6時15分、6時半と2回鳴ったが、スルー。結局起きたのは7時半前だった。
今日は石巻で開催される、日本海岸林学会の大会に出向くのだが、この時点で午前のセッションを捨てたことになる。プライベートの時は、往々にしてこんなもんである。
8時半過ぎに出発。ひとまず陸前高田に向かい、国道45号線に出る。
陸前高田の街はやはり衝撃的である。しかし、がれきの撤去や処理は着実に進んでいるように見受けられた。
余談だが、ここは「りくぜんたかた」と、濁らない。新潟の高田市、奈良の大和高田市は「だ」である。
三重にいると、高田(たかだ)本山や高田派の呼び方に慣れているからか、つい「たかだ」と言ってしまう。
ちなみに、ベースキャンプのある住田町は、「すみた」とこちらも濁らない。
陸前高田といえば、「高田の一本松」。かなり遠くからでもその姿を見ることができる。弱っているという報道を目にしたこともあるが、復興のシンボルとして、様々なものに利用されている。先日買ったTシャツにも。一本の木が、人々のよりどころになっている。しかし、一本の木に期待を負わせすぎるのもまた酷である。
7月に撮影した一本松 今回は写真なし |
今回の震災での浸水地域と、かなり合致しているように思う。
気仙沼を通り抜けると、海岸に耐候性のある黒トンバッグがズラッと並べられているところがある。仮設の防潮堤であるのはわかるが、施工主体が林野庁とある。
なぜ、木が一本も生えていないのに?と思ったが、ここには海岸林があったのだろう。
カーナビがなければ、そのまま45号線を南下していたと思うが、本吉から登米方面を案内したため、内陸に舵を切る。
東北では、だいぶ刈り取りが終わったものの、今でもコンバインが活躍している。
三重では見られなくなったような光景も。はさかけもいたるところに。米がうまい理由がわかった。
しばらくして、「林林館」の文字にひかれて、道の駅に立ち寄る。
これが林林館 |
内部 |
説明には、「近い将来、マグニチュード7.8~8の地震が・・・」とあるが、今回の地震でもびくともしていなくてよかった。
この地方では、必ずと言っていいほど、海苔巻の餅が売られている。醤油で味付けされていて、おいしい。他、ペットボトル入りの米3合を購入。これでご飯が炊ける・・・
特に渋滞もなく、石巻市に入る。港が見たくなり、足を運ぶ。
石巻には、大学の同期Fがしばらく住んでいたことがあり、震災前に3回訪問したことがある。1度は同じ大学同期のTと夜行バスと新幹線の乗継で、1度は自分のクルマで、そして最後は海外に転勤するFからバイクを譲り受けるために。街は、残念ながらその時とは大きく姿を変えていた。
石巻港は、港湾施設の破壊が見られたものの、内航船からの荷揚げが行われていた。でっかい掃除機のような、ニューマチック・アンローダーで荷揚げされた穀物(たぶん)が、飼料用サイロに送り込まれている。学生のとき、港湾荷役のアルバイトをしていたことを思い出した。
港は、街の産業のバロメーターのような気がする。街の産業が盛んであれば、港から出入りする荷物や品も増減する。大船渡でも同様で、先日震災後初めての外航船が入港している姿を見たときは、街が復興しつつあるという気になってくる。
海苔巻でおなかいっぱいだったので、そのまま石巻専修大学に向かう。カーナビがなければ、たどり着けないような複雑なルートをたどって着いたはいいものの、校内で会場の場所がわからず右往左往する。看板も何もないうえ、当然資料を印刷して持参するという準備をしてくるはずもない。学会のホームページをみて、事なきをえる。
受付で参加費を支払い、合わせて横に積んであった「海岸林との共生」(中島勇喜・岡田穣著)を購入する。
午後のセッションは、ワークショップ「海岸林の再生・復興」と題して、今後の海岸林のあり方を議論する場だ。
冒頭、宮城県農林水産部の河野次長より、震災による森林・林業の被災状況や海岸林の復旧・復興、「みやぎ森林・林業の復興プラン」について説明があった。仙台の海岸林は伊達正宗の時代に植栽が始まり400年以上の歴史があることや、県内の被災状況、今後の事業予定箇所など。
特に気になったのが、海岸林の被災面積約1,700haに対し、その復旧に必要となるマツ苗(抵抗性と精英樹あわせて)の県内生産量が今後10年間で800ha弱分しかないことである。不足分については、広葉樹などで補うこととされているが・・・サツキ生産量日本一の三重県の出番か!?
そのあと、別室でグループワークとなる。第一部では、望ましい海岸林の姿について議論する。
正直、海岸林に関する知識は無なので、まともに話し合いに参加できるかどうか心配になる。
また、グループも20分ごとに移動となるため、3回違うメンバーと話し合うことになる。
1回目のテーブルでは、宮城県の地域機関の方と、大学院生の方と同じ席になった。
そこで、昔この地方にあった独特の制度について教えてもらう。
海岸にある国有林よりさらに海側に植栽を行えば、その土地の所有権が植えたものに与えられるという。主にそのような植栽を行っていた団体が「愛林公益会」と呼ばれ、森林の維持管理を行っていたそうである。そういえば、大船渡でもその名前を見かけた!
ワークショップで出た意見を集約した結果、計画段階から維持管理まで住民の参画を期待するや、防災だけでなくバイオマスの生産やレクリエーションの場としての活用という「多機能性」が必要とされ、また技術面では樹種や植え方を研究してく必要があるとまとめられた。
しかし、住民を期待するにはもう少し時間がかかると思われる。
第二部では、今日研究発表した方を囲むような形で、研究の内容や手法、得られた知見などについて再度議論する場だった。
席かえは1度だけだったが、2回目に同席した岡田穣先生の研究、海岸林と後背地の住宅被害について、とてもいい発言が先生からなされた。森がそこにあることで、人が住まない場所ができる。
つまり、海岸林には機能的な意味合いだけでなく、存在することにより、危険な場所に人が住むことを拒む。とてもよい視点だと思った。
学会には、秋田県庁や山形県庁の職員も参加しており、日本海側の海岸林への意識の高さを感じつつ。ちなみに、能代では街路を海岸線に対し斜めに整備することで、道路が川のようになることを防ぐ街づくりをしているとのこと。要調査。
すでに日は暮れ、大学を後に大崎市に向かう。
大学から市内方向には、橋が一つだけなので、渋滞が発生する。石巻は都会なんだな、と実感する。
大崎市内に入ってからも渋滞がおこり、予想より時間がかかって19時半ごろ到着。
合併前は古川市だったところで、新幹線の駅も古川。大崎、といわれてもピンとは来なかったが、ここも都会である。
この街で働いている大学の同期Yと、おすすめの店「きたはま」に行く。きれいな店内で掘りごたつ、完璧である。地元っぽい食べ物を頼んだが、何を食べてもおいしい!
クルマで来ているので、残念ながらノンアルコール・ビールしか飲めなかったが、Yは日本酒をボトルで頼んでおり、いつの間にか空っぽになっていた。
昨年7月のあるイベント以来の再開だったので、この1年間に何が起こったのかなどを説明したり。
いつの間にか23時を回っており、閉店時間になっていた。しかもご馳走になってしまった・・・
カーナビをベースキャンプにセットすると、距離約130km・・・
古川ICから東北道に入るも、金成PAで力尽きる。