2014年4月5日土曜日

#435 三陸鉄道全線運行再開-南リアス線-

昨晩から風が強く、冬に逆戻りしたような天気となる。幸いに晴れ間が見えているが、内陸では雪が降っているようだ。
放置していた洗濯をダッシュで行い、修理の完了したパソコンを受け取る。キーボードは無事に治っているようだ。ちょっと細かいものが降ってきたが、3号機で気仙沼駅へと向かう。

気仙沼駅では、すでに盛行きBRT待ちの長い列ができていた。下車時に混乱しないよう、切符を先に買っておく。
外はいつの間にかみぞれが降ってきた。この中で立って並ぶのはキツイ...ギリギリまで粘ってから、列の最後尾に並ぶ。しばらくして、BRTのバスが入線する。幸いにも、席にありつくことができた。

外の景色を楽しむこともなく、スマホなどをいじりながら北へ向かう。しかし、高田市内に入ってから、降りる人は0、少しずつ乗る人が。盛に着く前には超満員に。上着を脱ぐこともかなわず、汗だくになる。
←三鉄盛駅 JR盛駅→
ひとまず三鉄の盛駅に向かい、限定の特別割引のフリー切符と、記念切符を買い求める。ここの窓口もかなりの人が並んでいた。
駅前には特設テントがあり、三鉄のお土産を売っている。記念手ぬぐいとセロテープを購入し、地味に支援する。
ロータリーで三陸鉄道の望月社長をお見かけし、写真撮影をお願いする。
うろうろしていたら、板橋区から大船渡市役所へ派遣されていたF氏がなぜか居る。引き続きのために週末来訪されたとのことだった。三鉄の復旧を知らず、なんとなく来て見たらしい。
ちょうど開業30年を迎えた
しばし談笑してから、発車時間も近づいてきたのでホームへ向かうことに。しかし、既に夥しい数の人で埋め尽くされていた。1両「編成」の列車に、本当に乗れるのか不安になる。
乗車率200%くらいになってしまった列車に、運転士さんが申し訳なさそうに乗り込んでくる。いえ、あなたがいないと列車は走らないです(笑)
圧迫感に悩まされながら、列車は盛駅を出発する。ホームにいる鈴なりの人が、一斉に小旗を振る。沢山の方々に見守られて、運行再開を成し遂げた三陸鉄道。市民の期待感が否応なく伝わってきた。
運転士さんが、手を振っている方がいるので、振り返してほしいと、ところどころでアナウンスをされる。今日は運転士さんもたくさん手を振っている。吉浜までの既開通区間を行く。
陸前赤崎
綾里の権現様
恋し浜
甫嶺
甫嶺で花束をもらう運転士さん
三陸
 そして、吉浜へ。太鼓の演奏がすさまじい音を出している。この時点ですでに10分遅延。仕方ない、これだけたくさんの人が乗っているのだから。
ここまでは下車客もいたので、列車は空いていく一方だったが、吉浜で大量乗車があり、乗車率は250%くらいに膨れ上がる。車窓を眺めようにも、それさえ困難だった。36-700型は半室運転台のため、運転士さんも進行方向右側にホームがある場合は客用扉から乗り込む必要がある。しかし、ついにこの駅でそれを断念することになる。
一度ホームから降りて...
運転席に乗り込む
いよいよ、今回再開した区間へと入る。鍬台トンネルをはじめとするトンネルの連続区間になるため、車窓はあまり期待できない。たまたまかぶりつきのできる場所にあたったのはよかった。列車の走行回数が少ないためか、まだレールは赤茶けている。しかし、ずっと赤茶けていたことを考えると、二条の軌道が光り輝いているのはうれしい。
唐丹
平田
止まるたびごとに乗客が増え、平田(へいた)を出たころには、体を動かすことができなくなる。運転士さんが「あと一駅、頑張ってください!」とアナウンスすると、車内がどっと沸く。

特徴的なトラス橋を通って、釜石駅構内へ。ホームでは沢山の人が列車の到着を待ちわびていた。
賑わうホーム
著名な方
当該列車は運転士さん一人で精算業務を行っており、ひとしきりホーム上で撮影していた後でも、まだ車内からお客さんが降り続けていた。
駅舎に向かう通路には、寄せ書きボードが用意されていた。思い思いのメッセージを、皆が書き込む。
ちょっと書いておく
式典用のアイテム
駅前に出ると、除幕式やら物販などで、さながらお祭り会場のようになっていた。たまたま近くで荷物を降ろしていた漁師さん風の方が「こんなに人がいるところを見たことがない!」とつぶやいていた。
開通記念の電子マネーを買い求めたりしていたら、記念列車の到着時間になったのでホームに向かうことに。しかし、ホーム上は人で溢れており、階段で到着を待つ。
望月社長
著名な人
大船渡市長
岩手県知事
すると、見覚えのある顔に出くわす。正月明けに北海道で出会った新潟の少年だった。吉浜までの部分再開時に記念列車に乗っていたと言っていたので、もしかしたら来ているのではと思ったら、案の定だった。再開を祝して、記念撮影。
しばし、談笑。行動予定はほぼ一致しており、どうやら明日も宮古で会うことになりそうだ。しかも、最終日のあけぼのに乗ったとか、来週のSL銀河も乗りに来ると語っている。恐るべき行動力だ。大学生になるまでに、行きつくしてしまうのではと心配になる。
「今日は、北海道より寒いですね(笑)」というが、確かに、本当に寒い...

そうこうしているうちに、記念式典が始まる。関係者以外は中に入ることはできないので、外から様子をうかがう。

遅めのお昼を食べる。
わかめそば
記念列車折り返しの発車時間となり、再びホームに向かうも、またすさまじい人。テープカット後にくす玉が割られ、押し込まれるようにホームに出る。
半分「手」
子どもから花束贈呈
出発!
出発を見送ってから、再び駅前へ。式典会場はステージに早変わりし、歌が披露される。
鉄道ダンシのテーマソングを歌う「コンサイ」
釜石市唐丹出身の観音めぐみさん
スタコラ音頭も歌っている
餅まきはデフォ
一つゲット
イベントもすべて終了し、コンビニで買い物をしてから道の駅やまだ行のバス停に向かうと、気仙沼駅以上のありえない人...最悪乗れないことも覚悟する。
しかも中型...
何とか乗り込むことに成功したが、もちろん立席。激しい前後左右動に翻弄されると、鉄道のありがたみを感じる。また少しバスが嫌いになってしまった...

大槌のマストから着席が叶う。いつもは1号機とか3号機とかでスルーしている場所も、バスに乗っているとことさら時間がかかる。公共交通機関のありがたみは十分わかってはいるが、自分の乗り物を持っていれば、そちらを優先してしまいたくなるのは止むを得ないか...

道の駅やまだから、宿まで徒歩で向かう。歩いていると、クルマに乗っている人から珍しそうにチラチラ見られる。ただ、歩いていないと気付かない、見れない景色もある。
早めのチェックインだったので、部屋でかなりグダグダしてから、館内のレストランで夕食を摂る。
特に何もなく、静かな夜は更ける。

2014年4月4日金曜日

#434 feedback

昨晩から降っている強めの雨は止まず、寒いのか暖かいのか、微妙な天気になってしまった。パッチをはくべきかやめておくべきか、悩みに悩む。結局はかずに出勤することに。

朝一、唐桑の施工現場の現場代理人から連絡がある。昨日の津波による影響はなかったとのことだった。

新しい座席にも幾分なじんできたが、まだちょっと違和感があったりもする。電話の位置や、周囲のスペースなどなど。できる限りデスクをキレイにしておかないと、この空間ではすぐに破たんしてしまいそうだ。上層部は挨拶回りに出かけたので、職場は幾分静かだった。リミットの決められた作業を粛々と進めていく。今日は生産性がとても高いような感じがする。
非ライブカメラA
雨は上がったが、幾分風が強く吹いている。今日は内業のみなので、あまり天候は関係ないが、それでも外の様子は気になる。午後も引き続き作業を進めていく。

業務終了後、昨晩のうちにW技師と調整した会を決行することに。新たに派遣されてきた兵庫のK氏、佐賀のU氏、栗原から転勤してきた鹿児島出身のO技師、三重からやってきたT氏とともに懇親会とする。予定していた「より道」は予約が入らなかったので、「わや」に向かう。

何分初対面であったり、ほとんど話をしたことがないメンバーなので、最初は強張った感じだったが、すぐに皆が打ち解けてきた。特にU氏は「今日何もなかったら、一人で飲みに行こうかと思ってましたw」と、むしろ感謝されてしまった。お国自慢だけでなく、なぜここにやってきたのかなど、それぞれのパーソナリティに触れられる素晴らしい機会だった。

1次会は程々に、2次会はよく行っている「2nd」というバーへ。
少し遅れてS主事が登場する。緩やかに2グループに分かれ、それぞれで盛り上がってくれてよかった。U氏から佐賀にまつわる伝説的な話を聞かされてしまい、少し佐賀から足が遠のきそうになる。
去年、かなり早い時期に坊主のS技査とT技査に懇親の場を設けてもらった。今年は自分がそういった役割を担うポジションにいるのだと思う。

日が変わりそうになったので、代行待ちのメンバーを残して先に帰宅する。自分はある程度厚着をしてきたものの、K氏、U氏ともに薄着だったため「冬だ!」と愚痴っている。その点、宮城生まれのW技師は平然としているのはさすがである。

2014年4月3日木曜日

#433 無視される警告、踏みにじられる教訓

津波注意報の発表が予告されており、なかなか寝付くことが出来なかった。テレビをつけたまま、少し横になる。
津波到達が予想されている時間になったが、幸いにも陸上に目立った被害は無いようだった。

朝食を摂りながらニュースを見ていると、L字に信じられないようなテロップが流れる。
「大島汽船 運行再開」
唖然として、言葉が出なかった。遠地津波だからというわけでなく、津波は第1波が最大とは限らない。それなのに、なぜ運行を再開したのか、意味が分からなかった。
イメージ写真
しつこいくらいに、海辺には近づくなと報じられている。それにも関わらず、なぜ海に近づけるような動きをわざわざするのか...
誰が望んだのかわからない。しかし、誰かが望んだから、運行が再開されたのだろう。防潮堤の議論の際、逃げるから、避難するから不要という言葉を散々聞かされている。津波注意報だからなめているか?津波の怖さは皆が知っているはずだ。

気仙沼市は「海と生きる」を標榜している。それは、海がもたらす危険についても的確に対処することを意味しているはず。海と生きるからこそ、その不便さも受け入れることをわかっているはず。なぜ解除されるまで待てなかったのか。津波に対する危機感はたかがその程度だったのか、あまりに残念でならない。3年前の3月11日とは、いったいなんだったのか...

出勤すると、職場は津波の話題で溢れていた。情報収集を怠らないようにしておく。K氏に積算システムの操作方法を伝え、積算を行う上でのルールを探し出して伝える。すると、N技師がポータルに掲載されているもののうち、「★」が付いているものは重要だよと教えてくれる。1年間、こんな話を聞いたことがなかった。本当にありがたい。

午後、リミットの決められた作業を行う。念入りにチェックを掛けていると、存外穴が見つかってしまう…
夕刻、唐桑の施工現場の事業者から、「津波注意報が継続しているので、現場確認は明日になります」と連絡がある。今朝の出来事があっただけに、当たり前のことを当たり前にやってくれているだけなのに、いたく感心してしまった。

18時、津波注意報が解除された。陸上での被害は伝わっていないが、漁業関係にダメージがないか、心配だ。

少し残って作業を進めていたところ、S総括から「ジャンジャンさ、行かねえべか?」とお誘いがある。M班長と3人で向かい、不思議なユニットで夕食となる。
気仙沼ホルモン
姉から、愛猫がとても軽くなっているとメールが入る。今年で18歳だからやむを得ないが、いつかその日がやってくるのかと思うと、少し切ない...

2014年4月2日水曜日

#432 2年生の務め

処方されたクスリを飲んだおかげか、体がとても楽になった。たぶん熱もなく、85%くらいコンディションが回復した。食事前に葛根湯を飲み、いつものように準備して、いつものように出勤する。

新しいメンバーへの挨拶も、2日目ともなるとそれなりに馴染んできた。ネットワークにログインできるようになったK氏に、各種システムの操作を伝える。といっても、時間があまりないので、操作というよりも単なる紹介になってしまった・・・

しばらくして、T技術次長、T班長、N技師、K氏を連れて現場の案内をする。N技師が率先して「道を覚えたいので、運転します」と。ちょうど1年前の自分を見ているようだった。
合庁に一番近い現場から海側を眺める
唐桑から気仙沼市内の現場を回る。
震災遺構の候補、気仙沼向洋高校
岩井崎では、気仙沼に住んでから見たことのない、ありえないくらい潮吹き岩から海水が噴出しており、遠目にもはっきりわかった。どうやら、干潮時の方がいい感じだ。
ひかど食堂で昼食となる。比較的混雑していたので、2対3に分かれ、T技術次長とT班長と同じテーブルになる。いろいろプライベートも含めて話をする。
メールで届いていた、チリでの大規模地震とその津波についてテレビで報じている。被害の発生に心が痛むとともに、津波の襲来が気が気でない。

引き続き南三陸町へ。自分の担当しているN、Iという施工予定現場を見てから、歌津の施工現場へ。いろいろな視点で意見を出してもらえるのが嬉しい。
そのあと、Hという施工予定現場を見てから、戸倉の施工現場へ。予定箇所では現在抱えている課題や解決方法など、また施工完了箇所ではどういった考えで設計したのか、また施工したのかを伝える。

N技師と少し話をする。N技師は秋田県の上小阿仁村出身。公共交通機関がバスしかなく、高校通学には3か月で7万円もする定期を使っていたとのこと。自分の住んでいた環境では考えられない。いろいろな格差があることを痛感する。

合庁へ戻り、机上の書類を捌いて、もろもろ事業調整などを行う。

業務終了後、大型ショッピングセンターに立ち寄り、クリーニングに出していた服を受領してから、半額の寿司を買って帰宅する。

電話で三重のY先輩へは近況報告、杣遊会のM氏と諸々打合せを。しばらくして、T氏から電話が入る。新しい職場はまだ混とんとしているようで、落ち着いたら再訪するとのことだった。たぶんそのころには、お互い積もる話もあるだろう。大船渡市役所も、気仙沼市役所も、繋がりのあった派遣職員同士で、帰庁直後もいろいろやりとりがある。幸い、自分もここでそういったやりとりがあることはうれしかった。

2014年4月1日火曜日

#431 再始動

昨日から体調は変わらず、体がとても重い。といっても、この日を休むわけには行かないので、何とか起きて出勤する。スーツを着て、春めいたいつもの道を歩く。

いつもS技査が座っていた席で、N技師が荷物を広げていた。N技師は以前岩手・宮城内陸地震の被災地視察に訪問した際にかなりの時間を共にしているので、気安い間柄だ。大荷物を抱えているが、細かいものはきちんと箱に入れられていて、性格が理解できる。

冒頭、新たに着任したメンバーの紹介が行われる。N技師、O技師以外は初めてお会いする方々だ。新任のT部長から、2年目の派遣について感謝していると言葉をいただく。こちらからは初めてと思っていたが、しかし、退職者送別会で自分のことは十分に認識されていたようだ...

4月1日ということもあり、職場はなかなか落ち着かない。昨日までとは雰囲気がガラッと変わったような気がする。
非ライブカメラA
非ライブカメラB
午後、先日決めたレイアウトに席を変える。なぜこのレイアウトで最初からいかなかったのか、理由は分からない。ある意図をこめて提案したのだが、その結果は如実に表れていた。

兵庫から派遣のK氏、佐賀から派遣のN氏が到着し、そのまま辞令交付式へと向かう。ほとんどが初めての赴任という中で、数名2年目が、1名3年目の職員がいる。そういえば、1年前もこんな状況だったのだと思い出した。この1年で何をやったのか、改めて振り返る。

気仙沼に初めて降り立ったK氏に、メンバーや庁舎内を案内する。おとなしい感じのK氏と、再びT氏と同じような関係性が築けるのかどうか不安だが、うまくやっていきたいと思う。

業務終了後、大里内科に立ち寄る。診察、注射をしてから薬を処方してもらう。
ベースキャンプに戻るが、あまりにも体が「えらい」ので、横になる。いつの間にか外は真っ暗になっていた。非常食を食べ、薬を飲んだら少し楽になった。

初日からすこぶる体調不良だったが、また明日から頑張ろう。