2014年3月20日木曜日

#419 すごいやんか!三重

朝から冷たい雨が降っている。いつものように準備をしたが、傘がない。1号機に置きっぱなしか...と思ったら、無い。時間が足りなくなってきたので、やむなくフードをかぶって出勤する。

昨日途中で終わってしまった作業を続行する。しばらくすると、市役所のK氏が来訪される。土曜日の仙台に続いて、日曜日に盛岡へ出撃したところ、積雪の中、追突されるという不幸にあったとのこと。体が無事で何より・・・

T氏が年度跨ぎの変更設計の設計書作成に勤しんでいた。間接費の計上について頭を悩ませていたので、一緒に悩むことに。

午後から休暇をとり、夕方に備えて母のもとで頭を切ってもらう。行政への愚痴を聞きながら、先日仕入れた「あざら」ネタで盛り上がる。今の自分の悩みを話したところ、ほかの地域から活動に来た方たちは、やはり地元に住むものと熱意に差があると言われる。どのように地域にかかわっていけばいいのか、ヒントをもらう。

ベースキャンプへと戻り、カバンに荷物を詰め、着替えてから1号機で出発する。雨は一向にやむ気配もなく、流れに乗り切れないクルマに進路を阻まれながら45号線を「上」る。
三陸道に入り順調に進んでいると。石巻河南ICから流れが止まる。見極矢本SAを超えるあたりまで渋滞が続いていた。

仙台港北ICで降り、下道を使って市内に向かう。季節外れの雪が街を覆い始めている。
カーナビの情報では、いつものように苦竹で渋滞していることを表示していた。一つ南の通りに逃げる。しかし、中心部に近づきにつれて渋滞が激しくなり、ホテルの1㎞手前でほとんど動かなくなる。時間がだんだん無くなっていき、そして滑る後輪にイライラがピークに達しようとしていた。
結局、予定していた到着時間から30分以上経過してしまい、ホテルの駐車場に1号機をねじ込んでチェックインし、猛ダッシュで会場へ向かう。しかし、折からの雪で道路はべちゃべちゃ...靴もスーツも汚れてしまった。

仙台駅西の会場にはすでに東部に派遣のN氏、M氏、塩釜に派遣のS氏の3名が到着していたが、何とか間に合ったということにしておこう。しばらくして、水産業基盤整備課に派遣されているNK氏が到着。

知事、防危のH副部長、U主査が来場され、懇親会が始まる。
多賀城→久慈→そして仙台と、すさまじい工程をこなされたにも関わらず、笑顔で職員に接する知事は凄い...とても同い年とは思えない。

冒頭、知事から派遣への感謝と労いの言葉をいただき、引き続き派遣職員が各々業務内容や職場の状況などを話す。東部のM氏、N氏が特に熱い思いをぶつける。自分も相当共感できるので、3人で積極的に現状などを説明する。うわべの話ではない、本当に今起きている出来事をストレートにお伝えした。

ほかにも、知事のワーク・ライフ・バランスを尋ねるなど、終始三重弁で盛り上がる。また、自分のジャラジャラした名札を見て、新博物館MieMuのバッチをくださった。そして、こういった機会に恵まれたことに感謝してやまない。
一時間半ほどの充実した時間は過ぎ、散開となる。同期で秘書のS君が駅まで知事をお送りする。明日は20℃の差がある場所への出張とのこと。体調を崩されないか気がかりだ。

年度末の仙台はどこも人で溢れかえっており、二次会は席の空いていた近くの小さな中華料理店へ。撤収準備等で懇親会に参加できなかった防危のF氏が新たに参戦する。東部のM氏と対面に、熱く語る。かなり辛辣な発言が繰りだされるが、それは宮城の復旧、復興を成し遂げたいという強い思いがなしているものだった。
M氏とは、4月以降の結束も誓う。同じ目的、同じ立場、そして同じ悩み。久しぶりに心から分かり合える人に出会えたような気がする。

一人の落伍者も許さず、引き続き3次会へ。仙台で足止めを食らっていた高田の友人まで合流する。今度はS氏やF氏とねちねちと話す。S氏とはプライベートで、F氏とは業務で共通項があり、会話も弾む。
T氏から電話が入り、内示の状況を教えてもらう。事前に予測していた内容と大きくたがわなかったが、坊主のS技査が動揺しているとのことだった。この時期は本当に悲喜交々である。

かなりいい時間になってしまい、散会となる。それでも仙台は賑わいが続いていた。
体が春モードに入りかけているにも関わらず、それを許さないような極寒の中、足元を取られながらも何とかホテルにたどり着く。
ホテルは新幹線の高架脇に立地しており、部屋からの眺めに期待していたが、高架の高さまで達しないだけでなく、反対側の部屋だった...

昨日気がかりになっていた三重の後輩のN君からメールが入る。今年は宮城を訪ねてくれるようだ。