2011年12月6日火曜日

#48 いつかは気仙市

今日はすっかり風も止み、やや暖かな朝。

いつものように東海新報に目を通すと、DMV(Dual Mode Vehicle)と呼ばれる、鉄道とバスのハイブリット車の導入が読者によって提案されている・・・だめだ~!鉄道じゃないとだめだ~!!!
鉄道は、街を形作る重要な要素。駅は人や情報の交差点となる。しかし、一日の利用客が、大船渡線の盛駅で300名強、大船渡駅で2ケタはやはり厳しいか・・・東京発、盛改め新大船渡行三陸新幹線「うみねこ」を期待していたが。
今日の市役所屋上非ライブカメラは南向き。風がなく穏やか。
昨日届いた支援物資のうち、モロゾフのお菓子を臨時職員のOさんに託す。
早速朝一、N課長補佐から「メール転送しといたから・・・」。あー、絶対ヤバい!補佐曰く、「面倒な中身じゃないよ」と。
とりあえず添付ファイルを開くと、案の定ブービートラップが仕掛けられていた。即戦闘態勢に入る。ある数値の計算をするのに必要な資料が見つからない。急ぎ、県庁に電話で依頼する。

昼休み、追加支援物資を取りに行き、課長やN課長補佐、T副技監、税務課のFさんにお渡しする。松阪牛を所望されていたU係長には、特別に松阪牛チップスをお渡しした。

今日は災害査定やヒアリングなどがあり、一時的に課内が5人前後になる。昨日暖房の配管が破損していることが判明し、一時的に停止されているからか、人が少ないからかわからないが、足元がとても寒い。庁舎管理の方が置いていってくれたファンヒーターが重宝している。

15時過ぎ、N補佐とT副技監が船舶解体現場の完了確認に出向く。現場には跡形もなく、きれいに整備されていたそうだ。

夕方のミーティングを終え、大阪市のTさんから赤崎の石碑の写真をいただく。市役所を後にし、クリーニングを取りに行ったのち、たばこ屋さんに寄ってからKojikaへ。
前回訪問した時、マスターが「今日は味噌煮込み!」とおっしゃってみえたので、対抗するために支援物資の伊勢うどんをお届けする。
するとマスターが、「伊勢うどんが30食送られてきて、毎日伊勢うどん食べてるよ~」と。しまった、かぶった・・・しかし、いろんなアレンジで楽しんでいるし、違う麺もいいね!とお褒めいただく。
今日は大盛り。神奈川産みかんをいただきました。
奥様といろいろとお話をした。やはりどうしても話は津波のことになってしまった。
せっかくだから、最後の晩餐はKojikaにしようかな・・・

ベースキャンプに到着する直前、好(たか)の前を通ったら灯がついていた。引き返して、日曜の太鼓がとてもよかったとお伝えし、支援物資の伊勢海老せんべいをお渡しする。少しお話タイムとなった。
やはり、話は地震のことになってしまった。停電で情報源がほとんどない中、炊き出しをしていたら突然マスクをして室内に入れと言われたこと。放射能の問題のこと。地元であった「えげつない」出来事のこと・・・

今日の東海新報の一面に、復興住宅の土地の確保に苦戦しているという記事があった。大船渡は、尾鷲のようにいきなり切り立った山になっているわけではなく、後背地として日頃市があるし、もう少し足を延ばせば住田の世田米がある。とくにベースキャンプ周辺は潤沢に用地の確保することが可能である。

おたかさんとの話の中で、市町村合併のことがでた。3年ほど前、気仙でも合併議論が盛り上がったようだが、現状は3市町とも独立している。
津波という災難から永遠に離別するため、3市町が合併して「気仙市」を新設、世田米に市役所を設けてはどうだろう?なんていう話にもなってしまった・・・

結構いい時間になってしまい、ベースキャンプに戻ると新たなお届け物が。H先輩から宮の雪到着!