2014年8月29日金曜日

#581 3年目の被災地

久々に自分の部屋で、いつもの時間に目覚める。実家にいると自動的に朝食が出てくることは素晴らしいが、家族から大量のアクセスが発生するのは...

最寄駅からJRの普通列車に乗り、四日市から特急南紀に乗り換える。去年はなぜか乗り換えが成立せずえらい目にあったが、今日は無事だった。
車窓から、三重の今を見つめる。荷坂峠を越えて紀伊長島へ。列車はしばらく海岸沿いを走る。
浦々に密集した集落があり、その前には低い防潮堤、そして海。いつの日か、この集落が凄惨な光景に見舞われる時が来るのかと思ってしまい、かなり心苦しくなる。
定刻に列車は熊野市駅に到着する。迎えをお願いしていた友人にピックアップしてもらい、一路那智勝浦町へ。新宮市の背後を抜ける高速道路からの眺めは、大船渡に少し似ていた。

海に面した熊野カフェというところで昼食を摂る。カレーとパスタのランチがあったが、自分はお店の方がお勧めするカレーを、友人はパスタを選択する。
ひっそりおしゃれ
濃い目のカレー
防潮堤の高さや避難経路など、そういうところばかりに目が行ってしまう自分は職業病だろうか...時折雨が降るが、それがまた熊野らしくてよかった。

友人のリクエストにより、足湯へと向かう。静かな昼下がり、少しづつ人が入れ替わっていた。
引き続き、那智山方面へ向かう。このあたりは紀伊半島大水害でかなりのダメージを受けた場所。川沿いでは、3年経過した今でも、護岸工事が進められている。
途中左折し、以前砂防堰堤を建設していたと記憶している場所へ。
気仙沼へと向かう直前の3月に現地を見ているが、堰堤は目で見える限りは完成していた。薄っすらと植物が生えてきており、2013年のような生々しい感じは少しは和らいでいた。すべての復旧工事が完了するまで、もう少し時間がかかりそうだ。

引き続き、那智の滝へ。
2013年には巨大な架台が設けられており、工事の真っ最中だった。今は自然石を張り付けた床固工が完成しており、いつもより水量が多めな滝は、何事もなかったような表情を見せていた。

途中職場へのお土産を調達し、熊野川を再び超えて三重県の紀宝町へ。以前から完成したことは知っていたが、初めて見る津波対策用の庁舎へ。
びっくりするくらい強力な建造物を見る限り、南三陸町の防災対策庁舎のような悲劇は再現されないと期待する。
右側が新庁舎
受水槽は高い場所
現庁舎とは連絡階段で接続
街並みを眺める。低地に密集している。
屋上には太陽光発電
執務室は現庁舎の3Fよりも高い場所
3階までは吹き抜け
鵜殿港の突堤へと向かい、街の様子を撮影する。リアス式海岸の浦々の被災のみを考えてしまいがちだが、紀宝町も悲しい状況にならないとは限らない。新しい庁舎のみが残存している風景を想像すると、恐ろしくなってしまった...。
引き続き、紀宝町の相野谷川流域へ。
輪中内には放置された住家が...時間が止まっている
右岸側の砂防堰堤は完成し、機能を発揮している
3年前の紀伊半島大水害、復旧も山場を迎えているようだが、その一方で何も変わっていない場所もある。大規模な水害の復旧に、3年という時間は短いのかもしれない。

42号線を北上し、御浜町へ。友人が津波避難タワーが完成したことを教えてくれたので、視察することに。
よく見かけるタイプ
何かの資材が保管されている
ここも密集市街地
近くにいたネコが寄ってきた
再び、フラットな42号線を走る。海岸防災林に守られた熊野の街。この森がいざという時に機能してくれることを願って止まない。
清家という店に向かい、いつも支援物資を送ってくれるM先輩をお招きし、懇親会となる。一度石巻に派遣されているM先輩から、改めてその時の状況などを伺う。どうも、23年度と今であまり状況が変わっていないような気がする。
他にも、外国人観光客を誘致するための作戦など、面白い話で盛り上がる。この場でしか聞けない話を聞くと、それだけでも熊野に来たかいがあったというものだ。

長時間盛り上がってから散会する。友人に新宮の宿まで送ってもらうことに。かなりクラシカルなホテルで、ファシリティ的には厳しい感じだが、レンタサイクルなど無料オプションサービスが山ほどあり、とても頑張っている感が漂っていた。