2014年7月31日木曜日

#552 忘れられない思い出 -孫兵衛船競漕-

適度な暑さの朝を迎える。絶好のカッターレース日和である。身支度を整えて、5号機で石巻へ出発する。途中、コンビニでガス代やら固定資産税の支払いを済ませるが、ある手続きは時間の都合でパスする。余裕をもって出発したつもりが、会場入りしたのは集合時間ギリギリだった。

北上川の川開き祭り。この祭は90年近くの歴史があり、孫兵衛とは、北上川の改修に尽力した川村重吉の通称から。孫兵衛船競漕は1975年から始まったが、東日本大震災により使っていた船は被災し、中断を余儀なくされていた。広島や山口からの支援により、孫兵衛船は再建され、4年ぶりに復活を遂げた。
見覚えのあるメンバーや初見のメンバーと顔を合わせ、おそろいのTシャツを受領する。予選開始時刻は11:15、それまでの間、メンバーと談笑する。
スターティングラインナップが発表され、自分は中央右側となる。否が応でも緊張感が高まり、この場から逃げ出したくなる。
いよいよ声がかかり、乗船となる。
3艘がタグボートに曳航され、スタート地点に到着する。
少しスタート練習などを行ってから、3つある中の中央のグリッドに並ぶ。そして、アメン坊ズ2014、スタート!
練習と同じようにスタートダッシュを決め、「ソーレ!」の掛け声のもとに、とにかく必死に漕ぐ。途中すっころぶ場面もあったが、両サイドには、ライバルがずっと併走している。
そして、2分30秒のレースはあっけなく終了した。1位と4秒差、2位と3秒差という僅差で惜敗した。
惜敗を悲しむ
そして、続き女性チームの「こぐっちゃ」がスタート。相手は石巻のプライドをかけて挑む、優勝候補でもあるチーム。結果はともかく、無事にゴールインしてよかった。
少しねまってから、BBQ会場の牧山市民の森へと向かう。しかし、場所がよくわからず、後で合流したS技査、坊主のS技査、K氏と少し徘徊することになった。

無事会場入りしたころには、既に火おこしが始まっていた。他のメンバーがテキパキと動いてくれるので、自分は待つだけでよかった。
いろんな話をして、今まで以上に親交が深まった。三重では実現できていない場だった。
焼くものもなくなったので、片付けをして散会となる。
メンバーと別ルートを通って帰路に着く。
牧山にある零羊崎神社
牧山からの眺め
398号線を通って、女川の街へ。久々に訪ねる街では、復旧工事が進んでいた。
女川の街
遺構になるのかならないのか...
女川交番
建設の進む河川堤防
河川堤防の写真を撮っていたら、現場の方から声を掛けられた。自分の立場などを少し話すと、「お互い大変だね」と。ナンバーを観たら、富士山だった。

そして、雄勝へ。
昭和三陸地震津波の碑
雄勝支所跡地と今次津波の碑
街は静かだった
パパの名前と書かれた石
そして、大川小学校へ。いつ来ても、切ない。慰霊碑に手を合わせた。
 堤防付近にも、新たに慰霊碑が建立されていた。
悠久の北上川
堤防から眺める
対岸で写真を撮っていたら、船に乗った方がやってきた。「旅行ですか?」と尋ねられるが、いえ所用です...網を仕掛けているとのことだった。
引き続き、398号線を進む。途中すれ違ったアメリカンバイクの方から手を上げられる。どうやら、自分も旅人と思われていたようだ。

暗くなった45号線を北上し、気仙沼へ。大型ショッピングセンターで買い物を済ませ、たこ焼きが食べたくなったので夕食代わりに買い求めた

2014年7月30日水曜日

#551 自業自得

もはや夏と思われる天候に恵まれる。しかし、さほど暑くならないのは良いことだ。いつものように準備をして、いつものように出勤する。

ようやく落ち着いて仕事できるな、と思っていた矢先、来客が現れる。しまった、今日しか空いてないってことでスケジュールを入れていたんだっけ...最近、短期的な記憶がすぐに消されてしまう。予定を詰め込みすぎている自分の責任なのだが、今しかできないことを今やらないと後悔するし...葛藤である。

Nという施工予定箇所に関する測量業務の打合せを行い、T班長とともに現地に向かう。晴天だが車載の温度計は30℃を超えることがない。車内では、T班長とバイクの話などをする。去年とは違った穏やかな空気に包まれている。

現地を案内しながら、コンサルの担当氏から様々な他自治体や組織からの知見がもたらされる。大規模な施工予定箇所は、林野庁に工事を依頼する「民有林直轄治山事業」というものがあるが、果たしてそればかりに頼ってしまっていいのか、悩ましい。
現地説明を終え、日門食堂で昼食を食べてから帰庁する。

午後、土木部主催の工事の安全衛生にかかる研修会が開催される。石巻労基署から最近の事故事例の報告や熱中症対策、労働安全衛生総合研究所から、掘削法面の崩壊現象やクレーン車の安全性を科学的な視点から解説する内容などがあり、参考になった。労基署は、受講者の興味を引くこういった工夫をこらした研修会をよく開催している。

宮城県のMIDORIという防災情報システムは、職員向けのメール配信機能を有してる。回覧されていた書類に記載されていた方法で、登録を行う。しかし、地域選択が出来ないなど、元システム担当としては気になる点がいくつかあった。内部向けだからいいか...

業務終了後、アンカーコーヒーで高田の友人と週末のスケジュールの打合せを行ってから、大船渡へ向かう。七夕飾りの製作も佳境を迎えており、形が次々に見えてきた。
作業終了後、いただいたミカンをふるまう。皆、口々にうまいと言ってくれる。M先輩のチョイスは間違いない。さすが御浜柑橘!

いつものようにしばしねまってから、霧の立ち込める三陸道をベースキャンプへと戻った。

2014年7月29日火曜日

#550 違和感

いつもと変わらぬ時間に起床し、昨日買い求めておいたあずきクリームサンドを食べる。昨晩も非常に涼しく、というよりむしろ寒いくらいだった。三重からの来客はさぞ驚いたことだろう。
ここから自分がドライバー兼ガイドになり、レンタカーのハンドルを握る。

まずはF主事の住まいを外観から...ベースキャンプとはことなり、仮設住宅と同じタイプの平屋の建物だった。
そして大船渡合庁へ。
沿岸広域振興局副局長や大船渡農林センター所長へご挨拶し、引き続き別室で事業概要の説明を受けることに。F氏は農地整備に関する業務を行われており、担当地域は大槌町から陸前高田市までとなっている。
農地整備とはいえ、いわゆる農地海岸も所管していることから、各地で防潮堤の整備も行われている。先日見た合足の防潮堤も、ここの所管だった。防潮堤だけに限って見れば、自分の管内よりもスピードが早いと思われる。

説明を聞き終え、一路陸前高田へと向かう。今回は小友を見学することになった。全体を俯瞰できる箱根山からの視察となった。
説明光景
箱根山からのパノラマ
以前見た時も、がれきで埋もれた農地が復旧していることに正直驚きを隠せなかった。まだこれで終わったわけではないが、岩手県職員の努力に敬意を表する。

引き続きタピック45を視察。
ここで岩手の方と別れ、引き続き気仙沼へと向かう。
昼食はあさひ鮨の定番、復興スペシャル
安波山を見学ののち、合庁へご案内する。所長、副所長、副所長(技術)、農林振興部長と懇談し、少し管内概要の説明をしてから現地へと向かう。

気仙沼市本吉町野々下→南三陸町名足の災害公営住宅→Nという施工予定箇所→防災対策庁舎→志津川中学校とご案内し、予定通りさんさん商店街に到着し、ここでお別れとなる。三重から訪問された方には、少しお疲れのご様子も見受けられたが、ここで見たことをまた三重で伝えてもらえれば幸いである。

T次長、T班長、N技師に迎えに来てもらい、先日応急対策を終えた現場の検査をしてから、小泉小学校へと向かう。
真新しい石碑
高台の校庭に建つ石碑
自分は直接的に関係ない業務だが、工程の都合から説明会に参加することに。以前から興味のあった箇所なので、その様子を知りたいこともあり。
土木事務所の所管する施設だが、その復旧方法など説明が行われた。ここでコメントすることは出来ないが、会の進行に違和感を覚えたことは確かである。
終了後、隅っこで膨張されていたI市議と少し立ち話をする。自分と同様の感覚を持たれていたようだった。帰庁したのは22時前だった。

ベースキャンプにて、熊野のM先輩から送っていただいたミカンを開梱する。プレミアムすぎるハウスミカンがたくさん入っていた。「量が少なくて...」と先輩は恐縮されたが、いえ、十分すぎるボリュームです!

2014年7月28日月曜日

#549 内側

夏らしく太陽が眩しい朝を迎える。そろそろ梅雨明けかな...。いつものように準備をして、いつものように出勤する。しかし、体が重い...

大島の施工予定箇所と自分の担当するHという施工予定箇所に係る測量の現場引き渡しが予定されており、午前中は大島班が出動したので、自分はやりたい作業を前に進めることに。
非ライブカメラA
昼のニュースで、梅雨明けを報じていた。いよいよ、東北の夏に突入する。とはいえ、日中の気温は30℃を超えたりしないところが三陸の良いところである。

予定時刻を過ぎても戻る気配がなく、やきもきする。そのような中、S総括と今後の残調への対応や、来年度以降の派遣のことについて少し話をする。本当はクローズな場で行うべきだったが、結局執務室でディスカッションすることに。
なんとなく気づいてはいたが、やはりというか、宮城県の対応方針を知ることになった。組織の柔軟性は圧倒的に三重県の方が上だと確信する。派遣職員を送り出す側も、別に人が余っているわけではない。そして仙台市は派遣の依頼を終了した。宮城県として、どういった方針でこれから対応していくのか、明確な回答は得られなかった。
東日本大震災の復旧復興だから、諸手を上げて人を送り出すという時期はもう終わったような気がしているし、職員を出す側も人材が枯渇してきていると思う。

大島班が戻ってきたので、T班長と2人で南三陸へ向かう。自分のスケジュールを考え、T班長お一人で行かれるつもりだったようだが、自分も当然向かうことにする。

コンサルの担当氏に、現場を案内する。初めてお付き合いする方なので、やや腹の探り合いをするところもあるが、まずまずスムースに打合せは終了した。

やや混雑した45号線を気仙沼へと向かい、そのまま気仙沼駅に置いてもらうことに。ここからBRTで大船渡へ向かう。
 程々の乗客を乗せて、北へと向かう。大船渡駅前の香善という店で懇親会となる。三重から農林水産部長と農林総務、基盤整備系の班長あわせて5名が訪問してくださった。そして、岩手県大船渡農林センター派遣のF主事とともに、いろいろ話をする。自分の黒さが際立ってしまい、明らかに浮いていた。
宴も終了となり、立根(たっこん)のインターホテル椿へと向かう。途中、吉野町公民館に立ち寄り、自分がプライベートで関わっている活動もご覧いただくことに。
「水上さんは地域に入り込んでいるね」と言われたが、それは市役所のM主任はじめとする大船渡の方々のご尽力のおかげである。
当初は予約の取れなかったこのホテルだが、後で予約を入れることが出来たからかどうかわからないが、ツインの和室付という豪華な部屋に当たった。
確か、将来は他目的に転用すると聞いたような気がする。将来に備えて手を打っておくことは、どこの組織でも同じことである。

2014年7月27日日曜日

#548 集結

8時に目覚ましをセットしておいたが起きられるはずもなく、結局9時にマーシーに起こされることに。急ぎ準備をして、マーシー、やっさんに挨拶をしてから出発する。少し雨が降っていたようで、5号機の向きを変えていただいていたのは恐縮だ...

陸前高田の玉の湯で汗を流してから、末崎にある仮設住宅に住む、東浦町から派遣のE氏宅へ。小学校の校庭にあるこの仮設、かなり多くの部屋に「空室」の張り紙がなされていた。
E氏のクルマに乗せてもらい、吉野町へ向かう。

会場には誰もいなかったが、なんとなく準備が進められているような感じがしていた。徐々にメンバーが集まり、準備を進めていく。

大船渡ポートサイドマラソンを走り終えた方たちがやってくる。現役の派遣職員だけでなく、OB、OGも集結する。
最初はボチボチ...
開演の舞
人ぎっしり
暑かったからなのか、疲れたからなのか、体調が急速に悪化し、ダウンしてしまう。

少し横になり、気が付いたら17時を回っていた。暑かった空気も一変し、秋のような涼しさになっていた。しばらくねまって、そして後片付けをし、E氏宅に向かう。

久々に仮設住宅に入る。きれいに整頓された部屋は、一人暮らしには十分すぎるスペースだった。しかし、家族で住むには狭いだろう。
E氏に碧南名物のキリンラーメンをごちそうになり、派遣のポジショニングや日常生活など、いろいろな話をする。時折、さみしいということを口にするが、まぁ、その言葉は禁句にしよう。

少し体調も回復し、5号機で帰宅する。クーラー入らずの三陸は、避暑地にもってこいである。

2014年7月26日土曜日

#547 こぎいでぬと

4月にも泊まったことのあるホテルで朝を迎える。朝食がセットされていたので、無理やりにでも8時半には起床する必要があった。急ぎ着替えて向かいのホテルにある朝食会場へ。既に孫兵衛船キャプテンのK技術主幹、N技師、I主事が朝食を摂っていた。時間が遅く、あまり食欲もなかったので、適当にパンなりスクランブルエッグなりを食べる。

部屋に戻って準備をしていたら、高知から派遣のO氏から連絡が入る。O氏の部屋でダラダラしようとのことで、給油を済ませてから寮へと向かう。
O氏の部屋は、とても同じ間取りとは思えないくらい広々としており、整理整頓もなされていた。この違いはいったい何なのだろう...

前から話したいと思っていた派遣職員の扱いについてディスカッションを交わす。そろそろ来年度の話が出てくる時期なので、本音の話をしないと...

昼が近づいてきたので、別行動をしていたI主事、東部のK技師、A技師と合流し、魚町にある道頓という店に昼食へと向かう。
仮設の商店
ボリューミーなカツオ丼は800円
そして、いよいよ孫兵衛船の練習場所へと向かう。13時集合なのか13時半集合なのか情報が交錯しており、男女のリーダーが同行しているので、とりあえず13時に会場入りする。
結局、13時半ごろに三々五々、メンバーが集まる。

船着き場に向かい、いよいよ乗船となる。
 正直、川に手漕ぎ船でおどり出ることに若干の恐怖を感じていた。しかし、船は岸を離れた。
ほっかむりが似合うO氏
パワーよりはチームワーク
むむ、ライバルか...
練習コースを何度か行ったり来たり、そしてスタート練習。昨日とは違って海風が心地よく、さほど汗をかくことはなかった。7名という奇数で、フルメンバーがそろっているわけではないので、本来いかほどのスピードが出るかはよくわからなかった。船を漕ぐという感覚をつかむことは出来た。

次の予定があるため、先に失礼することに。撤収準備をしていたところ、学生時代のアルバイトの先輩から電話が入る。本当に久しぶりで、20年は大げさだが、それくらい久しぶりのことだった。てっきり関西にお住まいかと思っていたら、実家の極めて近くでビジネスをされているとのこと。近日中の再開は無理だが、また三重に戻ったらお会いしましょうと約束する。

三陸道経由で北へと向かう。沿岸に比べると内陸は暑いので、途中のコンビニでガリガリ君を買う。
千厩の街では、山車が動いており、メインの通りは通行止めになっていた。いよいよ、東北の夏祭りのシーズンに入った。

住田に着くころには、日が陰ってきた。杣遊会でお世話になっているS氏宅を訪問する。既に何名かが到着され、バーベキューコンロには火が入っており、準備万端だった。広々とした住田の家々では、こうやって気軽に人が集まることが出来る。そして、地元のBBQにお招きいただくことに、感謝してやまない。最終的には10数名が火を囲むことに。
 今日は住田の夏祭りが開催されており、21時前に花火が打ちあがる。今年初めての花火かも。
ガレージに眠るSA22
メスのカブト虫もやってきた
祭に参加していたメンバーも集合し、宴は結局2時まで続いた。最後に残っていたY君、やっさんことO君とともに、後片付けが終わったころには3時を回っていた。「2時間寝られればいいや」というY君の言葉に、若さを感じる。涼しいというより、少し肌寒い住田の夜更けだった。