2013年12月15日日曜日

#324 Crossover Kesennuma Vol.5 -オオシマニア day2-

めっきり冷え切った部屋で、いつもより早く目を覚ます。ファンヒーターの温度計は5℃を指している。道理で寒いはずだ。まだ寝ていたい気持ちを抑えて、朝食に向かう。朝から焼きホタテやカキなどの大盤振る舞い。食事にたっぷりと時間をかけてしまった。
予定を1時間ほど早めて、8時15分に集合・出発となる。宿の外は真っ白になっていた。「たっぺ」になった道路を見て、運転士さんは「岩手に比べたらどうってことねえ」と。さすがである。

少し歩いて、近くにある昭和三陸地震津波の碑へ案内する。道がテカテカになっているので、かなり慎重に歩みを進める。しかし、風があまりに強すぎて説明を思わず端折ってしまう。
つるつるの坂道を下り、小田の浜の海水浴場が一望できる高台から事業概要を説明する。雪で白くなった海岸は、夏とは違う表情を見せている。
「避難路」と書かれた看板を逆に進み、海岸へ向かう。凍っているからなのか、かなり急な坂に感じてしまう。ふと、東洋町の人工地盤を思い出した。
若者は滑って楽しむ。
海岸に出ると、みんながてんでバラバラの行動に出る。ビーチには、人の気持ちを駆り立てる、えも言われぬ何かが潜んでいるようだ。
再来年の年賀状に使おう...
引き続き、龍舞崎に向かう。車内でマイクを使い、にわかガイドに変身する。今日のメンバーは運転士さんも含めて初めての大島。自分の知っていることを偉そうにしゃべる。「新王平は、大正天皇のご即位を記念して...」とか。「大島誌」を読んでおいて役にたった。

時間が限られているので滞在時間を20分に限定する。尾根沿いの遊歩道は凄まじい風にさらされている。もはや寒いを超えて痛い。かき氷を食べたような頭痛に襲われる。
美景
島の背骨を走り、田中浜へ。体験四阿でバスを降り、少し説明を行う。
浜の片隅にある船揚場から海岸を眺める。学生のHさんが「ここすべりやすいから気を付けて!」とアナウンスしてくださった直後、Y先生に悲劇が訪れる。幸いお怪我もなくてよかった。

大島でどうしても見せたい景色を見てもらうために、限られた時間で亀山へ。10時40分のフェリーニ乗るためには、推定滞在可能時間は10分。「頂上の展望台まで8分で往復できるのであれば、見学可能ですw」と伝えると、Y先生、S君、N君、そしてOさんがダッシュする。自分を含めて残された4名は中腹から眺めることに。しかし、ここからでも十二分に素晴らしい展望。夏とは違い、白く化粧をした大島も、また魅力的だ。
少しだけ余裕をもってフェリー乗り場に到着し、再び本土へ戻る。帰りの船も比較的たくさんの人が乗られていた。

駐車場に止めてあった1号機には、5cmほど雪が積もっていた。早速昨日手に入れたブラシで掻き落とすことに。視界を確保して、天井の雪を落として急ぎ生徒の乗ったバスの先導をする。

昼食場所を選択する任務を負っていたため、岩大生の行程を邪魔しないよう、この近辺では抜群の展望を誇る漁火パークへ。大船渡の綾里から五葉山、氷上山、広田半島と広田湾、高田松原から大島と、すべてが手に取るように見える。
寒いから鍋焼きうどん、汁少な目
先生の研修室のFBページを事前に見ていたので、写真の掲載されていた小泉海岸や高田のことについて尋ねた。子どもたちが、大きく変化する街に少し動揺していると伺った。確かに、今まで住んでいた街が震災で大きく傷つき、また高所移転などの公共事業で今までとは全く違った様相となる。本来ならゆっくり変化していく景色が、凄まじいスピードで移り変わっていく。人の心がついていかないのも当たり前か...
記念撮影をしてから、唐桑ビジターセンターへ向かう一行をお見送りし、小鯖の集落へ。以前も業務で尋ねたことがあるが、ゆっくりと眺めるのは初めて。しかし、寒さのためにすぐ切り上げる。
昭和の津波記念碑と漁港
細いトンネルを抜けて、鮪立の集落へ。ここも以前パトロールで訪問したことがある。非常にタイトな場所で、斜面にへばりつくように家々が立ち並ぶ姿は、熊野の磯崎を彷彿させる。
集落の中ほどに、電柱を使って漁網が横に広げられている。ここに整備が予定されている9.9mの防潮堤の高さを表している。
途中、カツオ一本釣り発祥の地の石碑を見る。この漁法が紀州からもたらされたことは以前に知っていたが、こうやって石に刻まれることで将来に渡って知れ渡ることはうれしい。

引き続き宿(しゅく)へ。集落の中ほどにある地福寺という寺に立ちよる。
お参りをすませ、石碑が立ち並ぶ場所へ。ひときわ大きなものは明治三陸地震津波の後に建てられたものだ。
また、東日本大震災の供養塔も近くに建てられていた。
寺の前に宿の集会所がある。パッと見は古い木造の建物としか思えないが、実は昭和三陸地震津波の後に建てられた記念館で、沿岸部33か所に建設されたが、今残っているのはここだけである。
くわしくは河北新報の記事を参照。
そして、前から行きたいと思っていた早馬(はやま)神社へ。 丁度神事が執り行われようとしているのか、乳児を連れた参拝者や家族が建屋に入っていた。
一番手前は昭和三陸地震津波の碑
由縁
東日本大震災の津波記念碑と撫で馬
碑文
裏面には復興完了の字と空白。
かなり高い所まで津波が到達している。
今は草地が広がっている
 参拝の記念に、お守りと絵馬を買い求める。本来の使い方とは違うが、部屋に飾っておこう。
海辺の曲がりくねった道を行くと、ガソリンスタンドを見つける。最近は、職場のクルマも含めて、出来るだけ早めにガソリンを入れるように努めている。震災後の辛い状況を考えればしかるべき行動なのだが、皆忘れてしまったのだろうか。
カードで精算したら、なつかしい「ゴリッ」とスライドさせるタイプの機械だった。
舞根(もうね)を抜け、気仙沼湾の東側を進む。大島架橋連絡道路の工事が至る所で進められている。風の強い湾内では、浮き球が斜陽に照らされて揺れていた。
隘路を抜けると三ノ浜にたどり着く。後で地図を見たら、ぐるっと舞根まで道は続いている。しかし、1号機での通り抜けは困難。暖かくなってから3号機で再チャレンジしよう。
そして、また昭和の石碑を見かける。
来た道を戻り、二ノ浜の高台にある祠から海を眺める。震災前は何か営みがあったはずだが、残念ながらその痕跡は殆ど残っていなかった。
沿道の大浦で昭和三陸地震津波の石碑を見つける。
仕事に行こうかと思ったが、少し疲れてしまったのでベースキャンプに戻ることに。ちょっと横になってから、再出発。大川沿いにあるゲストハウスアーバンに向かう。
今日は南郷一区復興親睦会が開催される。結婚式でも使われる会場は、少し薄汚い服装で来てしまった自分には場違いだった。受付で座席のくじ引きをし、決められた席に着く。

開会前に記念撮影が行われ、挨拶のあと懇談となる。テーブルの上のご馳走を摘みながら、アルコールを口にする。そして、いよいよ自分が司会を行う時間となった。まずは地元出身だが、今は仮設に住まう高齢のU氏、福岡から派遣のH氏、会長の挨拶と続き、震災後にこの地区に移り住んだK氏によるギター演奏。
そして、南郷に欠かせないカラオケの時間となる。会長がトップバッターで、なんとなく場の雰囲気を盛り上げつつ、テーブルを回って参加を促す。
そして、同じテーブルに座っていたIさんから「このテープかけて。頭出ししてあるから。」と渡される。演奏開始とともに、踊りを披露してくださった。
T氏もカラオケに参加し、そのタイミングでステージに寮生を全員集合させる。夏まつりでも顔を合わせた方にも、初対面の方にも、少しは覚えてもらえただろうか...

MCが3位という、空気を読めないビンゴ大会も無事に終了し、散会する。
先ほど踊られていたIさんが、「帰りたくないんだけど。」とおっしゃり、二次会へ。なんでも持ち込み自由のあみぃというカラオケBOXで各自熱唱することに。

2時間ほどで2次会も終了。帰路に就く。しかし、T氏の姿が見えない。厳寒の中、いずこへ...