2011年12月21日水曜日

#63 底力

体調は相変わらず芳しくない。しかし、あと2日。休むわけにはいかない。

いつものように儀式を済ませ、職場へと向かう。通いなれたこの道を通ることも後わずかかと思うと、何やらさみしい気持ちになってくる。
今日の市役所屋上非ライブカメラは南向き。街は靄で覆われています。
日中はひたすら資料まとめにまい進する。よくわからないが、多分必要と思われるものはそろってきたはず。また、後任者への引き継ぎように、T副技監から大船渡の廃盤となった観光マップを一部いただく。

15時過ぎ、私にとって最後となる仮置場の温度測定に向かう。今は石浜と大船渡町内の2か所だけとなった。仮置場の運営方法を確認するため、大船渡南の現場事務所に立ち寄る。
次にお目にかかるときは、なくなっているだろうか・・・
夕方のミーティングで、課長が昨日オープンした「大船渡屋台村」を訪問したことをお話しされた。そして、F主査から、がれき撤去に従事されていた方が屋台村でお店を開いたという情報も。年末に向けて、この街の底力を感じる。

そして、夜は大船渡農林振興センターのO氏にお招きいただき、林業振興課の忘年会にのめりこませていただくことに。
会が始まるまでに、最近復活した赤崎のファミリーマートへダッシュでお金をおろしに行く。
ピカピカのファミリーマートは、何事もなかったように営業していた。ビビッドな彩の、開店を祝う花輪がまぶしい。

会場となる坂本食堂に向かったところ、暖簾も出ておらず、電気が消えている。あれっ?たしか場所はここだったよな・・・
O氏に電話をすると、やはり会場は正解。クルマを止めて玄関に向かうと「本日貸切」の張り紙が。しばらく待っていると、U氏が到着。よかった、知っている人が来た!

12人程度が入る座敷に通され、先週金曜日の忘年会とは異なり、コンパクトな感じ。メンバーが全員で揃うまで、やはりお決まりの「練習」を始める。O氏に、内陸でも練習の文化はあるんですか?と尋ねたら、あるとのこと。少なくとも、岩手では当たり前のことのようである。

サバップルのネタに始まり、林業全般のことや昔の話。しかし、一番引き付けられたのは、O氏からうかがった3.11の話だった。

O氏は当時、久慈の事務所で勤務をしていた。
3.11の夜、停電で真っ暗な中、自家発電装置を有する事務所だけが明るく輝いていた。市民は自然と集まってきた。
県事務所は避難所ではなかったため、必要なものが大きく不足していた。そのため、職員が各自自宅にあるものを取りに帰り、急場をしのいだ。そして、自然と炊き出しが行われていた。3日ほど後、自衛隊が到着し、その後の業務を引き継いだ。
O氏は職場のメンバーの姿を見て、「私たちもやるときはやるんだ!」と思われたそうだ。

自然災害が起こる前、発災後の応急、復旧、復興。どの段階においても、各自ができることを最大限やるというのが、正しい姿である。
とても残念なことに、これは防災の仕事だとか、林業とは関係ないとか、つまらないセクショナリズムを笠に着て、間違った理論を声高に叫び続ける人物もいる。事実と違う妄想をどれだけ叫んでもむなしいだけである。

遅れてきたH氏も合流し、宴たけなわとなる。しかし、このメンバーと出会えたことは、大船渡での勤務での大きな支えとなった。必ず、どのような形になるかわからないが、このメンバーと再会することを祈念する。

代行でベースキャンプへと戻る。どうも、以前も運転してもらったドライバーのようだ。粉雪が舞う107号線を北へと向かった。