やっぱり、体が重い。
土日はあまりにも充実していたため、今朝一気に来た。起きるのが正直しんどい。
月曜は東海新報がお休みなので、岩手日報の地方面にさっと目を通す。昨日の凧揚げの記事が大きく紹介されている。
今朝、N課長補佐からビッグなプレゼントをいただいた。
東北新幹線開業前の、特急券や急行券。
盛駅を出る急行列車は、仙台行の「むろね」、盛岡行の「さかり」、一ノ関行の「からくわ」の3つが走っていた。そして、東北本線には、盛岡発の「やまびこ」、青森発の「はつかり」。
この中で、今も名前が残っているのは東北新幹線のやまびこだけ。そのやまびこも、はやて、はやぶさの陰に隠れてしまっている。
多くの旅立ちを見送ってきた盛駅の懐かしい風景を思い描き、タイムスリップしたくなった。
そういえば、三重の同期かつ同僚のF氏が、今年に三陸を鉄道で旅する計画をしていたが、震災により中止したという話をした。
三陸をつなぐ鉄道が復旧したら、その時は仙台発八戸行の「リアスシーライナー」に乗りに行こう。
T副技監からは、週末に近所を散歩した時にとった写真を見せてもらった。こちらを向いているシカ、鈴なりの柿の木、さくらんぼによく似た実をつけた木。すっかり大船渡のことが気に入っている様子である。
先週から引き続き行っている資料作成を、今日中には絶対終わらせたいと誓い、手を動かす。しかし、8cmのチューブファイルにいっぱいの資料、これが三陸沿岸の街から1か所に集まることを考えると、部屋がどれだけあっても足りないよな・・・
また、Cさんから作成した文書を確認して、意見がほしいと依頼を受ける。
結構毎日いろいろある。
N主任と少し話をする機会があった。
震災直後は、まったくと言っていいほど余裕がなく、派遣に来てくれた職員とコミュニケーションを図る機会がなかったが、今は心理的に余裕ができたので、情報交換ができるようになったとおっしゃっていた。また、派遣に来てくれた人を信頼して、出来る限り現場を任せたいし、それがやりがいにつながるのではとも。笑顔を絶やさない、気さくに話しかけてくれるN主任の存在はとてもありがたい。
長く在籍している組織では、実績や周囲の声など、なんとなくその人のスキルを推し量ることができる。しかし、短期の派遣では、派遣先のメンバーもその人を知ることに時間を割くことができないし、どこまで仕事を頼めるか悩まれることと思う。
幸いなのは、ここではいろいろな仕事を頼まれる。これは前任者Y氏の功績が大きい。また、自分のカバー範囲と直結していないが、他の職員の話もいろいろ聞いておくことも、次のオーダーに備えてスタンバイするために重要ではなかろうか。
午後、補佐宛に電話がかかってきた。通常は交換手から取り次がれるのだが、いきなり受話口にお客様の声が・・・
「補佐とかわってけろ」
といわれ、なんとなく和みながら電話を渡す。
気仙の人たちの話し方は、熊野に通ずるものを感じる。まろやかな語り口で心が穏やかになり、なんとなく幸せになる。
1階に出向く用事があり、この前の土日にあったFさんの職場に寄る。Fさんから、娘に頼まれたと、あるミッションを託される。
また、秘書広聴課のT係長から、広報大船渡をいただく。以前チェックした原稿が掲載されている!はたして読者は三重に興味を持ってもらえるだろうか・・・
ちなみに、大船渡市では、広報を配達してもらう地元の方のもとに、市職員が届けるというシステムになっている。部屋の片隅に置いてある紙包みはこれだったのね・・・
夕方、現場事務所からメンバーが帰ってくる。大阪市から派遣されているSさんと言葉を交わす。
今やっている仕事の話をしたところ、がれき撤去に関する書類が見たいとおっしゃったので、G係長に依頼して書類を見せてもらうことに。他の組織がどのような活動をしているのか気になるのは性分だよな~、となんとなく意気投合した感じになる。
仕事が終わってから、市役所近傍のガソリンスタンドで給油と昨日の塩水を洗い流すため洗車をお願いする。
その後、いつものように洗濯。読書時間としているので、東海新報の3月12日からの縮刷版を読む。
大船渡のことがようやくわかってきたので、掲載されている写真の場所がイメージできる。見覚えのある景色が津波に襲われている、そして、がれきで埋め尽くされた街。そしてとにかく情報を伝えようと奔走した東海新報のスタッフ。
写真をみて、すさまじい努力できれいになってきた街のことを思い、思わず涙が出そうになった。
仕事の時に一度だけ泣いたことがある。RDF爆発事故の時、八方塞がりになりかけ、焦燥感が漂っていたときに現場にやってきた緊急消防援助隊の車列。私たちは見捨てられていない!そう思った時に、自然と涙が出てきた。
そののち、コンビニでデジカメの写真をプリントしようと思ったが、なぜか機械がフリーズ!悪いことをしていないのに悪いことをしたような気になってしまい、逃げるように店を後にする、もちろん店員さんには報告済み。
結構遅い時間になってしまったので、晩御飯はラーメン一番亭で中華そばと餃子セット。野菜欠乏状態継続中。
ベースキャンプで、おまけのイベントが発生した。部屋の鍵がない!
確かに、朝は両手がいっぱいで、鍵をかけた記憶がない。またやらかしたか・・・
フロントで尋ねたら、鍵預かってるよ、と。どうやらクルマでいうところのインキーをしたっぽい。以後気を付けるとしよう。
土日はあまりにも充実していたため、今朝一気に来た。起きるのが正直しんどい。
月曜は東海新報がお休みなので、岩手日報の地方面にさっと目を通す。昨日の凧揚げの記事が大きく紹介されている。
今朝、N課長補佐からビッグなプレゼントをいただいた。
東北新幹線開業前の、特急券や急行券。
盛駅を出る急行列車は、仙台行の「むろね」、盛岡行の「さかり」、一ノ関行の「からくわ」の3つが走っていた。そして、東北本線には、盛岡発の「やまびこ」、青森発の「はつかり」。
この中で、今も名前が残っているのは東北新幹線のやまびこだけ。そのやまびこも、はやて、はやぶさの陰に隠れてしまっている。
多くの旅立ちを見送ってきた盛駅の懐かしい風景を思い描き、タイムスリップしたくなった。
そういえば、三重の同期かつ同僚のF氏が、今年に三陸を鉄道で旅する計画をしていたが、震災により中止したという話をした。
三陸をつなぐ鉄道が復旧したら、その時は仙台発八戸行の「リアスシーライナー」に乗りに行こう。
T副技監からは、週末に近所を散歩した時にとった写真を見せてもらった。こちらを向いているシカ、鈴なりの柿の木、さくらんぼによく似た実をつけた木。すっかり大船渡のことが気に入っている様子である。
先週から引き続き行っている資料作成を、今日中には絶対終わらせたいと誓い、手を動かす。しかし、8cmのチューブファイルにいっぱいの資料、これが三陸沿岸の街から1か所に集まることを考えると、部屋がどれだけあっても足りないよな・・・
また、Cさんから作成した文書を確認して、意見がほしいと依頼を受ける。
結構毎日いろいろある。
N主任と少し話をする機会があった。
震災直後は、まったくと言っていいほど余裕がなく、派遣に来てくれた職員とコミュニケーションを図る機会がなかったが、今は心理的に余裕ができたので、情報交換ができるようになったとおっしゃっていた。また、派遣に来てくれた人を信頼して、出来る限り現場を任せたいし、それがやりがいにつながるのではとも。笑顔を絶やさない、気さくに話しかけてくれるN主任の存在はとてもありがたい。
長く在籍している組織では、実績や周囲の声など、なんとなくその人のスキルを推し量ることができる。しかし、短期の派遣では、派遣先のメンバーもその人を知ることに時間を割くことができないし、どこまで仕事を頼めるか悩まれることと思う。
幸いなのは、ここではいろいろな仕事を頼まれる。これは前任者Y氏の功績が大きい。また、自分のカバー範囲と直結していないが、他の職員の話もいろいろ聞いておくことも、次のオーダーに備えてスタンバイするために重要ではなかろうか。
午後、補佐宛に電話がかかってきた。通常は交換手から取り次がれるのだが、いきなり受話口にお客様の声が・・・
「補佐とかわってけろ」
といわれ、なんとなく和みながら電話を渡す。
気仙の人たちの話し方は、熊野に通ずるものを感じる。まろやかな語り口で心が穏やかになり、なんとなく幸せになる。
1階に出向く用事があり、この前の土日にあったFさんの職場に寄る。Fさんから、娘に頼まれたと、あるミッションを託される。
また、秘書広聴課のT係長から、広報大船渡をいただく。以前チェックした原稿が掲載されている!はたして読者は三重に興味を持ってもらえるだろうか・・・
ちなみに、大船渡市では、広報を配達してもらう地元の方のもとに、市職員が届けるというシステムになっている。部屋の片隅に置いてある紙包みはこれだったのね・・・
夕方、現場事務所からメンバーが帰ってくる。大阪市から派遣されているSさんと言葉を交わす。
今やっている仕事の話をしたところ、がれき撤去に関する書類が見たいとおっしゃったので、G係長に依頼して書類を見せてもらうことに。他の組織がどのような活動をしているのか気になるのは性分だよな~、となんとなく意気投合した感じになる。
仕事が終わってから、市役所近傍のガソリンスタンドで給油と昨日の塩水を洗い流すため洗車をお願いする。
その後、いつものように洗濯。読書時間としているので、東海新報の3月12日からの縮刷版を読む。
大船渡のことがようやくわかってきたので、掲載されている写真の場所がイメージできる。見覚えのある景色が津波に襲われている、そして、がれきで埋め尽くされた街。そしてとにかく情報を伝えようと奔走した東海新報のスタッフ。
写真をみて、すさまじい努力できれいになってきた街のことを思い、思わず涙が出そうになった。
仕事の時に一度だけ泣いたことがある。RDF爆発事故の時、八方塞がりになりかけ、焦燥感が漂っていたときに現場にやってきた緊急消防援助隊の車列。私たちは見捨てられていない!そう思った時に、自然と涙が出てきた。
そののち、コンビニでデジカメの写真をプリントしようと思ったが、なぜか機械がフリーズ!悪いことをしていないのに悪いことをしたような気になってしまい、逃げるように店を後にする、もちろん店員さんには報告済み。
結構遅い時間になってしまったので、晩御飯はラーメン一番亭で中華そばと餃子セット。野菜欠乏状態継続中。
ベースキャンプで、おまけのイベントが発生した。部屋の鍵がない!
確かに、朝は両手がいっぱいで、鍵をかけた記憶がない。またやらかしたか・・・
フロントで尋ねたら、鍵預かってるよ、と。どうやらクルマでいうところのインキーをしたっぽい。以後気を付けるとしよう。