2013年7月13日土曜日

#169 未来予想 -20年- 1日目

睡眠時間が短かったものの、朝一の特急に乗りたかったので無理やり起床する。風邪は相変わらずだが、喉の痛みは良くなった気がする。

朝までの寝床確保のためだけだったので、駅まで徒歩2分、1泊2,500円という超破格のホテルに滞在したが、耐震性や緊急事態のことを考えると、安いことが最善とも限らないか...

辺りを見渡してもコンビニが見つからず、駅の売店も開いているかどうかわからなかったので、立ち食いそばを食べることに。原因は不明だが店は停電で、換気扇も回らずにムッとしている。急ぎかきこんで、ホームへと向かう。
函館行きの白鳥71号
停電の影響で、自販機が動いていない。通りがかりの乗客が利用可能な機械を教えてくれて事なきを得た。下手したら、2時間のど乾きっぱなし...

車窓から、ところどころ北海道新幹線の高架橋が窺える。途中行き違いもある単線のゆっくとした歩みから、複線の高速路線に入る。いくつかのトンネルを抜けて、青函トンネルへ。
高校生の時に1度、就職浪人の時に列車に乗らずに竜飛岬からケーブルカーで、そして就職してから1度、これで4回目の青函トンネルだが、景色が何も見えないので、あまり楽しくはないが...

広々とした北海道に上陸し、1時間足らずで函館着。以前来たときは古い駅舎だったが、北海道の玄関口にふさわしい立派な建物に代わっていた。東日本大震災では、函館でも浸水被害が出ているが、そのような雰囲気は全く漂っていなかった。
SL函館大沼号
はーるばる来たぜ、函館~♪©北島三郎
前の函館駅 2003年撮影
横断幕には「がんばれ東北!」の文字が。
時間に余裕があったので、土産物店などを物色していると、奥尻のレンタカーやさんから電話が。空港にクルマが置いてあるので、店まで乗ってきてほしいと。「鍵はどこに?」と訊ねたら、さしっぱなしとのこと。奥尻で自動車泥棒はいないとのこと...

函館空港まで直通バスがあるが、あえて路面電車に乗ることに。かなり人気の乗り物で、立客も大勢いる。一路湯の川へ。
兄が学生の頃、この近辺に住んでいたと思うが、2回行っただけで、自分でクルマを運転していたわけでもないので、残念ながら雰囲気を知るぐらいしかできなかった。
終点湯の川の電停で降り、運転士さんに空港行きのバス停を訪ねると、割引乗車券を案内してくれた。
少し歩いてバス停へ。しかし、次のバスが30分以上後...そんなに待っていると飛行機に乗り遅れてしまう。やむなく近くに止まっていたタクシーを呼ぼうとするが、なんとUターン。しかし、別のタクシーが目の前に止まってくれていた。割引乗車券はパー...

空港では、帰省の都度兄が買ってきてくれた、五島軒の「ポテレーヌ」というお菓子を探す。著名なお菓子に圧倒されなかなか見つけられなかったが、片隅でようやく発見した。とりあえず2つ買い求め、実家に送り付ける。

ラウンジでまったりしていると、結構いい時間になってしまった。航空機の弱点ともいえる面倒な手荷物検査を通り、ゲートに向かおうとするが、搭乗券には何も書かれていない。係の方に尋ねると、6番ゲートへ、とのこと。搭乗時間になってゲートを通過し、階段を下りてエプロンに出ると、小型のプロペラ機が待っている。
SAAB製。手の生えているコックピットに注目。
座席配置が1-2の、とても小さな航空機。ヘリコプター以外で、人生初のプロペラ機。
ジェット機みたく、座席に押し付けられるような加速もなく、ふわっと離陸。しばらくしてシートベルトを外してもよいとアナウンスがあったが、「5分後にまた着用のサインがでます。」と。
フライト時間はおよそ30分。無事奥尻空港にランディングした。
海外にやってきたような雰囲気
コンパクトなターミナルビル
奥尻島は、北海道奥尻郡奥尻町に属し、島の周囲は約80㎞、面積は約140km2、人口は3000人弱。

預けていた荷物を受けとり外に出ると、高橋北海道知事とすれ違った。しまった、2ショット写真を撮らせてもらうべきだった...

そして、鍵つきのレンタカーへ。荷物が重たかったので、正直渡りに船だった。平日ならギリギリ接続しそうなバスがあるのだが、今日は運休。ほとんどの観光客がフェリーで来島するそうなので、やむを得ないか...
MIRA
空港からほど近い青苗地区を通る。北海道南西沖地震で甚大な被害を受けた場所だが、今はどこにでもありそうな、普通の街の顔をしている。意識しなければ、何も気づかないまま通り過ぎてしまう。
防潮堤や海沿いを通り抜け、レンタカータカダへ。といっても、コンビニ風商店とレンタカー店が兼用。「疲れたでしょう?ちょっと休んで。」と奥の事務室に案内される。クルマを持ってきてくれてありがとう、と感謝されるが、むしろこちらが助かったので、恐縮…

2日間のパートナーを借り受け、島の中心部、奥尻地区にある宿に荷物を置きに行く。観光シーズンなので、あまり深く考えずに観光協会に紹介してもらった「想い出」という民宿を予約したのだが、バリバリに岸壁の前...しかし、それ以外は全く申し分ない。
3階でも危険か...
2日間のパートナー
まずは腹ごしらえと思い、宿で教えてもらった店のうち、吉野寿司を選ぶ。13時を回っていたにも関わらず、結構にぎわっている。カウンターに陣取り、「吉野丼」を注文する。
\800
大将と少し話をする。昔は観光シーズンだと2階まで満席だったそうだが、最近は少なくなったと嘆かれていた。

まずは奥尻島の代名詞ともいえる、鍋つる岩へ。津波で一部損壊してしまったそうだが、独特のフォルムが失われたわけではない。見ていたら、白浜の円月島を思い出した。
不思議なカタチ
一路、島の最南端青苗地区へ向かう。左手の防潮堤、右手の治山施設、両方が気になってきょろきょろしてしまう。
吹付枠工と防潮堤
途中、集落がないところで海が間近に見える。ものすごい透明度!

しかし、磯焼けが問題になっているようだ
松江地区へ。
防潮堤と道道。道路から海を見ることは出来ない。
漁港から道道へのアプローチ
天端高さはTP(東京湾平均海面)+10m強
陸閘(りくこう)と階段
陸閘の操作方法
階段は複数個所設けられている。
初松前(はつまつまえ)地区へ。盛土によって新たに街区が生み出された。
撮影地点はTP+10m
堤防高さはTP+11m
初松前地区の慰霊碑
慰霊碑脇に植栽されたマツ
奥尻町発行「蘇る夢の島!」より
青苗川河口の水門は、震度4以上で自動的に、3分以内で閉鎖される。
そして、青苗漁港へ。今日明日と、奥尻三大まつりの一つ、室津まつりが開催されている。
アスファルトの上でも涼しい
彩られた漁船
津波の高さを表す標識
そして、青苗漁港を象徴する人工地盤「望海橋」へ。TP+6.0mで作られた平場は避難施設でもある。
説明看板
二次製品を組み合わせて作られている
漁港から上るための階段が複数設けられている
青苗地区の中心部とは同じ高さで接続されている
下部構造アップ
そして、青苗岬にある奥尻島津波館へ。グループごとに解説の職員が同行してくれるが、1人だと申し訳ないので、別のグループについていくことに。館内展示と10分の映像見学がセットとなっている。
今日は団体客も多かった
被災前後、復興後の写真
172名の犠牲者と26名の行方不明者と同じ数のステンドグラス
奥尻の歴史をミニチュアで解説
平成10年の復興宣言
案内は30分程度で終了し、マガジンラックにおいてある復興誌を熟読する。事前にほとんど情報を持たずに来島しているので、必要そうな部分をメモする。資料コーナーがあれば、もう少しゆっくりしたいところ。

津波館周辺は、以前は住宅の密集した市街地となっていたが、地盤沈下により災害危険地区に指定され、現在は公園として整備されている。その一角に、「時空翔」と呼ばれる慰霊碑がある。
津波の高さと同じレベルに設置されている
7月12日は窪みに夕日が沈む
大学生風の3人組が時空翔の周りにいたが、その行動から察するに、この碑が意味することは理解していないようだった。無理もない、20年前の自分も、奥尻島の被災を理解はしていたが、何一つ行動を起こすこともなく、7月14日の自動車運転免許試験にまい進していたのだから...

青苗の街を見る。パッと見た限りでは、どこにでもあるニュータウンのような風貌で、20年前に激しく被災し、現地盤をかさ上げしたとは想像できない。

どこにでもありそうな街
漁港から嵩上げ区画へのアプローチ
街は3階層になっており、漁港周辺、TP+6.0mに嵩上げを行った区画、高台と分かれている。高台も街区が現代の街と同じように整備されている。
道幅も広く、整然としている
そして、盛土区画から高台に向けて、何か所も避難路が整備されている。
点灯式の案内表示が設置された避難路
覆いの整備された避難路
そして、1階をピロティとしている青苗小学校を垣間見る。
1階に教室はない
島内の各地に地盤高を表示したサインを見かけるが、特徴的と言えるのが、コカコーラの自販機に設けられたサインだろう。コカコーラの自販機であれば、どこでも表示されている。
北海道オリジナルの飲み物も気になるところだが...
まだ日は暮れていなかったものの、デジカメもスマホもバッテリーが切れてしまったので、宿に戻ることに。食堂は賑わっており、それほど空腹というわけでもないので、後の方の食事にしてもらう。
ほぼ、海の幸
生ビールを一杯飲んでいると、いつもとは違い、酩酊状態になってしまった。無理無理ご飯をかきこんで、横になることに。ちょっと疲れているんだろうか...