2013年9月21日土曜日

#239 roots -day1-

フェリーは人もクルマもぎっしりと乗り込んでいたが、幸いにも横になれるスペースを確保でき、僅かな時間だが眠りにつくことが出来た。それもあっという間。巨大な音量のアナウンスでたたき起こされる。

3時を回った函館の街は闇に包まれており、どこも見るべきところがない。ひとまずカーナビをセットし、北上することに。東北は晴れていたのに、北海道は小雨がぱらついている。
時間に余裕があるので、高速を使わずに5号線をひた走る。しかし、信号もほとんどないので高速とあまり変わらないか...燃料警告灯が点いたとき、丁度目前にガソリンスタンドが。不思議な形の建物でフルサービス。店員さんは厚手の上着を着込んでいた。
徐々に空が白みはじめ、広々とした北海道の大地が露わになってくる。兄が言っていた「マンベのストレート」とは果たしてどれのことだろう?みんなまっすぐすぎてわからない。
5号線から内陸へ分岐する手前のコンビニで朝食を買い求める。思わず、レジ横に置かれていた「わかさいも」も手にする。

230号線へと進み、長いトンネルを抜けると洞爺湖が見えてくる。兄が函館から引き上げる際、引越しの手伝いという名目で北海道に出かけた。帰路、フェリーに乗るために苫小牧へ向かう途中、ここに寄った覚えがある。それからすると17年ぶり。昭和新山はその後も訪ねたことがあるが…

写真を撮れる場所を探していたら、「サイロ展望台」という場所があった。少し靄がかかっているが、靄がいい雰囲気を醸し出している。
途中、キツネや轢かれてしまったシカの亡骸などを見かけながら、自然豊かな道路をひた走る。途中に峠があっても、三重のようなつづら折れではないので楽ちん。

札幌市内に入り、お風呂屋さんを探したところ、24時間営業している「湯の郷 絢ほのか」という店を見つけ、向かうことに。都市間では短いと思われる10㎞が、市街地では苦痛な距離となる。
身ぎれいにしてから、北海道庁へ。
慣れれば楽になるはずの地名表記
札幌に来たのは人生で2度目。前回もクルマでサラッと流しただけだったので、赤れんがの旧庁舎を見るのは今回が初めて。初代三重県庁も、明治村に行けば見ることが出来るが…
重々しい正門
美しいレンガ造りの建物
重厚な階段
2階は主に資料館となっており、一部は現役の会議室として利用されている。樺太の資料が豊富に展示されている部屋に入る。
北緯50度線の国境に設置されていた石柱
入念に資料を見ていたら、ガイドの方から声を掛けられた。樺太生まれの元道庁職員。終戦時は9歳ということは、丁度亡父と同い年くらいか...。
樺太での暮らしについて、お話を聞かせてもらった。終戦後にソ連軍が上陸したこと、その後ソ連からの移民とともに一つ屋根の下で暮らしたこと、実家は漁師で、「ヤン衆(ニシン漁で働く人たち)」がたくさんやってきて、米の手配を手伝わされたことなどなど…
他にも、磯焼けの話など、興味深く伺うことが出来た。1時間近く話していたかも。
北方領土の資料展示などを見て、いよいよ1階の文書館へ。
見学はお断り
見たかった資料はある程度目星をつけてあったが、入ってすぐのところに名簿のようなものがあったのでめくってみる。すると、担当の方が声を掛けてくださる。
「私の先祖が、遠音別に住んでいたようで、手がかりを...」と伝えると、いくつかの資料を提示してくださった。

斜里郡遠音別村イタシベウニ。
明治10年に生まれた自らの曽祖父秀雄は、明治32年までこの地で暮らしていた。高祖父の熊十郎は大垣にいて、戊辰戦争にも参戦していたことがわかっている。熊十郎から秀雄まで、大垣から北海道へのミッシング・リンクを繋ぐのが、今回の目的である。

ネットでもサラッと情報はつかんでいたが、改めて昭和30年発行の斜里町史を呼んで再度確認することが出来た。
知床半島の中ほどにあるイタシベウニは、江戸末期に会津藩により硫黄鉱山として開発されるも、明治維新により放棄される。その後、開拓使の調査やお雇い外国人により、鉱山としての価値が再度見直される。
その後、皆月善六によって開発が進められ、明治32年7月まで操業が続けられることになる。曽祖父は、丁度操業が終わる直前に名古屋に転居してきたことになる。

いくつか資料をひも解いてみるものの、残念ながら手がかりを得ることは出来なかった。しかし、入手を願っていた、皆月善六による硫黄採鉱にかかる申請書など、イタシベウニ関連の資料を複写申請する。
明治期の公文書を見ると、あまり現代と大差ないことに驚きを感じる。むしろ、進化していないと言った方が正しいのだろうか...

担当氏のご尽力により、かなりいろいろな資料に触れることが出来た。少なくとも、この時期に斜里ではまだ開拓もほとんど行われていなかったこと、どうも熊十郎も秀雄も屯田兵ではなさそうな感じだったこと、小清水町の水上地区は自分と何ら関係ないことなど、いくつかの仮説を覆すことが出来た。

まだまだ資料を掘り下げてみたいものの、飲み物も飲まず、昼ごはんも食べず、ずっと籠っていたら15時になっていた。

次の目的地網走へは300㎞以上ある。昼食はファストフードのドライブスルーで済ませ、急ぎ東へと向かう。道央の風景は、山沿いを縫うように走る高速道路のせいもあるからか、見えている範囲では北海道らしさを感じることはなかった。

高速を降り、層雲峡や大雪山など、屈指の名所をすべて通過する。石北峠を超えて、暗闇となった北見にへ。夕食を食べようと、たまたま目にした「江戸そば丸吉」という、まったく北海道らしくない店に入る。
道新で北海道らしさを醸し出す
旅館もりよしに到着したのは夜の8時だった。周りは真っ暗で、何も見えなかった。
温泉に入り、すぐに横になる。