2014年1月11日土曜日

#351 対話

気持ちだけは早く起きようと思ったものの、体は言うことを聞かない。結局10時過ぎに起床し、朝食を摂ってからおもむろに洗濯を行い、昼過ぎにも2度目の洗濯。完全に出遅れ、出発は13時になってしまった。

宅急便の事務所で荷物を引き取り、45号線を北上する。市内のコンビニで100円のコーヒーを買い求めていたら、大挙して押しかけてきた子どもたちが「あの86、誰が乗ってるのかな~?」と噂している。
外で喫煙していたら、一人の少年がジッとクルマを見ている。すると、店内から出てきた子どもたちがクルマを取り囲んでいる。クルマに戻ってから、1号機だけのモーターショーが始まった。ボンネットを開け、車内を見せ、そしてエンジンをかける。
「このエンジンはスバルの…」「すげーっ!」など、大喜びだった。甥と同い年くらいと思うが、最近クルマ好きの若者が減っているので、開発した多田さんも喜んでいるはずだ。

強力に寒波が襲ってきているので、所々で小雪が舞う。道は渋滞もなく、高田、大船渡、釜石と抜けて、BGMを臼澤みさきにスイッチし、大槌に入る。
ひとまず、マストにあるまちづくり情報センターへ。大槌の状況を知るには、ここに立ち寄るのが手っ取り早い。
地区ごとの資料を入手し、役場を横目に赤浜へ向かう。目的地には「配達中」の看板が出ており不在。しばらく周辺を探索する。
はまゆりの写真
高台にある体育館と住宅
防潮堤越しに海を見る
既に黄昏てきた
堤外側。元の高さはTP+6.4m
陸閘から体育館を望む
被災した東大の研究施設
1号機の車高は1.3m
赤浜名物、ひょっこりひょうたん島こと蓬莱島
山から超寒風が...
北海道の時より薄着で臨んでいたため、もはや屋外にいることが困難になってきた。再度店に戻ると、明かりが灯っていた。

以前、在京民放ののA氏に紹介いただいた岡本酒店の店主を訪ねる。
今日で震災から2年10か月が経過したが、まだ街の将来が描けていない場所が身近に存在している。赤浜は2011年の12月には大枠が決定しており、その後もスムースに話合いが進んだ。どのようにドライビングされたのか、そのヒントを探りたかった。

既に先客が見え、2月に行われるイベントの打合せが行われており、その間にコーヒーをいただいてしまった...。そして明日の来客への手土産を物色する。

少しお手すきになったタイミングで、ヒアリングを行った。赤浜の集落は、防潮堤の地盤沈下分の嵩上げによる原型復旧(TP+6.4m)と、背後地の盛土(15m程度)を行う。こういった意思決定を行った過程などを聞き取ることに。1時間ほど話を伺った内容を要約すると、以下のようになる。
・震災前はあまりまとまりのある集落ではなかったが、避難所生活を行うことで気持ちが一つになった。
・避難所生活を行っている段階から「赤浜を立ち上げる会(赤浜の復興を考える会)」の設立が検討され、少し落ち着いたタイミングで設立した。
・行政(大槌町役場)とは相当回数の協議を行っており、些細なことでも打合せを行うようにしている。
・会が行政とともに方向性を決定し、都度住民への全体説明会を行っている。

赤浜では、行政と住民が繰り返し繰り返し対話を行ったことが、住民の望む結果に結びついた。ベースとなる部分が速やかに決定されたため、今では公共施設の間取りなど、かなり詳細な部分まで協議が進んでいる。

津波により壊滅的な被害を受けた街の復興を手掛けた行政職員は殆どおらず、またその過程を経験している住民も殆どいない。手探りで物事を進めていくためには、とにかく対話が必要であることを改めて認識した。
以前、職場で経営品質ということを学んだ時、「対話による知の創造」という言葉が出た。かなり好きな言葉だが、まさにそれが赤浜で実践されているように思った。
1時間ほどお話を伺い、店主の直筆のラベルが貼付された日本酒を買い求め、店を後にする。

昼食を摂っていなかったので、隣接するログハウスのイタリア料理店に寄ろうと思ったが、残念ながら貸切になっていた。
スマホを見ると、相模原のジャイアンことH氏から着信が入っており、大船渡屋台村集合となる。

屋台村では、K(カキ)-1グランプリなるイベントが行われており、5枚つづり1,000円のチケットを買い求める。喜楽に陣取っているメンバーと顔を合わせ、限られた時間で各店のカキ料理を食べることに。
トラ男T氏・イカツイO氏・最年長のO氏・ジャイアンH氏
チケットは1枚あたり200円だが、コストパフォーマンスは非常に高い。正直、伝のラーメンなど原価割れしているんじゃないかと不安になった。まぁ、そのラーメンは口に入ることはなかったが...

美味しいおでんを食べ、代行でSGに向かおうとする。しかし、何者かが1号機の真後ろに駐車しており、動かすことが出来ない。FJクルーザーなら無理やり乗り越えられるが、そうは行かなかった。泣く泣く置き去りにした。