2011年12月12日月曜日

#54 あかり、ふたたび

12月12日は山の神。毎年大荒れになるそうだが、今年はいたって穏やか。
ベースキャンプの支配人から、「今日はお休みしないと(笑)」と言われるが、今はがれき処理担当なんです!

月曜日なのに道路は比較的スムースに流れており、いつもの時間に到着する。T副技監に、昨日首崎に行ったことを報告する。

午前中は、契約事務処理などをしつつ、金曜日にミーティングで課長が「仮設住宅用のカレンダーを集めたい」と発言されたのを思い出し、お世話になった方々にメールでお願いする。この後、若干混乱が発生し、大船渡市内ではなく、陸前高田と住田の仮設住宅にお届けすることに変更した。
さっそく返信を何通かいただき、遠い東海地方でも、被災地を思う気持ちを持っていただけていることに感謝する。

昼になり、弁当置場に取りに行くと1つ足りない。あっ!注文を忘れていた・・・
売店で、東北限定のどん兵衛芋煮バージョンを調達し、お湯を入れてから席に戻ると、弁当が余っていると告げられる。タッチの差だが、もう後戻りできないので、弁当とどん兵衛を両方平らげる。
食後に離席していたら、机上に小さな紙袋が。開けてみると奈良のお土産。あ、これは間違いなく税務課Fさんのご令嬢からのお土産だ!修学旅行に行くっていってたし!

午後、二次選別場の脇にある沼地の処理方法を検討するため、県大船渡土木センターと二次選別場管理事業者と打合せになったことから、N補佐、T副技監とともに現場に向かう。
沼地は将来的、港湾の一部として利用されることになる。沼地には重機が入れないため、赤崎小学校付近から流されてきた家がまだ残っている。鋭意、復興資材を活用した道路の取付作業が行われている。
沼にはどこからか流れ着いた畳が・・・
K主任と少し話す機会があり、昨日首崎に行ったと伝えると、あそこに一人で行くのは勇気がいると言われた。よかった、行ってから聞いておいて・・・

夕方のミーティングが終わり、定例の洗濯に向かう。今日はいつもより寒くないような気がする。寒さに慣れたのか、たまたまなのか。いろいろ洗うものがあって普段より量が多いので、ワンサイズ大きい洗濯機で洗う。
いつものように、地名を復興支援地図と照合させながら、「津浪と村」を読む。なんだかぽかぽかしてきたので、いつの間にか眠ってしまった・・・目が覚めたら乾燥が終わっていた。

夕食を取るため、盛の龍華に向かう。が、今日は定休日・・・久しぶりのほっとポットか?と考えたが、大船渡駅近くの仮設店舗のラーメン店、どんぐりに向かう。
大船渡線に沿った市街地は、光るものが全くと言っていいほどない。8時だというのに、ハイビームで走らないと少し怖い。

少し遠くから、どんぐりに灯がついていることが分かった。やってる!
この店は、Fさんの娘さんからおすすめされていた店。夢商店街のすぐ隣にある。
しまった、名前を忘れた!辛いのをマイルドにしてもらいました
お店はマスターと義理の息子さんのお二人で切り盛りされている。そして津波の話になる。
末崎に住むマスターが、当日、その後、そして今の話をされる。ライフラインが止まり、がれきで自由に動くことができない状態だと、もはや避難所でも自宅でも状況が変わらないと。物資も、市町村間の格差、地域での格差があったことなど・・・

息子さんは、震災当日配送の仕事のため、さいとう製菓にいたと話された。そして、話が映像のことになり、マスターが友人からもらったというDVDを見せてくださった。
動画配信サイトでは、多くの津波の映像が登録されていることは知っていが、進んで見ようと思うことはなかった。

初めて津波に襲われる大船渡の映像を見た。以前なら、テレビで流されていた映像と同じように、市町村といった大きな地名でしか把握できなかったし、詳細にその場所を理解することはできなかっただろう。しかし、大船渡で仕事をしているから、今はだいたいどこがどこかわかる。それがより一層つらい。しかも、昨日行ったばかりの加茂神社からの映像が・・・考えられない高さまで津波が来ている。

映像の中から、ある叫びが聞こえた。
「防潮堤が・・・・防波堤が・・・」
先日のN補佐の発言を思い出す。大船渡の中心街にいた人たちにとって、チリ地震津波の後にできたハードは、守り神だったのではないだろうか。市民の願いを、少しは叶えることが出来たかもしれない。しかし、すべてを叶えることは出来なかった。

マスターの一言が少し心苦しい。
「津波のことを、時々思い出すと涙が出るし、心苦しくなる・・・」

DVDを見せていただいたことに感謝し、店を後にする。先日わき目に見たクリスマス・ツリーへ。
月明かりと、ツリーを彩るイルミネーションが、津波で消えてしまった街を照らしていた。