2014年8月12日火曜日

#564 20年後

相変わらず梅雨のような天候で、すっきりしない。こうやって夏が失われていくのかと思うと切ない。若干起床が遅れたが、なんとか間に合った。

連日続く資料整理を進める。測量設計にかかる疑義について、そろそろ時間的に限界が来たので、治山班のM技査に確認を行う。少しやり取りがあり、無事に方針が決定する。資料整理をムツムツと進めるが、途中謎の部分が見つかったりして、頭を抱える。

午後休暇を取得し、一旦ベースキャンプへと戻り、今日しかできないことを全力で進める。3号機のナンバープレート取り外し作業を行うが、十徳ナイフのドライバーでは歯が立たない。家探ししたところ工具を見つけたので、無事にねじを緩めることができた。

南町紫市場で来客へのお土産となるほやボーヤ印鑑を作成がてら、昼食を摂る。久々に福建楼の麻婆飯にしたが、強力なスパイスによって、やや胃腸が不具合を起こす。
引き続き、ダッシュで市役所へ向かう。
市民の方により「まで(丁寧)」に作られた
今まで使っていたサメのイラスト入りナンバーから、ほやボーヤ入りのナンバーへと変更する。丁寧な窓口対応で、手続きは一瞬で終わった。
南町紫市場に戻って印鑑を受領し、東新城のアコモイン気仙沼でTさんと合流する。震災以降、短期派遣やボランティアを通じで、東北と深くかかわっているパワフルな方である。ちょうど去年の今頃、胴長な愛車で気仙沼を訪ねてくださった。

Tさんのリクエストにより、途中、アンカーコーヒーで飲み物を調達しながら、岩井崎へと向かう。
45号線はダンプトラックは少ないものの、お盆期間だからかクルマがいつもより多かった。

階上の高所移転や旧気仙沼向洋高校などを見ながら岩井崎へ。そこそこ観光客の車両も止まっていた。しかし小雨がそぼ降るあいにくの天気、高潮ということもあって潮吹は見られなかった。
秀ノ山雷五郎関
龍の松
潮吹かず
引き続き、南三陸へと向かう。名足の災害公営住宅も先日落成式典を終えたばかり。いくつかの部屋は入居が始まっていた。
石碑や自分の担当現場、防災対策庁舎を案内し、ポータルセンターの展示を見ていただく。河北新報の発行した写真集を見ながら、ここはどこだ、あそこは...という話をする。とても二人とも三重県民とは思えない内容だった。
さんさん商店街へ向かって歩く。20年後に南海トラフの巨大地震が来たとき、何をやっているのかという話をした。自分は県民への呼びかけを...などと勘違いした発言をし、Tさんは避難所を仕切るやたらうるさい「おばさん」になっているだろうと。他にも伊勢にはえらっそうな太ったオジサンがいて、船舶の部品を作るやたらボランティア仲間の多いオジサンがいて、鳥羽の市長は○○で...など、勝手に20年後の未来を予想する。
お盆モードの商店街
シルエットのモアイ
気仙沼へと戻り、夕食を摂りに海の市にできたリアスキッチンへと向かう。今日は自分の飲まないので、こういった軽いテイストの店がいいかなと...
Tさんが、東北に来ている意味について悩まれていた。Tさんがこの地に来たことを多くの方に伝えることだけで、三重の方々が被災地をを忘れないためのきっかけになると話した。また、人に会うためだけに東北に来ているのでは...とも話されたが、移動の目的としては十分すぎると思う。世の中の多くの人は、そこにいる人に会うために移動しているのだから。
自分も、ここで知りえたことをいかに人に伝えていくか、そして仕事にフィードバックするか。その手順はいまだ明確ではない。

そんな中、三重で最高にお世話になっている親方から電話が入った。お元気そうな声を聴けただけでよかった。

雲が晴れ、雨の上がった街を行く。ホテルへ送り届け、ベースキャンプへと戻る。空には月が見えていた。明日は晴れるといいな...