2011年12月8日木曜日

#50 資料

そういえば、朝御飯を買ってくることを忘れていた。そして、東海新報は先客が読まれていたので、いつもの儀式を執り行うことができず出発する。寒い。

朝から県庁よりメールが。資料提出期限は明日の午前中。しかし、いまだに他の部署からの資料は届いていない。
早速、資料の督促にうかがう。水産課のU係長がダッシュで取りまとめを行っている。そして、市民生活環境課のS係長にも電話を入れる。え~、地味に6日までにくださいとお願いしていました・・・(汗

しばらくして、U係長から大量の資料が届き、解析作業を始める。どの業務がどの契約で・・・しかし、U係長は出張のため、質問ができない。代わりに同じ係の方に不足分を依頼する。
水産課は本庁と三陸支所に分かれており、がれき関連の業務は半分くらい三陸支所で執り行われている。建設課はほぼ本庁に集約されているので、自分にとっての仕事はスムースに進行するのだが。

昼、T副技監から日曜日開いているか?と尋ねられる。一緒に五葉山に登らないかというお誘いだった。登山口までは行ったことはあるが、確かに山頂から見る景色には魅力を感じる。しかし、週末は天気が荒れる予報。金曜日に山に雪がなかったら決行しようということになった。

その後、T副技監が引き出しからおもむろに「復興から50年」と書かれた冊子を取り出す。去年の11月に発行された記念誌。2010年はチリ地震津波から50年、これを契機に様々なイベントが開催され、前半はその記録が記されている。茶屋前に作られた石碑の除幕の写真が載っているが、果たして現存しているのだろうか・・・後半は、50年前の写真が掲載されている。

図書館で借りてきた大船渡災害誌も、今日で返却期限である。しかし、今後の防災対策には欠かせない資料と思い、防災管理室のS係長にお願いし、貴重な「復興から50年」と「大船渡災害誌」の2冊をご恵与いただいた。多くの人の目に触れることが望ましいと思われるので、きちんと読んでからどこかに寄贈しよう。特に後者は紙の劣化が進んでいるので、管理や修復ができるところがいいかな。三重大学の図書館か、三重県立図書館か・・・
防災管理室のM主任も、災害誌はとても参考になるとおっしゃってました
三重県でも、2009年に伊勢湾台風50年のイベントが多数行われ、記念誌も発行された。そして50年ほど前に復興誌も発行されている。
奇しくも、1年違いで訪れた悲劇。その後、大船渡は湾口防波堤、三重は延々と続く海岸堤防と、ともにハードの整備で対抗しようとした。
N課長補佐と少し復興誌の話をした。織り込まれている復興事業計画図をみて、「湾口防波堤に頼りすぎていたかもしれないね・・・」と。湾口防波堤があったことで、浸水地域にもまた街を作ってしまったのだろうか。
三重、そして大船渡がどのような土地利用の変遷をたどったのか、もう少し詳しく調べてみたい。

市民生活環境課からも資料が届き、作業を加速させる。業務係のU係長に進捗などを報告すると、みるみる顔色が変わってきた・・・どうやら逆鱗に触れてしまったらしい。もちろん、私にではなく、とある課にである。とある課に向けてスクランブル発信しようとするのをなんとか抑える。
しかし、しばらくしてとある課の課員がやってきた。あぁ、やはり行ってしまわれたんだ・・・

書類についてやり取りがあり、FIXしたのは20時ごろだった。最後の取りまとめに入るが、結構時間がかかってしまう。21時を過ぎたころ、N補佐から帰ろう、と声をかけられる。もう少しでめどがつきそうと作業を続行し、同じく残っていたT技師と同じタイミングで退室する。なんせ、退庁の儀式を知らないので・・・時計はまもなく22時になろうとしていた。

リアスホールの返却ポストに本を返しに行き、晩御飯を食べようと市内をうろつくも、どこもすでに閉まっていた。やむなく、コンビニでスープパスタとサラダを購入した。
あ、しまった!また朝御飯を買っていない・・・