2014年5月11日日曜日

#471 タイムリミット

なんだか寝付けず、外はすっかり明るくなった時に眠りにつく。8時にセットしておいた目覚ましを止め、9時に再び鳴りだしたので、渋々起床する。微妙な睡眠時間になってしまったので、ベストコンディションには程遠い。タイマー機能で洗っておいた洗濯物を干し、朝ご飯を食べて家を出る。

合庁には人影もほとんどなく、自分の職場も当然無人だった。進めらるだけ作業を進め、昼頃には退場する予定だった。が、治山班のM技査から電話が入り、急きょ資料作成に臨むことに。時間的に間に合わなくなってしまうので、これで当初予定していたことを、まず一つ反故にすることに。

H主任主査の分も含めて作業が完了したころ、H主任主査の資料に誤記を見つけてしまうことに。ここまでで終わっていれば、次の予定に間に合ったのだが、あきらめることに。高田の朝日のあたる家で、杣遊会の森の動物園撤収作業を手伝う予定が反故になる。M氏に謝罪の電話を入れる。

なんとか15時前に作業を終える。この事態を想定していなかったので、食料を全く持ち込んでおらず、備蓄も枯渇していたので空腹が限界に達していた。ひとまず、アンカーコーヒーで上げ底する。
外でタバコを吸っていると、南郷の眼科の先生とすれ違う。「今日の気仙沼はどこも混んでますね!」と声を掛けられる。暖かくなって、人の往来が多くなったのかな...

1号機で45号線、三陸道を北上し、盛にある栄寿司へ。大船渡市役所派遣時の忘年会以来と思われるが、その間に1回来ているような気がしなくもない。

盛町五年祭の慰労会が始まる。なんとなく、屋台班のねまっているゾーンに陣取る。顔を見ても話していなかった方々と、たくさん話をする。屋台の上に乗って指揮していた方と祭の話になる。屋台班も次の五年祭の時には、メンバーのほとんどが60歳以上になる。これからの祭の存続が気になってくる。2月からの長期に渡って準備に勤しんでおられたので、自分も余裕のあった3月にお邪魔すればよかったと、少し後悔する。しかし、3月は連日、夜の会があったような気がする...

また、もと高校教諭の方と、三重のことや震災のことなど話をする。東日本大震災よりも、南海トラフの地震が先にくると思っていたとのことだった。この話はよく耳にする。

そういえば、紀北町のK議員が、南海トラフの被害想定や、先日リリースされた、2040年に多くの自治体が消滅する可能性についてのレポートに酷く嘆かれていた。

26年後に南海トラフの巨大地震が発生したら、今この地で行われている、100壊れたら100治す、むしろ110や120といったレベルに達するような、復旧、復興は出来ないのではないかと思っている。東日本大震災の被災地で、今の事業が完成した暁には、災害で消滅するといった危機からは当面逃れることが出来るだろう。しかし、人口減で消滅する危機との戦いはこれから始まる。いや、もう始まっている...

あらゆる手段を駆使して未来を変えることも可能だが、災害や人口減で過去に街が消滅したという事実もある。26年後、人口減か、巨大災害か、いずれかで消滅してしまう自治体が三重で発生することも十分に考えられる。
その時自分は66歳。ぎりぎりこの世にいる予定だが、その時はどのような老爺になっているのだろうか。

20時に中締めとなり、45号線を南下する。左手に真新しい魚市場が見えたので、少し近くまで寄ってみることに。震災を跨いで完成した施設は、とてもこの街に似合っている。
風もなく穏やかな夜。月明かりの元、気仙沼へと戻る。
再び合庁へと向かい、M技査から追加で頼まれた作業を進める。

静かな街の中、ベースキャンプへ向かう。いよいよ月曜から過酷な業務が始まる。なんとかスムースに終わってほしいものだ。