2011年10月31日月曜日

#12 驚速

朝から雨。おかげで温かい。

月曜は東海新報がお休みなので、岩手日報の地域面を見て出勤。
やはり若干クルマが多い。
市役所屋上から撮影した、靄に包まれるドラマチックシティ大船渡
大船渡には大船渡ネット海上保安庁のライブカメラが設置されている。良かったらご覧いただきたい。ベースキャンプの窓にも設置して、Y氏が酷評したスーパーの駐車場に、クルマが殺到しているシーンをライブ配信しようかな・・・USTでもいいか。

今日はT副技監が不在で、すこしさみしい。
三重では、職場のムードメーカーと言われたりするが、大船渡ではその座をT副技監に譲っているので、私は極めて物静かな職員と思われているはず。しかも、机上は驚くほど美しい。たぶん、三重の人がみたら別人と思われるはずだ。

先週から課題となっているある事案について、簡単なルールを作り、出来上がったものを上司に確認していただく。

隣の打ち合わせテーブルでN課長補佐が打ち合わせをしている内容が漏れ聞こえてくるが、地名と場所がやはり一致しない。港の話をしているようだが・・・
岩手県港湾課のホームページで平面図を発見し、ようやく埠頭の名前とかが理解できる。

昼前は日差しがほとんどなく、室内はとても肌寒い。思わずドカジャンを着込む。

同じ課のS技師と三重の話をする。学生の頃、8耐を観戦、また鈴鹿に行きたいと言ってくれた。今はまだ無理かもしれないが、そのときは最大級のおもてなしをしよう!
しかし、やはりというか、四日市は公害の街というイメージである。土曜日に会ったYでさえ、四日市出身のくせに、同じようなこと言ってたし。

午後からN課長補佐と、セメント工場内に設置された脱塩施設の検査に出向く。
脱塩施設は、津波により発生したがれき処理を加速する切り札で、2か月ぐらいで完成したプラントである。以前事業者から配られた資料には、8月26日の日付が書かれていたし・・・驚くべきスピードで完成をみた。

仕組みはシンプルで、脱塩と水処理の2つから成り立っている。
脱塩プラントは、例えるなら巨大な洗濯機で、ドラムに投入されたがれきを、ぐるぐる回して塩分を除去する。計7台のデソルトセパレーターと呼ばれる機械が24時間稼働することにより、最大で日量500tの処理が可能である。

ちなみに、セメント工場で処理されるがれきは、付着する塩分(塩素)の濃度によって処理できる量が変わってくる。塩素が多く付いていることが、、セメントの質に悪影響を及ぼすからだ。脱塩処理をすることによって塩素濃度を1000ppm以下にすることが目標である。

水処理プラントは、がれきの洗浄に使用した排水を浄化するために設置されており、汚泥と水分を分離するフィルターが、造り酒屋に設置されている濾し器と同じだ!と思わず上司に報告する。そういえば、これまた学生の頃、愛知県の造り酒屋でバイトしてたっけ・・・全然学校の勉強をしていないね・・・

検査には県の複数の部署からも職員がみえており、異なった視点での質問や確認が行われた。
化学(環境)技師には、知的好奇心が充足される現場だと思う。
このころは場内を歩き回ったため、じとっと汗ばんできた。

その後、キタニ(大船渡北2)の現場事務所に出向く。途中、駅前通りを走りながら、がれき撤去の状況や大きな建造物の取扱いについて説明を受ける。

キタニの事務所からは、例の船を見ることができる。すでに解体に着手されている。
やはり船は大きい。奥はコンマナナのユンボ。
事務所の横には、「想い出ハウス」と呼ばれる建物があり、アルバムや大切と思われるものなどが持ち主を待っていた。
キタニの現場代理人のSさんに、金色堂のことを尋ねる。いまは基礎解体で作業の支障になることから、はじっこに移動されていた。今後はどうなるか、まだわからないとのこと。

帰庁後、いつものようにS先生がお越しになり、すこし仮設住宅の様子などを尋ねた。
夕方のミーティングでは、がれきの一次集積場、仮置場に関することが話題になる。市民も、そしてこの街にかかわる誰もが、新しい街づくりに、そして非日常から日常の生活に戻ることを望んでいる。

市内で給油をし、ようやく念願の黒船に赴く。ドアを開けると、全国各地からの支援のメッセージが!
サンマだしのラーメン(しょうゆ味)をオーダー。マスターおひとりで切り盛りされているようで、注文もカウンター越しにお願いする。
なつかしい感じの、表現するなら「やさしい味」で、スープも飲み干す。うまいっ!次回は塩に挑戦しよう。そして、件のステッカーを、頼まれている分も含めて12枚購入。

ベースキャンプに戻って、芸濃でクリスマスイベントに取り組むIさんに、あるお願いをする。
この取組、うまく回っていくと最高なんだけどな~。詳細はまた後日。

2011年10月30日日曜日

#11 大大、大収穫祭

目ざましで目が覚めた。

途中、数回目が覚めたものの、結局6時過ぎまで寝てしまった。霧に包まれた金成PAを後にし、北に向かう。
小腹がすいたので、朝御飯を食べに平泉前沢SAによる。最近野菜不足なので、食物繊維たっぷりそうな「三陸めかぶそば」を食べる。SAは朝から結構にぎわっている。
水沢ICを降りて下道を走り、住田町に入ったところに道の駅「ぽらん」がある。8時だったので、残念ながら開いていない。
そういえば、昨晩からこの周辺の種山高原星座の森で、「Re:Earth Open Air」という、いわゆるフェスが行われている。しかし朝の冷え込みを考えると、予定に問題がなかったとしても参加は躊躇したかも・・・

今日はダブルヘッダー。ベースキャンプで体制を立て直し、一路陸前高田市矢作町生出(おいで)に向かう。
地元住田はとても風光明媚で、どこで写真を撮っても絵になる。
ベースキャンプからクルマで10分くらい
引続き、前から気になっていたヱで始まるアニメっぽい道路工事看板を撮影。
無駄にかっこいい。奥の黒いやつも。
国道から脇にそれ、かなりシビアそうな県道に向かう。入口には、マイクロバスなどは迂回することをお勧めすると書かれていた。
曲がってすぐ、ワンマン・バス運行にご協力願います、とJRのマークまで書かれた看板を発見!しかも道は未舗装。行くしかない!
集落の存在に期待したが、1kmほどいったら墓地があっておしまい。
気を取り直して、県道を走っていくとすぐに下記看板が・・・クルマから降りられない。
生出の集落までの間、かなりいい感じの場所もあったが、写真なし。
会場につくと、かなりのクルマが止まっており、相当の賑わいである。
農産物直売コーナーで野菜を買っても、いまはどうしようもないので、木炭発電自動車を見に行く。
電力不足解消の切り札
おそらく(聞いたわけではない)、木炭を蒸し焼きにして可燃性ガスを発生させ、レシプロエンジンを動かしているのかな?
災害時用にも活用と、説明には書かれていた。確かに、この集落には炭を量産できる設備がある。
アトラクションでは、気仙中学校の生徒による、「気仙けんか七夕太鼓」の演奏が行われた。気仙中学校は海沿いに立地しており、おそらく屋上くらいにまで津波が押し寄せていたと記憶しているが、速やかな避難により、犠牲者は出ていないとのこと。

ずっと何かを焼いている匂いが気になっていたので、岩魚の炭火焼きコーナーに向かう。
1匹250円。激ウマ!
建物内の展示コーナーでは、炭の紹介が行われている。
おしゃれなパッケージ
横では、市立博物館の特別展示があり、津波被害からの復旧状況や、気仙隕石の展示が行われていた。展示品には、明治三陸津波ののち、避難訓練が行われたという文書があった。ちなみに、三重県からも文化財レスキューとして、陸前高田市に学芸員が派遣されている。
博物館では撮影できないが、今日はOK!
この地方でもイベントに「餅まき」は欠かせないようで、始まる前に退散する。
離れたところにある「炭の家」会場では、木炭自動車が走っているとのことなので、見に行く。
Powered by 木炭
トラッド・サニーと言われていた車両を改造し、「たんたん号Ⅱ」と名付けられている。
トランクの底は大きくくりぬかれていたが、ボディー剛性が鬼と言われていたクルマなので、びくともせず(?)
残念ながら、お昼時だったので走行シーンは見られず。

引続き、「すみた産業祭り」に乗り込むべく、広域基幹林道横田沢線をとおり、住田町役場に向かう。
途中、土場を発見して、写真を撮る。
2mに玉切られたスギ。奥は「らくらく道」
途中、間伐材を利用した公共工事の現場を発見!
法枠。工事看板は間伐材ではない。
そして、アカマツの人工林でクルマを止めて写真を撮っていると、きのこ採りに来ていた方と遭遇。
地元では「マツシメジ」(シモフリタケ)と呼ばれるきのこを採ってこられたとのこと。
マツタケよりレアらしく、朝からあるいてこれだけと嘆いておられでした。
すみた産業祭りも、相当な人出でびっくり!
相当な人出ですから!!
昼ごはんは、商工会青年部の方が作ったカレーと野菜スープ。
そのあと、最近新装した住田テレビのスタジオを見学。
地元産材を多用
説明をしてくださったスタッフの方に、3月11日のことなど、いくつか質問。

会場の片隅に、気仙地区森林組合と岩手県大船渡農林振興センターのブースがある。
その中に不思議な棚があり、いろいろ聞いていたら、町内のある仮設住宅団地の世話人さんに話を伺うことができた。
この棚は、名古屋で開発されたものだそうで、支援の一環として持ち込まれたもの。実際、仮設住宅内の棚、また人によっては仏壇の代わりとして利用されている。
今日の祭りでは、あまった材料を使って、来場者に工作をしてもらったとのこと。
また、世話人さんと入居状況や物資支援の必要性などを伺う。そして、可能であれば住田式仮設住宅を訪問したいとお願いしたところ、見せられる部屋があるそうで、快諾いただいた。

森林組合の職員の方に、この地域の林業についていろいろ質問をする。
津波で、職員で被災した方は見えなかったものの、ご家族が犠牲になられた方、ご自宅が大きく損壊してしまれた方がみえた。
他、住田町独自の造林補助制度や上乗せ補助のこと、市町村森林整備計画や森林経営計画のことなど、多岐にわたる質問をさせていただいた。
短時間での会話でも、内容の充実感がビシビシ伝わってきたので、できれば近いうちに、正式にお邪魔させていただきたいと思う。

引続き、隣の大船渡農林振興センターのブースでも挨拶と名刺交換。
こちらは、木製フォトフレームを作る木工教室を開催、間伐のパンフレットや集成材のプレートをいただいた。

そして、今回必ず接触したかったのが「杣遊(そまゆう)会」。
会場では見かけなかったが、駐車場から発見!
この中のいずれかが、なぜか四日市で余生を過ごすことになる。ちなみに気仙杉。
チェーンソー・アート集団の杣遊会は、林業や自動車整備、建設業、役場職員など会員16名で活動中。被災した気仙地区の小中学校や仮設住宅を回り、その腕間を披露されている。
仮設住宅に住まわれている方から、とても喜ばれているそう。
ここにも、林業と防災のコラボレーションが!
超力作、後ろの板も一体です。
祭りでは、今後山へ行くときに必要なアイテムをゲット。それは、南部熊鈴。
盛岡の馬具職員が手作りで作ったという逸品。とてもいい音色で、うっとりします。
一つ一つ違う音がします。
夜は、途中シカと激突しそうになりながら、五葉温泉でひっつみを食べる。朝晩がめっきり寒くなってきているので、風邪ひかないようにしないと。
五葉温泉のマスコット、たぬお(嘘)

2011年10月29日土曜日

#10 未来の海岸林

案の定、寝坊した。

6時15分、6時半と2回鳴ったが、スルー。結局起きたのは7時半前だった。
今日は石巻で開催される、日本海岸林学会の大会に出向くのだが、この時点で午前のセッションを捨てたことになる。プライベートの時は、往々にしてこんなもんである。

8時半過ぎに出発。ひとまず陸前高田に向かい、国道45号線に出る。
陸前高田の街はやはり衝撃的である。しかし、がれきの撤去や処理は着実に進んでいるように見受けられた。
余談だが、ここは「りくぜんたかた」と、濁らない。新潟の高田市、奈良の大和高田市は「だ」である。
三重にいると、高田(たかだ)本山や高田派の呼び方に慣れているからか、つい「たかだ」と言ってしまう。
ちなみに、ベースキャンプのある住田町は、「すみた」とこちらも濁らない。

陸前高田といえば、「高田の一本松」。かなり遠くからでもその姿を見ることができる。弱っているという報道を目にしたこともあるが、復興のシンボルとして、様々なものに利用されている。先日買ったTシャツにも。一本の木が、人々のよりどころになっている。しかし、一本の木に期待を負わせすぎるのもまた酷である。
7月に撮影した一本松 今回は写真なし
国道45号線を走っていると、いたるところで写真のような表示を見かける。
今回の震災での浸水地域と、かなり合致しているように思う。

気仙沼を通り抜けると、海岸に耐候性のある黒トンバッグがズラッと並べられているところがある。仮設の防潮堤であるのはわかるが、施工主体が林野庁とある。
なぜ、木が一本も生えていないのに?と思ったが、ここには海岸林があったのだろう。
カーナビがなければ、そのまま45号線を南下していたと思うが、本吉から登米方面を案内したため、内陸に舵を切る。

東北では、だいぶ刈り取りが終わったものの、今でもコンバインが活躍している。
三重では見られなくなったような光景も。はさかけもいたるところに。米がうまい理由がわかった。
しばらくして、「林林館」の文字にひかれて、道の駅に立ち寄る。
これが林林館
内部
そして、とても興味深いものがあった。板塀の展示コーナー。
説明には、「近い将来、マグニチュード7.8~8の地震が・・・」とあるが、今回の地震でもびくともしていなくてよかった。
この地方では、必ずと言っていいほど、海苔巻の餅が売られている。醤油で味付けされていて、おいしい。他、ペットボトル入りの米3合を購入。これでご飯が炊ける・・・
特に渋滞もなく、石巻市に入る。港が見たくなり、足を運ぶ。
石巻には、大学の同期Fがしばらく住んでいたことがあり、震災前に3回訪問したことがある。1度は同じ大学同期のTと夜行バスと新幹線の乗継で、1度は自分のクルマで、そして最後は海外に転勤するFからバイクを譲り受けるために。街は、残念ながらその時とは大きく姿を変えていた。
石巻港は、港湾施設の破壊が見られたものの、内航船からの荷揚げが行われていた。でっかい掃除機のような、ニューマチック・アンローダーで荷揚げされた穀物(たぶん)が、飼料用サイロに送り込まれている。学生のとき、港湾荷役のアルバイトをしていたことを思い出した。
港は、街の産業のバロメーターのような気がする。街の産業が盛んであれば、港から出入りする荷物や品も増減する。大船渡でも同様で、先日震災後初めての外航船が入港している姿を見たときは、街が復興しつつあるという気になってくる。

海苔巻でおなかいっぱいだったので、そのまま石巻専修大学に向かう。カーナビがなければ、たどり着けないような複雑なルートをたどって着いたはいいものの、校内で会場の場所がわからず右往左往する。看板も何もないうえ、当然資料を印刷して持参するという準備をしてくるはずもない。学会のホームページをみて、事なきをえる。
受付で参加費を支払い、合わせて横に積んであった「海岸林との共生」(中島勇喜・岡田穣著)を購入する。

午後のセッションは、ワークショップ「海岸林の再生・復興」と題して、今後の海岸林のあり方を議論する場だ。
冒頭、宮城県農林水産部の河野次長より、震災による森林・林業の被災状況や海岸林の復旧・復興、「みやぎ森林・林業の復興プラン」について説明があった。仙台の海岸林は伊達正宗の時代に植栽が始まり400年以上の歴史があることや、県内の被災状況、今後の事業予定箇所など。
特に気になったのが、海岸林の被災面積約1,700haに対し、その復旧に必要となるマツ苗(抵抗性と精英樹あわせて)の県内生産量が今後10年間で800ha弱分しかないことである。不足分については、広葉樹などで補うこととされているが・・・サツキ生産量日本一の三重県の出番か!?
そのあと、別室でグループワークとなる。第一部では、望ましい海岸林の姿について議論する。
正直、海岸林に関する知識は無なので、まともに話し合いに参加できるかどうか心配になる。
また、グループも20分ごとに移動となるため、3回違うメンバーと話し合うことになる。
1回目のテーブルでは、宮城県の地域機関の方と、大学院生の方と同じ席になった。
そこで、昔この地方にあった独特の制度について教えてもらう。
海岸にある国有林よりさらに海側に植栽を行えば、その土地の所有権が植えたものに与えられるという。主にそのような植栽を行っていた団体が「愛林公益会」と呼ばれ、森林の維持管理を行っていたそうである。そういえば、大船渡でもその名前を見かけた!

ワークショップで出た意見を集約した結果、計画段階から維持管理まで住民の参画を期待するや、防災だけでなくバイオマスの生産やレクリエーションの場としての活用という「多機能性」が必要とされ、また技術面では樹種や植え方を研究してく必要があるとまとめられた。
しかし、住民を期待するにはもう少し時間がかかると思われる。

第二部では、今日研究発表した方を囲むような形で、研究の内容や手法、得られた知見などについて再度議論する場だった。
席かえは1度だけだったが、2回目に同席した岡田穣先生の研究、海岸林と後背地の住宅被害について、とてもいい発言が先生からなされた。森がそこにあることで、人が住まない場所ができる。
つまり、海岸林には機能的な意味合いだけでなく、存在することにより、危険な場所に人が住むことを拒む。とてもよい視点だと思った。

学会には、秋田県庁や山形県庁の職員も参加しており、日本海側の海岸林への意識の高さを感じつつ。ちなみに、能代では街路を海岸線に対し斜めに整備することで、道路が川のようになることを防ぐ街づくりをしているとのこと。要調査。
すでに日は暮れ、大学を後に大崎市に向かう。
大学から市内方向には、橋が一つだけなので、渋滞が発生する。石巻は都会なんだな、と実感する。
大崎市内に入ってからも渋滞がおこり、予想より時間がかかって19時半ごろ到着。
合併前は古川市だったところで、新幹線の駅も古川。大崎、といわれてもピンとは来なかったが、ここも都会である。

この街で働いている大学の同期Yと、おすすめの店「きたはま」に行く。きれいな店内で掘りごたつ、完璧である。地元っぽい食べ物を頼んだが、何を食べてもおいしい!
クルマで来ているので、残念ながらノンアルコール・ビールしか飲めなかったが、Yは日本酒をボトルで頼んでおり、いつの間にか空っぽになっていた。
昨年7月のあるイベント以来の再開だったので、この1年間に何が起こったのかなどを説明したり。
いつの間にか23時を回っており、閉店時間になっていた。しかもご馳走になってしまった・・・

カーナビをベースキャンプにセットすると、距離約130km・・・
古川ICから東北道に入るも、金成PAで力尽きる。

2011年10月28日金曜日

#9 Ready to be reborn

なぜか、両手人差し指の第一関節が切れていた。
よく、固い紙を「シュッ!」とやった時に出来る、あんな感じ。原因不明。かまいたち?

昨晩、いつもより寝る時間が遅く、当然起きる時間も1時間遅かった。朝飯を買い忘れていたため、とりいそぎコンビニでサンドイッチを買う。
よって、昨日偶然見かけた、岩手開発鉄道の試運転の記事が1面を飾っている東海新報に目を通すことはできなかった。

朝のあわただしい時間、秘書広聴課に写真のデータを持参する。コンパクトな執務室の中に別室につながるドアがあり、そこがどうやら、おおふなとさいがいエフエムのスタジオっぽい。忙しいにも関わらず、T係長は元気いっぱいである。

11時過ぎ、地震が起こる。大船渡の震度は2と1(震度計が2か所ある)。三重は地震が少ないので、横で打ち合わせしている人がいるにもかかわらず、「あっ!」とでかい声を出してしまった。他のメンバーは誰も反応していなかった・・・むしろ私の声にびっくりされたかも(汗

最近は間抜けな事態(?)が発生せず、昨日のセミナーの報告書、県庁報告用週報の作成、補正予算の資料などを淡々と・・・というわけにはいかず、週報は事業者からもらったデータの理解に若干の時間を要した。

一つ発見があった。北上市から派遣されているS主任のパソコンのモニターに、見覚えのある画面が出ていた。工事の積算システムだが、なんと三重と同じもの(のよう)!
いかにも操作できるみたく、うそぶく。あ、一応できます。

金曜日は隔週で、がれき撤去を行っている幹事社との定例会がある。現場事務所に詰めるスタッフも参加し、かなり大人数の会議で、事業実施の上での課題や懸案事項などについて意見交換が行われる。

会議で一番印象に残ったのは、お互いが相手を思いやっていることである。
通常なら、発注者と受注者の関係はもっとドライで、シビア。しかし、共通の目標に向かって、市役所も事業者も真摯に取り組んでいる、初めてゆえ、様々な難題や課題が出てくるが、解決に向けてお互いに知恵を出し合う。

以前、職場のワーキンググループのメンバーに、今までやってきた仕事の中で、一番印象に残っていることは?と聞いたことがある。
一つは、共通の目標に向かって、みんなが一丸となったこと。もう一つは、組織外の人たちと連携して成果をあげたこと。

様々なプレーヤーが、自分たちのやっていることを信じて、前に進んでいる。
いつの日か、この復興に向けた取組が評価されるときがくる。しかし、みんなが胸をはって、自分たちのやってきたことは間違っていない、と言い切れると思う。
この街の再生に向けて、良いパートナーシップ、いや「絆」が生まれている。

帰路、洗濯をし、朝御飯を買いにマイヤに行く。
みかんとパンを買い、帰ろうとしたところ、前に買いそびれた高田松原Tシャツと、今日発売の東海新報の縮刷版を買う。
7月に訪問した際もたくさんの本を買ったので、いつか職場のナレッジルームに東日本大震災を伝えるコーナーを作ろうかな。

晩御飯は、昨日宣言した「黒船」に行く。しかし、電気が消えている・・・
前回は定休日と思ったが、実は違った。黒船のラーメンがどうしても食べたい!!
また市内にもどり、ほっとポットで名物のげんこつハンバーグを食べる。久しぶりに肉を食べたような気がする。
そしてベースキャンプに戻り、先ほどかった縮刷版に目を通そうかと思ったら・・・
ガーン!前買ったのと同じ本・・・(/_;)
きれいなのを買おうと、下から抜いたのが間違いだった。どなたかに差し上げようと思う。

2011年10月27日木曜日

#8 遥かなる県都

今日も秋晴れのいい一日。

深夜、N先輩からメールが来ており、11/12~13に住田・大船渡の訪問を予定していると書かれていた。ここまで来るルートは想像を絶するありえない行程だったが、さっそくベースキャンプの宿泊予約をしておく。

ちなみに、ベースキャンプは私が勝手に「住田町の迎賓館」と呼んでおり、バンケットルーム(中の看板は宴会場って書いてあるが)にはいつもお客さんが見えている。私とは無縁のチャペルがあるなど、コンパクトだが雰囲気のいいところである。

今朝、NHKのニュースで「三陸鉄道全線復旧へ」と流れた。しかし、いろいろ検索しても出てこないし、NHKのホームページにも何も出てこない。もしかしてフライングだったのだろうか・・・

今日は「災害廃棄物撤去処理の推進モデル事業に関するセミナー」へ参加するため、N課長補佐とT副技監と盛岡に向かう。
大船渡から盛岡へは、国道、県道をとおり約100kmの道のり、所要時間は2時間半程度である。

盛岡への道のりは、大船渡~住田間が一番の難所で、あとは北上高地を緩やかにアップダウンする、交通量も少なく、とても走りやすい。道沿いは木々が色づき、秋真っ盛りである。

途中道の駅みやもりでトイレ休憩。駐車場から、ユニークな橋、JR釜石線の通称めがね橋がみられる。夜間はライトアップされるそうで、遠野市の観光協会のホームページによると、宮澤賢治の「銀河鉄道の夜」のモチーフにもなり、恋人たちの聖地とのことで、「恋人きっぷ」を売っているらしい。遠野の方には申し訳ないが、今はいらないか・・・
震災後7か月の県都盛岡は、いつもと変わらないだろう表情を見せていた。
盛岡市内の繁華街にある、会場のホテル周辺についたのはちょうどお昼。目の前にある百貨店のレストラン街に赴く。
盛岡名物の冷麺を頼むが、残念なことに写真を撮り忘れた・・・味はまずまずである。

セミナーは、環境省の行っている「平成23 年度災害廃棄物撤去処理の推進モデル事業評価及び普及啓発業務」にかかる報告会である。
具体には、この事業と連携して実施された釜石市の「災害廃棄物処理事業(試行)」により得られた知見などを災害廃棄物撤去処理の手引きとして取りまとめ、その内容に関する解説である。
手引きには、入札を行う際の仕様や、環境や安全管理、機種選定や事業を推進する上での対策などについて記述されている。

大船渡市では二次選別や資源の再利用が既に実施されているが、私自身が災害廃棄物の処理プロセスを完全に把握しているわけではないので、有意義なセミナーだった。
釜石市の試行事業には、500名を超える見学者が訪れている。百聞は一見にしかず、は十分承知。三重から1000kmあるこの地に見学することは容易ではない。セミナーで使用されていた資料を三重にフィードバックしたい。

その後、がれき処理関連の事務手続きで連携している岩手県庁のS氏とN氏を訪問する。
同じ県庁とはいえ、その雰囲気は微妙に違っていて新鮮である。
シャープで精錬されたイメージのエントランス
名刺交換をして、少し話をした。ちょっとしたことだが、普段はメールか電話でのやりとりしかしないため、こうやって顔を合わせるだけで仕事の進み方に大きく差が出る。

来た道を戻り、18時のミーティングに間に合う。
今回、現場から被災住宅のリフォーム時にでる廃棄物について問題提起された。災害廃棄物なのか、単なるごみなのか、その仕訳が難しい。

ミーティング後、現場事務所のメンバーと少し話をし、明日が最後の勤務となるいなべ市のH氏の写真をとり、駐車場まで一緒に向かう。
H氏が、「これやるわ!」といってくださったのが、「がんばろう大船渡」ステッカー。

H氏が、みんなヘルメットに貼っていたので、とこで買ったのかと聞いたら、市内のラーメン店「黒船」で販売中!1日のインターバルだが、明日は黒船に逆来襲する。

クリーニングの入手と晩飯調達のため、盛の街に向かう。
サン・リアで半額のお寿司を手に入れ、部屋で食べる。

いろいろな人に、いろいろメールを送って気仙の今をお伝えしているが、お二人からヘビーなミッションが告げられた。
四日市のHさんからは、毛布を届けたいとのミッション。
災害情報学会のAさんからは、現地調査したいとのミッション。
業務をばっちりこなしつつ、ミッションもこなしていきたい。

2011年10月26日水曜日

#7 いろんな支援

早くも一週間が経ってしまった。

今日は全国的に寒いらしく、ここ気仙地方もひんやりとしているが、それほど寒く無くて安心する。
昨日買った20%オフのパンを食べ、「パッチ」をはこうかどうか悩んだが、今日は我慢する。

いつものように東海新報に目を通すと、三陸中部森林管理署が、国際森林年のイベントとして「五葉山麓で秋の森林浴」を開催し、大船渡から住田の仮設住宅移られた方も参加され、大満足だったとのこと。
いろいろな形の被災者支援があると思うが、こういったイベントも一つだなと、実感。

住田は林業が盛んな土地なので、原木を満載したトラックなどとよくすれ違う。
今朝は、ホテルの前のガソリンスタンドで、ボンネットのあるトラックを見かけた。
見づらいが、真ん中クルマ
三重ではほとんど(というか全く)見かけないが、住田には2~3台くらいいたような気が・・・
今度はディテールの撮影に臨みたい。

久々の晴天なので、市役所撮影。
高台に建つ大船渡市役所 入口には心臓破りの坂あり
朝一、U係長から広報大船渡の原稿チェックを依頼される。
発行前なので詳しいことは書けないが、少なくとも私がチェックできる内容の記事で、掲載されたらブログで紹介予定。
広報のサイトには、壁紙に使える大船渡の写真もあるので、ぜひご覧いただきたい。

ちなみに、建設課には業務係、土木係、用地補償係、道路管理係の4つの係があり、座席表の上では27名、その他現場事務所にいる職員も含めるとかなりの大所帯である。
私以外にも、建設課には知っている限りで、北から岩手県北上市、東京都板橋区、神奈川県相模原市、長野県佐久市、浜松市、いなべ市、大阪市、堺市、山口県宇部市、大分市など、全国各地から来た派遣職員が働いている。

先日机上に配布されていた職員組合の広報誌には、派遣職員のリレーインタビューが掲載されており、短期間でも仲間として扱ってくれてとてもうれしい。
実際この職場でも、お客さんという感じではなく、あまりにすんなり溶け込めてしまい、とても働きやすい。

そして、久しぶりに市会議員のS先生が来課される。いつもの魚屋さん、樋口魚店の情報は、S先生からもたらされたものである。昨日もお邪魔したことを伝えると、「なんでも頼んだってくれ!塩辛は最高においしい!」とさらなる情報がもたらされた。

昼、昨晩連絡のあった東洋大学のN先生に電話をかける。11月上旬に陸前高田市と南三陸町に調査に行くが、宿がとれないか?という連絡だった。いまのベースキャンプに問い合わせると、運よく空いていた。初の来訪者に胸が躍る。

午後は、これから現場に行く機会がなくなりそうなので、T副技監に同行し、仮置場の温度測定に向かう。
現場のオペレーターに、三重から派遣されていると告げると、「どうりで言葉がきれいだ!」と言われた。う~ん、そうなのかな?

また、午前中に船舶解体の打ち合わせに行っていたときに見つけたものの話を聞いた。
解体予定の船の近くに、大穴が開いていたとのこと。どうも、昔の金鉱の跡らしい。相当深いらしく、どこまで開いているのかわからない。
そういえば、津市の半田で、磨き砂の跡が陥没したというニュースを思い出した。何かが落ち込むということはなかったが、津波がもたらした出来事の一つである。

旧吉浜小学校から、砂子浜に移動する際、吉浜の集落の商店に止まる三重ナンバーのライトバンを発見!同業者か?と思い、店から出てきた人に声をかけたら、愛知県から仕事で来ているとのこと。
今、大船渡には全国各地からたくさんの人が訪れている。その方たちが、地元のお店で商品を買い、食事をし、日々生活をすることで、経済が活性化する。これも一つの支援だと実感した。

18時のミーティングの前に、秘書広聴課のT係長が訪ねてこられた。原稿に生意気にも朱入れしてしまったことを謝罪し、今日車内でおおふなとさいがいFMを聞いていたことを話した。
おおふなとさいがいFMとは、臨時災害放送局のことで、市役所2階にスタジオがある。

7月に日本災害情報学会の調査で、宮城県塩竈市と南三陸町の災害放送局を訪問したが、時間的制約があったため、余裕があるときでかまわないので、一度お邪魔したいと申し出たら、快諾していただいた。もしかしたら、78.5MHzで水上の声がONAIRされるかも?
南三陸災害エフエム@ベイサイドアリーナ(7月撮影)
放送の中では、大船渡市有林美しい森林育成事業で、市有林の枝打ちなどを行う人を募集していた。この時期でも市有林の管理をやっていくという心意気と、林業が雇用の受け皿になっていることがうれしかった。

ふと、大気汚染の測定局のことが気になり、岩手県のホームページを見ると、大船渡駅近くの茶屋前に測定局がある。環境省のそらまめ君を見ると、ずっと欠測になっている。
昨年度は、二酸化窒素を測定していたので、住所を検索して確認に行ってみる。
街灯のない真っ暗な通りに、住所に該当するビルがあるが、2階も浸水しており、今は利用されていなかった。

また、前から気をもんでいたクリーニングに、ようやく出すことができた。
市役所最寄りのハタケヤマクリーニング店で、8時まで営業しているのもいい!
「明日の5時以降なら出来上がっています」
ホっとした・・・

晩御飯は、前から気になっていたラーメン店に行こうと思ったが、今日はお休み。リアスホール前のチェーン店一番亭に行く。
大船渡店オリジナルの中華そばのコロッケセットを注文。おいしい!
レジでお金を払うとき、店員さんに話しかけられ、三重から、と伝えたら、第一声は「赤福はおいしい。あんまり甘くなくて。」
三重の第一印象のリサーチもしなければならない。

2011年10月25日火曜日

#6 過去を知る

今朝も地震があった。

あの日以来、地震がくるとドキドキするし、NHKの緊急地震速報がかかるときの、ジャンジャーンの前の「ポーンポーンポーン」という音にもドキドキする。

最近、雨が降ったりやんだりですっきりした天気でなく、今日も道がぬれていた。
いつものように出勤する。

引続き、昨日の続きを始める。しばらくすると、市民の方からがれきの火災について質問があると、現場事務所の担当さんから電話が入る。上司二人が説明に向かった。
山田町のがれき火災は、ここ大船渡にも影響を及ぼしている。

今日は災害査定があり、大半の職員が現場にでむき、職場は閑散としている。こういう時にドキドキするのが電話。
市役所はダイアルインではなく、交換手の方が取り次いでくれる。
言っているそばから電話が鳴る。「外線からです~!」といわれ、容赦なくつながれた。

「家を壊しているときにでたがれきのことで・・・」
お話を聞いていて、「お住まいはどちらでしょう?」と尋ねたが、場所がわからない!
大まかな地区はわかっているつもりだが、さらに小さい単位の地名は頭に入っていない。
職員の方に交替し、事なきを得る。こればかりはそう簡単にギャップを埋められない。
四日市でも、「四五六町」といってピンとくる人は少ないはず。

昼休み、大船渡市の復興計画策定委員会のホームページに目を通した。
パブリックコメントをまとめた資料を見て、市民の関心の高さ、そしてコメントの質の高さに関心した。前向きな、よりこの街を安全にしていきたいという想い。ふるさとを大切にするという気持ちはどこでも同じと思う。

仕事をしているとき、二つの資料に目が留まった。
一つは、道路のがれき撤去の写真。
市役所から目と鼻の先にドラッグストアがあり、その前の道路を、足の踏み場がないくらいにがれきが埋め尽くしていた。今は、何もなかったようにクルマが行きかう道になっている。
すべての人が初めて手掛ける仕事にもかかわらず、短期間でやりとげる。
同じ状況におかれた自分が、同じように成し遂げられるだろうか・・・

もう一つは、図面。
公共事業を行うと、工事完了後、精算設計書と呼ばれるものを作成する。
精算設計書は永年保存され、将来の改修などに役立てられる。
目的が何にせよ、過去の資料が適切に残されていたことにより、今の世代の人たちがスムースに作業を進めることができる。
CALS/ECの進展により、工事関係の資料は電子化が進んでおり、いまはCADの図面しか見ない。
将来、クラウドに図面などを残しておけば、未来の人たちのために役に立つんだな~と思い。

昔上司に、「君は過去を知らない」とたしなめられたことがある。
おかげで本を読んだりして、先人の苦労を知り、今なぜこの仕事が行われているのか理解が深まった。
過去を知ることは、今の自分のためにもなるし、将来の人に今のことを伝えるために何が必要かを考えるきっかけになる。

補正予算関連の資料もある程度まとまり、担当さんからの資料待ちとなったため、机上にある不要な紙をリサイクルボックスに入れる。
「ここにほっていいですか?」
と職員さんに聞いたら、
「?」
という顔をされる。
「え~、ほるとは、捨てるって意味です!」
(もちろん捨てるわけではなく、リユース・リサイクルされます)

引続き、定例の仮置場状況報告資料をまとめる。
各仮置場からあがってくる日報を繰っていると、震災から7か月が経過した今でも、毎日多くのがれきが運び込まれる。しかし、前述の写真を見た限り、よくここまできれいになったな・・・と。

今の職場でも、ぬし熊謹製・尾鷲ヒノキの曲げわっぱのマグカップを使っている。
話のネタにはもってこいで、みなさんが興味を示してくれる。
三重で使っている木製名札も持っていったが、隣の住田町ですでに採用されており、こちらはややスルーだった。そういえば、達増知事も木の名札だったような気がする。

今日は、どうしでもこなさなければならないミッションがあるため、17:30に退庁する。

まず、魚屋さんでさんまの刺身をゲット。学校の校長先生というお得意さんがみえていて、「この人三重から来とるんですよ~!」と紹介される。お得意さんもやや驚いた様子!
店頭に並んだ、ぷりぷりのさんまを見て、焼いて食べたくなってきた。そしたらおかみさんが、「電話くれたらやいといてあげる」。ダメです、そんなに甘やかさないで~!

そして、東北初の洗濯に挑むため、コインランドリーに向かう。
洗濯中は、「洗濯なう」とかせず、読書にいそしんだ。入念に乾燥させたにも関わらず、出来上がったのはしっとりと潤った衣類の数々。やむなく持ち帰る。

その後、ご飯を買おうとマイヤに向かう。野菜とか果物を食べる機会が激減しているので、みかんを買う。三重県産のみかんを探したが、山積みのみかんは、熊本産と長崎産でシェアが二分されていた。
お惣菜コーナーにいくと、白いご飯がみあたらず、その代りに半額シールを貼っている店員さんを発見!
なぜか牛丼を買ってしまい、牛丼・さんまの刺身・みかんというラジカルな晩御飯になってしまった。

今日は写真がないので、碁石海岸の碁石海岸たる由縁の写真を。碁石っぽいでしょ?

2011年10月24日月曜日

#5 物価とマイレージ

朝から不意に目が覚めた。地震で。

岩手でも、防災みえ.jpのメール配信が役に立っている。
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●震源震度情報

【発生日時】1024 0358
【震源地】岩手県沖
【震源の深さ】50km
【規模】M4.2
【津波】この地震による津波の心配はありません。

●地域震度(震度3以上)
【震度3
岩手県沿岸北部
●市町村震度(震度3以上)
【震度3
宮古市、山田町
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おととい買ってきたクロワッサンを2個食べて、岩手日報に目を通して出勤。
月曜日はどこでもいっしょで、すこし車が多いような気がする。

席に着くと、T副技監から昨日は出かけたのか?と聞かれた。
Tさんは来訪者とともに平泉に出かけていたとのこと。世界遺産になったからか、相当な賑わいだったそうだ。
岩手に全国からお客さんが来てくれることは、地域のためにもうれしい。

朝礼ののち、ある事件が勃発した。
「デュエット(公用車)のカギがないんだけど・・・」
G係長が一言。

「えっ!」
確かに金曜日に運転した。しかし、カギを持ち帰りそうになったので、確実に返したはず!
誰かに擦り付けたい気持ちを必死で抑え、上着のポケットや置きそうな場所を探す。
クルマにさしっぱなしじゃないかと、見に行く。

ない・・・
3日目でやらかしてしまった・・・

と思ったら、U係長が
「カギはここに移したから。」

この15分足らず、寿命が大幅に縮まった。

心をおちつけて、引き続き補正予算の資料作成をする。がれき処理に関する複数の業務が、どのような内容で誰が担当しているか理解できる。

お昼前になって、弁当を注文することを忘れていることに気付いた。やむなく、売店でカップうどんを調達。
市役所の売店は、品ぞろえ、接客、営業時間とすべてが充実しており、うらやましい限りである。

午後U係長より、とあるシステムへのアクセスが許される。業務のスピードが上がった!
お金の流れに関する情報を一人で探せるようになり、本当にわからないことだけ聞けば済むようになった。
もはや、林業技師というより、予算経理担当のような気がしてきた。

先日の定例会でPCBの話があった。がれきの処理をしていると、アスベストやPCBといった適切な管理を求められるものにも対応する必要がある。
現在も適切に管理されているが、長期化した場合に備え、その対策について議論になった。
T副技監と目を合わせ、「豊田(PCB廃棄物処理施設)みたいなところはどこなんだろうね?」
岩手県の処理実施計画を見たら、北海道の室蘭にあった。

いつの間にか、外は真っ暗になっていた。東北は日が暮れるのが早い。
18時のミーティングでは、課長が大切な話をされた。
一つは、土曜日に開催された災害復興計画策定委員会のこと。従来は地区単位での説明だったが、これからは集落といった単位で説明を行っていくこと。すべての人に復興計画を知ってほしいし、一緒に取り組んでほしいという意気込みを感じた。
そしてもう一つは、この7か月間で、建設課だけで100名を超えるスタッフが支援に駆け付けたこと。期間の長短はあるが、多くの人たちが大船渡の復興にかかわっているんだなと実感。そして、すんなりと受け入れてくれる職員の皆さんにも感謝したい。

ご自宅が酒屋さんという課長から、酔仙酒造の「雪っこ」を頂いた。支援しに行っているのに、支援されてしまった・・・
酔仙酒造は陸前高田に本社があり、震災で蔵を失い、今回は一関にある別の酒蔵を借りて作られたもの。10月17日に初出荷された貴重なお酒。
とりあえず、忘れないうちにケースで買おうっと。
ちなみに奥は「いかせんべい」
帰り際、いなべ市から派遣のHさんと立ち話をした。なんと、今の直属の上司N課長補佐と、20年ほど前に研修で一緒になり、そして今回同じ職場で仕事をすることになったとのこと!

買い物ついでにシャツをクリーニングに出そうと、サンリアに向かう。
お店の方が
「すこし時間がかかるんで、来週以降になりますが・・・。震災の影響で・・・」
三重にいると、当たり前のように、朝出せば夕方受け取りができる。しかし、震災の傷はいまだ癒えていないんだと実感した。

夕食は、サンリア行くときに見つけたお店、「中華こけし」に入る。麻婆豆腐ずきなので、マーボー定食をオーダー。
味噌汁が白っぽい!
赤以外は味噌として認めない家庭で育ったため、白系の味噌には抵抗があるが、おいしかった。
こちらのおかずは若干濃いめの味が多いような気がする。

帰路、ガソリンの残量警告等がつくくらい給油をさぼってしまったので、市内のスタンドへ。
レギュラーガソリンがリッター147円。三重にいるときは、鈴鹿の行きつけのスタンドで120円台半ばで給油していた。
しかし、お店はフルサービス、店員さんもきびきびしている。そいうえば、セルフのスタンドというものを見かけていない。

ホテルの隣にスーパーがある。前任のY氏が定価販売だ!と痛烈に批判していたが、日曜日はたくさんのお客さんがみえていた。
想像だが、都会や別の地方から持ち込む商品(ガソリンも)は、物流コストがかかるから高く、地元で得られるものはリーズナブルなのではないだろうか?
「フードマイレージ」をいう言葉を思い出し、近日中に潜入(ただし営業時間内)する予定。