わらせるために、作業を進める。推定10分程度という時間の中で、幹部を前に説明する。こういった状況が昔にあったことを思い出す。

尾鷲庁舎で勤務していた頃、IT利活用のワーキンググループが出来たので、自分が取りまとめをして発表することになった。project2k1と名付けたこの取組では、生産終了を目前に投げ売りになった、インターネット接続可能なS社のゲーム機を各家庭に配布することを企てた。研修センターの担当氏からは発表に難色を示されたが、当時の三役は喜んでくれていた。

もう一つは、13年前にBIRDと名付けた、防災情報をあまねく提供するというプロジェクト。当時の知事の元、新価値創造予算という制度があり、各部から事業内容を直接知事に説明し、事業化を目指すというものだった。20数個あった事業のうち、自分のプロジェクトは12番目ぐらいだったと思う。
構想段階から様々な方々の協力を得、事業化以降も職場のメンバーや素晴らしいパートナーのお蔭で、無事「防災みえ.jp」としてリリースすることが出来た。

20代半ばでこういった機会に恵まれたことは、今の自分にとってかけがえのない経験になっている。もちろん、忘れたい辛い思い出もあるが...
非ライブカメラA
非ライブカメラB
午後も、やたら入念に作業を進める。こんなに詰め込んでしまって時間は大丈夫だろうか。T氏は明日、派遣元での発表を控えており、自分と同じような境遇にいるはず。「適当でいいか~!」と口では発しているが、T氏の性格から、クオリティの高い作品を仕上げているはずだろう。

ひとまず作業が完了したので、比較的早めに業務終了とする。W技師といろいろ話をしながら帰宅していると、背後から女性に話しかけられる。マスクをして目深に帽子をかぶられていたので、パッと見、誰か分からなかった。「今日は早いね。」声の主は気仙沼の母だった。

1号機を動かし、まずは夕食に向かう。最近ろくなものを食べていなかったので、久しぶりに南町紫市場のとんかつ勝子へ。大きなカキフライを頬張る。
ご飯をお代わりしたものの、まだまだ食べられそうだったが、おかずが無くなってしまった。

紀宝の師匠から電話をいただいた。ある地形データの利活用についての助言だった。10年以上前から存在した技術だが、最近は価格がこなれてきたようで、学会発表などを聞いていても、多く利用されていることが窺える。。大規模災害発生時などでの利活用が注目を集めており、いずれ森林林業分野でも積極的に活用されるだろう。師匠は「お前に花を持たせてやりたい。」が口癖である。その期待に応えられる日がいつかやってくるのだろうか...

引き続き気仙沼駅に向かい、明日の帰県に備えて切符を買い求めようとするが、冷静に工程を分析した結果、明日まで待つことに。後、大型ショッピングセンターに立ち寄り、お土産などもろもろ買い込む。

少し雨が当たってきた。大降りになることは無さそうだが、一雨一雨が、春の訪れを感じさせてくれる。しかし、懐には厳寒が訪れている。この自分の癖は、どうも治りそうになさそうだ。

溜まってしまった東海新報を読んでいると、最終面に大船渡市三陸支所の写真が載っていた。よく見ると、懐かしの愛車、黒パジェが!
いい加減、カバンに荷物を詰め込まなければならないが、もう明日にしよう...