2013年6月30日日曜日

#156 千年先への贈り物

惰眠を貪るとは、まさにこのことで、結局9時過ぎに起床した。身支度を整えて出発するころには10時近くになっていた

まずは第一の目的地、仙台城へ向かう。宮城の地に使えるものとして、登城しないわけにはいかない。宿からそれほど遠くない場所だが、通常ルートと思われる仙台市博物館脇の道は、震災による石垣の損壊で通行止め。東北大のキャンパスをくぐる、大きく迂回するルートとなる。
おかげで、キャンパス内にある「自動車の過去・未来館」を見ることができた。
T型・A型フォードとトヨタF1エンジン(V10)展示
駐車場にクルマをおき、仙台城の見学となる。見学と言っても、元々仙台城には天守閣が存在していないので、普通の城址とは少し趣が異なる。
「まずは神社をお参りください」の看板に従い、宮城縣護国神社へ。
茅の輪くぐりを済ませ、参拝。そして隣接する英霊顕彰館へ。明治以降の戦争に関する資料が展示されており、改めて近代以降の歴史を鑑みる。そして特別展示の超精密模型店では、戦艦大和をはじめとする第二次大戦中の艦船の子細な模型が複数展示されている。

引き続き、青葉城資料展示館へ。伊達藩の歴史を学ぶには最適で、特にCGシアターが秀逸。今年は慶長遣欧使節400年なので、パワーポイントで作成したと思われる資料も展示されていた。支倉常長や使節の詳細については、後日仙台市博物館で繙くとして、さらっと経緯を理解するには十分な内容だった。特に、最後はスペインを追放されるような形で帰国したというくだりは、少し悲しくなった。

小腹がすいてきたので、向かいの「伊達の牛タン本舗」にあるレストランでお昼。牛たん専門店なので、今日はカレーを食べる。
肉ばっか
そして、兼ねてから見たい見たいと思っていた、正宗公の像。
仙台の代名詞
そろそろ時間的に怪しくなってきたので、仙台城を後に仙台空港方面へ向かう。下道は渋滞が激しく、仙台東部道路を使う。
仙台空港を過ぎ、植樹会場の看板に沿って会場へ。かなりの台数のクルマが止まっている。なんとか14時の開会に間に合った。

岩沼海岸植樹式の会場は、総合防災訓練を彷彿させる立派なもの。700名の参加者のために、テントと椅子が用意されており、また、熱中症対策とのことで、ペットボトルの飲料水も提供される。今まで参加した植樹祭でも、群を抜く豪華さである。

開式ののち、国土交通大臣をはじめとする関係機関の長による挨拶が行われた。
太田国土交通大臣
三浦宮城県副知事
井口岩沼市長
他にも、来賓の著名な政治家や県会議員による挨拶も行われた。

宮脇先生による植樹の説明が行われる。今回植える樹種は、シイやタブ、カシノキといった広葉樹。また、海風が直接当たる側にはマサキなどの塩害に強い樹種が採用されている。
この方法を採用すれば、9000年は維持できるうえに、大きくなった木は材として売却すれば費用も捻出できるとのこと。

グループごとに植えられる場所が指定されているので、順に案内されることに。現地集合したT氏はB-3、自分はB-2ブロック。
植栽する場所は、震災廃棄物の処理で発生した土を、傾斜堤の上に盛りあげたところ。かなり大きめの石が混入しており、水気もほとんどなく、植物には過酷な環境に思える。
各ブロックごとに植樹リーダーがおり、指示通りに植栽することに。一人当たり10本の割り当てがあり、結構植えごたえがある。植栽本数は1m2あたり5本。haに直すと5万本。過去に経験したことのない密植である。
お決まりの記念撮影
陸側と海側で異なる樹種を植える
 植栽完了後、わら伏せを行い、縄で固定する。そして少々の散水。バケツリレーを提案したところ、見知らぬ人たちとうまく連携が出来た。中には、こういった共同作業の経験が少ない方も見受けられたが...
わらしき
施工完了
 徐々に人がはけていき、会場は静けさを取り戻してた。施工方法が気になるので、T氏と偵察する。ブロックの張られた堤防にそのまま土をかぶせただけのような構造で、転圧も行われている形跡がないうえ、法尻には土留も施工されていない。土木のセオリーからは考えにくい構造となっている。植物の生育環境としても非常に過酷であり、今後の行く末が気になる。しばらく見守り続けたいと思う。
断面
延々と続く防潮堤
引き続き、隣接する「千年希望の丘」に立ち寄る。千年希望の丘は、岩沼市の海岸沿いに15か所建設される予定で、津波襲来時の避難場所として、防災教育の場として、また市民の憩いの場として活用されることになる。
説明看板。企業などからの寄付で賄われている。
お椀を伏せたようなこの形、T氏が「古墳みたいやな!」と。確かに、古墳の形に似ている。近畿地方には古墳がたくさん残っており、1000年以上前に作られている。この先、この地に住む人々が、これらの丘を大切に扱っていけば、1000年後にやってくる津波の避難場所にも利用できるかもしれない。しかし、1000年前に今の時代が想像できなかったように、今から1000年後を想像することは容易ではない。1000年後の岩沼はどうなっているのだろうか...。

既にいい時間になってしまったが、名取熊野三社をめぐることに。東北地方には熊野神社が至る所に存在するが、名取市には3つそろっているのが大きな違い。

まず、熊野神社へ。昔は熊野新宮社と呼ばれていたそうだが、今は近隣の熊野本宮社、熊野那智神社が合祀され、熊野神社となっている。合祀されたのちも、本宮社と那智神社は独立して存在している。
池のコイはとても人懐っこい。
本家とは異なり、朱塗りの艶やかさや参拝客の賑わいもないが、これはこれで趣きがあってよい。
源頼朝が座ったとされる岩
そして、新興住宅地「那智が丘」を抜けたところにある熊野那智神社へ。熊野神社からはクルマで5分。靄が立ち込めているところが、熊野らしい。
本来なら名取の街並みを覗うことが出来るのだが、靄のせいで残念ながら何も見えなかった。
牛王符あり
そして、最後は熊野本宮社へ。ひっそりとした佇まいは、本家の喧騒からは想像できない。誰もいない参道を歩くと、ふと熊野の記憶が甦ってくるような気がする。
静けさに満たされる境内
本宮社の境内には、「皇大神宮」と刻まれた石碑が据えられている。皇大神宮とは、まさに伊勢神宮内宮のこと。
伊勢と熊野。宮城に居ながらにして、三重に思いを寄せられる場所である。

帰路は東北道経由。若柳金成ICで下り、下道を行く。どうやらこのルートが最速のようだ。気仙沼に着き、行きつけのコイン洗車場で垢を落とす。すると、合庁で良く見かける86がやってきた。オーナーといろいろクルマ談義に花を咲かせる。しかし夜も既に更けている。洗車の邪魔をしてはいけないので、良いころ加減にお開きにした。