2013年6月15日土曜日

#141 未来予想 -5年-

もろもろ調べ物などをしていたら、結構いい時間になってしまった。このまま寝てしまうと1日を台無しにしてしまいそうなので、起きていることにした。
4時ごろ空は白みはじめるが、厚い雲に覆われている。今にも雨が降りそうだ。

出発準備を整え、今まで行くことのできなかった魚市場を覗いてみる。早起きが苦手な自分にとってはかなり困難なチャレンジだ。

魚市場は漁師さんや職員の方で賑わっている。仕事の邪魔にならないように、こっそり拝見することに。正面には、「ME‐・・・」と書かれた船が停泊している。ME・・・、三重だ!
カツオ水揚げ中 
紀北町の船
かなり人海戦術
気仙沼名物、ふか
マグロ
気仙沼には、三重の船以外にも北海道や宮崎、日本海側の富山など全国各地から船が集まっている。この地を象徴する風景だ。

市場を離れようとしたころ、強めの雨が降ってきた。一路、284号線を一関へ向かう。一関市と言っても、平成の市町村合併で面積が1200km2を超え、東は宮城県、西は秋田県と接している。
一関の中心地を抜け、342号線を西へ。名勝「厳美渓」(げんびけい)を通るが、また別の機会に訪問するとして、さらに奥へと進む。

祭畤(まつるべ)被災地展望の丘に立ち寄る。ここは2008(平成20)年に発生した岩手・宮城内陸地震の震源地から1.5kmほどの場所で、地震により橋台が10m以上移動したために落橋した祭畤大橋が震災遺構として保存されている。

橋の一部
祭畤大橋
橋の上流側には木道が整備されており、大きく損傷した道路を見ることができ、また橋にも近づくことが出来る。
大きく変形した道路
橋を間近に見る
今、東日本大震災の被災地では、震災遺構を保存するしないで議論が真っ二つに分かれている。この橋は、関係者の想いが一つになったので、こうしてここに残っているのだと思う。
出来れば、何らかの遺構を残しておきたい。やはり、本物の訴求力に勝るものはない。

さらに山へ向かってクルマを走らせる。細く曲がりくねった道を行くと、途中に「ぶなの恵み」と標柱の立っている水飲み場が現れた。湧水には結構警戒しているのだが、横に掲げられている成分表には大腸菌や細菌が検出されていないと書かれているので、安心してがぶ飲みする。
しかし、「放射線は検出されていません」と紙が貼られているのは切ない…
うまい水
その横には、達増岩手県知事によって「復興之碑」と揮毫された石碑が設置されている。
どのタイミングをもって復興というのか、とても難しい。この碑は2010(平成22)年のものだが、三陸の地にこのような碑が出来るのはいつの日になるのか...
しばらく行くと、大規模崩壊箇所と書かれた碑を見つけた。対岸だけでなく、足元も大きくえぐれていた。紀伊半島大水害でも、十津川村や田辺市、那智勝浦町などで大規模斜面崩壊が発生しているが、そのスケール感は想像しにくい。
地震に伴う土砂災害は、その発生予測が不可能なので、豪雨による土砂災害や津波以上に危険な災害だと思う。回避するためには、危険性の高い場所から転居するぐらいしか方法がなく、事前対策のハード整備も非常に難しい。

段々と霧が立ち込めてきて、県境の須川高原では何も見えなくなってしまった。
根雪
秋田県に入り、2ルートある中から小安峡方面へと向かう。しばらくすると、山間のひっそりとした温泉街に出る。観光案内所でパンフレットを漁り、ひとまず大噴湯へ向かう。

駐車場にクルマを止め、階段を下る。深い渓谷の底に、岩の割れ目から温泉の吹き出す場所が!
ダイレクトに川へ…もったいない
珍しい景色を堪能した後は、心臓破りどころではない、地獄の階段を登る。クルマに戻るころには汗びっしょりになっていた。お土産物屋さんでソフトクリームを買う。

ひとっぷろ浴びようと、通りがかりにあった小安共同浴場へ向かう。ドアは開きっぱなし、しかし誰も人がいない…表でしばらく待っていると、おばさんがやってきた。「勝手に入っていいのに、このあたりの人たちはみんなそうやっている。」と。いや、有料なんでさすがにそんな蛮行は…
共同浴場でありながら、専用の源泉を有し、かけ流し。小安温泉はかなりクオリティが高い。
風呂上りに温泉プリンを食べ、稲庭の集落へ向かう。

秋田名物稲庭うどん、稲庭が地名とは今日まで知らなかった。つるつるした感じがとてもおいしいので、大好物。その地元でぜひ食べたい!

稲庭の集落に入ったところに、ちょっと変わった乗り物を見つける。稲庭城に向かうスロープカーというものだ。チケットを買い求め、乗車する。急傾斜用モノレールといった感じの乗り物。
籠風デザイン
元々天守閣があったわけではなく、砦のようなものが存在していた。今は立派な資料館兼展望台が整備されている。岐阜にある墨俣城を思い出した…
充実した資料が展示されているが、あいにく閑散としている。名古屋おもてなし武将隊のような派手さが求められているのか...
気分は殿。
管理人さんがスロープカーを呼んでくださるという、かなりのサービス。プラスアルファがあればブレイクしそうだが、このアットホームな雰囲気は失われてしまうかも。
麓の売店でうどん屋さんを紹介してもらい、いざ食事へと向かう。

稲庭の街を走っていると、ひときわ大きな建物が目に入る、町内で唯一うどんが食べられる佐藤養介。
先客で賑わっており、少し待つことに。その間、奥にある工場を覗きに行く。この光景、故郷大矢知でも見たことがある!
店内に案内され、せっかくなのでたくさん食べようと、稲庭三昧というメニューを注文する。暖かいうどんと冷たいうどんのセット。「盛り」も申し分なく、うどんを堪能する。
あたたかいなめこ
冷たいざる
おなかいっぱいで、お土産も買ったので、一路日本海を目指す。平坦な由利本荘市を抜け、7号線で北へ向かう。

海岸線を走っていると、道の駅があったので立ち寄ってみる。
斜めに育っている木
沖合には、橋でつながっている漁港がある。日本海側は直線的な海岸なので、離岸堤を兼ねてなのか、人工島の漁港が整備されていた。
スマホで今晩の宿を予約し、さらに北へと向かう。日本海側は海岸防災林の整備が盛んで、7号線沿いも松林が多数みられる。クルマを止めやすいところにあった海岸林を調査してみることにする。

おそらく、5年ほど前にクロマツが植栽されたものと思われるが、残念なことに9割くらいが枯死していた。また、意図していない植物の侵入も見られる。成長する前に枯死し、防風柵も健全な状態であることから、原因としては水か、はたまた病害虫か…

生育環境が非常に厳しいことは重々承知だが、海岸防災林整備に一日の長がある日本海側でも、成林させることは難しいのだということが理解できた。大規模な防災林整備のノウハウは残念ながら持ち合わせていない。もう少しいろいろ情報取集してみる必要がありそうだ。

近くの桂浜海水浴場に立ち寄る。あまり奥まで踏み込むとスタックしそうなので、手前でクルマを降りる。
日本海中部地震を経験しているこの地だから、海水浴客への対応も…と思ったが、津波注意を呼びかける看板の設置にとどまり、避難路も明示されていなかった。浜へ降りる道は一本なので、それ沿いに駆け上がるしか方法はないのだが。

秋田市内を通り抜け、途中高速でワープし、能代市に。なんとかチェックインの時間に間に合わせることが出来た。フロントの方に市内の居酒屋を紹介してもらい、街へ繰り出す。小さな商店街だが、呑み屋さんがたくさんある。

炉端焼たむらという店に入る。魚は気仙沼の方がうまいと自負しているので、魚以外を注文する。ジュンサイなど地元っぽいものも食べる。意外にヘルシーな夕食となった。
一人で飲んでいてもつまらないので、隣に座っていた旅人風の人と語らう。神奈川からカブでやってきたという剛の者だった。これから北海道まで行くらしい。

時計を見たら22:30。そろそろお開きにして、宿に戻ることにした。