2014年2月16日日曜日

#387 Crossover Kesennuma Vol.8 -classification-

眠り続けたいという欲望を断ち切り、目覚ましとともに起床する。しかし、布団でウダウダしていると9時半になってしまった。もさもさになっている髪を切りに行こうと、窓から理容コマツを眺めると、ねじねじ棒が回っていない...気仙沼の母に電話をしてみると、店にはいるがタオルをすべて洗ってしまったためにお休みしているとのこと。

母に京都土産を届けてから、実母より念押しされていた前厄のおはらいへ、早馬神社へ向かう。唐桑に抜ける道は、雪が解けてシャーベット状になっていた。

社務所で名前などを記入し、本殿へ。ここで、全くの普段着で来てしまったことを後悔する。しまった、スーツで来るべきだった...
太鼓が打ち鳴らされてから祝詞があげられる。玉串を備えてお参りし、太鼓が打ち鳴らされて終了する。お札とおさがりをいただくことに。少し玉串料が少なかったか...

神主さん(か禰宜さん)と少しお話をする。自分の生まれた街のこと、今の気仙沼のことなどなど。震災から3年が経ち、住んでいる人たちの心境も変化していると仰っていた。
元来た道を戻り、応援したいガソリンスタンドの一つ、須藤商店へ。店主は自分のことをおぼろげながら記憶してくれていたようだ。気温は6℃。風が暖かく、春がやってきたような雰囲気だ。

しばらく進んだ高台で、早馬神社方面を眺める。昨日の強風で松葉が散っており、辺りにはいい香りが漂っていた。
第18共徳丸があった場所は仮設道が設けられている。
フェンスの奥が仮設道
軽めの昼食をと思い、気仙沼横丁のかに物語へ。
カニ入りビスクと、クラブケーキ
急ぎ、気仙沼中央公民館へ向かう。幸いにも駐車場は空いていた。
元々は河北新報気仙沼支局として使われていたが、市に無償譲渡され、改装の上で公民館として活用されている。
新聞をアレンジしたモニュメント
経緯など
3Fにあがり、会場入りする。席は程々に埋まっていた。
13時から、気仙沼未来創造会議2014冬が始まった。前半は、アイリスオーヤマの大山社長による基調講演。
宮城を代表する企業だが、元は東大阪からスタートしていると聞き、なんとなく関西訛のある言葉の意味が理解できた。講演のテーマは「ユーザーイン開発のイノベーション」と題し、氏の今までの生い立ちや、企業として大切にしていることなどを説明される。

元々は漁具(プラスチック製ブイなど)や育苗箱などを製造していたこと、ペットブームやガーデニングブームに一躍買ったことなど、企業としての歩みも興味深い。
プロダクトアウトからマーケットイン、という言葉はよく聞くが、さらに生活者に密着したユーザーインという考えのもとで企業運営をおこなっていること、売り上げの50%は発売から3年の新商品で賄っていることなど、利益率は常に10%以上確保し続けていることなど、目から鱗だった。
また、レジュメには「企業は変化対応業」と書かれており、学生時代に工場管理という授業の先生が仰っていた言葉を思い出した。

休憩時間に外に出る。建物の前には、伝説の避難階段が装いを新たにしていた。
そして3Fから内湾を眺める。
後半は未来創造討論会と銘打ち、「創造的復興のために今やらなければならないこと」をテーマに、ラウンドテーブルでパネルディスカッションが行われた。
日々この地方で活躍しているパネリストから、自分たちが取り組んでいることなどが話されるが、東北未来創造イニシアティブのメンバーからは厳しいエールが飛ぶ。被災地だから得られていたメリットはまもなく消え失せ、そういった「レッドカーペット」は二度と訪れないという辛辣なメッセージもあった。行政だけではなく、民間にもプレッシャーがかかっている。そして、具体的な何かが打ち出されるわけではなく、会は終了した。

いくつか気になる点があった。参加者名簿をチラ見したところ、自分の所属は「一般」と書かれており、100名程度の参加者のうち、一般は10名程度しかいなかった。市広報の折り込みで会議の開催を知ったので、おそらく全世帯に折込まれているはずなのだが...
また、会議の洗練された雰囲気が、個人的には気仙沼にあっていないような感じがした。共通語で進められるディスカッションには違和感を覚えた。

以前友人から、ヨーロッパの鉄道について話を聞いたことがある。友人の父が2等車に乗っていたところ、別の乗客から職業を尋ねられたので「技術者(engineer)」と答えたところ、2等ではなく1等に乗車しなさいと言われたそうだ。技術者という職業が尊敬されていることもあるだろうが、そういった階級が存在することも確かである。

今日円卓を囲んでいる方々は、気仙沼では「1等車」に乗るべきとされる人たちである。確かに気仙沼をけん引していく人達であることは間違いない。しかし、1等車だけでは鉄道は成り立たたず、2等車も必要である。なんとなく感じた違和感はここにあるのかもしれない。もちろん、職業に貴賤はなく、市民に格差があると言っているわけではない。

ここでどんな話がなされたのか、市民に伝えることも必要だという注文もあった。もっと市民に関心を持ってもらわなければ、この場で話されたことは絵に描いた餅になってしまう。コーディネーターのリップサービスはともかく、気仙沼を良い街にするという想いは、市民全員で共有してほしい。

まるきに向かおうと思うも、急きょお休みとのことだったので、また気仙沼横丁に向かい、福建楼で麻婆飯にする。
帰宅後、少しのんびりとした夜を...と思ったが、洗濯だのなんだの、バタバタしてしまった。