10月20日から12月22日まで63日間、ちょうど1/3。こちらの生活もすっかり慣れ、リズムがつかめてきている。
今日の大船渡市役所屋上非ライブカメラは南向き。やや曇りで寒め。 |
作業自体は瞬間で終了するので、ぎりぎりでも大丈夫だが、とても律儀なのでこちらが申し訳なくなったり・・・あ~、私もこれくらい謙虚であれば・・・
N課長補佐に依頼された契約関係の文書作成を行っていると、11時ごろ、T副技監より放射線測定の
市民生活環境課の職員が、木製の台にガイガーカウンターを載せ、放射線の計測を行っていた。
測定結果は、三重とほとんど変わらなかった。
午後から、昨日測り残した旧吉浜小学校の温度測定に向かう。
「水上さん(助三郎翁)が見てるから、あそこは大丈夫だ!」などと、いつものT副技監ならではの発言が飛び出す。
吉浜は、11あるブロックでおそらく最初に完遂する予定である。
残された根白(こんぱく)の解体現場を確認する。多数の作業員がラストスパートをかけていた。
帰路、いつもの三陸道からはずれ、リサイクルプラントが並ぶ旧道を走る。旧道といっても、現役できちんと整備されていた。
事務所に戻ってから、昨日確認した仮々置場の資料をまとめる。手持ちの資料に加え、GISを利用して収集した地番、図上で計測した面積なども一覧にしておく。
少し遅い時間になったが、派遣の人たちはどこでご飯を食べているか?という話になる。だいたい似たような店だが、新しい情報も入手できる。情報はこちらから発信もしないと、得ることもできないと実感。
カレーライスがどうしても食べたくなり、どこかにあるか?と聞いたら、みんなが口をそろえて「Kojika」をおすすめしてくる。市役所から近いので、自動的に決定。
ここから、この日の第2ステージが始まる。
店の真横のすこしタイトな駐車場にとめ、木目の美しい店内に入る。一人の時は、話ができるので好んでカウンターに陣取る。
ビーフカレーを頼み、奥さんと三重の話ですこし盛り上がる。
カレーをおいしくいただき、「これ、お茶だから」とコーヒーを淹れてもらい、これからマスターと6時間話し込むことになる。
まずはクルマの話。マスターの所有する(してた)クルマは、すべて憧れのクルマ!友人のクルマが壊れても、ディーラーではなくなぜかマスターに問い合わせがあるとか・・・
きれいな店内だが、実は津波で1.6mほど浸水し、調理器具など軒並みダメになったが、震災から4か月たった7月11日から再オープンの運びとなった。
震災の前日、偶然奥さんと津波がきたらどうしよう?という話をし、家族全員無事だったとのこと。大船渡駅近くにあった奥さんの店は残念ながらダメになってしまったが。
震災直後から、カレーライスの炊き出しを1日1000食やったこと、たくさんの支援があってそれが成し遂げられたこと、何十年もあっていない方からお見舞いが届いたこと、そして自宅避難している近隣の老人の支援をしたこと。
そして話はまちづくりに及び、マスターの理想の街を作ってみたいこと、サン・リア誕生秘話・・・
なぜマスターは飲食店を始めたか、今の店を始めたときは先輩に冷やかされたとか。
いつの間にか時計は12時を回っており、マスターが
「夜食食べない?」
と声をかけてくれる。
出てきたのは、なんとお雑煮!餅に里芋、肉、白菜などが入ったとてもやさしい味。
なんか、食に恵まれています!
マスターの話の中で、とくに二つが印象に残っている。
一つは、市役所の職員も被災しているということ。
カレーの炊き出しを行っても、職員は遠慮するし、実際に自分たちの番になったら割り当てがなくなっている。それを知ったマスターは、こっそりと差し入れを行った。
そしてもう一つは、一人一人が与えられた役割の中で、ベストを尽くさなければ、復興は成し遂げられないこと。
残酷すぎる現実、そして理解不可能な光景。その場から逃げ出したくなる気持ちも十分に理解できる。
しかし、待っていては街が復興することはない。それぞれが同じベクトルに向かって最善を尽くすことが復興への最短ルートである。
語りつくしていないが、すでに2時を回っていた。再訪を告げ、店を後にする。
月明かりのまぶしい中、ベースキャンプへと急いだ。