2011年11月21日月曜日

#33 言葉の魅力

朝から小雪がちらついている。

洗濯物とクリーニング物で両手いっぱいになりながら、クルマに向かう。
外は一段と寒い風が吹いている。

朝、いつも忘れてしまうお弁当の注文を、今日は実行することができた。1週間分を頼んでおく。
T副技監は、土曜日にボランティア活動に参加していた。末崎にある県有の漁業関連施設の片付けに行ったそうだが、「あんなのバキュームで吸っちゃえばいいんですけどね~」といつもの調子で憎まれ口を叩くが、作業の達成感や参加メンバーから多くの情報がもたらされると聞いて、すこしうらやましくなる。こちらにいる間に何とか1回くらいはと思ってはみてるのだが・・・

午前中はN課長補佐もT副技監も外出し、頼まれた書類の作成などをする。
赤崎の現場から、大阪市より派遣のS氏がやってきて、写真の印刷を頼まれる。外はかなり寒くてつらいとこぼされている。室内は日差しがあるので、外の寒さが嘘のように適度な温度に保たれている。そういえば、T副技監も浜松では絶対暖房がついていないから、こちらの方がはるかに快適と絶賛していた。

昼、陸前高田のFさんから今晩戦略会議を決行する旨の連絡があった。

午後、建設廃材のリサイクル・プラントの方からK係長宛の電話がある。不在を告げると、「コンガラの件で・・・・」
あ、それ私が係長に頼みました件です!と伝え、数量などをうかがう。こちらの方言で話されるので、なんとなくまろやかな気分になり、気持ちが穏やかになる。

そして、流れ着いたロール紙のことが話題になる。業務用の巨大な物体で、高さ1.2mほど、直径約1m、巻いてある紙は8km!人で動かすのも不可能である。いったいどこから来たのだろうか・・・

夕方のミーティングが終わり、激寒の中いつものクリーニング店に寄り、手土産を調達して高田へ向かう。今日は道が思ったより空いている。

Fさんのみえる仮設住宅に到着する。ここはプレハブタイプで、50弱の世帯が生活している。
お宅にお邪魔すると、長女のAさんが出迎えてくれた。久しぶりにこたつにあたっていると、しばらくして、同じ仮設に住むK氏がやってきた。

いろいろと世間話が弾む中、作戦会議を始める。
しかし、作戦の中心となる事項は、すべてK氏が手はずを整えておられ、K氏が関係先に連絡すると、ことは万事順調に運んでいた。思わずガッツポーズ!
作戦会議はここでひとまず終了。以後、団らんタイムとなる。

FさんとK氏の会話は、聞いているだけでうれしくなる。「おぢゃっこ」「めんこい」「んだぁ」など、東北の言葉の心地よさにぞくっとする。
K氏が、「ふぐをあぶる」とおっしゃったので、え?ストーブでふぐの干物でもあぶって食べるんですか?と質問したら、笑いを誘ってしまった・・・正解は、「服を乾かす」という意味である。

他にも、「なげる」は「捨てる」、「あだまきってくる」は「散髪する」、こちらでもあまり話されなくなったようだが、「ごめんください」といった意味の「もぅし」など。K氏が東京の居酒屋で、注文しようとしても店員さんに気付かれなかったので、「もぅし!」といったところ、店内がシーンとして全員が気づいてくれたなど・・・東北弁のマスターにはまだまだ時間が必要だ。
しかし、逆にFさんからは四日市や関西の人が電話を通じて話す言葉がわからない時があると・・・

仮設での生活についてもいくつか話を伺った。プチプチを使って、冷たい仮設を暖かくしようとしていること。仮設団地間で物資の偏りがあること。急に水道が出なくなった時があったこと。前に住んでいた地区ごとになんとなくギャップがあること・・・

しかし、Fさんは仮設全体に目配りをしており、独居の方の軒先にハンカチを出す取組をやってみたい、段ボール置場のテントに水が入ってしまって、早朝から片付けている人に申し訳ないなどなど・・・今回の作戦会議も、Fさんが住民同士で集まって「おぢゃっこ」をするための場がほしいというものである。

結構長居させていただき、再会を告げて仮設を後にし、竹駒にある仮設店舗のコンビニによる。
店員さんから「こんばんは」と声をかけられ、こちらも挨拶する。三重にいるときは、機械的に無表情になげかけられる声に反応することはあまりなかったが、ここでは店員さんの顔を見てあいさつした。

住田に向かう国道340号線では、雪が視界を遮ってきた。
ベースキャンプに戻ると、駐車してあるクルマがうっすらと雪化粧をしていた。

部屋でテレビをつけると、NHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀」が放送されていた。テレビを見ながらふと、三重で「親方」と呼んでいる知人のことを思い出した。
「水上く~ん、あんな~、」「そんなんでけへん!」「あの人の話きいとったら暗闇いく」など、巧みな三重弁が頭の中をよぎった。

父は愛知、母は岐阜、祖母は名古屋弁ネイティブだったので、三重弁が話される環境で育っていたにも関わらず、いつの間にか自分の言葉はニュートラルな感じになってしまった。
以前は標準語と呼ばれていた共通語は、全国でその意味を理解しあうことができるが、なんとなく味気がなく、ドライな感じに思えてしまうときがある。

穏やかで心に響く東北の言葉は、そこに住む人々の気持ちを表しているのかもしれない。

今日は写真がないので、住田の超スパルタンな松日(まつび)橋の画像をどうぞ。