2014年3月1日土曜日

#400 未来予想 -160年-

休みの日の朝はどうしても遅くなりがちである。8時に起床を目論んでいたが、ベッドから這い上がったのは8時半を回っていた。いつもと違う暖かい朝食を食べて、「扉」という名のクルマで出かける。

案の定、東名阪の下り線は渋滞しており、1号線へ迂回する。先日、笑える支援物資を送ってくれたカントクの現場にタッチアンドゴーし、名阪国道を西へと向かう。いつの間にか、制限速度が70km/hに緩和されている。
見晴らしのいい高峯PAに立ち寄る。柿の葉すしの張り紙を見かけるので買い求めようとするが、「まだ来てへんのですよ」と関西弁で回答される。もうすっかり関西圏に入り込んでいる。

松原JCTから阪和道に入り、ひたすら南下する。和歌山県に入ったころあいにラジオをチューニングすると、80.7MHzに合う。どこの放送局かわからなかったが、CMで阿波銀行と言っている。徳島のラジオが聞こえるようだ。

紀ノ川SAで先ほど買いそびれた柿の葉すしを入手する。なぜかこの寿司が好きだ。一口サイズで手が汚れないからなのか、その味からなのか...
このクルマにはカーナビが付いていない。SAを出る前に地図を確認するのを忘れた。うろ覚えで湯浅ICで降り、クルマを止めて地図を確認しようとしたら、以前三重テレビとFM三重共催の話し方講座で同窓だった伊賀のUさんからだった。継続して東北へボランティア活動に出向いているそうで、今度の週末も宮城に来られるそうだった。スケジュールが合わなかったので、次回の再開を祈念する。

地図を確認し、広川町へ。若干複雑な経路をたどりつつ、目的地の「稲むらの火の館」に到着する。

入場券を買い求め、中へと入る。建物は大きく2つから構成されており、木造平屋建ての「濱口梧陵記念館」と3階建ての「津波防災教育センター」がある。
入場料を払い、ゲームをする際に必要なカードを受け取って中へ。順路に従って、まずは津波防災教育センターへ。
会場内では、地震発生に伴って取り組むべき内容を紹介したパネルに加え、ゲームコーナーや過去の津波災害の体験談の視聴コーナーなどが設けられている。
老人会の団体がこぞってエレベーターに乗り込み3階へ。3Dシアターの開始かと思いついて行ったら違っていた。しかし、おかげで館長の講話を拝聴することが出来た。
前半は、この地が生んだ偉人、濱口梧陵の生い立ちについて。濱口梧陵は、津波避難を率先したことに注目が集まるが、その後の復旧復興も評価が高い。

1854年の安政南海地震および津波で大きく被災したこの地において、人口の流出を防止することなどを目的に、私財をなげうって村人を動員した防潮堤建設を行った。建設に従事する人には当然給与を支払い、雇用対策も兼ねていた。また、復興したこの地はその後租税が免除されることになる。氏の功績はこれだけにとどまらず、耐久舎による若手の人材育成なども手掛け、広村の発展に大きく寄与した。

この一連の流れを見ると、東日本大震災の被災地で取り組まれている内容に類似している。今の復旧・復興のスキームは、160年前には確立されていたのかと思うと感慨深い。
しかし、大きく異なるところがある。今の被災地の復興は、濱口梧陵のような一人の偉人によって成し遂げられているのではない。国民一人一人、また様々な支援をくださった世界の人々によって支えられている。

後半は地震、津波対策についてだった。いくつか、東日本大震災の被災について紹介され、釜石の奇跡など説明がなされる。
映像が宮古市田老になる。館長は一部のマスメディアが報じるような内容ではなく、的確に田老のことを説明され、ホッとした。

再び1階にもどり、3Dシアターへ。映像は2部構成で、前半は著名な俳優をフィーチャーしたドラマ仕立てで、家庭での津波避難の取組について説明される。後半は、「稲むらの火」を映像化した作品だった。3D化する必要があるのかはわからないが、クオリティの高い仕上がりだった。

1階の展示施設を詳しく見る。山下文男さんの体験談の映像や、津波再現模型、津波の高さを行減する仕組みなど、充実しているとともに、工夫も見て取れる。
津波再現模型
想定浸水域をレーザー光で表現
2階にあがり、立体模型に浸水深を表現した展示を見る。
わかりやすい
そして、この街の年表を見る。広村堤防は、完成後6~70年間隔で補修がなされ、現在までに2度行われている。よく、防潮堤の寿命について聞かれることがある。全ての構造物に言えることだが、適切な維持管理が行われることにより、その寿命を伸ばすことが出来る。ここに築造から150年の防潮堤が事実存在している。
ライブラリーなどを展示物を見る。気仙沼という名前を見つけると過敏に反応してしまう自分がいた。
3階には、東日本大震災に関連する展示がなされていた。写真パネルには志津川が。
そして、奥で放映されていた映像を見る。気仙沼にいると、津波の映像を見る機会はほとんどない。遠く離れたこの地で、改めて映像を見つめる。
様々な出来事の中で、なぜ今自分が被災地にいるのか見失ってしまうことがある。映像を見て、三陸を襲った出来事がよみがえり、再び原点に立ち返ることが出来た。映像が映し出している事実があったから、今の自分がいる。

時間がなくなってきてしまったので、隣接の濱口梧陵記念館をやや駆け足で見る。
築堤の様子を再現した模型
堤防修繕の様子
書籍などを買い求め、館外へ出ると雨が降っていた。敷地内の観光案内所を少し除き、濱口梧陵ゆかりの場所を訪ねる。畑では、ウメが満開だった。
避難所にもなった八幡さん
八幡さん前では誘導灯の整備中
濱口梧陵をたたえる碑
そして、広村堤防を見る。
石碑と説明看板
天端は遊歩道になっている
傾斜堤と言っていいのか...
耐久中学校は広村堤防の堤外に立地
通路による切れ目
海抜表示
濱口梧陵像を見ようと思ったが、耐久中学校の敷地内だったので辞退し、引き続き防潮堤を見る。
美しく整備されている
広村堤防天端から新しい堤防を見る
堤内地から堤防を見る
堤防の謂れが書かれた石碑
新堤防の堤内地から堤外を見る
←←新々堤防(未確認) ←新堤防 旧堤防→
広村堤防は国の史跡
そして、広川町役場前にある「稲むらの火広場」へ。広川町役場はかなり緊張する場所に立地している。陸前高田市役所のような事態にならないことを祈ろう...
広川町に以前訪れたのは、記憶が正しければ10年前。その時と違った視点、気仙沼にいる今の視点で見られたのは良かった。

なぎ大橋を超え、隣の湯浅町へ。ここにある深専寺には、安政南海地震で得られた教訓が刻まれた石碑がある。
残念ながら読めず
安政三(?)年とある
安政以前、150年前の宝永の地震についても書かれている
雨が次第に強くなる中、阪和道に乗り和歌山市へ。大学同期のY宅を訪問し、夕食をご馳走になる。Yとは、ちょうど1年前に偶然龍神村の温泉で出会って以来だ。幼い娘と遊んでいると、震災前後にあった辛い出来事が、少し脳裏をよぎった。

Y家の団らんにのめり込んだのち、Yといろいろ仕事の話をする。和歌山の事情、三重の事情、そして宮城の事情。多くの情報交換ができ、友の有難みを改めて感じる。

Yの実家で収穫されたデコポンをいただき、出発するころにはとっくに日が変わっていた。行きと同じ経路をたどり、紀ノ川SAでお土産を買い求める。NEXCO西日本の一部SAでは、毎月2日は2割引きという破格のサービス。それも今回で最期らしいが。

交通量の少ない道をひた走る。しかし、不覚にも西名阪の天理PAで力尽きる。