2015年1月10日土曜日

#715 白銀の世界2015 day1

何も準備をせずに寝てしまったので、朝からバタバタと荷物を詰めることに。外は少し雪が舞っていた。
ベースキャンプの駐車場では、既にU氏が待ち構えていたが、肝心のK氏がクルマごと見当たらない。しばらくすると、いつものように飄々と戻ってきた。給油をしていたとのことだった。

コンビニで朝食などを入手してから、陸前高田、住田と抜け、宮守ICから釜石道に乗り、東北道を北へ向かう。途中、先発隊から随時連絡が入るが、明らかに1時間近く前を走っている。どうやらこのペースで行くと昼食を摂る時間はなさそうだ。紫波SAで小休止し、盛岡ICで高速を降り、46号線を西進する。
雫石辺りから、豪雪地帯のムードが漂ってきた。仙岩峠を越えるころには、先日の阿仁を彷彿させる鬼畜積雪となる。

峠を降り、田沢湖方面へ進路を取る。今日の宿に近づいたころ、スマホの地図を見ながらK氏をナビゲートする。やや隘路を進んでいると、向かいから人が歩いてきた。見覚えのある坊主頭のS技査、東部のA技師だった。道に迷っているようだが、目指している場所は同じだった。

スマホの地図上のマーカーと、目的地は明らかに異なっていた。どう見てもそれらしき建物は見当たらない。別の車両がやってきたので、民宿の駐車場に入れ、道を譲ることに。しかし、これが運のツキだった。

先発隊が借りてきたミニバンのレンタカー、値段だけあって装着されているスタッドレスタイヤは、なんと8年以上前のものだった。山はあるものの、もはや製造時のグリップ力が得られるような代物ではなかった。
大した坂でもないのに、前輪が虚しく空転する。男6人もいるのに、クルマを押し上げることは出来なかった。様々な策を講じるものの、すべて徒労に終わる。仕方ない、JAFを呼ぼう...

1時間ほど待つと、初代プラドに乗った方が到着する。最初は心優しい地元の方かと思ったら、JAFから委託されている方だった。
スリングを装着し、プラドで引き出すことに。すると、いとも簡単にクルマは前へと動き出す。この時はプラドがとても頼もしく思え、そしてFJクルーザーを手放したことを後悔する。
K氏のクルマのスタッドレスタイヤもやや劣化が進んでいるが、こちらは難なく脱出することが出来た。この時、既に14時を過ぎてきた。

這う這うの体で、ロッジ山の詩に到着する。目の前には立派な道路が...最初からカーナビに従ってこれば良かった。
マスターが、「電話をくれれば迎えに行ったのに」と。確かに...
時間が遅くなってしまったので、初滑りはお預けにし、K氏、U氏、そして仙台のOさんと乳頭温泉へ出かけることに。豪雪の中をしばらく進むと、温泉宿が見えてきた。日帰り入浴をやっているとのことで、早速中へ。
やや濁った温泉、二つの露天風呂から雪見と、最高だった。
男性しかいない混浴の露天風呂に入っていると、スタッフの方がスコップを持って乱入してくる。ライトアップ用の灯が埋もれてしまったので、発掘するとのこと。

そして、風呂あがりに辺りを見回すと...
豪雪A
豪雪B
 宿に戻り、しばし空腹に耐えていると、隣の部屋からお誘いが。少しつまみを食べていると、晩御飯になる。
すべて美味しい
食事を終えてから、部屋で2次会となる。そして、一旦散開してから3次会が開催される。高知のO氏、東部のK技査、K技師と4人でいろいろな話をする。

話は派遣職員のことになる。震災当時、気仙沼に配属されていたK技師は、派遣職員を必要としていなかったと語る。それはもちろん、自分たちの手で復旧を成し遂げたかったからだ。
しかし、話は派遣職員を受け入れるという方向になった。そこには現場の声は反映されていなかった。

この職場にいると、何の意見聴取もされることなく、重要なことが決定している時がある。それはどうやら自分が派遣だからというわけではなく、全体として言えることのようだ。

引き続き、K技師から熱い話を聞く。宮城の未来は20代だけに期待してはいけない。30代も優秀な人材がそろっている。彼らのこれからの活躍に期待をしつつ、明日に備えて寝る。