2014年3月15日土曜日

#414 それぞれの取組

ホテルへと戻ると、高知から派遣の東部のO氏、T氏と自分で布団が3つのはずなのに、既に3つとも埋まっている。自分が入る予定の場所には、見覚えのある四角い顔のおんつぁんがはまり込んでいた。

「8時半ですが!」という声に、おもむろに起床する。全身が倦怠感に包まれているが、T氏と当部のA技術主幹とともに朝食へ。O氏は既に帰県のため離脱していた。
日差しは暖かいものの、風は若干冷たい。それぞれが帰宅する中、1号機を名取へと向かわせる。
 
閖上にきたのは、2011年の7月以来だと思う。まず、五差路を通って「閖上の記憶」に立ち寄る。
山形からやってきた高校生を対象に、語り部による説明が行われていたので傍聴することに。引き続き隣接する閖上中学校の見学にも同行させていただく。
校舎前のロータリーには、犠牲になった中学生の名が刻まれた石碑が設けられていた。誰からも良く見えるように、低く斜めに設置されている。語り部の方が「なでてあげてください」と呼びかけた。
そして、校舎へ案内される。一人の生徒が泣いており、別の生徒が励ましていた。
校舎は玄関が開放されていて、窓ガラスも一部が破損しているため砂にまみれており、お世辞にもきれいといえる状況ではない。階段をあがって3階の教室へ。
語り部が震災当日の写真を元に説明する。海側で火の手が上がったが、なすすべがなかったこと、プロパンガスのボンベが破裂する音が鳴り響いていたこと。
様々な営みがあったと思われる周囲は、復興の真っ最中だった。
階段を降り、1階へ。
高校生はマイクロバスで周囲の視察へと向かい、自分は閖上の記憶へと戻る。館内で震災前の航空写真を眺め、スタッフと街のことを話す。嵩上げによる街の再生で行政と市民の間で軋轢があることは知っていたが、現地では新聞で見るよりも難しい状況にあることがわかった。行政対住民という対立構図は非常にまずい…
映像を見ながらスタッフの話を聞く。皆が語り部として活躍されている。
小学生が作った閖上の未来
団体客が到着したので、ステッカーを買い求め、タイミングを見て退出する。やや海側にある盛土された展望台のような場所へ。
住宅地の嵩上げ高さと防潮堤の輪郭が立体的に表現されていた。周囲の嵩上げなどはまだ行われていないため、遠くに防潮堤の建設現場が望めた。震災前に集落があったことは想像できなかった。
時間が無くなってきたので、次の目的地である「閖上さいかい市場」へ。気仙沼や南三陸とは違い、フラットでまっすぐな道を走る。鉄道の高架橋が見えたところで右折し、ロードサイドの郊外型店舗が立ち並ぶ一角に建っていた。
SATの高架橋がミスマッチ
どこかの学生の美術作品の展示が行われていた。それらを脇目に、3店ある飲食店のうち、中華料理屋に入る。沢山のお客さんで賑わっていたが、すぐに席にありつける。麻婆豆腐は豆腐が切れていたので注文できず、青椒肉絲に。
ボリューミー
名取ICから高速を利用して、愛子へと向かう。仙台市広瀬文化センターで開催されている「唐桑ものがたり 海の家族の棲むところ」を観劇する。鹿児島県いちき串木野市から気仙沼市役所に普派遣されているK氏の紹介。K氏は専属カメラマン(?)となっており、プロ顔負けの機材で撮影に勤しんでいた。
ステージは、唐桑を舞台にした家族の絆をもとに、伝統芸能を要所要所に織り交ぜた不思議な内容である。演じるのは地元の人たち。
認知症の母フナと若菜
鮪立大漁唄込の踊り
鮪立大漁唄込
神止り七福神舞
崎浜大漁唄込は櫓を叩く音が最高
唐桑浜甚句
父舵海平との再会
最後の勢揃い
かなり破天荒なストーリーだったものの、かなり楽しむことができた。

続いて、カンバンの展示を見る。すでに片付けが始まっていたが、何点か展示されていたものじっくり観察する。カンバンとは、大漁などで船主が大きな利益を上げた際、船員たちに配った印半纏のようなものである。(たぶん間違っていないはず・・・)
センター1階ロビーではブルーインパルスの写真が展示されていたが、係の方とK氏が痛く話し込んでいる。撮影が趣味という共通の話題で盛り上がっている中に、自分も少し立ち入る。以前写真の生成に「P禁止」と言われつつも、常にPで撮影してしまう自分にはついていけなかった。キーワードは「アンダー」。これからは1/3アンダーで撮影してみよう。

カーディーラー併設という珍しいカフェで少しまったりしてから、帰路に就く。おなかも空いたので、以前から人が店から溢れていた人気のラーメン屋「麺屋久兵衛」に立ち寄る。今日は珍しく空いていた。とりあえず、普通の中華そばを注文する。
手もみ麺 feat. 濃いスープ
行きと同じ道をたどって帰宅する。いろいろ疲れてしまったので、早く横になる。