2014年10月8日水曜日

#621 6年目の被災地-1日目-

今日も絶好の秋晴れ。ややフォーマルな場に出向くため、シャツにジャケットに着替えていたら、ボタンを留めるのに異常な時間が掛ってしまう。かなり焦って出勤する。

いくつかの書類を片付け、K氏とともに栗原へと向かう。最短ルートと思われる284号線から花泉、若柳を経由するルートで向かう。かなり出歩いているK氏でさえ、通ったことのないルート。公用車はナビが付いていないので、自分がナビをする。

くりこま高原駅に隣接するエポカ21には、昼過ぎに到着した。距離は60㎞強だが、高速やバイパスなどがないために、かなりの移動時間を要することになる。5階にある展望レストランで昼食とすることに。
志波姫豚のしゃぶしゃぶは美味
ちょうどE5系が入線
 2階のバンケットルームで。砂防学会のシンポジウムが開催される。受付を済ませていると、三重からの来訪者を発見する。治山林道課のN課長補佐、そして大学の同期かつ同僚のM主査。来ているとは思わなかったので、かなりうれしかった。他にも、県土整備部関連の職員が4名参加している。

13時半から開始となる。テーマは6年が経過した岩手・宮城内陸地震に関しての話題提供、そしてパネルディスカッション。
佐藤栗原市長のセッション
 栗原市長、国交省北上川下流事務所、林野庁、国総研、栗原耕英区長、岩手県立大学による発表は、発災後の対応から復旧工事の状況、地すべりの発生要因の解説、観光と街づくり、防災教育とあまりにも盛りだくさんだった。

気になる点が二つほどあった。一つは、話題に「県」という組織がほとんど出てこなかったこと。極めて大規模な災害のため、その復旧の多くは国の機関に委ねられた。K氏と話をしたが、三重や兵庫では、国有林などを除き、恐らく可能な限り自らの手で復旧を成し遂げようと考えるはずだ。文化や背景が異なるために一概に言い切れないが、ノウハウの蓄積という面では不利に働いただろうし、県職員の人的リソースを次の東日本大震災に割けたという点では有利に働いただろう。

もう一点、レーザープロファイラー(LP)の利用である。技術自体は前kら存在しているが、こういった山地災害では、紀伊半島大水害でもそうだが、当たり前のように活用されてきている。また、佐賀や長野では、全県のデータを整備という動きになっている。願わくば、三重でも同じ動きになっていくとありがたい。

会が終了し、三重のメンバーで懇親会となった。H主任主査お勧めの、築館の「わらし」という居酒屋に出向く。くりはら高原駅周辺は飲食店が皆無なので...

現在の三重の状況など、いろいろ話をする。そして、耕英区長の話された「風評被害」について理解できなかったとのことだったので、解説をする。福島第一原発事故の問題は、何も福島県だけの話ではない...
 早めの終電に間に合う時間で散会となる。くりこま高原駅から新幹線に乗る。
一ノ関駅で乗り換え、大船渡線に揺られて気仙沼へ。ベースキャンプへはタクシーで向かうが、運転手さんに「漁師さんは信じられないくらい長距離のタクシー利用があるのか?」という疑問を投げかけた。今はほとんどないそうだが、昔は結構あったとのこと。運転士さんも、石巻からならあるよ、とのこと。確かに、公共交通機関が不便で荷物もあれば、その選択もありかもしれないが...