2014年12月13日土曜日

#687 未来予想 -500年-

昨晩も遅かったのでゆっくり寝ていようと思ったら、予想より早く、いつもと同じ時間に目が覚める。諸々準備をして、家族とともに出発する。

寒気が流れ込んできているものの、天気は晴れ。風は若干強いものの日差しは暖かだった。東名阪、伊勢道、伊勢二見鳥羽ラインを通って鳥羽へ。

久々の鳥羽国際ホテルでランチとする。
高台に建つホテルの窓から眺める鳥羽の海は美しい。定期船乗り場も見違えるほど美しくなっている。
食後、土産物店を見て回る。精錬されたデザイン、鳥羽に限らず三重県内各地から集められた産品。見ているだけで楽しかった。

観光を全面に押し出している鳥羽と気仙沼を直接比較することは出来ないが、鳥羽駅周辺の雰囲気は、気仙沼の内湾に似ている。違いは、鳥羽には名古屋、京都、大阪から、所要時間約2時間の直通特急がすごい頻度で到着すること、高速道路と直結していること、そして観光地としての歴史。観光客数は、震災前で比較すると、鳥羽は気仙沼のほぼ2倍となっている。

続いて、パールロードへ。浦村に出ると、道の両側にカキ小屋が林立している。このあたりの商売上手さはさすが三重県民。

そして、パールロード展望台へ。家族は初めて来たとのことだったので、連れてきてよかったと思った。
兄弟酒歌碑
神島を望む
美しい光景
続いて、今日の目的地であった国崎(くざき)の集落へ。以前もN先輩、O先輩、そして今は名古屋大学特任教授のA氏と尋ねたことがあったが、改めて今の視点で見てみたかった。
1498年の明応の地震以降、高台移転されたとされる集落は、大船渡市吉浜をはるかに上回る500年の間、ここの住民は高所に留まり続けている。
一番低そうなところで8m
防潮堤が整備されている
安政の津浪流出塔
高台移転のおかげで被害は小さかった
常福寺
漁村特有のタイトな道
集落の中ほどにある避難所の標高は26m
海を臨む
500年という時間は、この集落を景観になじませることに成功している。というよりも、むしろこの景色が当たり前になっている。言われなければ、ここが高台移転した集落と気が付かないだろう。
文化と言うか、風土と言うか、そういったレベルで溶け込んでいる。

そして、相差(おうさつ)へ。この集落にある神明神社の「石神さん」は、女性の願いを一つ叶えるということで有名。家族のリクエストにより詣でることに。
参道
石神さん
新しい本殿
男の願いはかなわないかもしれないが、いつもと同じことを祈願する。

ここに至るまでの狭い参道脇には、食事処や土産物、海産物の無人販売など、参拝客相手のビジネスが成立していた。盛岡八幡宮でさえこういった景色を見かけないので、三重県民の商魂逞しさを改めて知る。
せーまん どーまんが刻まれた重石
海産物の無人販売
 そして、一角にある「海女の家」へ。
店内にはこじゃれたカフェがあり、土産物も併せて売られている。いろいろと物色する。

一通り見て回ったので、帰路に着く。新たに開通した第二伊勢道路はとても快適だった。
津の親方宅にお歳暮を置き、四日市でH先輩と合流し、懇親会。

ゑびすやという人気の店は、入れ代わり立ち代わり客が。ちょっと落ち着かなかったので、一通り食べてから、結構好きな1UPというバーへ。話は尽きることなく、夜更けを迎える。
昨日に続いて、悪友Tと合流する。時間が遅かったので、ファミレスでねまることに。こちらも話が尽きることはなかった。