2015年3月26日木曜日

#790 引継ぎ

この季節らしい暖かさと言うか寒さと言うか、いつものような朝を迎える。いつものように準備して、いつものように出勤する。

朝一、市役所で転出の手続きを行い、合わせて郵便局で転送を依頼する。他にもやりたいことがあったが、時間切れとなってしまった…

午後から行われる引継ぎに備えて、資料のまとめに入る。十数ページにわたる引継書、それに付随する資料。いつも思うのだが、長くいるとそれだけ引き継ぐことが増えてします。組織として動いているにも関わらず、属人的なこともそれなりに出来てしまう。N技師を巻き込んで可能な限り排したつもりではあるのだが。

昼休み、ダッシュでカメラのオガタに向かう。親しかったメンバー分のフォトブックを作成する。作りながら、思わずジーンとする。
H主任主査のボリューミーな引継に時間がかかり、その後に自分の引継ぎとなる。県庁からやってきたK技査に引き継ぐのだが、書面を読み上げるだけで膨大な時間が掛ってしまう。K技査はこれから仙台まで帰還することになるので、あまりもたもたもしていられない。要点を可能な限り説明して、あとはN技師に託すことにする。

夜、気仙沼の母とミサコさんにお招きいただき、送別会が開催される。母宅に上がり込んで、手料理を食べながら四方山話に花が咲く。2年という月日が、こういった場に昇華したのかと思うと、とても感慨深いものがあった。職場だけでなく、地域ともコミュニケーションが取れたことは本当によかった。この街の本当の声が聴けたような気がする。
時間も遅くなったので散会となる。母たちと再び会う日は必ず来るだろう。

2015年3月25日水曜日

#789 天下分け目の戦い

春は三日の晴れなしと言われるが、雨の少ないこの地方は意外に天気がもつ。いつものように準備して、いつものように出勤する。

引継ぎ関連の資料をまとめ、昼前にNとIという施工箇所にかかる打合せのため、コンサル氏が到着する。ボーリングコアを渡し、N技師、F氏とともに打合せとなる。的確なアドバイスを出してくれるF氏の存在は本当に大きいが…
非ライブカメラA
午後、鹿児島から気仙沼市役所に派遣のk氏が訪ねてくる。おもむろにカバンからカメラを取り出し、窓から撮影を始める。もう自分の職場のようにわがもの顔である。
無事に引継書も完成し、「解散会」へと向かう。差し迫った日に設定したのは、親睦会「北の会」の幹事、最年少のS主事の20歳の誕生日を待っていたから。

天婦羅丸子の座敷がメンバーで埋め尽くされる。自分は幹事長なので、入口に近い席に座る。T部長に全員の異動先を発表してもらい、宴が始まる。

隣には、今月いっぱいで契約満了となる臨時職員のCさんが座られる。今まで震災の話をしたことがなかったが、家族に起きた出来事を話してくれた。
ご両親が松岩に住んでおり、津波によって建物は完全に破壊され、そして行方不明になられた。お一人は流された家の中で、お一人は大島で見つかった。
その話を横で聞いていたT班長が目を潤ませていた。震災の話を聞くと本当に辛いと話される。3月11日の時の自分は、T班長のことを誤解していたんだと改めて思った。

いろいろなメンバーと代わる代わる話をした。まだ話足りないことも沢山あったが、散会となる。
その後、有志でさくらボウルへと向かう。H主任主査、N技師、S主事、H主事、そしてK氏とU氏。別途帰路についていたN技査も強引に呼び出すことに。

ちょうど8人になったので、2レーンに分かれる。図らずも、プロパー職員対派遣・任期付、出身地も秋田・宮城対岐阜・三重・兵庫・佐賀と東西分かれることになった。譲れない戦いが始まる。
第1ゲームはH主事の活躍により僅差で西軍が勝利する。自分は2ケタしか出せず、強力に足を引っ張った...第2ゲームは久々にターキーをだし、西軍の圧勝に終わる。結果、2連勝。
試合結果が腑に落ちないH主任主査がリベンジマッチを求めるが、このメンバーで集まれるのは今日が最後だろう・・・
残された日数はあと3日。また一つ思い出が出来た。

2015年3月24日火曜日

#788 スピード

2月程の寒さではないが、やはり寒い朝を迎える。いつものように準備して、いつものように出勤する。

朝一から、現場技術業務委託の打合せを行う。監理技術者とF氏、こちらは自分とN技師で対応する。4月からF氏が交代することはもう既定事実になってしまったが、それも止むを得ない。役人にも常に人事異動があるのだから...あとはフォローに期待することにしよう。
非ライブカメラA
引継書もさることながら、机上の整理も進めなければならない。熊野から気仙沼に直行したのだが、結局一度も日の目を見ることがなかったものも多数存在する。箱詰めを始めると、あっという間にいっぱいになってしまった...
書類の整理やもろもろ進めていると、既に21時を回っていた。

帰路、コンビニで晩御飯を買い求める。
袋を開けてみると、自分が買ったはずのものと違うものが入っていた。もしかして、店員さんが間違えたのか...と思ったが、電子マネーの履歴を見ると間違えていない。ただ自分が勘違いしていただけだった。
あまり好きじゃないボンゴレ...
届いていた東海新報に目を通す。全く新しい街を造っている陸前高田市の工事進捗について触れられていた。
2年住んでいる気仙沼でも、自分なりにコミュニティが生まれてきた。ましてや5年、それ以上となってしまうと、新しい場所でのコミュニティから離れたくない気持ちも生まれてくるだろう。ある一面では復興のスピードは決して遅くはない。しかし、この面では確実に遅いと思われている。

2015年3月23日月曜日

#787 逆支援

昨日とはうって変わって、また寒い朝を迎える。部屋ががらんとしていたので、かえって落ち着かず、若干寝不足な気がする。
寒暖を繰り返して春になっていくのだろが、3月下旬なのに雪が積もるのはいただけない。
 引継書の作成を進めながら、関係する他事務所の職員に問い合わせを行う。1階に出向いたところ、壁には三重県の観光ポスターが。土木事務所に派遣のT氏の仕業だと思うが、よい仕事である。
非ライブカメラA
午後も粛々と引継書を作成する。しかし、ある書類を見ていると、役場で本来やってもらう必要がある業務の状況が気になる。建設課のO係長に電話を掛けると、「あ、3月議会ではやってないです…」と。そして、また一つ書類作成が増える。

業務終了後、歯の詰め物を復元してもらうために菅原歯科へ。Jr先生から「親父が寄ってけと言っていたので、家にあがっていってください」と勧められる。
菅原先生から「大寿司に行こう!」と誘っていただいたが、生憎定休日。晩御飯を食べていきなさいとのことで、ごちそうになってしまった...支援に来ているはずなのに、支援されっぱなし...
その間も、ずっとJr先生とクルマ談義で盛り上がる。
いい時間になってしまったので、ベースキャンプへと戻る。

荷物がほとんど運び出され、殺風景な部屋でもそもそと作業を行う。いただいたものを食べ、いただいたものを眺め...
栗原のT氏からいただいた米ていら
室根のOさんからいただいたお手製のほやボーヤ
マントには名前入り
もう来週にはこの部屋にはいないんだと思うと、少し切なかった。

2015年3月22日日曜日

#786 怒涛の引っ越し 2日目

昨日よりも早く目覚めようと、6時半に目覚ましをセットしておいたが、それよりも前にO氏は起床していて、外に出ていく音がした。
O氏が帰還するタイミングで起床する。やはり、朝飯を買ってきてくれていた。本当に世話になりっぱなし...

残された部分の片付けと掃除を進めていく。自分のペースを見るに見かねて、O氏が風呂掃除を始めてくれた。申し訳なさ過ぎて顔向けできない...

しばらくすると、向かいのK氏の部屋を訪ねたO技師が、こちらの部屋にも顔を出す。せっかくだから、いらなくなった家具などいろいろ持たせよう、というか押し付けようと仕掛けたが、それを察したのか、無下に断られてしまった。

春らしい暖かさの中、窓を開けて引き続き部屋掃除となるが、ついたばこに手を伸ばそうとすると、O氏から「そこの掃除が終わってから一服しましょうよ!」と叱責される。物理的にも精神的にも、O氏がいなければ掃除は終わらなかっただろう。

大方決着したので、気仙沼の母の元へタイヤを回収に行き、宅急便窓口に寄ってから昼食へと向かうことに。最後の来訪者となるN先輩とアンカーコーヒーで合流する。そして昼食をごちそうになってしまい…
奇跡のコラボ
 モーターズショップエビナで交渉を行ってから、O氏と亀の湯という銭湯に向かうが、残念ながら日曜はお休み。「どうするべ?」とかだっていたところ、高田の黒崎仙境温泉へ向かうことに。
良く見えていないが、入湯中は見えた
結構まったりしていたら、フェリーの時間が怪しくなってきた。しかし、行く手を阻む低速車...
しかし、今回は1号機の真価が発揮され、出航30秒前にフェリー乗り場に滑り込む。以前のような悲しい事態にはならなかった。
 ひとまずベースキャンプへと戻り、軽く夕食を済ませる。
いただき物の亀山ラーメン
 K氏、U氏とともに、20日に開店したばかりのさくらボウルへ。元々は海の市の向かいあたりに建っていたのだが、津波により被災。一時は存続が危ぶまれたが、市民の熱い声援もあったとのことで、浸水の恐れのない東新城地区で復活することに。
 やはりというか、ある程度予想はしていたのだが、14レーンの半分強しか埋まっていなかった。こういった開店直後だと、概ね来場客であふれているのだが…4月以降に期待しよう。
 当初はあまりやる気の2人だったが、やっているうちに熱が入ってきたので、結局3ゲームすることに。
こうやって、また一つ思い出を作り、ベースキャンプへと戻った。

2015年3月21日土曜日

#785 怒涛の引っ越し 1日目

最早惰眠を貪ることが許されない状況に陥っているため、7時に起床する。

昨日、引っ越しを手伝ってくれる大島のしんちゃんことO氏には、進捗率が0%であることと、ある程度片付けを行いたいので、昼頃に来てほしい旨を伝えてある。ひとまず、身の回りのものを手当たり次第に箱に詰める。

10時前には、ストックしていた箱が底を尽きかけていた。その矢先、O氏が既に近くまで来ていると連絡が入る。ひとまずベースキャンプへ招くが、とても見せられるような状況ではなかった。ガムテープなど求めていた消耗品を用意してきてくれるところは、さすがO氏。ここからは2馬力で作業を進める。
そんな中、N技師から連絡が入る。バイクを動かしたいので、気仙沼までやってきたいとのこと。ちょうどN技師におあつらえ向きの作業が発生したので、受入を表明する。

昼、不足する資材を買い求め、合わせて昼食へと向かう。近場のオーベルでシーフードパスタランチを食べる。

午後も作業を続行する。本当にO氏がいなければどうなったのだろうか...
14時ごろ、N技師が到着する。さっそく、一度もモノを切ったことのないチェーンソーのバー取り外し作業を依頼し、その後箱詰めを協力してもらう。優しいO氏とは異なり、N技師から強力なプレッシャーがかかる。プレッシャーをかけるのは自分にだけでなく、箱詰めのモノに対してもだが...やめて、割れる!!

ほぼ梱包が完了し、屋外に運び出す算段でW技師を召喚することに。段ボールはしめて19箱となってしまった。行きの倍...
「たぶん7割はごみなので、捨てたらいいのに」と憎まれ口を叩くW技師。なにっ!箱の中はすべて宝物なのに…結局、O氏の軽トラには乗りきらず、1号機に分散して宅配便窓口へ運ぶことに。

既に次の予定の約束時間は過ぎているにも関わらず、窓口で大量の伝票を書く羽目に。しかしもう間に合わなくなってしまったので、とりあえず再訪すると告げてベースキャンプへと戻った。

16時からの予定だが、既に30分近く遅刻していた。それにも関わらず、U氏、そして石川県から水漁に派遣のN氏から開始時間を訪ねるLINEが...

遅れメンバーで徒歩2分の新来軒へ。村上市議主催の派遣職員懇親会、もとい「大衆食堂の会」会場へ。ありえないくらい大量の料理が机を埋め尽くしていた。
 個々人の自己紹介などが行われたが、宴の最中に鹿児島のk氏が花火を撮影にと離脱する。今日は南町紫市場で鎮魂の花火が上がる予定だった。

ひとまず一次会が終了し、O氏と宅配便窓口に向かってから、2次会会場のあみいというカラオケボックスへ。「ドンっ」という音とともに、港の方角に花火が上がるのが見えた。そして、密集したボックスになだれ込む。
 終わりなき宴となりそうな気がしたので、O氏が機転を利かせたメッセージを発し、こっそりとベースキャンプに戻ることに。荷物が減ってスペースの空いた自室にて、k氏、K氏、N氏、U氏、W技師、そしてO氏とともに3次会となる。以前送ってもらった而今を開ける時が来た。
つまみはいちご
こういった会も、もっと早くやっておけばよかったと後悔する。四方山話に花が咲き、そして余は更ける。

2015年3月20日金曜日

#784 決する日

気温も低く、天候もイマイチな朝を迎える。三寒四温とはまさにこのことか。いつものように準備して、いつものように出勤する。

今日も引継書の作成を続ける。どんどんボリュームが増えていくのに、本当に終わるのかどうか不安になってくる。
午後、Nという施工箇所のコンサル氏と打合せとなる。今回も引継ぎを兼ねているので、T班長、N技師、F氏を交えて行うことに。工法の見直しについて議論が白熱する。改めてボーリングコアを提供し、再度検討を加えてもらうことになった。

多くの都道府県で、今日が来年度の異動内示が行われる。宮城も例外ではなく、三重、そして兵庫も。一足先に、自分の内示が電話にて行われた。自らの希望が叶えられ、感謝する。合わせてK氏も内示が行われた。3番目に希望していた部署だそうで、やや内陸の街にある事務所に決定した。

16時半を回ってから、ようやくプロパー職員の内示が始まる。ある程度予想が出来ていたもの、予想外だったもの。約半数の職員に内示が出されたが、そこは悲喜こもごもだった。予想外だったのは、W技師の異動...

業務終了後、班の懇親会へ。さんぽで1次会、そしてなんとなく2次会にという雰囲気になり、カラオケボックスへと向かうことになった。2年間通じて最初で最後となってしまった班の懇親会。企画してくれたN技師に感謝するが、もっと早くやっておきべきだったと後悔もした。
普段、金曜日は皆帰省するために、この日に懇親会がセットされるケースはほとんどない。月一でもいいので、こういった場が設けられることを期待しよう...

2015年3月19日木曜日

#783 まちぼうけ+一生の友達#4

朝から春の冷たい雨が降っている。雪でないだけましだが、連日好天だったので、止むを得ないか...いつものように準備して、いつものように出勤する。

朝一、Nという施工箇所の打合せを行う。昨日の宿題はまだ決着しておらず、今日は資料提供だけで終わる。
連日の年度末作業もいい加減決着しなければならない。むつむつと手を動かす。
非ライブカメラA
 午後も作業を進めていく。ようやく完成した!と思って回覧すると、N技師からいじめられる。もはや様式美と言えるこのやり取りが続く。

業務終了後、南町のぴんぽんへ。予約時間の10分前に到着したが、誰もいない。5分前でもいない。3分前になって、住田のY君から「すいません、遅れます~!」と連絡が...寒いので店内で待つことに。
周りは皆宴会で賑わっている中、一人座敷でぽつん。人気の店の広すぎる空間を独占している罪悪感に苛まれる。時間が経つのが長い...

30分後、ようやくフルメンバーが揃う。勝手に杣遊会青年部と名付けたメンバーで送別会を開いてもらった。2月にも開催してもらったが、宮城県支部長である栗原のT氏から「なんで俺を呼ばないんだ!」とお叱りが入り、改めて気仙沼に集まってもらった。本当にありがたい...
「ラーメンが食べたい」というI氏の無謀なリクエストに応えるため、2次会はマンボで。やっさんことO氏が非常に体調が悪そうで、先月の山形の自分を見ているようで申し訳なかった...
喫茶店で代行をお願いすると、「早くて30分待ちです…」と告げられる。散会後、駐車場へ向かうとそれらしきクルマが止まっていたが、まさかこんなに早く来るはずはないとスルーする。
しかし、それから1時間待っても代行が来ない。仕方なく別の代行を頼むと、「30分待ちです!」と。仕方なく駐車場で待ちぼうけ。結局帰宅したら日が変わっていた。

2015年3月18日水曜日

#782 in detail

まだまだ続く春の陽気。しかし、絶対に寒の戻りがあるから油断は出来ないのだが...いつものように準備して、いつものように出勤する。

午前中、Hという施工箇所に係る打合せを、T班長、N技師、F氏を交えてコンサル氏と行う。スケジュールは後ろに押し気味だったが、それでも詳細まで十分に理解して作業を進めてくれていて助かる。コンサル氏の友人が三重県庁で勤務していると前に教えてもらっている。いつかお会いする機会があればと思う。
非ライブカメラA
午後、Nという施工箇所の現場代理人氏と打合せを行う。最近はN技師、F氏と3人で行うことが定常化している。しかし、書類や内容に不備が連発していたので、再度の打合せとなる。

継続して、年度末処理を行う。予定より早く手続きを進めてよいとH主任主査から伝えられたが、何やら出入りが激しく、あまり作業は順調に進まなかった。

業務終了後、まるきへ。限定の潮見そばを食べることに。
帰宅してから部屋の惨状を眺める。月1回の収集しかなく、明日がラストチャンスのブツを集める。平日に身動きが取れないので、こういった点では一人暮らしの大変さが...

2015年3月17日火曜日

#781 狂ったストラテジー

連日の春らしさ。今年は去年と違って随分暖かいような気がする。いつものように準備して、いつものように出勤する。

連日の年度末作業を粛々と行う。残された時間を考えると、引継書も作らなければいけないし、身の回りの片付けもしなければいけないし...

三重の防災関連でお世話になったKさんが職場を訪ねてくださった。昔はバックパッカーとして名をはせたKさんなので、問題なく自力でたどり着かれる。近況報告や今後のことを少し話すと、すぐに北へと向かわれた。わずかな時間ながらも、立ち寄っていただけたのはうれしかった。
桐箱入り関の戸をいただきました(ノД`)・゜・。
 引き続き事務を進める。
非ライブカメラA
午後、農業振興班のW技査が「イチゴ欲しい方いませんか?」と声を上げる。連日の好天でイチゴが獲れ過ぎてしまい、農家がその対応に困ってしまったとのこと。春のような陽気は人にはありがたいが、農作物の管理には望ましくないようだった。とりあえず、金曜日に受領する分を3箱注文する。
そして、現場技術業務委託の受託者と打合せになる。定例の打合せより1週間以上も前倒しになっており、営業所長も来庁、しかし事前連絡では打合せ内容は不明とのことだったので、T班長とともに、少し身構えた。

内容は、今の担当技術者F氏を4月付で異動させたいとのことだった。宮仕えの身としては、4月の異動は避けられない。しかし、それも見込んで年度内から来てもらっていたのに...そしてF氏の仕事ぶりを非常に高く評価していたので、その申し出は簡単には承服できなかった。結論が出ないまま、一旦持ち帰っていただくことにし、打合せは終了する。

T氏に管内を案内していたK氏が戻ってきた。先月の島根のK氏といい、こうやって事前に職場の雰囲気や管内の状況を伝える機会があるのは良い。自分のように、プライベートで事前調査していたら別だが...
これも今までの派遣の経験が積み重ねられた結果かと思うと、ゆくゆくはマニュアル化されると良いなと思った。

業務終了後、今日は林業振興班のメンバーと懇親となり、「わや」へと向かう。
直接的には仕事上の関係はないものの、松くい虫や苗畑調査で林業振興班に帯同する機会が多かった。来年度もそういうチャンスを与えてほしいと思う。

今日は1次会で散会となる。M班長、W技師とともに、少し肌寒い夜の街を歩いた。

2015年3月16日月曜日

#780 newcomer from Hyogo

いっそう春らしい天候になり、随分過ごしやすくなってきた。いつものように準備して、いつものように出勤する。

年度末に備えた作業を引き続き行う。作業内容は複雑ではないのだが、同じ内容を繰り返し行わなければならず、それはそれで結構厳しかったり...
非ライブカメラA
午後も引き続き作業を行う。
来年度兵庫から派遣されるT氏を気仙沼駅に迎えにいっていたK氏が戻ってきた。今はNNに出向中のT氏は、公共事業のエキスパートでもある。自分では持ち合わせていない能力を持っているニューカマーへの期待は大きい。

業務終了後、早速歓迎会となる。T部長、S総括、そして森林整備班の班員でより道へと向かう。
間違いなく、この驚異的な刺身の盛りっぷりに少し腰が引けたと思う(笑)
21時ごろに散会し、K氏、T氏と3人で2ndというバーへと向かう。現役の派遣職員と、これからの派遣職員で意見交換をする。皆がいる場では話せない内容など、いくつか伝えることに。
島根のK氏とコンビを組むことになるT氏。自分とK氏のような関係が築ければいいなと思う。

長距離の移動でT氏はお疲れである。遅くならないうちに散会する。

2015年3月15日日曜日

#779 懐かしいもの

目覚ましが掛けられない状況で、いかにして目覚ましを掛けるかを考え、スマホのアラームを使わずにバイブレーション機能を使うことにしていた。しかし、設定ミスで音がなってしまった...いつもと同じ時間に、狭い寝床で目を覚ます。そしてシャワーを浴びて、身支度を整えて出発する。

春のような暖かな陽気の中、東北道を北へ向かい、古川から47号線を鳴子温泉へ。「第一回湯守の森会議 里山循環社会を目指して」の2日目のワークショップの集合場所には、30分早く到着してしまった。なんと自分が1番乗り。受付を済ませ待っていると、昨晩もお世話になった仙台のE班長、S技師、そして大河原のC技査も。C技査から「初めまして、ですよね?」と声を掛けられるが、いえ、おとといの送る会でお話ししました...

20名ほどがマイクロバスに乗車し、10分ほど離れた会場へと向かう。自分は3セット目だったので、丁度2セット目の参加者とすれ違うことになる。約束通り、住田の森林官Aさんが来場していた。ネタバレを含めていろいろ話をしていたところ、集合の声がかかる。

ワークショップの会場は、湯守の森と呼ばれるフラットな針葉樹林。馬搬のメッカ遠野から連れてこられた木曽馬「コトヒメ」号がスタンばっていた。
意外に小柄なウマ
 馬搬の専門家から説明が行われる。「みなさん、仔馬かと思われるかもしれませんが、立派な大人です(笑)」と。木曽馬は想像より小柄だった。

馬搬の良さは、そのコンパクトさ故の小回り、勝手にその辺のササなどを食べるので燃料費が掛らない、山を荒らすことが少なく、ウマが歩いた後は適度に掻き起されていることなどがある。「馬力」が足りない時は二頭立てにするなどの工夫もできる。

そして、自然の地形を生かし、重力を活かすこと。馬搬は究極にエコなフォワーダである。
そして、早速実演となる。

ウマは操る人を見るところがあり、手綱を捌いていた田手さんがすっころぶシーンもあった。
一日の作業量は数m3。遠野はもっと大きなウマを使っているので、もっとたくさん搬出できるそう。これも適馬適所だろう。
 引き続き、近くで行われている「きこりマルシェ」へと出向く。
 コーヒーショップやパンの販売などが行われており、春のような陽気も相まって、ほのぼのとした雰囲気を醸し出していた。再びAさんと合流し、いろいろと林業話で盛り上がる。

しばらくすると、「きこり汁」がもてなされる。
きのこたっぷり
 そして、先ほどの主役、コトヒメ号が会場入りする。
おとなしくて、めんこい馬っこ
ぼちぼち会場を後にし、東鳴子温泉に入ることに。このあたりはどこも日帰り入浴が行われており、特に考えもなくホテルニューあらおへ。
昼飯はきのこそば
鳴子らしからぬ硫黄臭が少な目の温泉につかり、残雪の栗原を抜け、次の目的地志津川へ向かう。

南三陸ポータルセンターで開催されている「記憶の街企画展」へ。二つの展示がセットで行われており、一つは東日本大震災の被災地の復元模型に思い出を積み上げていく「失われた街・模型復元プロジェクト」、もう一つは昭和53年の志津川写真展。
八幡川
防災対策庁舎周辺
いろいろな写真を見て、志津川の密集市街地のイメージは持っていたが、模型化することにより、より実感を持ってみることが出来た。また、模型上にはフラグが建てられており、昭和53年の写真と対比して眺めることが出来た。

一通り見学を終え、45号線を北へと向かい陸前高田へ。目的地のキャピタルホテル1000は遠目にみえているが、市街地の嵩上げ工事で道路が難解になっており、なかなか近づくことが出来なかった。
変わりつつある高田の街
 集合時間より30分ほど早く到着したので、少しロビーでくつろぐ。国連防災会議に合わせ、ここ高田でも数多くのイベントが行われている。沢山の来場者が行き交っていた。

日が陰ったころ、高田の友人とその仲間たちが沢山の荷物を抱えて駆け込んできた。陸前高田で障がい者支援活動を行ってきたJDFの支援報告交流会会場において、友人が取り仕切る「みんなのたからもの ししゅう高田松原PROJECT」のお披露目が行わることになった。

このプロジェクトは、全国の方々に高田松原の刺繍作品を制作してもらい、それを繋ぎ合わせて大きな作品とし、津波で失われた松原を「みんなのたからもの」として復活させ、多くの人に見てもらおうというもの。

バンケットルームのセッティングが終わったタイミングで中へと入り、設営。
来場者に興味を持って見てもらえ、そして関心を持ってもらえたことが良かった。ただ、自分の撮影は肝心なところを逃すという大ポカをやらかしてしまったが...

22時に宴は終わり、その後撤収作業となる。晩御飯を食べていなかったので、さすがにお腹が空いた。

暗くなった45号線を気仙沼へと戻る。洗車を済ませ、牛丼を食べて帰宅する。さすがに今日は疲れた。そのまま布団に吸い込まれる。