2013年4月2日火曜日

#67 back and forth

唐突にスマホが激しく振動した。画面を見ると、三陸沖でM6。「なまず速報」というアプリが緊急地震速報を伝えた。自分自身は揺れを感じることはなく、幸い津波注警報も発表されなかった。
しかし、時間は4時。もう一度寝る。

7時半に起床し、朝食を摂る。以前、津市芸濃町で一人暮らししていた時もそうだったが、朝は時間もなく面倒なので、フルーツグラノーラを食べる。牛乳も飲めるし。

昨日とはうって変わって曇り空。天気予報では午後から雨。4月なのに、やはり寒い。ドカジャンの下にダウンベストを着ていくことにした。
非ライブカメラ
配属先の地方振興事務所には134名の職員が勤務しており、私の属する農林振興部のほか、総務部、地方振興部、水産漁港部と南三陸支所がある。また、森林・林業分野では、農林振興部内に、治山事業と林道事業を担当し、私のいる森林整備班のほか、保安林や鳥獣を担当する森林管理班、造林補助や林業普及を担当する林業振興班の3つがある。

午前中は、森林整備班と転任されてきた次長を含め、今年度の事業実施について打ち合わせが行われた。
三重にいるときは、治山事業と言えば必ず山に近接するか、山中の崩壊地などで行われるというイメージがある。もちろん、海岸沿いの事業もあるが、極めて少数である。今回の説明では、すべてが海岸沿いの箇所である。

途中、事務所長のあいさつがあるとのことで、一旦大会議室に移動する。
あいさつでは、知事から下された復興にかかる3つのミッション、「生活再建」「雇用の確保」「福島第一原発関連の課題解決」について説明があり、また管内で実施されたアンケートによると、震災後の生活について、64%の方が現状に満足していないという結果が出ていることなどが話された。

そして、仙台・宮城ディスティネーションキャンペーンにあわせ、事務所でも「おもてなし隊」が結成されている。所長もカンバッチを身につけられ、観光地などで美化活動に率先して取り組んでほしいことや、観光バスを見かけたら大きく手を振ってほしいことなどが伝えられた。
「変なおじさんが手を振ってると思われてもいいから!」というお話に、会場は笑いに包まれた。

あいさつが終了し、引き続き打ち合わせに戻る。
整備対象となる防潮堤には、大きく二種類あり、原状回復するタイプと、新たに盛土の防潮堤を構築するタイプ。原状回復といっても、地盤が1m以上沈下しているため、かさ上げすることになる。盛土タイプは、県が設定した「L1」と呼ばれる津波高さに対応したものとなる。

海岸施設等の復旧に当たり、津波を2つの高さに分けて検討を行っている。一つは「L1」、100年に1回程度襲来する津波を想定したもので、明治三陸地震津波などがある。この高さの津波では、ハード対策で被害を食い止めようという考えである。
そして、東日本大震災や、平安時代の貞観地震津波など1000年に1度程度の巨大に津波に対しては、ハードだけでなく、ソフト対策ほか複合的な取組で被害を軽減する。

報道では、被災地での復旧が進まない原因として、生コンクリートなどの資材が不足していること、人材が不足していることなどがあげられているが、他にも要因があるようである。盛土タイプの防潮堤はかなり巨大な構造物となるため、土地の問題や、防潮堤の存在が地域資源の価値を低下させてしまうとの市民の声など、たくさんの調整が要求される。
T班長の「三歩進んで二歩下がる」という言葉が、現状を如実に表している。

昼食は、合庁内の食堂に向かう。部屋の中には、なぜか山口や奈良、徳島の観光ポスターが貼られている。おそらく支援職員が貼り付けたものだと思うが、三重も負けられない!
式年遷宮+熊野古道世界遺産登録10周年で対抗したい
そして、執務室に戻ってから、御浜柑橘で買い求めたみかんを配る。デコポンを買ったつもりが、おまけにはるみや市木オレンジまでたくさん入れていただいて、そしてお手紙まで!うれしい!
農業担当の方から、「私、柑橘担当なんですが、宮城では見てるだけなんですよね...」と。

また、今日から端末にログインできるようになった。内部で動いているシステムは、三重にいたころと大きく変わりはないが、宮城が優れているところもあれば、三重が優れているところもあり、興味深い。業務に必要なものや、組織に所属しているうえで必要な書類などの入手が加速的に進んだ。

業務終了後、坊主頭のS技術主査から「親睦会やります!」と全員に声がかかる。待ってましたよ、この日が来るのを...来週が楽しみである。ついでに、この地域での夕食の調達方法や、お昼のお弁当の頼み方など、いろいろ聞いてしまった。

帰路、運送会社から電話があり、熊野から3日かけて、もう一台の愛車が届けられた。これで行動範囲が大きく拡大する。そのあと家電量販店などに寄り、夕食は思わず吉野家に寄ってしまう。
気仙沼は人口およそ7万人。都会の資本が多数進出している。しかし、出来る限り地元資本を愛することにしよう。