2011年11月17日木曜日

#29 去りゆくもの

東京は、とても暖かだった。
昨日も、コートを着ている人がほとんどいなくて、すこし恥ずかしかった。

地下鉄に乗ると、ありえないぐらいの人がいる。かばんとコートのやり場に困り、むりやり網棚にねじ込む。車内は汗ばむくらいの温度になっている。

霞が関で下車し、農林水産省の建物に向かう。最近の省庁は中に入る際にゲートを通過する必要がある。大量の職員が、鉄道の改札機のように、ゲートに職員証をかざして中に吸い込まれていく。
一次的な来庁者は、氏名、所属などを書いた紙に、公的な身分証明をを添えて警備員に渡す。ネックストラップがついたカードを手渡され、無事に中に入ることができた。

ここに来るのは何年振りだろう。12年ぶりくらいだろうか。重々しい建物の雰囲気は相変わらず、免震装置が付いたことが外観上の差か。
中があまりにも広いため、喫煙所を探すのに右往左往する。飲み物もどこで調達するのかよくわからない。しかも工事中で通れないところもあるし・・・

何年か前、あるデータセンターの見学に行った。センター内は白で統一されており、案内表記もグレーで、じっくり見ないとよくわからない。理由は明確で、センターにダメージを与えようとする侵入者に有利な情報を与えないためである。農水省に案内表記が少ないのは同じ理由だろうか・・・

今日は、林業普及指導員の2次試験が行われる。控室に向かうと、すでに何人かが待機していた。ほどなく声がかかり、面接室の前でしばらく待つことになる。
私の次に面接を受ける、京都府のM氏とすこし言葉を交わす。抱えている問題はそれぞれだが、前向きな姿勢に共感できた。過去に、三重のM先輩と研修で同じだったそう。
面接の出来は・・・果報は寝て待つことにしよう。

昼食は、ざるうどんを食べる。カレー味のつけ汁につけて食べるのだが、この量でこの値段・・・東京は物価が高い!

職場へのお土産を買い、東北新幹線のホームに上がる。
隣には、おなじみの白にブルーのラインの入った東海道新幹線が西に向かって次々と発車していく。「あれに乗ると、2時間もしないうちに名古屋につくよな・・・」と、少しセンチメンタルな気分になる。
15:20発のなすのに乗る。1982年に開業した東北新幹線の最初の車両であるこの200系も、明日でラストランとなる。まだ上越新幹線では活躍を続けるし、この車両は開業当時のものではないが、丸顔の新幹線が東北からいなくなるのは少しさみしい。高校生の時、兄貴のいた函館から帰る途中、盛岡から乗った初めての東北新幹線も、この車両だった。
最新の車両に比べると、車高が高く、空気抵抗が大きいが、ホームに入った時は立派な感じがする。内外装ともにモディファイされているため、新しい車両とくらべて見劣りする部分はない。
しかし、実際に乗ってみると、窓がとても高い位置にあり、身長176cmで座高の高い私が座っても、肩が隠れるくらいである。

開業当時は、立てたたばこが倒れないと言われたが、さすがにインフラも30年が経過し、そうもいかなくなってきている。スマホのアプリで速度計測を行ったが、210km/h程度が最高だった。
車内放送で、この車両の東北新幹線での運行が明日で最後のため、キーホルダーやステッカーを「限定」販売していると流れる。車内販売が来るのを今か今かと待って、買い求める。「限定」という言葉にどうも弱い。

終点の郡山で、後続のMaxやまびこに乗り換える。
総2階建てのE4系という車両だが、最高速度が240km/hということが災いし、そう遠くない将来に東北新幹線から引退するという話がある。
最後尾の1号車の2階席に座るが、横3列+3列でリクライニングしない椅子という、超詰め込み設計のため、展望が良いこと以外はあまりうれしくないのも事実。
生き物っぽいE4系。MaxはMulti Amenity Expressの略。
Maxやまびこは仙台止のため、次は仙台始発の盛岡行やまびこに乗り換える。この車両も、最新のE5系に比べて最高速度が劣るため、上越新幹線に行くという話がある。乗った車両は昨年製造されたばかりのピカピカで、窓の下にはコンセントがついていた。
E2系1000番台
ホームの駅弁屋さんで、牛たん弁当を買う。中に加温装置のついたタイプで、ひもを引っ張って温める。塩竈の藻塩がついていて、適度にふりかけて食べる。味はなかなかだった。
水沢江刺までおよそ50分、いままでの2本とは違うレベルのハイスピードで駆け抜けていく。

鉄道車両は、往々にして最新が最善で最良である。新幹線は特に新陳代謝が顕著で、あっという間に時代遅れになって淘汰されてしまう。遅い、古いといった理由で、新しい車両にとって代わられるのは世の常だし、最高速度が80km/hも違うようであれば、ダイヤの編成にも苦労が絶えないはず。
しかし、東北の新時代を築き、発展の礎となった200系が、人知れずひっそりと姿を消すのはとてもさみしい。

水沢江刺に着き、閉店準備中の蕎麦屋から漂う香りを振り払いながら、ベースキャンプへと戻った。