2015年3月12日木曜日

#776 一生の友達 #3

何事もなかったかのように、4年と1日目を迎える。自分も、そして街も。いつものように準備して、いつものように出勤する。

朝一、Nという施工箇所の現場代理人氏から電話が入る。仮設の工法について書類を提出したいとのことだった。来庁後、N技師と監督員補助のF氏を交えて打合せとなる。
3人で、非常にシンプルな質問をいくつか出す。施工を行うにあたっての初歩中の初歩のような内容だったが、代理人氏は回答に窮してしまった。打合せはそこで終了となる。
非ライブカメラA
午後、代理人氏の上司から電話が入る。午前の打合せの内容を説明するとすぐに理解されていた。翌日に訪問したいとのことだったので、受け入れることに。

やり取りに時間が掛ってしまい、年度内必須作業はあまり前進しなかった。

業務終了後、郵便局で預かってもらっていた荷物をピックアップし、大船渡へと向かう。加茂神社にほど近い「いろは寿司」へ。

昨年度は何度か集まっていた市役所のK主任と息子、S技師との懇親会となる。以前は東浦町のM氏だったが、今日はE氏が。
震災後に再建した店舗らしく、家庭的な雰囲気の中、カウンターに陣取ることに。いろはちゃんという名の年長のお孫さんがいろいろサーブしてくれた。「いろは」という名は、間違いなく伊達政宗の長女から採られているはず...やはり大船渡は伊達藩。

いろいろと話で盛り上がるが、家族が体調不良のために、K主任が離脱する。K主任、S技師にはお世話になったお礼として、取り寄せた御浜柑橘のみかんジュースを手渡す。

引き続き、残されたメンバーで屋台村へと向かう。店を物色していたら、E氏が神菜月という店から声を掛けられる。すっかり常連客のようだった。
2次会が始まり、プロパー、派遣、それぞれの思いが語られる。派遣する側、受け入れる側、それぞれに不満がある。そして自分とは違う苦労があるようだったが、そのミスマッチはなかなか解消しないどころか、これからは広がるだけかもしれない。派遣元の熱意がある職員は枯渇し、受入側も震災から4年、立ち止まって考えたい時期だと思う。こういったアンオフィシャルな場ではなく、きちんとした場所で腹を割って話す機会が必要な気がする。

程々に盛り上がり、散会となる。代行を依頼し、末崎小仮設のE氏宅へ。三重出身だと告げると、代行のドライバーは実家近くの食堂の名前を発する。大船渡と三重が、こうやって繋がっているんだと嬉しくなった。

末崎小の仮設も、来年の夏には元の姿に戻ることになる。「空室」の張り紙が目立っており、E氏の後任は別の仮設の空き部屋になることのことだった。おそらく、空いた棟から解体が始まるのだろう。

E氏としばしねまることに、8月6日には、二人とも必ず吉野町公民館に集合しているはずだ。それが派遣の鉄の結束である。

そして、明け方にとても寒くなりそうな部屋で、横になる。