2011年11月18日金曜日

#30 将来のこと

晴れ、しかしやや暖かい。が、昨日の東京が嘘のように、やはり少しひんやりしている。

部屋にiPodを忘れたので、あわてて取りに戻り、いつもより出発が遅れるが、到着時間は変わらなかった。
今日の市役所屋上非ライブカメラは北東。雪は見当たらなくなっていた。
午前中は報告書をまとめたり、アスベストに関する報告書を見ていたら、U係長から当初予算の積算に関する質問が。通称「赤本」と呼ばれる、岩手県公共工事の基礎資料をダッシュでめくる。適用してあるパラメータの根拠について課長に尋ねると、的確な回答が・・・さすが!

GISで作業中、今回の津波浸水地域と、大船渡市の津波浸水予測図を重ねてみる。ほぼ、一致していた。しかし、地図だけ見せても、よほど意識の高い人でない限り、アクションを期待することは難しい。時間をかけて、土地利用の制限などを丁寧に進めていけば被害を軽減できただろうか・・・今の復興計画が地震前にあったとしたら、果たして市民に受け入れられていただろうか・・・

午後は、二次選別関連の定例会。今回は私が来てから初めて部長に参加いただいた。まだきちんと話をしたことはないが、とてもおだやかな感じの方で、怒っている姿が想像できない。
そういえば、こちらに来てから怒っている人をほとんど見たことがない。みんな、まろやかである。

定例会では、廃バッテリーなどの処分について話題になる。普段はほとんど問題になることはないのだろうが、一気に、いずこからか大量のバッテリーが出てくるので、結構大変である。
また、今回は大船渡警察署から2名参加され、復旧、復興事業に関する暴力団排除への協力要請がなされた。担当のSさんは、マルボウとは思えない、おだやかな方だった。
終わりがけにJVの担当者と少し来年度の話をする。

ミーティングが終わり、N課長補佐がキタニの現場に行くとおっしゃるので、山馬越の仮置場のがれきのボリュームが気になると伝えると、現場見てみたら?と誘われる。勝手に私が「大船渡のテクニカル・アドバイザー」と呼ぶようになったT副技監も同行する。
解体中の船は、もはや船底を残すのみとなった
住宅街を通過し、未舗装の林道を通り、山馬越の仮置場に到着する。机上の想定ではかなりのボリュームがあると思っていたが、敷地の広大さに錯覚していたとしても、想定よりはるかに少なかった。初めての経験だと、現場に行ってみないとわからないことが多い。
偶然、すこし水蒸気が上がっているところがあり、すかさずT副技監が温度計で測定する。外気温が低くなってきたため、水蒸気が目立つが、温度は適切な範囲内である。

引続き、選別工程の確認のため、茶屋前の仮置場に向かう。
選別は、重機と作業者を組み合わせた「ユニット」という単位で行われており、ここには2ユニットが投入されている。グラップル付のバックホーが仕分けを、マグネットのアタッチメントがついたものは、金属の回収を行っている。

がれきを敷鉄板の上に展開し、その後作業者の手作業による分別が行われている。この光景は、自宅を解体した時と同じだった。何人かのスタッフが、丁寧にがれきの中から釘やプラスチックなどを拾い集める。解体現場でおこなわれていたのと同様の作業が、ここでも実施してされている。

意図せずして生み出されてしまった災害廃棄物が、このように人手を介して資源に生まれ変わる。復興資材に、そして燃料に・・・今はそんな時代である。

その後、トンボロの仮置場に向かう。遅い時間となってしまったため、現場は無人だった。
最大量のがれきがあるここも、一次選別を実施し、二次選別場に運搬することによって、着実にその量を減らしている。

この現場は、湾口防波堤の真横にある。大船渡に襲撃した津波の威力を、少しでも弱めたとされる「コンクリートの盾」は、いまやその残骸しか見ることができない。
右の突堤が湾口防波堤の残骸、奥が大船渡市街。
トンボロの現場を管理している末崎(まっさき)の現場事務所に立ち寄るが、電気が消えていた。すでに撤収?と思っていたら、窓が少し開いていた。不用心なので閉めようとクルマを止めたら、中に人の姿が。わずかな時間だからと、発電機を作動させず電池式のランタンで仕事をしていた。
選別状況などを聞き取り、戻るころには外は真っ暗だった。ちなみに日の入は16時20分ごろ。

夕方のミーティングののち、少し仮置場のボリュームと今後について話をする。
今、話をしていることは、動き出すのは私がいなくなってからかもしれない。来年度の予算を組み立てても、それは私がいなくなってから実行されることになる。
復興の道のりのごく一部に、2か月というごく短い期間だけ関わっている。せめて、がれきが仮置場からなくなるタイミングまで見届けたい・・・

夕食は、リアスホールに昨日オープンしたレストランに行くことにする。店は21時まで開いているので、19時までの30分程度図書館にこもる。

吉浜小学校100年史を手に取ると、水上助三郎の名が頻出する。そして、銅像のあった場所は水上児童園と呼ばれていることを知った。他にも、明神さんの津波石などなど。
そして、「三陸津波詩」に目を通す。昭和35年のチリ地震津波の記録などをまとめたものだが、時間がなくて序章しか読めなかった・・・
50年前の本に、現代に十分通用する示唆に富んだメッセージが記されていた。

1Fにあるレストランに向かう階段を下りる。
建物は著名な建築家の作品で、ドアノブなどのディテールに至るまでこだわりが見られる。個人的には好きだが、視角障がいのある方にはすこし冷たい建物かもしれない。

入口に花輪の飾られた「旬菜青岬」では、オープニグセールとして、4つのメニューが半額で提供されている。そのうちの一つ、めかぶねぎとろ丼を注文する。
トロ少々、めかぶぎっしり!
野菜が少ない自分にとっては、ちょうどいい晩御飯になった。
食事を終え、外に出るとかなり寒い・・・
リアスホールのメインエントランス
本屋に少し寄り道をし、マイヤで朝御飯やお茶などを買う。
LAWBLOWを熱唱してベースキャンプに戻り、一息ついたころに日本災害情報学会のA氏から電話。12/1の大船渡訪問などについて打ち合わせ。関東地方からの訪問者に、大船渡の魅力をアピールするチャンス到来!がんばっぺし!