釜石で9時から10時までの間で待ち合わせなので、いつもの朝の儀式を大幅に割愛し、とにかくクルマに乗る。
カーナビで目的地の「釜石大観音」をセットすると、54km。終わった・・・
最短で日頃市から釜石市唐丹まで抜けるルートがあるが、どう見てもシビアそうなので、普通に盛まで出て45号線を行くことにする。
釜石までの道は、所々で片側交互通行になっており、油断できない。
7月に訪問したとき津波注意報が発表され、一時待機した唐丹の集落を超え、釜石の市街に入る。
目的地の釜石大観音が見え、ナビ通りにクルマを進めると・・・どう見ても間違えている!
時間がなく焦るが、また45号線に戻り、今度は案内看板に従って駐車場に向かう。
駐車場の手前にグラウンドがあり、今日はギャラリーがたくさんいる。
が、実はギャラリーではないのだが・・・
10時前にのうのうと到着したころには、既にトラックから荷下ろしが始まっていた。
今回、釜石に支援物資を運ばれた四日市運送の樋口氏に挨拶をする。
(#17のタイトルは、樋口氏のブログのタイトルをパクらせていただきました<m(__)m>)
東日本大震災の被災地向けの物資等支援は10回目となり、今回は釜石から大船渡、陸前高田の行程で、10tトラック2台、4tトラック1台、マイクロバス1台のコンボイ。
4tは別の会場に向かっているので、10t2台に満載の支援物資を、釜石のボランティア・センターから派遣されたメンバーとともに陳列する。
会場には、岩手への出発直前にお会いした陸前高田のFさんと再会、ご家族にもお会いできた。特に娘のAさんは元気いっぱいで、こちらが勇気づけられる。
当初、11時から予定されていた支援物資の配布会は、繰り上げてスタートとなった。
先ほどグラウンド前に並ばれていた方々は、この会が開かれるのをずっと待ってみえたとのこと。しかも、早朝から!
主に仮設住宅にお住いの方を対象としており、衣類や家財、消耗品などが提供された。
めっちゃにぎわっています! |
東北の人は立派な体格の方が多いのかな?という疑問を呈していたら、林業の先生のO氏からちゃんと調べなさいとメールをいただいていた。
他の特徴は・・・色白で美男美女が多い!
正午くらいになると少し余裕ができ、お客さんのご希望に丁寧に答えることができるようになる。
その中で、ある女性の方に、かばんはないかと聞かれた。今はリュックサック一つしかないので、手提げのかばんがほしいとのことだった。かばんはたくさん持ってきていたと伺っていたのだが、すでに在庫がなくなってしまっていた・・・
こにゅうどうくんのフワフワのやつ |
夢のコラボ |
また、今回は持ち込んまれた花器にも人気が集まった。
後片付けが終わりかけたころ、記憶の片隅に残っている情報と、いまそこで活動を共にしている方が照合された。小・中学校のY先輩で、しかも兄貴の同級生・・・釜石の地で再会するとは!
四日市運送からは、樋口氏をはじめ、通称ジージのS氏、リアル・こにゅうどうくんI氏、日本通のT氏、大船渡で別働隊のH氏、E氏、陶芸家M氏、大阪からエントリーのK氏と、個性豊かでモチベーションの高いメンバーがそろっている。
また、会社のスタッフに被災地での活動へ参加してもらうことは、かけがえのない経験になることは間違いなく、会社の将来にとっても非常に有意義なことだと思う。百聞は一見にしかず。
釜石Vチームと記念撮影 |
大船渡にある「フレアイランド尾崎岬」で、大船渡市赤崎町で被災され、仮設住宅にお住まいの方と、浜松凧有志の会メンバー合同で懇親会がもよおされる。
会場に到着すると、四日市運送の別働隊と浜松のメンバーはすでに到着しており、荷下ろしや準備などを手伝う。
日が落ちてくると、地元の方々が網焼きの準備を始める。
地元の方は、イカ焼きとチャンチャン焼きを、浜松のメンバーは遠州焼きと、焼き物大会になっていた。いずれもおいしくいただいた。
遠州焼き会場とそれを楽しみに待つ方々 |
会場内では、2対2のオリジナル・ミニサッカーや、凧の展示、浜松のメンバーが持ち込んだ支援物資の配布会があり、凧上げの際に使われる威勢のいいラッパの音が鳴り響く中、大船渡+四日市+浜松の連携が完成した。
メッセージがびっしり書き込まれた六帖凧 |
「コテージのベッド空いてますから、よかったら・・・」
あ~、そんなに私を甘やかさないでください!甘えてビールをいただいてしまった・・・
しかも、帰路に温泉行こうと思っていたので、着替え一式を持っているという準備の良さ。普段はグダグダなんだけど。
コテージの部屋に戻り、Fさんの作ってくださったおいしいチーズケーキをいただき、釜石でマッチングなどにご尽力いただいたはやと氏のブログを拝見する。
あ、写真に載っちゃってるし!