2011年12月23日金曜日

#65 また会う日まで

あまりもたもたしていてもなんなので、7時過ぎには起床する。しかし、部屋は悲惨な状況になっている。
最初、仙台からフェリーに乗ることを企てていたが、11時半に仙台港へ着くには、住田を8時には出る必要がある。この状況では到底無理である。

身の回りの物や、思い出の品々を箱に詰めていく。スタッフの方に少し驚かれてしまうような荷物だ。
しばらくして、杣遊会のM氏から電話が。まだ準備に時間がかかりそうだと伝えると、ベースキャンプを訪問してくださるとのこと。

しばらくして、M氏が到着。杣遊会三重県支部長の証として、ハスクバーナのキャップとネックストラップをいただいた。最高にうれしい!やった~!しかも、キャップは会長とお揃い!
年賀状を送らせていただきたいと、住所を教えていただく。
さっそくキャップを身に着け、記念撮影
さて、荷物をクルマに積もうかと・・・
来た時の倍くらいになっている。結局一度も使うことがなかったものもある。なんとかクルマに荷物をおしこめ、ベースキャンプを後にする。

床屋のおたかさん、ひろちゃんに挨拶をしていく。おたかさんからは、おやつに、とお菓子を分けてもらった・・・うれしい!
しかし、なにやら忘れ物をしている。上着を置いてきてしまった・・・あわてて取りに戻る。
Fさん母娘と12時に待ち合わせしていたのに、絶対間に合いそうにない。あ~あ

12:20に屋台村に到着。やはりお待たせしてしまったようで申し訳なく・・・
娘のAさんの希望で、お好み焼きのお店に入る。こじんまりとした店内には、家族連れの先客がみえていた。マスターから「うちは遅いことで有名な店だから(笑)」といわれ、注文してからしばらく待つことになった。
ネギ焼き
味はともかく、こういう人の集まる場所があることはいい。
ふと、表をおおふなとさいがいエフエムの管理者であるS氏が!こちらに気付いてくれて顔を出してくれた。帰る前にお会いできてよかった~!

屋台村の横では、みちのくプロレスの興行がなされていた。寒風吹きすさぶ中、格闘家は元気いっぱいである。
その後、さいとう製菓によって「かもめの玉子」を大量に捕獲する。段ボール箱2箱も買ってしまった。いずれ来るクレジットカードの支払いが怖い。
かもめ人形の前でFさんたちとお別れする。しかし、またしてもお土産をいただいてしまった・・・四日市運送さんの分、樋口さんの娘さんへの分、Y先輩の分、イケメン陶芸家M氏の分、そして私の分・・・

一路、陸前高田へと向かう。以前は前を通過しただけの市役所で立ち止まる。
3月11日、年度末で忙しい役場には、いつもの顔ぶれが、いつものように集まってきていた。
そして、いつものように仕事をしていたはず・・・
地震が、津波が、この街の「いつもの・・・」を奪ってしまった。 同僚、先輩、上司・・・ そこにあたりまえにあった日常が、無に帰してしまう。
いつの日か三重にも必ずやって来る、この切ない事態に備えて。 
私たちは歴史が繰り返さないように、今できることを今から始めていかなければならな いと切に思う。

そして、仮設に住まうFさん宅に帰郷のあいさつに向かう。ミサンガをいくつか購入し、また会いましょう、とお伝えする。というか、間違いなくまた会うはず!
気仙最後に、行きつけの星石油店で給油。津波の傷跡が色濃く残るこの店、今後も見守っていきたい。
ガソリンをおなかいっぱいにし、45号線を南へと向かう。

ありがとう気仙。そしてまた会う日まで!

2011年12月22日木曜日

#64 3つのねがい

いよいよ最終日の朝となった。少し感慨深いものがあるが、いつものように朝の儀式を行う。
東海新報に、四日市運送の樋口さんが載っている!やった!
ベースキャンプの周りは白銀の世界
コンビニで朝食を買い求めついでに、東海新報を2部調達する。

午前中は、引き継ぎ関係の書類をまとめる。連休明けから何事もなかったかのように、自分が座っていそうな雰囲気である。
がれき処理のシステムや、どの事業者に何をお願いしているか、今はほぼ把握した。しかし、2か月という期間はあっという間である。これからいよいよ本領発揮と思っているのだが・・・

「山下さんはお見えでしょうか?」と来客があった。この職場には山下という者はいない。しかし、手に持っているのは明らかに名刺の入った箱。もしかして、と尋ねたら、頼んでおいた名刺がようやく到着!よかった、間に合った!
もっと早くから作っておけばよかったが、まだ手元に名刺があるので、とりあえず台紙を100枚と、プライベート名刺を100枚作成した。どれも大船渡感たっぷりのデザインである。

お昼のお弁当も今日が最後。いつものハローランチが、何やらとても豪華に見えて仕方がない。

午後、二次選別場の事業者とミーティング。二次選別場を取り仕切っているK氏に、今日で任務終了と伝える。いくつか会議の場で発言したいこともあるが、あとはT副技監にお任せしよう。

ミーティング終了後、N課長補佐、T副技監、U係長と引き継ぎを兼ねた打ち合わせを行う。資料を作っておいたので、それに基づいて行うものの、想像以上に時間がかかってしまった。十分に業務を把握されている方に対してでもかなりのボリューム。俄かに心配になる。

総務課のS課長補佐、防災担当のS係長に離任の挨拶をする。みなさん立って見送ってくれた。うーん、なんだか気恥ずかしいものが・・・

17時半から、がれき撤去の幹事会社とミーティング。最後に今月で離任する、浜松市のS氏、堺市のK氏、佐久市のK氏が簡単に挨拶をする。関係各位のおかけで、相当進捗していることにお礼を言っておく。

職場に戻るが、感傷に浸りたいと思いつつも、机の上は悲惨な状況になっている。後片付けをしようと思ったら、最後のあいさつとなった。
普通、復興に尽力してほしいとか、そのようなあいさつが多いのだが、大船渡だからできることを3つおねがいした。
1つはごく近い将来のこと、もう1つは未来のこと、最後は大船渡と三重のこと。

あいさつを終えてから、職場は微妙な雰囲気になってしまった。しまった、余計なことを言ってしまったか・・・
多くのメンバーが残っているうちに、記念撮影を行う。また、必ずこのメンバーと、どんな形でもいいから再会したい。
しばらくして、査定を終えた土木係のメンバーが戻ってきた。また記念撮影を行う。巨体のS技師は、いつものアイテムを身に着けて写ってくれた。
作業服とか職場で着ていたフリースなど、身の回りの物を片付けた結果、段ボールひと箱になってしまった。
20時なり、建設課の残っていた全員で部屋を後にする。総出でクルマまで見送っていただいた。もし、私が受け入れる側の立場だったら同じことをしようと、強く思った。

最後の晩餐はやはりkojika。と思って出かけたらブラインドが下がっていて、「CLOSED」の看板が出ている。中には灯がともっていたので、無理やりドアを開けるとマスターが。
「たぶん、来ると思ってた」
ああ、うれしい・・・(泣

以前マスターからうかがっていた、自立支援を行っているNPOの方を紹介していただき、最後の晩餐はスペシャルメニューとなった。
「人に出すもんじゃないから」
とおっしゃいつつも、ビーフシチュー、スープをいただいた。うめぇ!
屋台村の話、クルマの話・・・このまま時間が止まってくれたらと思いつつも、すでに12時になっていた。たぶん、この店にはこれから何回も何回も訪れることになるだろう。

ご子息から「もう道が凍っているかも。お気をつけて」と言われ、kojikaを後にする。
107号線をベースキャンプへと戻り、後片付けを始めるが、途中で力尽きる。

2011年12月21日水曜日

#63 底力

体調は相変わらず芳しくない。しかし、あと2日。休むわけにはいかない。

いつものように儀式を済ませ、職場へと向かう。通いなれたこの道を通ることも後わずかかと思うと、何やらさみしい気持ちになってくる。
今日の市役所屋上非ライブカメラは南向き。街は靄で覆われています。
日中はひたすら資料まとめにまい進する。よくわからないが、多分必要と思われるものはそろってきたはず。また、後任者への引き継ぎように、T副技監から大船渡の廃盤となった観光マップを一部いただく。

15時過ぎ、私にとって最後となる仮置場の温度測定に向かう。今は石浜と大船渡町内の2か所だけとなった。仮置場の運営方法を確認するため、大船渡南の現場事務所に立ち寄る。
次にお目にかかるときは、なくなっているだろうか・・・
夕方のミーティングで、課長が昨日オープンした「大船渡屋台村」を訪問したことをお話しされた。そして、F主査から、がれき撤去に従事されていた方が屋台村でお店を開いたという情報も。年末に向けて、この街の底力を感じる。

そして、夜は大船渡農林振興センターのO氏にお招きいただき、林業振興課の忘年会にのめりこませていただくことに。
会が始まるまでに、最近復活した赤崎のファミリーマートへダッシュでお金をおろしに行く。
ピカピカのファミリーマートは、何事もなかったように営業していた。ビビッドな彩の、開店を祝う花輪がまぶしい。

会場となる坂本食堂に向かったところ、暖簾も出ておらず、電気が消えている。あれっ?たしか場所はここだったよな・・・
O氏に電話をすると、やはり会場は正解。クルマを止めて玄関に向かうと「本日貸切」の張り紙が。しばらく待っていると、U氏が到着。よかった、知っている人が来た!

12人程度が入る座敷に通され、先週金曜日の忘年会とは異なり、コンパクトな感じ。メンバーが全員で揃うまで、やはりお決まりの「練習」を始める。O氏に、内陸でも練習の文化はあるんですか?と尋ねたら、あるとのこと。少なくとも、岩手では当たり前のことのようである。

サバップルのネタに始まり、林業全般のことや昔の話。しかし、一番引き付けられたのは、O氏からうかがった3.11の話だった。

O氏は当時、久慈の事務所で勤務をしていた。
3.11の夜、停電で真っ暗な中、自家発電装置を有する事務所だけが明るく輝いていた。市民は自然と集まってきた。
県事務所は避難所ではなかったため、必要なものが大きく不足していた。そのため、職員が各自自宅にあるものを取りに帰り、急場をしのいだ。そして、自然と炊き出しが行われていた。3日ほど後、自衛隊が到着し、その後の業務を引き継いだ。
O氏は職場のメンバーの姿を見て、「私たちもやるときはやるんだ!」と思われたそうだ。

自然災害が起こる前、発災後の応急、復旧、復興。どの段階においても、各自ができることを最大限やるというのが、正しい姿である。
とても残念なことに、これは防災の仕事だとか、林業とは関係ないとか、つまらないセクショナリズムを笠に着て、間違った理論を声高に叫び続ける人物もいる。事実と違う妄想をどれだけ叫んでもむなしいだけである。

遅れてきたH氏も合流し、宴たけなわとなる。しかし、このメンバーと出会えたことは、大船渡での勤務での大きな支えとなった。必ず、どのような形になるかわからないが、このメンバーと再会することを祈念する。

代行でベースキャンプへと戻る。どうも、以前も運転してもらったドライバーのようだ。粉雪が舞う107号線を北へと向かった。

2011年12月20日火曜日

#62 complete

風邪はいっこうによくなる気配がない。案の定、雪が積もっている。

東海新報に目を通し、ベースキャンプを後にする。107号線に出た瞬間、クルマがふらつく。どうやら路面が凍結しているようだ。近くのコンビニで朝御飯を買い、車内で食べる。もう朝御飯を買い忘れたというよりも、コンビニで買う習慣になってしまった。
今日の市役所屋上非ライブカメラは北東。山には雪が。
今朝はいつにもまして人が少ない。そのような中、朝の打合せで恵比寿顔のS技師が、砂袋の作成をすると発言。いよいよ約束を果たすときがきた。

既にT副技監がスタンバっており、打合せ後すぐに出ていった。残念ながら、こちらはそうはいかない。しかし、10時頃には戻ってこられた。

今日は議会の閉会日。前からどのようなものか興味があったので、一瞬覗きにいく。
外にあるスピーカーから、答弁などがモニターされており、中の様子をうかがうことができる。

少し奥まったところにある傍聴席からこっそりエントリーする。傍聴者は私一人。小学生のころ、父の仕事で金沢の裁判所に連れて行ってもらったが、そのときの思い出がふと蘇った。
議場は対面型で、傍聴席からみて正面中央の一段高いところに議長席、隣に議会事務局長が着席している。議長席の左右は執行部、それに向き合う形で議員席が設けられている。傍聴席からは議員の後ろ姿しか見えない。
ちょうど第2号議案の、副市長を2名にするための条例改正案について審議が行われていた。前向きな質疑応答ののち、満場一致で原案どおり可決された。

玄関前を通ると、ミカンの箱が山積みになっていた。産地を確認すると、なんと三重県御浜町!
スーパーでは長崎産や熊本産に占拠されていたが、市役所で地元産を見つけてとてもうれしくなっった。

その後、少し砂袋作成を手伝う。前回のような大人数ではないので、時間がかかる。恵比須顔のS技師との約束が果たせたことがうれしかった。これから真冬日が続くこともあるだろうから、グリップ力を高める砂袋はますます需要が高まっていく。建設課以外のメンバーも参加していた。
しかし、どうも体調は芳しくない。

夕方のミーティング終了後、N補佐から伐採届の記入方法について相談を受ける。といっても、今は市町で受理することになっているので、実はあまり詳しく知らない・・・
伐採後の木材は、以前からお世話になっている陸前高田の大工さんに提供されるとのこと。その方は被災されたそう。表立った支援だけでなく、このような草の根的なものもあるんだなぁ、ととても感心した。

書類などの整理をしていたら少し遅くなってしまい、夕食はFさんの娘さんからもおすすめされていて、前から行きたかった百樹屋(ももきや)に向かう。駐車場は忘年会のお客さんでいっぱい。無理やりねじ込む。
評判のカレー南蛮を注文する。かなりスパイシーだが、冷え切った体にはちょうどいいかもしれない。
冷え切った外に出ると、小雪がちらついている。足早にベースキャンプへと戻った。

2011年12月19日月曜日

#61 体調不良

あきらかに、風邪をひいたっぽい。以前も似たような状況になって、なんとか気力で耐えたが、今回はそれを凌駕している。

寒さ対策のため、今日はパッチが必須と思っていたら、なんと在庫ゼロ。大ピンチである。
家探しに時間がかかってしまい、すでに出遅れているが、朝御飯をコンビニで買い求め、車内で食べる。売店でぬかりなく弁当を頼んでおく。これで今週の昼御飯は安泰だ。

先週の忘年会のおかげで、自分だけかもしれないが、職場での距離感が縮まったような気がしている。以前より、もっと気さくに話しかけられるようになった感じがする。
いよいよラストウィークに突入。残された4日間でやるべきことをやらなければならない。とりあえず、来月に向けたあるイベントへの対策用資料作成を進める。
咳が止まらないので、T副技監にマスクを分けていただく。

午後、札幌からの来客があった。補佐とT副技監で対応されるかと思っていたら、補佐からお呼びがかかった。しかし、残念ながら全くと言っていいほど内容のない打ち合わせだった。

そして、S先生が来課される。大船渡だけでなく、陸前高田や気仙沼の話をしてくださった。
建設業界も以前とは違った事情になってきていることや、あまり質の高くない事業者も存在すること、他にも、ワカメの種を購入するためにタンスに入れておいた預金が流出した家が多くあること、今までの銀行との取引がずさんで、この段階で非常に苦しい状況になっている方がいること・・・
気仙の将来を懸念されている様子がうかがえた。

夕方のミーティングののち、浜松から派遣のS氏と立ち話。そして、S氏が現場監督する盛地区を担当するK主任も加わり、「これから晩御飯を食べに行くけど、一緒にどうですか?」
ああ、ようやくこの機会が訪れた・・・これも忘年会のおかげ!

私が運転手となって45号線を南下する。大船渡に案内したい中華料理屋があるとのこと。もしかして、どんぐり?と尋ねたら、大正解!

店内には先客がみえ、S氏の知人。大船渡では悪いことはできないな~と、改めて思う。
K主任おすすめのチャーハンを3つ注文する。メニューを見て、以前食べたものの名前を思い出した。ラージャン飯!
話に夢中になってしまい、写真を撮ることを忘れてしまった・・・

K主任から、巨体のS技師とある計画を練っているという話をうかがった。S氏と諸手をあげて喜ぶ。うれしすぎる!Xデーが待ち遠しい!!
よもやま話に花が咲いたが、少し店内が寒い。外は雪が舞っている。

市役所まで二人を送り届け、市役所下の薬王堂に立ち寄り、風邪薬と1枚2円の超お値打ちマスクを入手する。レジに「屠蘇散」と書かれた見慣れぬ紙袋を見つけ、スタッフの方に尋ねるが、あまりよく知らないとの返事。とりあえず一つ買ってみた。

引続き、月曜恒例の洗濯に向かう。その前に、風邪気味なのでキャンセルしたいが、パッチの在庫確保のためには致し方ない。待っている間、いつもは読書にいそしむのだが、今日はその気が起らず、ひたすらスマホをいじる。洗濯が終わったら、時計は22時になっていた。

雪のそぼ降る107号線を住田へ向かう。明日は積もっていそうな感じが・・・
今日は写真がないので、ツリーと満月を

2011年12月18日日曜日

#60 必死

どなたかが暖房をつけてくださっていたので、暖かく目覚めることができた。
しかし、外にはうっすらと雪が積もっている。

Fさんから、フレアイランドからは方角的に穴通磯が見えるのでは?と教えられていたので、のぞいてみるが、だめだ、ちっちゃい・・・やはり間近で見ないとあの迫力は伝わらない!
雪は雪で雰囲気があるんですが・・・寒い!
そして、万全を期するために、マイクロバスはチェーンを装着する。三重の水っぽい雪とは違い、こちらは確実に凍っている。
慎重に走るマイクロバスの後をつけるが、次第に路面には雪がなくなり、チェーンを外すことに。
川口橋を超えて一旦車列から離れ、一足先に高田へ。100円ショップで必要なものを入手し、仮設住宅へ。いきなり豪勢な朝御飯をいただくことに。本当に申し訳ありません・・・

まず配布会用の物資を荷下ろし、そして地元の方に陳列いただく。また、三重から贈っていただいたカレンダーも陳列。そして私はペットボトル・チェーン作成へ。かなり長時間にわたって小学生の子どもたちが手伝ってくれた。そして、大阪から来たMさんと浜松から来たT氏も・・・感謝感激!!
そしてY氏も餅つきの準備でかなり忙しそう。
コラボ中
これが大きなツリーになるとは信じてもらえなかったが・・・
一生懸命メッセージを書いてくれています!
皆様の多大な協力によって、超必死になりながらもなんとか4本完成。
その後、芸濃から贈ってもらったプレゼントを、会場にいる皆さんに配布。
帰り際、小学校6年生のAちゃんから、少しさみしそうな顔で「また来てね」と告げられた・・・是が非でもまた来たい、と決意する。
Fさんの娘さんに、次の物資配布会場である長部で、プレゼントを配っていただくようにミッションを託し、そして樋口さんに長部で配布いただくカレンダーを載せていただき、ペットボトル・チェーンの三重への持ち帰りもお願いし、住田へ急ぐ。逃げるように出てきてしまい、ろくにお手伝いも出来ずに大変恐縮・・・あぁ、餅も食べられず・・・

すでに約束の時間は大幅に過ぎていたが、機械屋さんに到着。ご用意いただいていた「ふわふわ」を食べる。
西日本ではズガニといいます。
気仙川でとれたモクズガニをすりつぶしたおつゆで、おいしい!三重では聞いたことも見たこともない食べ方。思わず2杯いただいてしまった。
一旦ベースキャンプで荷物をおろし、戻ってきたころには準備がほぼ出来上がっていた。12体のふくろうを、大船渡市越喜来と陸前高田市米崎、長部、広田の保育園に、杣遊会メンバー5名+自称三重県支部の私とで配布する。
作者のS君と。作り手と似ている?!
お世話になっているM氏と2名で広田保育園に向かう。途中、高田の市内を通る。市役所の前には献花台ができており、とても切なくなる。

広田保育園の横には、高田高校広田分校があるが、残念なことに被災している。海面から大分高いところにあるのだが・・・

保育園で3体をおろし、住田へと戻る。
しばらくして、米崎と長部に行っていた2人が戻る。スタッドレスタイヤは、アイスバーン化する岩手ではB社がよいとか、種山ヶ原でスノーモービルを楽しんでいるなど、有益な情報が大量にもたらされる。
ちなみに、杣遊会の会長は三菱ジープに乗っている。幌には隙間が散見され、スパルタンというよりももはや軍用といった趣きである。ボンネットには「FOREST」を大きく書かれており、いたるところにSTHILのステッカーが。まさに山男のクルマ!

越喜来チームがなかなか戻られないので、ここで私とM氏は解散する。
ベースキャンプに戻り、中上の仮設団地の世話人、K氏にカレンダーをお渡ししたいと伝えると、わざわざ寄っていただけることになった。

しばらくしてK氏が到着し、23日にクリスマスイベントをすることになり、企画を始めたとお話をうかがった。そして、カレンダーをお渡しする。「高田の店が津波でかなり被災したから、カレンダーは助かると思う」と。

暗くなってから、五葉温泉に向かう。途中凍っているところがあり、クルマが若干不安定な挙動を示す。たぶん、今年最後と思われるひっつみを食べた。
混沌とした部屋に戻り、そろそろ片づけをしないとと思いつつ・・・

2011年12月17日土曜日

#59 一足早いサンタクロース

朝からフルパワーである。300以上送付いただいたカレンダーの仕分けをしなければならない。なにせ、もうこの日、この時間しか残されていない。

そして、四日市運送の樋口さんからメールが。事故のため、東北道で通行止が発生し、予定到着時間を送れるとの連絡。たしかに、窓から見る景色は真っ白になっている。

大きく、1か月1枚・2か月1枚・絵のないタイプ・卓上・手帳と分類、4つの行き先にまとめる。1種類を複数ご送付いただいている場合もあるので、同じ行先に同じものばかりにならないよう注意が必要となる。しかし、かなり手こずる。時間だけがいたずらに過ぎていく。

ようやく作業が完了し、大船渡インター近くにF母娘をお迎えに。まずは釜石の箱崎小学校跡地へ向かう。釜石の北部とは聞いているが、詳しい場所は知らないので、Fさんの頭脳ナビを頼っていく。
「釜石の軌跡」と呼ばれる釜石東中学校を横目に、若干道に迷いながらも現地に到着する。
すでに10t車が1台、その横にはたくさんの方々が並ばれていた。荷下ろしに、遠野まごころネットと神奈川の団体が多数駆けつけてきてくれている。
今日の配布会でも、早朝から多数の方にお待ちいただいていたそう。ある程度段取りが終わり、開始となる。毛布や布団のニーズがものすごく高い。大きな布団を抱えた老母を見かけ、クルマまで荷物を運ぶのを手伝う。
「今までとても寒くて寝られなかったが、これでようやく寝られる・・・」
言葉に詰まった。80歳の夫と二人で暮らしているこの方にとっては、今回の布団が死活問題だったのだろう。市役所の中だけに居たらわからない現実がここにあった。

他のメンバーが1時間以上経っても到着しない。どうやら道に迷ってしまったようだ。新日鉄と駅が見えるとの情報を手掛かりに、釜石の中心へ、中学校の先輩Y氏と迎えに行く。以前予習しておいた甲斐があった。
Y氏は兄と同級生なので、車内で同窓会ネタになる。実はY氏の弟と私は同級生。兄弟そろって同級生、しかしつながっているのは兄と弟という不思議な状態である。

無事に後続部隊をピックアップし、配布会第2ステージが始まる。皆さん車内でお待ちだったそうだ。四日市運送とゆかいな仲間たちは、箱崎にとってのサンタクロースかもしれない。
しばらくして、女性と子供を乗せて一足先に大船渡へ。佐野契約会を拠点としている学童保育所「にこにこ浜っこクラブ」と合流する。既に四日市運送のH氏が到着しており、餅つきが行われていた。

ここでいよいよ第3の故郷芸濃と第4の故郷気仙を結ぶ取組を行う。
GeinoX'mas2011の最大の見せ場であるペットボトルツリー、100本のペットボトル・チェーンのうち、5本を気仙の子どもたちに作ってもらおうと考えている。

ペットボトルにメッセージを書いてほしいとお願いすると、さっそく集まってくれた。しかし、私の段取りが最悪で、若干混乱に陥る。
しかし、日が短い。あっという間に暗くなってしまった・・・なんとかチェーン一つが完成した。
他にも、本物のツリーへの飾りつけなど、イベント盛りだくさん!
つきたてのお餅とおつゆをいただいてしまった・・・
仕事でもコラボっている農林課のY補佐にもお礼をし、引続き高田の仮設住宅へ。
いつも元気なAさんが、「今から打合せしま~す!」と声をかけられる。「私が紹介するから、よろしく」と言われ、隣にある建設会社の倉庫へ。
今日はクリスマス会が行われる。私は何もしてないのに、ステージに上げていただく。樋口氏の、心のこもったあいさつが終わり、おにぎりやオードブルなどご相伴にあずかる。用意されている参加者へのプレゼントも盛りだくさんで、私ももらってしまったが、申し訳なくて大船渡のFさんに差し上げた。会場は少し寒かったが、子どもたちのカラオケあり、ギター演奏あり、そしてご馳走が盛りだくさん!

Fさんを朝の待ち合わせ場所まで送り届けるが、道を間違えて通岡の峠道へと入る。Fさんは本当に街のことをよくご存じなので、峠付近に最近パチンコ屋ができたとか、お風呂は廃業したなどの情報がもたらされた。道を間違えて正解だったかも。そして大船渡につき、Fさんにカレンダーを託す。Fさんも仮設住宅に住まわれている、

その後、フレアイランド尾崎岬へ。風はないがとにかく寒い!
風呂に入り、バンガローに向かって室温を見ると1℃・・・ブラインドを下ろす、加湿するなどのあらゆる手段を講じて室温上昇に励む。就寝するころには適度な室温になったが・・・

2011年12月16日金曜日

#58 感無量

非常に寒い。週末に向かってどんどん寒くなっている。
朝御飯を世田米のコンビニで買い求め、盛へと向かう。

さすがに外気温が相当低いため、いつもは暖かい職場も少し冷えている。
昨日の歯の応急処置が万全で、痛みは全くないのが救いである。午前中は昨日に引き続いて作業を行う。

昼食後、所要を済ませるため盛の街に向かう。クリーニングを引き取り、名刺の印刷を依頼するため開発印刷に。こちらで名刺を使う機会はもうほとんどなさそうなので、プライベートな名刺の印刷をお願いする。また、100枚分の台紙を注文する。引続き、文房具のイサキに向かい、頼んでおいたB2のパネルを取りに行く。
今日の市役所屋上非ライブカメラ東向き。雪降ってます。
午後は北上市からの視察対応となる。生活環境部長ほか3名の方がお越しになり、まず畳類などの可燃物の処理について打ち合わせを行う。その後、市民生活環境課と合同で現地へ。
津波被災地を一望できる場所を、とのリクエストがあったため、加茂神社へ向かう。偶然、神社の掲示板に伊勢神宮のポスターが貼ってあったので、さりげなくPRしておく。
対岸に二次選別場が見える
大船渡駅前と通り、茶屋前の仮置場を見ながら二次選別場へ。
トラックスケールの説明。ICカードで品目などを管理。
スタッフの安全や砂塵などの飛散防止のため防風ネットが取り付けられた。
視察対応中、相当寒かったが何とか耐えることができた。しかしT副技監は相当こたえたようで、「北上の人は強い!」とコメント。

夕方、11月末まで北上市から出向でみえていたS氏が、リンゴを携えて登場。以前執務していた席は空いたままになっており、何事もなかったかのように滑り込むが違和感ゼロ。ミーティング終了後、忘年会に向かう。

盛にある寿司店で行われるが、18時半直前に飲み物が届き、グラスに注がれる。そして、なぜか乾杯の前に飲んでいる人がいる!
「えっ?」
「練習、練習」
この地方には、フライング・スタートを練習と称し、許容される文化がある。三重でも流行させたい。

部長からは、まず第一声、「お晩です」。うれしさに思わず鳥肌が立つ。そして課長は別業務に参加されているので、少し遅れるとのことで、S課長補佐よりメッセージが読み上げられる。3月11日で大きく変わってしまった職場、そして職員の努力へのねぎらいが・・・
最初はプロパーと派遣職員とが大きくグループ分けされていたが、知らないうちにグチャグチャになっていた。そして課長が登場し、今日は歌を披露すると一言。

宴たけなわとなったところで、課長が立ち上がる。うーん、歌って、唄か、それとも新沼謙治か・・・と勝手に想像していたら、なんとLAWBLOW!5年前から注目していたという、生粋のファンである。私のような俄かではない。
そして、「家に帰ろう」を歌われるが、私自身があまりのうれしさに一緒に歌っていると、前に出ろとの後押しで、即席の$-LDとSTOCKが出来上がる。
正直、感無量だった。まさか課長と、大船渡でLAWBLOWを歌えるなんて想像もしていなかった。忘れられない思い出ができた。

引続き、二次会に向かう。ここではほとんどすべて恵比須顔のS技師と話をした。以前、砂袋作成に参加したことをいたく喜んでくれていた。「キャリアの人が砂袋作ってくれて・・・」
あ、いや、私はそんなすごい人とは違いますから・・・

「大船渡でやり残したことがあるだろう」と言われ、たしかにそう思っている節はある。ようやく、最近いろいろな人物と知り合うことができ、これからより親密にと思っている。しかし、残された時間もなければ、三重で待っている仕事もある。かなり複雑な心境となる。
「三重で何かあったら、行けるところまでバスで人を連れていくから!」
今までなんとなく感じていた市と県の見えない壁がぶち壊された瞬間だった。

そして、巨体のS技師と、前から聞きたかった話をした。S技師宅は、大船渡の中心に近いところにあるが、隣の家も合わせて、流出や大規模な破壊を免れた。家族の方は、こちらに向かってくるコンテナが家を避けて曲がったところを目撃されたそうだ。微地形が影響したのでは?とS技師。

代行を依頼するが、さすがに年末の金曜日は全然つかまらず、しばらく店で待っていると声がかかる。そわそわしている、さきほどのS技師が。どうやら火事があったようで、消防団員として出動の呼び出しがかかっているようだ。何はともあれ屯所に向かう必要があるため、送ってほしいと頼まれ、即OK。大船渡は、消防団の責任感や本気度がものすごく高い。

屯所付近まで送り届け、小雪がちらつく107号線を北へ向かった。

2011年12月15日木曜日

#57 パニック

最近忘れ物が多くなってきている。朝御飯を買ってくるのを忘れた・・・
油断しているのか、はたまたリラックスしているのか。

コンビニで朝御飯を買い、車内で食べる。今日は少しペースの遅いクルマがいて、数珠つなぎになっている。しかし、到着した時間はいつもとほとんど変わらなかった。信号が少ないと鉄道のように時間が読める。

朝しばらくして、県庁から電話があった。来月のスケジュール調整だ。必要な参加メンバーの予定を確認し、了解の返事をする。チーム三重(一人だけど)最大の正念場は、来月30・31日に決まった。誰しもが未経験だが、ここを乗り越えないと次のステージには行けない。

Xデーに向けて、陸前高田市の建設課のK氏に事前打ち合わせをしたいと電話をする。お互い共通の課題を持っているため、そのあたりの対応方法を聞きたかった。しかし、K氏は全く物怖じしない堂々とした考えを持たれた方だった。打ち合わせは多分やらなくてもよさそうだ。

昼休みになった時、ふとK係長から、「水上さんとT副技監は前からずっと仕事しているみたいだね!」と言われた。どうやらこのユニットはうまく稼働しているようだ。

午後、三陸支所農林課のY補佐から電話をいただく。来月のXデーのことを少しお話し、土曜日に赤崎の学童保育所でコラボらせていただくことを確認した。もっと長くこちらにいられたら、もっといろいろと連携できるんだろうな・・・

引続き、書類を確認しつつ資料の取りまとめを行っていると、どうも市民生活環境課の書類に気になる点がある。M氏問い合わせをすると、「その書類ありますよ」とのお返事。あれ~、S係長はその書類はないって言っていたような・・・1Fで必要書類の提出を依頼し、先日五葉温泉で出会ったY主任とも話をする。
「五葉温泉で何を食べてるんですか?」と尋ねられ、常にひっつみ定食と答える。そういえば、夏虫のお湯っこでもほぼ確実にひっつみ定食しか食べていない。年が近いと、いろんな話題で盛り上がれる。

席に戻ってしばらく、口の中で「ガキっ」という音がした。何事か!と思ったら、なんと歯が欠けてしまった・・・
少し痛みも伴うので、市役所近傍の広沢歯科を予約しようと思ったら、16時半がラスト受付。1時間休暇をいただくことになってしまった。
広沢歯科は、三重の行きつけの歯医者さんとは違い、なにやらブラック・ジャック的雰囲気が漂っている。古民具が至る所に置いてあり、靴を脱でいたら倒れ掛かってきた。

あと1週間で三重に戻ると告げると、とりあえずの応急処置をすることになった。欠けた原因は虫歯の進行だった。他にもあるから早めに治療を・・・とアドバイスを受ける。こちらでは病院のお世話にはならないと思っていたが、そうはいかなかった。
痛くなったらすぐに来てほしいとおっしゃっていただき、病院を後にする。

職場に戻ると、現場担当の職員が戻ってきていた。ほどなく夕方のミーティングがあり、相模原市のI氏が今日で任務終了となり、最後のあいさつをされる。2週間だったから、一言も言葉を交わせなかった・・・

そして、初めてT副技監と二人で晩御飯を食べに行く。今日も坂本食堂になった。T副技監はカツカレーを、私はカレースパゲティを頼む。
坂本食堂に貼ってある津波浸水深。胸の高さくらい。
他のテーブルのお客さんは、ラーメンとカレーとか、チャーハン大盛りとか頼まれているが、普通の食事3回分くらいはありそう。特にチャーハンは皿から溢れんばかり。さすがボリュームの坂本食堂!しかし、味もいけてる!
てんこもり
なんとか完食し、お金を払おうと思ったら、T副技監がおごってくださった・・・ありがとうございます!
引続き下船渡のファミマでお金をおろしていると、杣遊会のM氏から電話をいただく。ベースキャンプで落ち合うことに。
M氏から、この地方オリジナル料理「ふわふわ」についてレクチャーいただく。製造プロセスもさることながら、はたしてどのような味のする食べ物なのか、とても気になる。ちなみに、お菓子ではない。

ベースキャンプの部屋のドアを開けてみると、ビッグな段ボール箱が!!!
カレンダープロジェクト、本日までの累積本数243本。皆様のお気持ちが詰まっている。中には趣味的に興味をそそられるカレンダーや、超レアアイテムもめり込まされている。特に、東京のキー局にお勤めのA氏から送付された中には、びっくりするような品が・・・抜き取りたくなる衝動を抑えるのが大変だ。

さぁ、このボリュームでパニックに陥ってはいけない。明日もまたカレンダーが届く。
果たして、整理仕分けは出来るのだろうか・・・カレンダー仕分け人の腕の見せ所である。

あ、朝御飯とクリーニングもらってくるのを忘れた・・・

2011年12月14日水曜日

#56 親切心

冬なのか?と思うくらい穏やかな朝。

東海新報の一面、大船渡市の復興計画の連載コーナーには、市会議員の定員削減の話題に触れらえている。現在定数26のところ、来年4月の選挙では20になる。一気に25%近い削減である。大胆な改革を断行した背景には、将来の人口減にも対応していくため・・・との記述もあった。ちなみに、人口規模で近いいなべ市は20名、菰野町は18名。震災復興では様々な取組が市当局と議会の連携で行われている。

出勤すると、机上に写真が置かれていた。
津波記念石。赤白ポールの長さは2m。K係長からいただいた。
昨日、吉浜で周りが掘り下げられている巨大な岩を見つけた。これが実は津波記念石だった。
表面には、1933年(昭和8年)の地震で、200m先の海岸から流されたと書かれている。
ちなみにこの石、巨大すぎて動かすことも割ることも出来なかったようで、その後道路の下に埋もれていた。今回の津波で道路が流出して一部が露出したところを、地元の方が発見したらしい。

今日から、市議会の第4回定例会の一般質問が始まる。いつもはベージュの作業着の課長も、スーツをビシっと着こなしてみえる。また、災害査定で土木係は全員出払っており、閑散とした職場になっている。午前中は資料とりまとめを続行する。

ふと外に目をやると、シカが遊びに来ていた。ちなみに、カモシカが遊びに来る事務所もあるらしい。
3頭います
午後一、県庁から資料を訂正したいとの連絡が入る。こちらも午前中に訂正版を送付したばかり。精査しているとどうしても微調整が必要となってくる。
そして、T副技監と仮置場の温度測定に向かう。仮置場を見ながら、T副技監は「きれいになりましたよね~」とつぶやく。10月から来ている私が見ても、目に見えて量が減っている。しかし、まだこれから選別作業を始める予定の仮置場もある。
すごいボリュームですが、かなり減りました
石浜の仮置場では、いままでT副技監に温度測定を任せていたため、はじめて上に上がってみることにした。正面から見ているとボリューム感がつかめないが、頂上に登るとその量に驚いた。
三陸道が見える
その後、すこし確認したいことがあったので、赤土倉の仮置場に向かう。ちょうど休憩時間で、表には誰もいない。現場管理を行っているK氏の居場所を見つける。
まだ時間がかかりそう
いくつか確認や情報交換を行ったあと、休憩所に招かれる。K氏以外に女性2名、男性5名のスタッフが一服されていた。ワカメやコンブの種を撒いたから来年は食べられること。タコの話のこと。海の話題が中心となる。
危険を伴い、これから先も長く続く作業だが、同じがれき処理にかかわっている者としてなんとなく結束が生まれたような気がした。

帰り道、注意深く道路沿いを見ていたら、石柱が建っている。たぶん・・・と思い、降りて確認したら、やはり海嘯来襲地点標石だった、これは1933(昭和8年)のものだが、末崎には複数建てられており、1896年(明治29年)のものも存在する。しかし、かなり接近しないと文字を判読することは困難である。今回の津波は、過去の津波の到達地点を知らせてる、この標石をはるかに超えていた。
昔の人が、未来人のために残してくれた数多くの石碑。子孫のための親切心だと思うと、とてもありがたい。しかし、街づくりの中で埋められてしまったり、忘れ去られてしまっては・・・

夕方のミーティングを終え、N補佐に文房具屋さんの場所をうかがう。サン・リアの2階にあるとのこと。他にも、三重発祥の大手流通業が大船渡にも進出かもという話を聞いた。新宮にこの社のショッピングセンターができた時、和歌山資本のスーパーしか選択肢のなかった地元の方々には、価格面で驚きだったらしい。

私の行きつけの店と同じものができるんだという喜びと、盛の商店街やマイヤ、サン・リアが・・・という悲しみのジレンマに陥った。競争は消費者にとって直接的な利益をもたらすが、地元資本が淘汰されることにより、別の面で不利益をもたらす可能性もある。

サン・リアの文房具店に行き、土日に使う予定のB2サイズのポスターフレームを探すが、こちらではなく本店にあるとのこと。道を挟んで斜向かい、目と鼻の先の本店に向かうが、あいにく品切れ。入荷予定を後日連絡いただくことに。ネットで買えば明日の夕方には届くかもしれないが、出来るだけ地元で購入したい。

晩御飯はこれまた近くの坂本食堂に向かう。前任者のY氏との引継の日に、昼食に訪れて以来である。前回のがしたドライカレーを注文する。
ボリューム感たっぷり
世田米のコンビニで用を済ませ、ベースキャンプに戻るとカレンダーがどっさり届いていた。その数54!大変ありがとうございます!
開梱して、なんとなく種類別に分けてみる。美しい写真やイラストの描かれたものは月めくりと2月めくりに分類。その他、メモができる字が大きめのタイプ、ポスタータイプ、卓上カレンダーや手帳。
友人Tのご母堂が、お手洗いの壁に、カレンダーから切り抜いた絵画を掲げていたのを思い出した。これだけあっても、複数送っていただいたものを除けば、デザインがかぶることがない。世の中には本当に多様なカレンダーが出回っている。この中には、レアアイテムも忍び込んでいる。
N先輩からは100近く発送したとの連絡もあり、明日も仕分け作業に勤しむことになりそう。うれしい悲鳴を高々と上げたい。

しかし、どうやらとても大事なものを、いずこかで落としてしまったようだ。部屋やスーツ、上着のポケットを探しても見つからない。クルマの中にもない。やむを得ずコンビニに電話すると、あった!
店に取りにうかがうと、どなたかが拾って届けてくださったそう。気仙の人の親切心に感謝!

2011年12月13日火曜日

#55 整理

寒い日々が続くが、カチカチに凍ったり雪が積もったりはしていない。
いつもの儀式を済ませ、ベースキャンプを後にする。
今日の市役所屋上非ライブカメラは北東。五葉山に雪が載っています。
午前、補助金関連の書類作成を行うために必要となるデータを、税務課から頂戴するためU係長と赴く。座って打合せしようと思ったら、打合せスペースがない・・・しばらく立ちながら話をし、データの提供依頼をする。まもなく任期満了となるため、課に戻ってから引き継ぎを兼ねた資料作成に臨む。

午後、N課長補佐が旧三陸町の仮置場の確認に行きたいとのことだったので、同行することにする。
まずは吉浜。ほとんどのがれきが、一次選別を行うユニットのある越喜来に運ばれている。混沌とした仮置場は整理が進んでいた。比較のために、勤務初日(10月20日)の写真を並べる。背後に写っている建物に注意。
12月13日
10月20日
この後越喜来に向かうが、少し迂回して吉浜の浸水地域を通る。広々としているが、しかし荒涼とした場所。もともとは田や畑だった。吉浜の海水浴場から打ち上げられたと思しき砂が一面に散らばっていた。
砂に覆われた土地・
1928(昭和3)年の開墾碑が流出せずにとどまっていた。
三陸支所に立ち寄り、チーム大分市に少し声をかけ、越喜来港の積出場に向かう。がれきはここから赤崎町にある二次選別場まで船で運ばれる。
港の隅に猫が二匹いた。キジトラと白のブチの猫は、呼ぶと近寄ってきた。ああ、うちの猫は元気かな・・・

越喜来の仮置場は、まだ多くのがれきが保管されているが、一時に比べるとその量を減らしている。ここでは、手作業による一次選別が実施されている。
越喜来にも仮設商店街が建設されており、着々と準備が進んでいるようだった。
引続き、綾里の砂子浜、初めて行く殿畑、そして白浜に着くころにはすっかり日が暮れていた。

夕方のミーティングを終え、高田に向かおうと思ったが、クリーニング出し忘れた!と気づき、盛に戻ろうとするが、財布に現金がほとんどなかった。よってスルーし、高田へ向かう。
45号線は少し渋滞しそうな気がしたので、県道丸森権現堂前線を南下する。大船渡駅前のプラザホテルには煌々と明かりがともっており、玄関前には再開を祝う花輪が飾られている。きれいに改装された建物と、歩道に積まれた浸水防止用のトン袋の対比が、この地域の今を物語っている。

高田の星石油店では、いつもの店員さんがいつもの笑顔で迎えてくれた。今はこうやって、何事もなくガソリンを満タンにすることができる。テレビや新聞で見ていた、当たり前が当たり前じゃなかった時のことを、ふと思い出した。

仮設店舗のマイヤ滝の里店で買い物をし、100円ショップで土日に必要となるアイテムとともに、クリアファイルを買った。そして、う・ふ・ふで晩御飯を食べようと思ったら、本日休業・・・
またマイヤに戻り、値引きがなされたお寿司とインスタントみそ汁を買う。

ベースキャンプに戻ると、自称「カレンダープロジェクト」の第1便が届いていた。今日もメールや電話で「送ったよ~!」との知らせがあり、とてもうれしかった。
企業などで勤めていると容易に入手できるものだが、最近は経費削減の影響もあり、配布される数も減ってきている。今までは、付き合いなどで容易に手に入れていたものが、入れられなくなっているのであれば、お役にたてるのではなかろうかと思っているのだが・・・

こちらで入手したパンフレット類を、今しがた買ってきたクリアファイルに整理する。一枚一枚に想い出やお世話になった方の顔が浮かび、何やらこみあげてくるものがあった。

ちなみに、Googleのストリートビューでは、気仙の街並みを見ることができる。主要な道路以外もかなり細かく撮影されているため、このブログで紹介したお店などをご覧になっていただきたい。