一路、塩釜へと向かうが、その前に、仙台銘板という会社に寄ろうと仙台港へ。この会社は、様々なデザインの単管バリケードを製作しており、先日富山で見た北陸新幹線W7系のバリケードもこの会社の製品である。営業所では、そのバリケードを模したストラップを販売しており、売り上げをすて寄付している。
若干迷いながらも社屋前に到着したが、生憎休み...工事関係資材を扱っているので土曜日も営業されているかなと期待していたが、裏切られてしまった...
45号線の渋滞を掻い潜り、目的地直前で散々迷ったが、塩竈市の二又スポーツ広場へ。大船渡市のK主任の息子がサッカーの試合を行っているとのことだったので来てみたものの、肝心のK主任は見当たらない。電話をしてみると「あ、今日は息子だけ...」うう、おとといは来るって言ってたのに...
息子に声を掛け、何枚か写真を撮ってから退散する。
仙台市内に戻り、駐車場に1号機を預けてから、遅めの昼食を摂りつつ少し街を歩く。国連防災会議が開催されている最中なので、街には外国人の方をはじめ、普段の週末の仙台とは異なる雰囲気に包まれていた。興味のあるセッションも沢山あったが、今日はあえて…
国連防災会議による副次的な影響もあった。宿泊施設が軒並み満室で、悲しいかな、かぶせるホテルしか空いていなかった。前から存在は知っていたのだが、ここに泊まるのは初めて。しかし、気仙沼のイチゴが販売されていたのは嬉しかった。
時間となったので、治山班のM技査がコーディネートしてくれた「治山関係者お別れ会・絆2015」の会場へ。仙台、石巻、気仙沼の事務所のメンバーだけでなく、過去に関わった方々も一堂に会していた。タイトな会場だったが、むしろそのタイトさが良かった。4名の派遣職員も全員集合となる。連日の送別会、感謝感激である。
記念品贈呈 |
M技査直筆の色紙とともに K氏 A氏 O氏 自分 |
引き続き、プロパー職員の挨拶となる。仙台のE班長が、感極まって涙されたのには嬉しかった。同じ職場で仕事をしたわけではないが、様々な場面でお顔は合わせていた。こうやって思ってくださる方がいるだけでも、幸せだと思う。
定禅寺通り中洲で記念撮影 |
NNからやってきたS技術主幹と派遣職員の自分。その思いは同じだった。本来ならばプロパーの林務職員が担うべき場所を、我々で牛耳ってしまっている。それは今日、この時点では問題にならないかもしれないが、ノウハウの蓄積や将来にわたっての人材育成と言う面では明らかに不利である。
これから先も宮城の林務を担っていく中堅や若手が、先を見据えて考え、もっと強く意見してほしいと思った。
そして、A氏の言葉が印象的だった。
「宮城の職員にとって、この1年は40年分の1かもしれないが、自分にとっては1分の1だ。」
確かにそう思う。
日が変わるころに散会となる。皆が寝静まったカプセルホテルに、物音をたてないように寝床へと滑り込んだ。