2014年12月31日水曜日

#705 ready to fly

冬休みに入っても、惰眠を貪ることもなく、比較的早めに起床している気がする。風のない穏やかな朝。いつものように準備して、ドローンとともに外に出る。

ほとんどクルマの止まっていないベースキャンプの駐車場は、格好のテスト飛行場となっていた。始動準備を行い、プロペラを回し、プロポのスティックを上に倒すと、「ブーン」という威勢のいい音とともに、ドローンは空中へと舞い上がる。

上げたり下げたり、着陸の練習をしたり、いろいろ試してみる。ちょっと高く上げてみようかな...と思った矢先、少し強めの風が吹き、ドローンが流される。危うく隣家に入り込んでしまうところだった...
バッテリーがあまり持たないため、一旦飛行をやめて充電することに。その間、昼食を摂りにまるきへ。
 かなりの人で賑わっており、少し待つことに。その間、大島のしんちゃんことO氏からLINEのメッセージが。偶然にも近くで1号機を見かけたようで、せっかくなので一緒にラーメンを食べることに。
今日は白
いろいろだべってから、再びベースキャンプへと戻る。充電を終えたドローンを持ち出し、ひとまず内湾へと向かう。

エースポートの駐車場の片隅で飛ばしてみることに。すると、大きな犬を連れた地元のおんつぁんといったら失礼か...自分より若いかもしれない漁師さん風の方に声を掛けられる。はじめでみだぁ、とびっくりされていた。
ちょっと飛ばしてから他の場所がないか探していたところ、駐車場の番をしているおんつぁんから声を掛けられた。元々はここから見えている場所で飲食店を経営されていたそうで、震災で店はダメージを受け、その後いくつかの職を変わられて、今の業務に携わっているとのことだった。

この後、かなりいろいろな話を聴くことに。津波からの避難、避難所からホテルでの生活、家族の死、そして仮設での暮らし。仮設商店街への入居の話、発掘調査や水産関連の業務にも従事したことなどなど...

特に、水産関連の業務については驚くような話が聞かされた。水揚げの有無によって大きく左右される収入、時にはありえないような金額だったとも仰っていた。もちろん、それだけの話ではないのだが...
気仙沼の11月の有効求人倍率は1.86。雇用のミスマッチといった言葉で単純に語ることのできない、根深い構造上の問題がこの街には存在するように思う。それは気仙沼固有なのかどうかは残念ながらわからないが...

日がかなり陰ってきたので、再びフライトへと向かう。
鹿折
五十鈴神社付近
一旦ベースキャンプへと戻り、体制を立て直してから大船渡へと向かう。市役所のM係長宅にお招きいただき、今年最後の忘年会となる。祭から何から何まで、本当にお世話になりっぱなしである。
浜松から派遣のノリさんことS氏、I氏、相模原から派遣のA氏、そして地元のデワキンことD氏が招かれ、奥さんの手料理を舌鼓を打ちながら、話に花が咲く。

いつの間にか、外は雪化粧となっていた。22時過ぎに散会となり、S氏、I氏とともに天神山へと向かう。足元のおぼつかない中、なぜか白と黒のクルマに後をつけられ、急坂を昇った先にある天照御祖神社へ。

既に盛青年商工会のメンバーは多くが集まっており、玉こんにゃく、そば、ダルマの販売はスタンバイ状態だった。
 御神酒をいただき、辺りの撮影。
真っ白...
まだ参拝客のいない境内
23時半に皆で参拝を行うと、三々五々、新年を祝う客が集まってきた。新しい年を迎える直前には、長蛇の列が出来ていた。
いよいよ2014年最後の時となり、そして新しい年を迎える。

2014年12月30日火曜日

#704 西からの使者Ⅳ day2

気温もあまり低くなく、幸いにも好天に恵まれる。「けあらし」が出るかもと思ったが、そんなコンディションではなかった。N先輩に、当初は8時集合を伝えていたが、9時に変更しておいてよかった。とても起きられる状況ではなかった。今年最後のごみ出しを済ませ、1号機で出発する。

駅前のホテルでピックアップし、まずは安波山へ。靄がかかった鼎が浦もいい感じである。
鹿折を抜け、ひとまずアンカーコーヒーで飲み物を調達。さっそくゆずドーナツを買い求めるN先輩。巨体はこのようにして維持されるのだと痛感する。
45号線を南へと走る。海が光り輝いてとても美しかった。防潮堤が出来、国道の付替えが行われると、また大きく景色が変わるだろう。今の三陸をいろいろな角度から記録しておきたい。

野々下の防潮堤に立ち寄る。林野庁と県で断面が異なる不思議な状況になっている。さすがに断面が異なる状況はここだけだと思うが、県内の至る所で違う施工主体が接続する防潮堤が存在する。誰がどう見たって、一体で整備する方が良いに決まっているのだが...同じ轍は踏みたくない。
再び45号線へ戻り、南三陸へ向かう。違うところを見てもらおうと、役場前を通って志津川漁港方面へ。残存型枠を使用している現場を見る。休みでもこういった資料収集してしまうのは、もはや病気かもしれない...
N先輩のリクエストにより、旧戸倉中学校へ。今年の3月で志津川中学校に併合され、今はグランドに仮設住宅があり、校舎や体育館などの建物は再度利用されると聞いている。
学校の敷地はかなり高いところにあるのだが、1階が浸水している状況はにわかに信じがたい。
助かった人、助からなかった人。明確なその境界を目の当たりにすると、心がざわざわする。
正面玄関
体育館への通路は分断されてしまっている
真新しい沿革を綴った石碑
痛々しい通路
震災前から激変した景色
風衝
バンパーが...
N先輩撮影
時間が無くなってきてしまったので、ひとまずさんさん商店街に向かう。当初はBRTに乗る予定だったN先輩だが、せっかくなので昼食を、とのことで、寿司ごちそうになる。
相当賑わっていた
うんめぇ
そして、敷地外の一角に魚屋が開店していた。元々は志津川の街外れで復旧していた店だが、火災によりここへ移転した。しかし、火災にあった旧店舗には、既に別の店の新たな看板が出ているのが気になる...
 お寿司もごちそうになったことなので、N先輩を柳津駅まで送ることに。
この先には、いつ列車が走るのだろうか...
そしてお見送り
触れることさえはばかられるくらいに汚くなってしまった1号機にて、三陸道、346号線経由で気仙沼へと戻る。途中、本吉の日門漁港前にあるガソリンスタンドに立ち寄る。前から気になっていたが、なかなか機会がなかった。
店主に少し話を聞くことが出来た。電柱のかなり高い部分まで水が来たこと、地下の埋設タンクは全く無傷であったこと...ここも星石油店、須藤商店に続き、応援SSとして贔屓にしたい。

あまりにも汚いクルマを見ていると、店主から隣の洗車場を紹介されるが、ここからベースキャンプに戻る間に汚れてしまいそう。今日は道が乾いているから大丈夫だぁ、と店主。
上部のトランスまで水が来た
目の前は海
市内に戻り、年の瀬の買い物客で賑わう「さかなの駅」に用足しに行くが、求めているものは売られていなかった。そんな中、おととい立ち話した土木のT氏とばったり。食料の買い足しにとのことだったが、いつまでいるのだろう...
引き続き海の市に出向き、ミッションを果たす。年末の大売出しに伴い、くじ引きを行っていたが、前2名が当選する中、自分はビリ…

一旦ベースキャンプに戻り、夜更けになってから洗車に向かう。昼間は大混雑だったが、夜でも結構賑わっていた。これでようやく汚車から脱することが出来た。

2014年12月29日月曜日

#703 西からの使者Ⅳ day1

朝からイマイチの天気、そして寒い。

昨晩組立が中途で終わってしまったドローン、結局精密ドライバーが必要な場面に出くわしたので、大型ショッピングセンターに今日も出向くことに。

諸々買い出しを終え、クリーニングを回収して帰路に着く。気仙沼の母の元へ立ち寄るが、先客が見えたので一旦ベースキャンプへと戻り、1時間後に向かう。
途中菅原先生に会い、「昼飯食べていきなよ」と誘われるが、時間の都合からお断りすることに...
頭を切ってもらいながら、母と話をする。親族にご不幸があったようで、2日店を閉められていたとのこと。月曜日に開いていた理由を理解する。

頭が寒くなってしまったが、自分が望んだのでやむを得ず。新来軒で昼ご飯を食べていたら、もう時間が無くなってしまった。
1号機に乗り込み、気仙沼駅へ。BRTに乗って北からやってきた、何度も訪ねてくれているN先輩と合流する。
リピーターに街を案内することは難しい。「変化したところを見たい」というN先輩は、南郷の災害公営住宅をリクエスト。工事の邪魔にならないように周囲をぐるりと一周する。

特にあてもなく南三陸へと向かう。登米沢の防集団地には、新たな住宅に加え、生活のが営まれている様子が覗えた。
45号線を南へと向かい、田ノ浦から津波記念碑や災害公営住宅などを案内しながら、名足へと抜ける。

馬場(ばんば)にある、W技師から教えてもらった「かなっぺ」というカフェに向かう。少し高いところにあるためか電気が消えているように見える。閉店覚悟で立ち寄ってみたら、幸いにも開いていた。1号機のTRCを作動させながら急坂を昇り、トレーラーハウスの店へ。
眺めはとてもよい
クレームブリュレ加熱中
パンもおいしい午後のひと時
千葉さんご夫妻が経営されているお店、ご主人は地元南三陸出身、奥様は関東からボランティアに見えたところ、ご主人と知り合ってご結婚されたとのこと。あぁ、そういう出会いってあるんだな…

震災のこと、震災後のこと、いろいろ話を聞く。
奥様が「この地域は物々交換が根付いていて、お金を使うという文化がない。それをこの地域に広めたい」と仰っていた。

普段、サービスの対価にお金を支払っている生活をしていると、確かに違和感を感じる。魚の代わりに野菜をもらうといった暮らしは、ある意味魅力的でもあるし、この地域の文化なんだと思う。しかし、その風習が外部からの移住者を阻み、この地域の低賃金を招いているとしたら、残念ながら未来はないかもしれない。そういった場所で風穴を開けるのが、奥様のような「外」から来た人たちなんだと思う。

辺りもすっかり暗くなってきたので、店を後にする。泊崎半島をぐるっと回っていると、眼前に美しい夕焼けが広がる。
三陸は何処も美しい。しかし、その見慣れた風景も、時折また違った表情を見せる。

45号線で気仙沼へと戻る。そして内湾のイルミネーションへ。
夜は呑んべで懇親となる。思い出話だけでなく、これから何ができるのか、何をやっていくべきなのか。話は一向に尽きなかった。

いつの間にか時計は23時前を指している。たっぺになった道をツルツルしながら、ベースキャンプへと戻った。

2014年12月28日日曜日

#702 Crossover Kesennuma Vol.18 -走り納め-

寒気が去ったのか、暖かな朝を迎える。朝食を摂ってから、年賀状を書くことに。ついつい気が散ってしまうが、何とか完成まで持ち込む。

その後、5号機の洗車に向かう。たまたま洗車されていた、お隣の電気工事店の社長さんに水道をお借りすると、ビールとホタテをいただいてしまった。10月の神輿の件でと言われたが、むしろこちらが期待に添えなかったのに...

神輿好きなT氏の分もと言われたので、窓全開だったT氏の部屋をノックしまくるが、応答なし。引き続き洗車を継続していると、窓から顔が見えたので声を掛けると出てきてくれた。

派遣3年目のT氏と2年目の自分とで、いろいろと話をする。T氏は業務をそろそろ任期付きの方に引き続いで行きたいと考えており、引き続き対象は異なるが、自分と考えは似ている。職場や取り巻く環境の話など、尽きることがなかったが、せっかくの好天を無駄にするわけにはいかない。
洗車を完了し、着替えてから5号機でプチツーリングに出向く。車載の温度計は9℃を指している。久しくこの気温を見たことがなかった。
なんとなくと言うか、やはりと言うか、唐桑を目指すことに。その前に、鶴が浦へ。
大島架橋連絡道路の建設が進んでおり、この周辺の景色も大きく変化する。今も鋭意工事が進んでいるが、その将来の姿はまだ自分にはイメージできない。
隘路を抜け、舞根へ。高台から見る絶景は素晴らしかった。
 早馬神社前を通り抜け、宿浦へ。そのまま鮪立へ抜けようと思ったら、プランタンというカフェを見つける。そういえば昼食を食べていなかったので、立ち寄ることに。
 普通の家のような雰囲気の店で、一服する。
食べ終わってから、店内に置かれた冊子などを見ていると、店員さんに声を掛けられる。せっかくなので、正月飾りのことなど聞いてみた。
センターは星の玉
店を後にするころには、既に火が傾いていた。途中の温度計は3℃を指していた。夕方になり、急速に気温が下がってきた。

帰宅してから、少しドローンの組み立てを行う。うーん、国産のドローンの誕生が待たれる。
夜、気仙沼出身の国交省職員、S氏と楽膳へ。話したくないかもしれないが、と前置きし、震災当時の話を聞く。
S氏の自宅は湊に近いものの高台にあったので、難を逃れることが出来た。当日、気仙沼に向かっている途中に地震に会ったが、まだ本吉の内陸部にいたとのことだった。
気仙沼に関わりのある人は、必ず何らかの出来事に遭遇している。こういった一人一人の知見や経験をうまくデータベースか出来れば、未来への教訓になるだろう.。それを集めるには、ちょっと一人では無理だな...